1.ダンジョン研修
北海道在住の女子高生、芝谷寺ヒマワリは十六歳の誕生日を迎えた。
親からの誕生日プレゼントを心待ちにするほど子供ではないが、四月生まれの彼女は、今日この日をずっと前から待っていた。
十六歳の誕生月。それは、現代の日本において特別な意味を持っていた。
ダンジョン研修を受けられるようになるのだ。
「はい、はしゃがない、騒がない、駆け出さない。以上を守って、楽しくレベルアップを迎えましょう」
ヒマワリにそう告げたのは、彼女が住む青熊村にある村役場の職員。二十代後半の女性で、手には、巨大なハンマーを持っている。
ダンジョン研修は、日本が行なっている社会政策だ。役人の監視のもとダンジョンに人を入れ、『モンスター』と呼ばれる怪物を倒させることで、『ジョブ』と『レベル』という不思議な力を身につけさせることを目的としている。
今回の青熊村ダンジョン研修は、村役場に勤める女性とヒマワリの二人だけでの実施だ。
「分かってるよー。そもそも、一階には危険も何もないんだから、そんなに警戒しなくても」
ジャージ姿のヒマワリが、笑いながら役場の職員に言葉を返す。
ヒマワリの手には、木刀が一本握られている。今日この日のために、ヒマワリが中学生時代の修学旅行で購入した一品だ。京都産である。
「何事も例外があるでしょう?」
役場の職員が、気弱にもそんなことを言い出す。だが、ヒマワリはそれを笑って否定した。
「十年間、一件も例外は報告されていないんだから、大丈夫でしょ」
「そうは言いますけどねぇ……私が担当しているときに、変なことは起きてほしくないわけで」
「あはは、例外が起きて何か大発見したら一躍、時の人だよ、お姉さん」
そう言って、ヒマワリは周囲を見回し、深呼吸する。
現在、彼女たちは草原にいた。草原の中には、大型犬ほどの大きさの跳ねるゴムまりや、額に角が生えたウサギがのんきにうろついている。
「うーん、空気が美味しい。魔力が濃いのかなー」
「何を言っているんですか。ダンジョン一階の魔力濃度は特に地上と変わりませんよ」
そう、ここはダンジョンの内部。十年前に突如、地球に姿を現した不思議空間だ。
草原内を転がり回っているゴムまりは『スライム』、角ウサギは『アルミラージ』と呼ばれるダンジョンモンスターである。
――十年前のある日、地球の各地に突然、謎の空洞が生まれた。
勇気ある者がその空洞の中に足を踏み入れると、その先には天井がない不思議な空間が広がっていた。
地球の人々は、その空間をダンジョンと呼んだ。ダンジョンとは直訳の『地下牢』のことではなく、当時娯楽として広まっていたテレビゲームに登場する、『モンスターの潜む洞窟』や『宝や罠が隠された迷宮』を意味する言葉だ。
「でも、ダンジョン内だとレベルが上がりやすくなるんだよね?」
「レベルアップと魔力濃度の因果関係は証明されていませんよ」
「そっか。そうだよね」
そんな会話をヒマワリと役場の職員が交わす。
『レベル』とは、テレビゲームの世界に存在する、人の強さを表わす概念だ。その架空でしかなかった要素が、今の時代ではダンジョンにまつわる能力として現実化していた。
役場の職員はあらためてヒマワリに言う。
「それでは、四月度の青熊村ダンジョン研修を始めます。誕生日当日に研修希望とか、ヒマちゃん気合い入りまくりですね」
「そりゃあ、将来の夢は『ダンジョンシーカー』だからね!」
ダンジョンシーカー。その名の通り、ダンジョンという未知を解き明かし、謎を探求する職業である。
そして、ダンジョンができて謎が解き明かされて十年経ち、今や地球ではダンジョンから産出される資源は、なくてはならないものになっていた。
モンスターを倒して得られるレベルの力、『ジョブレベルシステム』と呼ばれるそれを駆使し、ダンジョンでの物資調達を行なうダンジョンシーカーたち。彼らは今や、子供がなりたい職業ナンバーワンと言われるほどまでになっていた。現代のゴールドラッシュである。
「とりあえず、ヒマちゃんには『スライム』を倒してもらいましょうか。『アルミラージ』は、角が当たるとすごく痛いですからね」
「痛いくらいでひるんでいたら、ダンジョンシーカーになんてなれないよ」
「いきなりハードなところから始める必要もないでしょう。いくらダンジョンから出たら傷がなくなるとは言っても、か弱い子供なんですから」
「か弱くないもん!」
ヒマワリは、その場で木刀を両手に握り、勢いよく素振りをし始めた。上段からの振り降ろしを何度も繰り返す。
それを見て、職員は驚きの声をあげた。
「うわ、意外とさまになっている……?」
「毎日素振りしていたからね!」
「えー、ヒマちゃん、そんなことしていたんですか」
どれだけダンジョンシーカーになりたかったのか、と役場の職員は心の中でつぶやく。
そして、あらためて彼女たちは『スライム』を倒しに向かった。
とは言っても、そこらをうろつく『スライム』を職員が素手で捕まえて、用意してあったフタのない金属箱の中に仕舞うだけだったが。
「はい、この中の『スライム』を小突いて倒したら、晴れてヒマちゃんもレベル1です」
「うわあ、話には聞いていたけど、すごい絵面」
「はいはい、頑張って。頑張れば、あなただけの『ジョブ』と『アビリティ』が手に入りますよ!」
「むー、なんか盛り上がりに欠けるけど、『レベル』を上げるためだ。仕方ないね」
