五人の刺客
「待てこら! 逃げんな!」
「誰が捕まるかよ、こんちきしょう!」
冬空の下、江戸の市中を駆け回る二人の男。
先頭を行くのは盗人のように黒ずくめだった。少なくない人の群れをかき分けて、一心不乱に逃げていく。
追っているのは若い同心だ。眉が太く凛々しい男前。隆々とした筋肉の持ち主で全体的に色が黒い。険しい顔で彼もまた十手を片手に必死になって追いかける。
周りの江戸の住人はなんだなんだと追いかけっこをしている二人を見つめる。
やがて追っているのが『鈍間同心』だと分かり興味を無くした。
「しつこいんだよ――若造が!」
盗人をあと一歩で捕らえられるというときに、ぱっと身を翻られた同心。
そのまま店棚に突っ込んで商品を駄目にしてしまう。
「あー! この髪飾り、高価なのに!」
「ええ!? ……後で弁償する!」
急いで立ち上がって盗人を探し回るが、既にもぬけの殻だった。
「ちくしょうぅうう!」
悔しそうな同心の声が浅草中に響き渡る。
これで取り逃がしたのは四人目だった。
「はあはあ。旦那あ、また取り逃がしたんですか?」
後からやってきた岡っ引きたちが呆れたような顔をする。
せっかく尾行して根城を掴んだのに、水の泡になってしまった。
「す、すまない。次こそは……」
「旦那は目立つんですよ、同心なのに。隠密行動が原則でしょう」
「ただでさえ色が黒くて目立つんですから。はっきり言って向いていないんじゃないですか?」
非難する岡っ引きたちに何も言えなくなる同心。
彼は立場上、岡っ引きの上に立つ者である。
しかし何度も失敗を重ねているせいか、ガツンと言えない己がいた。
「と、とりあえず、奉行所に戻ろう」
精一杯の威厳を込めたつもりだったけど、どこかちぐはぐな感じがして。
岡っ引きたちは一斉に溜息をついた。
◆◇◆◇
「この――大馬鹿野郎!」
「――ぐふぁ!」
南町奉行所の一室――いや、後ろに吹っ飛ぶぐらい殴られてしまったので、そのまま障子が壊され、だいぶ広い部屋になってしまった。
殴られたのは件の同心、藤田蓮次郎である。口から血を流すほどの力。しばらくは腫れが引かないだろう。
「盗人に逃げられた? てめえ、何度目だコラァ!」
怒っているのは与力である杜若建志である。壮年だが鬼の杜若と畏れられている非情かつ頭に血が昇るのが早い男だった。
「すみません、すみません……」
情けなく土下座して謝るしかない蓮次郎。そんな様子を見て怒るのが馬鹿馬鹿しくなったのか、杜若は舌打ちをする。
「この失態は、切腹でも何でもして――」
「してどうするんだよ。盗人一人捕まえられねえ屑のはらわたなんざ、見たくねえよ!」
杜若はふうっと溜息をついて怒りを抑えた。
それから「てめえ、定廻り同心やめるか?」と言い出した。
定廻り同心とは犯人のだ捕を任務とする。蓮次郎の顔が青ざめた。
「そ、そればかりは! 親に何と言えば……」
「てめえがぐずで鈍間だからいけねえんだ……ま、そのまえに機会をやろう」
杜若は恐い顔のまま、懐から人相書を取り出して蓮次郎に手渡す。
慌てて両手で取る蓮次郎。
そこには――田所重左エ門の凶悪そうな顔が書かれていた。
「こいつは……あの大悪人の田所?」
「そいつを三日のうちに見つけ出せ」
「えっ? ええええ!? そんなの無理――」
言い終わる前に杜若が「見つけられなきゃ免職だ」と冷たく言い放つ。
青ざめていた顔が青を通り越して白くなる。
元々色黒だったので灰色に近い。
「見つけたら奉行所まで報告しろよ。捕まえるのはこっちでやっから。そんぐらい……できるよな?」
杜若は精一杯の笑顔のつもりだったが、どう見ても威圧しているようだった。
蓮次郎は力なく「は、はい……」と泣きながら承諾した。
◆◇◆◇
「はあ……どうやって見つけよう……」
