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第一話 横浜一丁目 二階は何をする人ぞ?

横浜一丁目 二階は何をする人ぞ?


 青空麻鈴あおぞらまりんは横浜の石川町駅前雑居ビルの一階に最後の荷物を運び込んだ。

『にゃー』

 店内に積み重なった段ボール箱の上で昼寝をする黒猫。愛猫あいびょうのサリーだ。名前はもちろん尊敬する魔女である『魔法使いサリー』から頂いている。

 左右の腰に両手を構えた姿勢で荷物を見つめる。いよいよ段ボール箱の開封である。

 頭に三角巾。ハーフアップの髪にあてがった掃除モード。黒いプーマのジャージー姿。マスクとだて眼鏡で埃よけも準備万端である。


 麻鈴は二十五歳。先月、イギリスから帰国したばかり。親に借金までして、何とか親戚のおじさんが持つ、この横浜の店舗物件を借りたのである。念願の雑貨店オープン。格安で貸してもらったこの物件、おじさんからは一つだけ条件があった。それはこのビルの管理人を兼務することだ。その管理人業務の賃金分を相殺そうさいするかたちで、格安になっているというカラクリだった。


「いいかい、麻鈴ちゃん! 二階には探偵事務所がある。逢野おうの探偵事務所というんだ。毎月家賃が遅れがちなので、気をつけて見張っていてくれ。悪い人じゃ無いが、結構な……、いや、ものすごいズボラな人だ。支払いが遅れないように気にかけてほしい」


 おじさんの言っていた通り、上にはカッティングシート貼りで大きく窓ガラスに『逢野探偵事務所』と看板が掲げてある。麻鈴の店舗の横にある階段がその入口だ。このビルは三階建て、三階には区割りされて二つの企業が入っている。その両方ともいたって普通の会社ということだ。気をつけるべきはその探偵事務所だけである。


 陳列棚や会計カウンターが設置され、麻鈴の貸店舗もだんだんとお店らしくなってきた。朝十一時を過ぎた頃に、店の横をスッと大きな人影が横切る。

 見るからに冴えない身なりの大男。よれよれのスーツのサイズから、がたいのよさはすぐに分かる。しゃくれた顎に、ゲジゲジ眉毛、髭はいつ剃ったのか分からないくらい、酷く放置状態だ。

 彼は新しく開店する麻鈴の店に興味もなさそうに、横目でチラリと流してから階段の一段目に足をかけた。


「ああ、逢野安間郎おおのやすまろうさん!」

 麻鈴は逢野の顔はすぐに分かった。事前に探偵事務所のチラシで、彼の顔を確認していたからだ。

「なんだい、お嬢ちゃん」

 不機嫌そうな顔で麻鈴を見る。上目遣いに舐めるような目だ。

 冷や汗に、固唾をのむ麻鈴。たじろぎを隠しながら、胸を張って仁王立ちで対峙する。

「私、今月からおじの足利孝あしかがたかしから管理人を頼まれた青空麻鈴といいます。下の階で雑貨店をオープンする予定です。よろしくお願いします」

 そう言って、冷静にお辞儀をした。

「ああ、ご苦労さん」

 片手を面倒くさそうに挙げると、それを挨拶代わりに逢野は階段に戻って上ろうとした。

 それを引き留めるように、麻鈴は大声で続ける。

「つきましては、今月のテナント料七万円を頂きたく思います。もう支払期限を過ぎていますので」と逢野を呼び止めた。


 ぼさぼさの髪を掻きながら、「今日さあ、依頼主から報酬が入るんだよ。それで払う予定だから」と切り上げたい逢野。

「何時ですか?」

「依頼が解決したらだ」

「解決しなかったら?」

「明日かな」

「それは困ります」

「そんな事言っても、無い袖は振れない! お嬢ちゃん、察しておくれよ」

「それは私が困ります。所定の日にちに、決められた額の家賃をおじに渡すのが役目です」

「そこは親戚なら何とかなるだろう」と引かない逢野。

「なりません」

 ここで暫しの沈黙。逢野は気付いたように、

「いかん、早く行かないと証拠をつかめない」と言って階段を駆け上がった。

 すぐに事務所のドアを閉める音がして、階段を駆け下りてきた逢野。その間に、麻鈴もそつなく準備である。店舗の鍵をかけると、瞬時に軽くアップの髪型にして、スカートを重ね着する。ローファーを足下のテニスシューズに履き替える。そのままジャージーを店のカウンターに放り投げると、降りてきた逢野に合流して後ろを付いていく。