ヒマワリは、右手に木刀を握り、箱の中の『スライム』を強く突いた。
彼女の手には、固い弾力が伝わってくる。『スライム』という名前なのに、粘体ではなく固いゴムのような感触だ。
本来ならば、その弾力を利用して体当たり攻撃をしてくるとヒマワリは知っていたが、スライムは箱にすっぽりとはまって動けなくなっている。
「えいえい、おりゃー!」
十回は突きをしただろうか。突然、木刀の先端が『スライム』の固い表皮を突き破り、『スライム』は破裂音を立てながら弾けた。そして、『スライム』は光を発しながら虚空に溶けてなくなっていく。
すると、ヒマワリの脳裏に言葉が響いた。幼い子供を思わせる高い声だ。
『スキル≪片手剣≫がレベル1になった!』
「出た! ≪片手剣≫がレベル1になったみたい! ……片手剣?」
「ん? んん?」
巨大なハンマーを手に、不測の事態に備えていた役場の職員が、不思議そうな顔をする。
「お姉さん、どうかした?」
「おかしいですね。初めて『モンスター』を倒した人は、ペカーッて光るはずなんですけど」
「あ、確かに、レベルアップのエフェクトが出てない!」
ヒマワリは、ネットの動画で何度も見たレベルアップ風景を思い出して、何かがおかしいことに気がついた。
そんなヒマワリに、役場の職員は言う。
「ヒマちゃん、こっそりダンジョンに入って『レベル』を上げていたとかないですよね?」
「そんなはずないよ。ダンジョン入る前に『オープン・ザ・ステータス』してみせたよね?」
ヒマワリが反論の言葉を告げると、彼女の目の前に突然、四角い窓が開いた。『ステータスウィンドウ』と呼ばれる、十年前から地球人類が手にした力の一つだ。
『ステータス』とは、『モンスター』を倒した人間が手に入れる超人的能力のこと。『ステータスウィンドウ』は、その『ステータス』を可視化できる謎の機能である。
「わっ、出た! えーと……」
ヒマワリは、己の能力が書かれた『ステータスウィンドウ』をまじまじと見つめた。
そこには、このように書かれていた。
名前:芝谷寺ヒマワリ
年齢:16
習得スキル:
・武術 片手剣レベル1
称号:なし
「……あれー?」
ヒマワリは役場の職員と同じように、首をかしげる。彼女がこれまでスマホを使ってネットでサーチしてきた、ダンジョンシーカーたちの公開ステータスと書式が違うのだ。
習得スキルという項目と称号という項目は、彼女が初めて目にするものだった。
「ヒマちゃん、どう?」
「なんかおかしい」
「えっ、それは困ります……」
職員の口もとが、盛大に引きつった。
そして、浮かない表情のまま、職員はヒマワリに言う。
「本当は指導員が研修生の『ステータス』を見るのはいけないんですけど、ちょっと見せてもらっていいですか?」
「うん、これは、プライバシー保護とか言っている場合じゃないかも」
「はあー……。ちなみに、普通のステータスはこういうのですね。『オープン・ザ・ステータス』」
役場の職員は自分の『ステータスウィンドウ』を表示し、指先で何かを操作すると、ウィンドウを手でつかんでヒマワリの方に見せてきた。
そこには、このように書かれている。
名前:剣崎ヒジリ
年齢:28
ジョブ:ロボテック・ブラックスミス
レベル:29
習得アビリティ:鍛冶 機械工作 応急修理 ハンマースタンプ トマホークブーメラン 魔動エンジン製作 パワードスーツ製作 ロボット製作 アクセルブースト 携帯工房
「お姉さんの『ジョブ』が予想以上にすごかった……!」
『ステータスウィンドウ』の『ジョブ』の欄に注目したヒマワリが、驚きの表情でそんなことを言った。
「えっ、やっぱりすごいですか? 私も学生時代は片手間にシーカーをしていて……じゃなくて! 他人へのステータスの開示は、ウィンドウのここをこうして、こうね」
ヒマワリは、職員の指示に従って『ステータスウィンドウ』を操作し、己の謎に満ちた『ステータス』を開示した。
それを見た職員は、さらに表情を曇らせる。
「どうしよう、こういうの、すごく困ります……!」
「ええっ、ちょっとお姉さん!」
「私、過疎村の地方公務員でしかないんです! こういうときどうすればいいんですか!?」
「えー……」
「はっ、そうだ。上に報告! 上司に知らせるんです! ヒマちゃん、帰りますよ」
「えっ、ちょ、まだ『スライム』一匹しか倒してないんだけど!」
「それどころではないです!」
その後、二人はすぐさまダンジョンを出て村に帰還すると、村役場に直行した。
すると、未知の『スキル』という存在に村役場は騒然となった。いや、騒然となったのは村役場だけではない。情報が伝わった北海道庁のダンジョン課も、その上の日本の行政のダンジョン庁も、全てを巻き込んで大騒ぎになった。
それからしばらくして、ヒマワリは世界で初めて『スキル』の能力を身につけた人間として認定された。十年前から生物に『ジョブ』と『レベル』が導入された現代の地球において、久方ぶりとなる大発見だった。
一躍、時の人になった少女ヒマワリは、大人たちの事情に翻弄されて……いなかった!
しれっとダンジョン入場資格試験を通過してダンジョン入場免許証をゲットした彼女は、次なる目的に向けて動き出そうとしていた。
それは、ダンジョンを使った、自分が住む村の村おこし。
郷土愛にあふれた一人の女子高生は今、己の知名度を利用して、村の未来を切り開こうとしていた!




