魔界の復讐者
伊瀬さくらはマンションにいた。
大和は外に出て、家政婦のリディア王女も家に帰り、今はただ部屋に一人だけ。
彼女はこの世界の王であり神だ。何も恐れるものはないし、何もかもを思い通りにできる。
働かなくてもいい。
学校に行かなくてもいい。
法も、宗教も、倫理も、親も教師も何もかも彼女を止めることはできない。
唯一の関心事は、大和の作るゲームだけだった。
「ふふふっ、いいよ、いいよお兄ちゃん。今回は、どんなゲームを作ってくれるのかなぁ。ああっ、楽しみだなぁ」
さくらは笑いながら大和のことを思い出す。
伊瀬大和。
この世界は彼のために生み出したもの。すべては彼を慈しみ、痛めつけ、焚き付け怒らせ感動させ笑わせ。
感情という名のスパイスが、彼の生み出す作品を千差万別にする。
さくらはそんな大和の生み出すゲームを楽しみにしていた。むしろそれしか楽しみがないといってもいいほどに。
それが……彼女の……。
「え?」
突然、大きな音がした。
マンションの部屋、入口の玄関にあるドアが破壊されたのだった。
さくらは、驚いて固まってしまった。
この世界の平穏に慣れ切ってしまったせいなのだろうか。今、この場で起こっている出来事に理解が追い付かなかったのだ。
「ううう……あああ……ああ……」
ドアを破壊したそれを、さくらは一瞬何であるか理解できなかった。
隣の部屋のおじさん、下の階の子供、清掃員。
いずれも何度か見かけたことのある、マンションの関係者だった。
ただしもちろん、ただの人ではない。特徴的な腐臭と体の一部を欠損させ、死者そのものが動く人形のように存在するモンスター。
いわゆる、ゾンビだった。
「これは……ライオネルの?」
さくらは即座に状況を理解した。
彼女はもちろん、ライオネルのことを知っている。
あの日、さくらは喫茶店で大和とライオネルが言い争っている動画を見た。
動画を見たとき、彼女は皆斗の存在をすぐに理解した。そしてその隣にいるのが魔族であり、かつて大和と争った敵であることも。
だが、そこで考えが止まっていた。
魔族ライオネルの敵は大和だ。
だから、恨まれるのは大和であり自分ではない。
そして、もし万が一自分の敵となったとしても、問題はない。
この世界の創造主である自分が、負けるわけないのだから。
喜びも悲しみも、怒りも驚きもすべてを娯楽と位置づけこの世界を楽しむことにしているさくらの……当然の失態だった。
さくらはポケットにしまっていたスマホを取り出し、すぐさまマップを表示した。
この近くを描写したマップには、目的の人物が近くに映りこんでいた。検索して探すつもりであったが、その必要すらもなかった。
「まずは……」
手慣れた動作で、アプリを操る。
ゾンビと自分の間の廊下に壁を出現させた。
マップを表示した時点でゾンビを消すことは容易なのだが、ここではあえて消さないでおく。
次に、マップに映りこむ『真の敵』――すなわちライオネルをタップする。
指を這わせ、隣のマンションからこちらのマンションにライオネルを示す点を移動させる。
するとそれだけで、本物のライオネルがこちらにやってくる。
「こんにちはー」
「ど、どうして僕はここにっ! お前か……」
こちらを遠くで監視していたライオネル。しかし一瞬にして敵地へと連れて来られてしまった。
かなり動揺した様子だったが、すぐに状況を理解したようだ。
「あーあーあー、ひどいなひどいな。こんなことしちゃって。平和な日常生活を送れるように作ったこの世界が台無しだよ」
「だ、黙れっ! 何が平和だっ! 何が日常だっ! 僕たちは毎日人間に脅かされ、それでもずっと……勝利のために戦ってきた! ずっとずっと、夢を叶えるためにっ! お前が邪魔さえしなければ、それが成っていたかもしれないっ!」
「あたしが邪魔しなかったら、お兄ちゃんがすぐ魔族を滅ぼしてたんだよ? 感謝の気持ちはないの? 皆斗や裕也はあたしが用意した。だからお前たちは延命できた。互角以上の戦いをすることができた。まあ結局負けちゃったんだけどね」
「それでもっ!」
ライオネルは腕を振り上げ、ヤシの実程度の大きさを誇る火球を生み出した。
異世界における中級程度の魔法だ。
「たとえ負けていたとしても、その結果は受け入れるっ! 戦いの後、魔族は人間と共存できたかもしれない。そしてそうならなかったとしても、僕たちは記憶となり物語となり、人間の中で生き続けるはずだったっ! お前が……何もかも消し去ったりしなければっ!」
火災警報器の音が響いている。
うるさく、そして煩わしいとさくらは思った。
しかし、命の心配はしていない。
確かに、さくらは油断していた。
しかしそれは、自分自身の絶対的な優位からくる余裕でもあった。
この世界においてさくらを倒すことはできない。
彼女は不老不死であり、最強であり、そして神なのだ。あらゆるトラブルは彼女のとっての娯楽の一つでしかない。
裕也の裏切りも。
皆斗の不審な動きも。
大和の憂鬱も。
そして、このライオネルの命を賭けた反逆ですらも。
「――すべてを、なかったことに」
「……っ!」
突然、ライオネルの手にあった火球が消え失せた。
「人も、魚も獣も、森も海も大地も、そして人の意思や魂すらもあたしの手の中にある」
ライオネルは素早く次の魔法を唱えようとした。しかし、上手くいかない。魔法を扱うときに生じるあの独特な感覚が、魔力の流れが全く感じられない。
「魔族ライオネル。お前はこの世界の人間になった。人間は魔法を使えない。ゾンビも操れない。非力でひ弱で愚かな生きものだ」
「そんな……馬鹿な……」
「自らの生み出したゾンビに食われて死ね。それがお前の最後だ」
「う、うああああああああああっ!」
主に絶対服従であるはずのゾンビたちが、一斉にライオネルへと襲い掛かった。非力なライオネルに防ぐ術はない。
壁の外で、醜い叫び声が聞こえる。
「魔族ライオネル。お前はここに存在していない。いや、そもそもお前という存在そのものが幻想の創作物だ。お前の死は何も成さない」
さくらは改めてスマホを見て、ライオネルの最後を確認しようとした。
その……瞬間。
「痛っ!」
手に、鈍痛。
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。しかし何かのぶつかる音とともに左を見ると、そこにはあリビングに飾られていた熊の置物が転がっていた。
これが手にぶつかったらしい。誰かが投げたのだ。
そこまで理解して、さくらは自分がスマホを落としてしまったことに気が付いた。
「そこまでだ、さくら」
「お兄ちゃん……」
声の主は兄、伊瀬大和。
大和が彼女のスマホを奪っていた。




