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若頭の死

 明和四年、浅草雷門は平常通り混雑していた。江戸での観光名所だからだろう、目抜き通りの店に客は次々と金を落としていく。飛ぶように商品が売れていくのは結構なことだが、売り切れになる前に用意しろと番頭や手代が指示を飛ばす。


 何とも景気が良い光景だと白地に竹の模様が書かれた着流しを着た、浪人風の男の鷹野鴎(たかのかもめ)は思いつつ、馴染みの蕎麦屋の暖簾をくぐった。

 引き戸を開けると「いらっしゃい!」とこれまた愛想の良い声が出迎える。

 いつもの席に着いた鴎は大小の刀二振りを脇に置きつつ「ざるを一枚くれ」と注文した。


「鴎さん、今日は勝ったのかい?」


 蕎麦茶を鴎の机に置く、十五歳の看板娘のお菊に「いや、おけらになっちまった」と肩を竦める鴎。

 食事時を外しているため、客は鴎しかいない。


「勝っていたらこんなしけた蕎麦屋に来るかよ」

「まあ酷いことを言うねえ。ま、勝ってたら天ぷらの一つでも頼むだろうけど」

「分かっているじゃあねえか」


 ここで言う勝ち負けとは賭博のことである。

 二十代半ばの痩せぎすの浪人風の鴎はどうやら遊び人らしく、御上から禄を得る立場でもどこかの藩に仕えているわけでもない。


 お菊がざる蕎麦を持っていくと、鴎は貪るように蕎麦を啜る。久方ぶりの食事のようだ。

 その有様を心配したのか「もう少し身を固めたらどう?」とお菊は言う。


「はっ。浪人の俺に士官先なんてねえよ」

「こんなに景気が良いのにねえ」

「商人が景気良くても武士は借りるだけだ」


 一気に食べ終えた鴎は蕎麦湯を頼んだ。お菊が持ってくるまで爪楊枝で歯を掃除していると「御免よう」と三人の男が入ってきた。

 三人ともカタギではなさそうで、ちらりと腕から墨が見えている。


「あ。草間一家の……」

「場所代、取りに来たぜ……って、鴎じゃねえか」


 三人のやくざ者と鴎は知り合いで、鴎は「よう葉村の若頭」と何でもないように言う。

 葉村の若頭と呼ばれた男は大柄な体格をしていて、頬に大きな刀傷があった。


「なんだてめえ。ここの常連か?」

「なんだっていいじゃねえか。それより場所代だ? ここらは美津濃会のシマだろ」

「その美津濃会の代わりにこの店守ってやろうってんだよ」


 葉村の若頭と呼ばれたやくざはへらへら笑いながら「おい。場所代」とお菊に催促する。

 すると彼女は「す、すみません。今用意します……」と鴎の机に蕎麦湯を置いて奥へ引っ込む。


「随分と阿漕な商売しているんだな。極道の名が泣くぜ……」

「てめえ……馬鹿にしてんのか、あぁあ?」


 弟分の一人が鴎に突っかかろうとするのを、葉村は「よせ、やめろ」と止めた。

 どうしてですか、という弟分の顔を半ば無視して「この浅草を獲るにはシマと金が必要なんだよ」とどこか言い訳するように言った。


「限られたシマを奪って利益を得る。真っ当な稼ぎ方だ」

「そうかい。ま、あんたが納得しているならそれでいいさ」


 蕎麦湯を蕎麦汁に多めに入れて、冷ましつつ飲んでいく鴎。

 喉をごくごくと鳴らしながら――飲み干した。

 その間にお菊が「これ……場所代です」と少なくない金を持ってきた。


「おう。そんじゃこれで――」

「若頭ぁ。食べていかねえのか?」


 ある意味挑発染みた言葉を発した鴎。

 弟分たち二人が睨むが、葉村の若頭は「これでも忙しんでな」と断った。


「時間があるときに来させてもらうよ……客としてな」


 そしてそのまま、三人のやくざ者は出て行ってしまった。

 鴎は「せわしないこった」と呟いた。


「駄目だよ鴎さん。やくざにあんな態度取っちゃ」


 鴎を慮ってお菊が小さい声で注意する。

 しかし鴎はどこ行く風で「別にやくざなんて怖かねえよ」と今度は蕎麦茶を啜った。


「草間一家、結構追い詰められているな。余所のシマまで手を出すなんて」

「美津濃会の人に言ったほうがいいのかな?」

「やめとけ。他の奴が言うだろう」


 勘定をきっちりと払った鴎は、そのままふらりと蕎麦屋を出る。

 鼻歌を歌いながら、下駄を鳴らすその姿は浪人者とはいえ、堂に入ったものだった。