「今日はどちらに?」

「山下公園の通り沿いにある高級ホテルだ」

「ああ、歩いて行けますね」

「付いてくる気か?」

「もちろん、お家賃がかかっていますから」と涼しい顔で応える麻鈴。

 あきれ顔とも難色を示しているともとれる不快そうな顔で、逢野は「勝手にしろ! 邪魔だけはするなよ」と投げ台詞を飛ばした。



 山下公園と通りの境目には花壇がある。そこは好都合に茂みになっている。通りの向こう側に、お目当ての高級ホテルが並んでいる。陳腐な同伴ホテルとは違ってかなり格式の高いホテルだ。

 茂みに隠れながら麻鈴は、

「もしかして今日の依頼って、浮気調査ですか?」と顔をしかめる。乙女の麻鈴には下世話に思える調査である。

「だから付いてきても意味ない、って言っているだろう」

 どや顔で頷く逢野。

「ターゲットは?」と腰を低くして、身を隠しながら問う麻鈴。

 面倒くさそうに逢野は、ジャケットの内ポケットから一枚の写真を出した。

 麻鈴が受け取った写真には、美しい巻き毛に、ブランド品のハンドバッグを腕に吊し、銀座の町を歩く女性が写っていた。

「うわ、絵に描いたようなお金持ち」

芦屋堂あしやどうマキコ。中央エナジーグループ会長、芦屋堂満あしやどうみつる夫人。もと銀座の高級クラブの売れっ子ホステスだ。前の夫で殉職した竹川彦六って新聞記者と死別してからホステスになったようだ。芦屋堂とは店外デートを繰り返した末に一緒になった。高校中退で最初の結婚をしたためあまり教養が無いと自分で思ったようで、市民カレッジなどの経済講座を受けまくって、知識を手に入れて高級クラブに入ることが出来た苦労人でもある。それは結婚式などで本人が話している。一方の相手はいま売り出し中の地下タレントのタケヒコ。ホストクラブの副業で稼いでいる。マキコは今年四十歳。十八歳のタケヒコとは二十二歳差だ。旦那が忙しく、おまけに年の差婚だったこともあり、白昼堂々と秘めた恋のアバンチュールを楽しむ有閑マダムというわけだ。ところがこの二人は密会の連絡を残さない。ホテルも同日の部屋をとった形跡は無い。二人で一緒にいた時の目撃はランチやディナーを一緒に食べるところだけ。情事の痕跡も残って無いんだ。不思議な密会だ。スマホもPCにもメールやSNSの痕跡が無い。復活アプリを使っても証拠隠滅の気配すら残っていない。密会の約束がどうやって行われているのかが、不思議なのだ」


「これだけのお金持ちなら他に楽しむこといっぱいありそうなのに、なんでこんな破滅への道を」と麻鈴。

「ギャンブルと一緒。そのスリルがたまらないんだろう。凡人には分からないし、分かりたくも無い」

「その男性、相手にも趣味は無いの?」

「相手の家には鳥小屋がある。鳥を飼うのが趣味のようだ。あとはこれと言って派手に遊んでいる様子も無い。タレントとして売れたいとも思っていないようだ」

「で、報酬は?」

「密会デート現場写真で十万円。ホテルからの現場、浮気証拠の写真で五十万円だ。裏付け、物的証拠もあれば百万円」

「ふむふむ。それならどれでも家賃以上の金額だわ。問題ない」

 麻鈴は脳裏でソロバンをはじく。

「このホテル、他にお客様の通用口は?」

 麻鈴の言葉に、「ない」と一蹴する逢野。

「だがトラックを横付けできる搬入口を兼ねた社員通用口が真後ろに一カ所ある」

「分かったわ。じゃあ私はそっちに行く」

 身をかがめたまま麻鈴は茂みを出ると、横断歩道を渡り路地側から建物の裏手に回った。

「けっ。何なんだ、あのねえちゃん。推理小説の読み過ぎじゃねえの」

 茂みに背を向けると逢野はミントフレーバーのタブレットを口に放り込んだ。


「サリー、この写真の女の人よ、お願い」

 マリンタワーがそびえる路地の前。駐車する車の影に身を伏せながら、飼い猫のサリーに写真を見せる。

「カルカン、一番良いやつだぞ。忘れんな!」

 上から目線の言葉で、偉そうに命令する黒い飼い猫はホテルの外壁をいとも簡単に雨どい伝いにピュッと上の階まで上がっていった。バルコニーの手すりを歩き、部屋を横から順に調べ始める。