何度目の溜息か分からぬまま、同心姿のまま外へ飛び出した蓮次郎。
あてもなく市中を見廻っても見つけられるとは思えない。
しかし、奉行所に籠っても進展はない。だからこそ、蓮次郎はその場しのぎのように外をぶらぶら歩いていた――
「おいおい。死体が上がったって?」
「どうもやくざ者らしい……」
市井の住人の噂話に耳を貸すほど、追い詰められてしまう蓮次郎。
少し気になったので、その現場に行くかと足を向ける。
体格が立派なのに、どうも頼りなく映るのは彼の性根のせいだった。
その死体はどぶ川に捨てられたらしい。
わらで死体は隠されていて、未だ引き取り手はいないようだ。
同僚である同心がいたので「この死体は?」と訊ねる蓮次郎。
「うん? ああ、藤田か。いやなに、草間一家の若頭の葉村だよ。奴さん、背中から一太刀で斬られたらしい」
「物騒だな……まさか、シマ争いか?」
「ま、最近の草間一家、強引な手でシマを奪っていたからな。周辺組織に恨まれても仕方ねえな」
蓮次郎は手を合わせてから、わらを少しめくる。
目は閉じられているが、苦悶の表情が浮かんでいた。
斬られてその顔になったのか、それともどぶ川に沈む間になったのか……
「お前、この事件の担当なのか?」
「いや……実はこの男を探してて」
同心に人相書を渡すと「こんなところにはいねえよ」と呆れた顔で言われた。
「もっと深くて暗いところにいるんだろうよ……田所重左エ門は」
「う、うん。そうだな……」
人相書を仕舞って同心に別れを告げて、蓮次郎は裏の小道に入っていく。
何も考えていない、適当な行動だった――
「おい、お前さん。一つ聞きたいことがあるんだが」
白い着流しを着た浪人風の男、鷹野鴎がぼうっと考え事をしていた蓮次郎に声をかけた。
蓮次郎は「誰だ?」とやや警戒しつつ問う。
「同心だよな? なのにどうして――田所重左エ門を探している?」
「なに? ……お前は奴の知り合いか?」
精一杯の虚勢を張って応じる蓮次郎。
対して鴎は「別にお前さんに危害を加えるつもりはない」と笑った。
「ただ、俺も田所重左エ門を探しているんだ」
「なんだと? どういう理由で?」
「そこらへんを話したいんだが……今、時間あるか?」
三日まで猶予はあった。
蓮次郎は頷いた。
「近くに行きつけの蕎麦屋があるんだ」
「そうかい。ちょうど腹が減っていたところだ」
「味は保証するよ。量はあまりないが」
鴎に先導されて小道を出ようとする蓮次郎。
少しは一息入れられる――そう思った矢先だった。
「……鷹野鴎だな?」
曲がり角から二名、後ろに三名の、編み笠を被った五人の男が現れた。
鴎は舌打ちした。どうやら尾行されていたらしい。
「ああ、そうだよ。お前さんは?」
「名乗る理由はない。これからお前は死ぬのだから」
すらりと刀を抜く五人の刺客。
ひえええ、と蓮次郎は身を縮ませた。
「……お前さん、同心じゃないのか」
「き、斬った張ったは苦手なんだ!」
「ああ、そうかい。だったら全員、俺の獲物だ」
舌なめずりをしながら鴎は刀を抜いて構える――八双の構えだ。
じりじりと全員が鴎と蓮次郎に迫る――
後ろの一人が裂ぱくの気合と共に上段から振るってきた。
鴎は受けて鍔迫り合いとなる。
「おい、同心さんよ。あんた邪魔だ。どっかに行って――しまえ!」
相手の呼吸に合わせて押しやり、腹の中心に思いっきり蹴りを入れる鴎。
よろめく刺客に追撃はせず、腰が抜けてしまった蓮次郎を守るように前に立つ。
相手は五人、こちらは一人と腰抜け。
圧倒的不利な状況だ。
さーて、どうしたもんかと鴎は刀を握り返す。
絶体絶命の状況の中、蓮次郎はなんとか立とうと試みる。
だが完全に腰砕けてしまった。
ああもう、大変なことになったなあと蓮次郎は泣きそうになった。