 目抜き通りを少し離れたところに入る――先ほどの葉村の若頭の弟分二人がいた。


「なんだてめえら」

「一応、男気を売る稼業なんでな。小馬鹿にされたままじゃやっていけねえんだよ」


 よく見ると長ドスを各々構えている。

 鴎は溜息をつきながら「複数で一人をフクロにすんのか」と嘲笑った。


「どこが男気を売る稼業だ。ふざけた真似しやがって」

「うるせえ! おい、ぶっ殺すぞ!」


 長ドスを引き抜いて――弟分二人が迫っていく。

 一人が大降りの上段を放つ――前に手首を抑えて放てないようにする鴎。

 びっしりと固めた上でもう一人の弟分の刺突を半身になって避けた。


「――オラァ!」


 その痩せている身体から、どうしてそこまで力出るのかというぐらいの怪力で、持っていた手首を下に降ろし、足払いも同時に行ない倒れさす。

 そしてもう一人の弟分が動揺しているのを見て――腹に思いっきり拳をぶち当てる。

 口から血の混じった胃液を吹き出したやくざ者。うずくまる彼を余所に最初に倒れた男の顔面を、まるで小石を向こうの川岸まで届けるように――蹴り上げた。


 気絶してしまった二人のやくざ者をそのままにして、鴎はその場を去る。

 返しは来ないだろうと予測していた。

 二対一で負けたのだ。上に報告したらとっちめられるのは向こうのほうだ。

 そうタカをくくっていた――



◆◇◆◇



 翌日。町人長屋の鴎の家に大勢のやくざが押し掛けた。

 その数十五人ほどである。小さい家だから五人ほどしか入れないが、周りをぐるりと十人が囲んでいた。


 当の鴎は素直に抵抗をやめた。

 というより寝ているところを強襲されたのだ。布団ごと荒縄で縛られて簀巻きのような格好にされてしまった。これでは何もできやしない。


「……昨日のことならお門違いじゃねえか?」


 幸いにも喋れることができたので、何とか弁明を試みる鴎に対し、あくまでもスジ者たちは何も言わない。無言のままだった。同じ長屋の者たちは遠巻きに見ているだけだった。


「お邪魔するよ……酒瓶だらけだな」


 十六人目の男が入ってきた――鴎は見覚えのある男だと分かってほっとした。

 その男は簀巻きにされている鴎の前にどかりと座った。

 白髪を長く伸ばしている。顔には深く刻まれた皴がある。葉村の若頭と同じくらいの大柄。老人だというのに背筋は曲がっていない。眼光鋭く睨まれたら身体が竦んでしまうだろう。


「草間さんよう。こいつは一体、どういうことなんだ?」


 鴎が言った通り、この老人は草間一家の総長、草間元治郎だった。

 草間は「いや、困ったことになってな」と煙管を燻らせながら言う。


「うちの葉村、知っているだろう?」

「ああ。昨日会った」

「あいつ、死んだよ。可哀想に死体はどぶ川に捨てられた」


 予想もしなかった事態に、鴎は息を飲んだ。

 草間は悲しそうな顔のまま「あいつの親として、ケジメは取らないとな」と淡々と言った。


「お前さんとうちの家のもんが揉めてたことは知っている」

「だから俺は殺してないって。若頭が死んだのも今知った」

「だろうな。しかしお前さんが死ねば納得する者が大勢いる」


 草間は鴎の顔近くまで寄った。


「お前さんに犯人を捕まえてほしいんだよ」

「そんな義理なんざねえ」

「なら今死ぬか?」


 草間が合図すると数人のやくざ者が鴎を抱えて頭を下にした。

 たまらず鴎は「やめろー!」と悲鳴を上げた。


「てめえが死ぬまでその恰好のままにしてやろう」

「分かった、やるよ!」


 元の姿勢に戻された鴎はほっと一息つく。

 そうして草間をじっと睨む。


「その目つきは『確実に見つけ出します』って意味だよなあ?」

「……ああ、そうだよ」


 草間はぱんと手を叩いて「まずはこの男を当たれ」と懐から人相書を取り出した。

 なんだ当たりをつけているんじゃねえかと鴎は簀巻きから解放されつつ思った。

 そして人相書を見る。


「こいつは……」

「流石に知っていたか」


 江戸に住んでいる者なら知らぬ者がいないほど有名――否、悪名が轟いている。

 それは大悪人の人相書。

 田所重左エ門のものだった。

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