 逢野が茂みに潜んでいると、黒服を着たサングラスの男性が話しかけてきた。

「そこで何をしている?」

「いや、調べ物でね」と冷や汗を流しながらしどろもどろの逢野。

「怪しいヤツだな」

 見るからに怪しいヤツに「怪しいヤツ」と言われるのも不甲斐ない。

 黒服の仲間も集まり、見事に逢野は連行された。もちろん十分に慎重をきしたマキコが仕込んでいる配下の者だった。

 黒服の一人がマキコに携帯電話で連絡を入れる。

「興信所の男らしき者を一名確保しました」


 同じ頃麻鈴のもとにサリーが戻ってきた。

「もうすぐこっちの搬入口から二人揃って出てくるぞ」

 麻鈴の肩の上、耳元で囁くサリー。

「オーケー。サリーありがとう」

 スマホのカメラアプリを精一杯望遠拡大して、搬入口付近を写した瞬間、マキコとタケヒコのお忍びショットを入手した。

「やったあ!」


 マキコは地下街にあるコインロッカーの鍵をタケヒコから受け取る。キーホルダーに印字された地下街のマークが彼女たちの距離からでも確認できた。

 そして二人は歩道に出ると、完全に距離をとった。

 麻鈴の存在に気付かずに二人は待たせてあるハイヤー二台に、別々に乗り込むと情事のかけらも見せずに平然を装い、互いの目的に向かって車で去って行った。


 麻鈴とサリーは山下公園に戻り、逢野がいた場所に戻ると、逢野の食べかけのあんパンと愛用の古びたバッグがそこに置いてあった。

「どゆこと?」

 目を見合わせる麻鈴とサリー。

 麻鈴は背中のリュックから手鏡を出すと、鏡の後ろ側にある漆の表面に手をかざす。

「二十分前を映して!」

 麻鈴の言葉に鏡はその場所の二十分前の景色を映した。

「おい、あのおっさん、連れて行かれたぞ。どうする?」

「まずいわね」

 サリーの言葉に腕組みをしながら返事する麻鈴。

「そうか……」

 事態を察したように寂しそうな声でサリーは反応した。

「家賃が滞納になるわ」

 真逆の対応の麻鈴の言葉に、「そっちかよ」とあきれ顔のサリー。


 ファストフード店のホールの奥に入っていくのを鏡の映像で追う麻鈴。

「いた!」

 店の奥、テーブルに覆いかぶさる姿勢で眠っている逢野。サリーは逢野の肩に載ると匂いをかいだ。

「眠り薬だな。飲まされている。命に別状は無い。いい気なもんだ」と笑う。

 ふとテーブルを見ると、彼の飲んだであろうグラスの横に、ひまわりの種、トウモロコシ粒などの穀物が少量落ちていた。テーブルの奥にはペットショップで購入したであろうビニル袋に入った穀物が置いてあった。犯人が忘れて行ったのだろう。

「こんな物食べて、こいつはハムスターなのか?」

 彼の頭の上にピョンと移動してサリーが言う。

「ははあん。これは百万円いただけるコースに、コース変更できそうね」と腕組みをして不敵な笑いを浮かべる麻鈴。


「ちょっと起きてよ。逢野さん」

 体を揺する麻鈴に、頭を押さえながら、

「うーん」と言って上体を起こす逢野。

 すぐに「まずい!」と言って辺りを見回す逢野。

「大丈夫、彼らはとっくに退散したわ」

 麻鈴の言葉にホッとしてから、逢野は「すまん、バレたようだ」と罰悪そうな顔をした。そして「ん。なんでトウモロコシ?」とテーブルに散らばった穀物の粒を見て、自分の上着の袖付近を払う逢野。全く覚えの無い散らばった穀物を不思議そうに見つめていた。

「大丈夫。私、結構良いネタもらっちゃったわ」

「というのは?」

「二人はどうやって連絡を取り合っているかってことよ。そしてこの二人が会っている理由は情事でもアバンチュールでも無い別の理由があるってことね」と麻鈴。

「それは?」と尋ねる逢野に、

「それを確かめに行きませんか?」と逢野に告げると、麻鈴は元町中華街駅方面に歩道橋の階段を上り、歩き出した。

「ちなみにタケヒコの自宅はご存じですか?」と逢野に尋ねる麻鈴。右手にマリンタワーを見ながら、人形家博物館の前を過ぎる。

「ああ、この近くの山手商店街の裏路地だ」と言う逢野。



 山手の商店街から一本脇路地へ入ると、綺麗なマンションが建っていた。『ノーブルハウス』と表札の出た品の良いマンションだ。家賃三十万円はしそうな高級マンションである。

