帰る
三題噺もどき―ひゃくさんじゅうに。
お題:雪・歌手・余所行き
「……」
駅のホームに降りると、白い雪が、ふわりと舞っていた。
無意識に吐いた息は白く、空気に溶けていく。
電車の中は、暖房が入っていたのでとても暖かかった。その分外に出た際の寒暖差がすごい…。
ほんの少し火照った頬に、雪が静かに落ちるたび、少しづつ体温を下げていく。
「……」
久しぶりにこの片田舎にきたが…。相変わらず人気が無い。
だが今は、この静けさがありがたい。
都会の町の喧しさや煩わしさに疲れた私は、これを求めてきたようなものだ。
「……」
小さめのキャリーケースを引きずり、進んでいく。他に荷物はない。
私には、これでも重いぐらいだ。
「……」
数年ほど前。
歌手になりたいという、夢みたいな夢を掲げて、私は単身上京した。
両親はありがたいことに、その無謀な夢を応援してくれた。だからこそ、その期待には絶対こたえようと、心の底から思った。
「……」
そして私は、これも運がいいことに、その期待に応えうることができた。上京してすぐ位に、私は事務所に入ることができた。そのまま、流されるままにデビューが決まって。そこからも不思議なくらいに、ヒットして。売れっ子というのはこんなにも多忙なのかと、日々忙殺されていた。
「……」
だけど、それが長く続くこともなかった。
まぁ、それもそうだろう。たいして業界の事を知っているわけでもない若造の私が。うまいぐらいに売れたからと言って、長続きするものでもない。
そんなもの、目に見えてわかっていたのに。
「……」
それでもあきらめきれずにいた。
なんとか、しがみ付いて、縋り付いて、もがき続けていた。
最初は、“私”として、自分自身として、歌うことができていた。けれどそのうち、周囲の顔をうかがいながら、余所行きの顔をつけたままに、媚びを売って。愛想を振りまいて。
―そうしているうち、私は“私”が分からなくなった。
「……」
あんなに大切にしていたはずの夢が、苦痛になっていた。
―私は何のために、こんなことをしているのだろう。
―私は、どうして、ここまでしてこの夢に縋り付いているのだろう。
―ここまでして、失ってまで、もがく必要があるのだろうか。
毎日、毎日、そうやって考えこむ時間が増えていった。
「……」
そうしているうちに、案の定限界が来た。
仕事もなくなって、お金も尽きてきて。
―生きている意味さえ見失いかけたとき。
『元気にしてる?』
忙しさにかまけて、連絡をできずにいた母からのメッセージだった。
そのたった一言。
それだけで、無意識に涙がこぼれていた。
誰も”私”を見てくれない。私も”私“を見失っている。
そんな“私”を、見てくれている、母のその言葉が、とても、とても、嬉しかった。
「……」
だから私は、今日、実家に帰ってきた。この片田舎に。雪の降る、この小さな駅に。
「――!!」
私を呼ぶ声がした。
見やると、母がわざわざ迎えに来ていたようだ。この雪道は大変だろうから、タクシーで帰ると伝えていたのだが…。
「……」
だけど今日は、来てくれて、こうして会いに来てくれて、嬉しさが勝った。
少し照れ臭くも思いながら、ひらりと小さく手を振る。
それから、母の運転で久しぶりの実家に帰った。
私が家を出たあの時と、あまり変わっていない。
優しい母も。厳しい父も。
暖かな食事を久しぶりに食べた。好物をたくさん作ってくれた母には感謝するが、好物が同じ父とは少々ケンカになってしまった。
「……」
それもこれも、暖かで、優しくて、涙があふれそうだった。
こんな日々を、あの頃の私は当たり前のように過ごしていた。
両親と会って、言葉を交わして。
失くしていた自分が、ようやく帰ってきたような気がした。
迷子になっていた私は、ちゃんと家に帰ってきた。
「……」
そして、ふと。
一日が終わって、暖かな布団に入ったときに。
―私が帰ってきた、その時に。
「……」
もう一つの夢を、思いだした。
「……」
もっと幼い頃から、ずっと抱いていた、私の夢。
ほんとの私が、願う夢。
歌手をやめることができて、ホントに良かった。
これから時間はたくさんある。
私は、私の夢をかなえるチャンスをもらったのだ。
自分を捨てて、失って、そのままに一生を終えなくてよかった。
ほんとの私は、これから。
ここからだ。
今日からが、私の本当の、人生だ。