「あの角部屋バルコニーがタケヒコの部屋だ」

 逢野の言った通り、バルコニーの一角に鳥小屋がある。

 それだけを確認すると麻鈴は、踵を返し、商店街の方に歩き出す。特に他には興味も無いようだ。

 山手駅前商店街の一角、『暦屋不動産こよみやふどうさん店』と書かれた看板の下、自動ドアを潜る。

「おじさん!」

 まるめがねにパイプを丁寧に磨いている人の良さそうな老人が店番をしている。

「おや麻鈴ちゃん。帰ってきたの聞いたよ。いらっしゃい」

「こんにちは。ちょっと訊きたいことがあってきたのよ」

「うん」とパイプを磨くその手を止める不動産屋の店主。

「あの『ノーブルハウス』ってマンションね、あれって賃貸?」

「ああ、あの高級なヤツね。いやアレは本来は当初分譲だった。でも全室一括購入したお金持ちがいて、その人が賃貸物件として貸しているんだ。もともとその男性のお父さんの土地だったらしくてね。買い戻したかったらしいよ。亡くなったお父さんという人は、私も何度かお会いしたことあるよ。ご近所だからね。新聞記者さんで、なんていったかなあ。穏やかな優しい人だった」

「その大家さんって分かる」

「もちろん、公になっているからね」

 そう言うとパラパラと台帳らしき物をめくり始める。

「竹川武彦さん、って人だね。でも代行窓口はうちの店の五軒ほど隣のメイプル不動産。そこの管理物件になっている」

 その言葉に逢野はハッとする。麻鈴は「やっぱり」と頷く。

 そう言ってから、「そちらの方が入りたいのかい?」と逢野を見る不動産屋の店主。

「ううん。この人は孝おじさんの物件に既に入っているテナントのオーナーさん」

「ああ、孝君のところの」と笑う。

 麻鈴は「あのオーナーのおじさんのお兄さんです。どちらも私の伯父です。母の兄たち」と逢野に紹介する。

「これはどうも」と頭を下げる逢野。

「ははは。びっくりしたよ。こんな年上の人連れてくるから、てっきり……」と言って店主は言葉を引っ込めた。

「私が結婚したって?」

「うん」

「ないない」と左手で宙を扇ぐ麻鈴。


「じゃあ、行きましょう。最後の素材は手に入りました!」

 麻鈴は親指を立てて、グーという仕草を作って言った。

「どこへ?」

 麻鈴はさも当たり前という風な顔で、

「決まっているじゃありませんか、依頼者、芦屋堂満さんのところです」

 店の外ではサリーがひなたぼっこ。大あくびに、興味のなさそうな顔で入口横に丸まっていた。



「流石大会社の会長室ですね」

 大理石の柱、特注と見える応接セットはヨーロピアンな雰囲気。麻鈴は辺りをキョロキョロしながらも品定めである。

 暫くして奥の扉が開くと、品の良い老紳士がゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。

「おやおや、今日は逢野さん、こんな可愛いお嬢さんを連れてどんなご用かな?」

 芦屋堂会長の言葉に応えたのは麻鈴だった。

「こんにちは。今日は助手の青空麻鈴も同席させて下さい」

「ほほう、助手とな」

 会長の顔はお手並み拝見という風にも見えた。

 麻鈴は大きく息を吸い込むと、

「単刀直入に申し上げます。本日はマキコさんの潔白の証拠をお伝えに上がりました」と言い放った。

『馬鹿!』

 声にならない声が逢野の口の中で沈む。

 会長は一旦眉の脇をぴくりと動かすが、すぐに平常に戻り、

「分かりました。お聴きしましょう」と言った。だがそれに加えて、

「依頼しても無いことを調査しているのだから、それなりの覚悟もおありでしょうな」と釘も刺してきた。

「はい」

 頷く麻鈴の横で、逢野はソファーにもたれて瀕死状態のように目を白黒させていた。


「まずは依頼の案件。お仕事としての調査報告からです」

 てきぱきと話し始めた麻鈴とは対照的に、逢野は放心状態で意識を朦朧もうろうとさせていた。

「携帯にも、メールにも密会の約束日時が入っていない謎についてのご報告です」

「うん」

 会長は身を乗りだすように前屈みになって頷く。

「その伝達手段はレース鳩です」

「レース鳩? 何だね、それは」

「明治や大正時代は伝書鳩と言われていた飼い鳩です。今は、特にヨーロッパのフランスやスペインなどでは、帰巣本能を競わせるレースなどが開かれて、その到着のスピードを競うという競技鳩になっています。かつての伝書鳩は、鳩の持つ帰巣本能を使って、鳩の足にカプセル状の文書筒を備え付けて、それにメッセージを付けて飛ばすという連絡方法。第一次大戦頃には戦場でヨーロッパの軍隊などが使っていたと聞きます」

「なんとアナログな」

 老人は驚いた。そして「どうりで郵便にも、メールや電話にも痕跡がない筈だ」と驚く。

「私はマキコさんの前のご主人が新聞記者だったことと、彼女の護衛をしている黒服の男性が穀物のパッケージを持っていたこと、そして彼女が地下街のコインロッカーの鍵の受け渡しをしていたことからピンときました。高度成長期まで、いえ、いまでも停電対策の観点でマスコミのいくつかは社屋の屋上に大きな鳩舎、すなわち鳩小屋を残している会社もあります。鳩はおおよそ三羽くらいケージに入れて持ち運びます。途中で鷹などの猛禽類に襲われることも予想して、ひとつのメッセージに対して二、三羽を使うのが一般的です。昔の新聞社勤めの記者さんならお家に鳩舎があってもおかしくありません。それならいくら身辺調査をされても連絡方法は出てこないのです」

「うむ」

 会長は感心するように麻鈴の言葉に聞き入る。

「受け渡しには鳩の入ったケージを渡すコインロッカーひとつあれば十分です」

 麻鈴は窓の外を見ながら、「次に……」と始める。

「マキコさんは決して、会長を裏切ってなどいないということです」

「なんと!」

 竹を割ったような麻鈴の潔い言葉に大きく反応する会長。

「前のご主人の連れ子であるタケヒコさん。マキコさんはクラブ勤めをして、彼が成人するまで面倒を見ていた義理の息子。でも前の夫の連れ子と会っていると会長に知れると申し訳ないと思ったのでしょう。だから内緒にしていた。そうはいっても身寄りの無いタケヒコさんのことはいつも心配です。住む家さえ失いかけていた。その狭間で考えたのがこの密会だったのです。だから皆さんに迷惑がかからないように、もしバレても自分一人が悪者になって終わりに出来るようなプロセスを考えたんだと思います」


 理路整然とそして優しく推理を詰めていく麻鈴。


「やっぱりマキコは健気なやつだったんだな」と会長はうれし涙を流した。そして逢野の方を向くと、

「良い助手を入れたねえ」とハンカチを胸ポケットから取り出した。

「その義理の息子は私にとっては、義理の義理の息子だ。養子に迎えて、うちで暮らさせよう。なにもこそこそする必要など無い。私に気を遣う必要も無いんだよ」

 麻鈴は「会長ほどの器の持ち主なら分かっていただけると思っていました」と笑顔で締めくくった。

 会長は何度も何度も「ありがとう」を繰り返して、麻鈴の手をギュッと握っていた。




 石川町の駅前雑貨屋の二階。『逢野探偵事務所』の一室で、渡された百万円の報酬にニンマリする逢野。早速手にして各方面の支払いに充てる準備だ。

 つかつかと入ってきたのは麻鈴。

「逢野さん。さっき調べたら半年分の家賃がたまっていたみたいですね。四十二万円をココから頂きますよ」と抜き取る。

「ああ」と手を伸ばす逢野。

 そして麻鈴は領収書を机上に置く。

「あと助手としての給料も頂かないとねえ。私、大活躍でしたよねえ」と含み笑いをする麻鈴。

「ぐぬぬ」と堪えている逢野を横に、そこから十万円を抜き取る。

「そんなに?」

「あら、だって逢野さんファストフードで寝ていただけじゃないですか。会長との応対も私一人でやってましたよ。何もしないのに五十万円ちかくも手に入るなんてラッキーだと思いませんか?」

 逢野は返す言葉が無かった。逢野に残された楽しみは、隣の居酒屋で久しぶりにやけ酒を飲むことぐらいである。

 麻鈴の頭上にトンと載ったサリーは、「おい、カルカンはゴールドのヤツにしておけよ。じゃないと次に働いてやらないぞ」としっぽで麻鈴のおでこをポンと叩いた。

「分かりました」と麻鈴は煙たそうにしながら額を撫でる。

「今回の案件は『血のつながりが無くても、愛は心の絆になり得る』と日記に書かせていただきました。時空魔女としてはいかがですか? サリー」

 首はそのまま、視点だけを上にあげながらおうかがいを立てる麻鈴、「ふん。カルカンのグレード次第だな」と高飛車なサリーは知らんぷりを通した。

                                              了



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