新しい朝
――キーンコーンカーンコーン。
夢の中で、チャイムの音を聞いた気がした。
「ふああああ」
拳が丸ごと入りそうなほどに大あくび。
俺はゆっくりとベッドから体を起こした。
隣に置かれているスマホに手を取り、アラームを止める。
ちなみにこのチャイムの音は俺のスマホで設定している目覚ましの音だ。
6時30分。
やれやれ、今日は学校じゃないんだがな。アラームの設定を間違ってしまっていたか。こんなに早く起きる必要はなかったのだが……。
「…………」
二度寝しようかと再び横になったが、どうにも目が冴えすぎてしまっている。別に特別寝るのが好きというわけではないし、さて、どうするか……。
ぼんやりとしながら、俺は手元のスマホを弄り始めた。
なじみのアプリを起動させる。
〈異世界ツクール〉。
このアプリはゲームを作るための支援ツールだ。素人でも簡単にマップやキャラの作成が可能で、自分だけの冒険の世界を生み出すことができる。
そう、俺、伊瀬大和はゲームを作っている。
作製時間は100時間を超えているだろう、大作だ。
しかしまだ前半部分しか完成していない。これから後半部分を作るつもりなのだが……、若干やる気がなくなってきた感もある。
ただの趣味というにはあまりにも膨大に時間を割き過ぎた。別に給料が発生しているわけでもないのだから、このままフェードアウトしても誰からも咎められないし……。
いやしかし、このゲームは絶対に名作間違いなしだからもう少しだけ頑張って……。
なんて……ちょっと己惚れた発言だったかもしれない。
一応、このアプリには自分の作ったゲームをプラットフォーム上に公開することができる。必要に応じて無料と有料の設定ができ、作品に対する感想や評価もプレイヤーからつけられたりする。
一応前半部分は完成してるのだから、前編ということにして公開しても大丈夫だと思う。
客観的な感想をもらい、作品のクオリティを高めるためにはぜひとも公開するべきなのだが。
……恥ずかしい。
確かに、俺はこのゲームに自信がある。だがもしこれを公開してボロクソに叩かれてしまったら……どうなるだろうか? 俺のメンタルは果たして耐えられるのだろうか? ただでさえモチベーションが低下しているのに、ここで止めを刺されたらもう俺の創作活動は終わってしまう。
いや、しかしこのまま自己満足で終わってしまうにはあまりにも時間をかけ過ぎた。もう少し勇気を出してこの作品を公開し、いろんな意見を取り入れてクオリティアップを……。
「…………」
うーん、いやぁーなぁ?
今はまだその時でない。
機が熟せばいずれ……いずれ……。
などと思いながら、今日もゲーム制作に専念することにした。
ベッドの中で。
「おっはよー、お兄ちゃん!」
ベッドの中で丸くなってスマホを弄っていた俺は、不意に、その声を聞いた。
部屋のドアが開けられる。
「あ?」
入口のドアを見ると、そこには女の子がいた。
俺と同じような髪質の黒髪を、ポニーテールでまとめた女の子。パジャマの上にエプロンを身に着けている。
名前は、そう、伊瀬さくら。
俺の妹だ。
今年中学生になったばかりの俺の妹は 俺を起こすためなのだろうか、ベッドの上にダイブして馬乗りになってきた。
ちっ、やめろや妹よ。兄はベッドから出たくないのだ。
「もー、お兄ちゃん、休日だからっていつまでも寝てたら駄目なんだからね! もう朝ごはんできてるんだから、早く起きてよ」
「あ、ごめん、朝飯は後で食べるわ」
「そんなこと言ってまた二度寝するつもりなんでしょ! そんななまけものな生活送ってたら駄目なんだからね」
「二度寝しないって。スマホでゲームするだけだからほっといてくれ」
「もぉーお兄ちゃんたら。着替えもしないでベッドでゲームなんて、不健康だよ」
馬乗りになっていたさくらは上半身を落とし、自分の頬を俺の頬を合わせるように密着した。
俺が目の前で見ているスマホを、覗き見ているのだった。
ま、こいつがこの〈異世界ツクール〉見ても何してるかなんて分からないだろうな。こっちもそれっぽくない画面を映してあるから、誰がどうみても普通のRPG系アプリに見えるはず……。
「お兄ちゃん、ひょっとして……ゲーム作ってるの?」
と、さくらが言った。
「な、なにいいいいっ!」
こ、こいつ、まさかこのゲーム制作アプリのこと知っているのか?
くそ、なんてことだ。こいつ絶対に知らないって思ってたのに、まさか画面を見ただけで気が付かれてしまうなんて……。
「えー、お兄ちゃんゲーム作ってるの? 見せて見せて! あたし、お兄ちゃんの作ったゲームやってみたいっ! 見せて見せてっ!」
「…………はぁああああああ」
「見せてっ! 見せてっ! 見せてっ!」
体を激しく揺らす妹のせいで、俺はまるで大地震の中にいるかのような心地だった。
……油断した。
身内なんて一番見られたくない存在に、俺のゲーム製作を知られてしまうなんて……。なんとかして逃げ切りたい。
だが妹のこの様子を見てほしい。
俺が無理やり見せなければどうなるだろうか? 絶対に見せろとせがんでくることは確定。それでも隠そうとすれば、今度は黙ってどこかで盗み見ようとするかもしれない。
俺のスマホにはこれ以外にも見られたくないものがいっぱいある。もしブラウザや通販の履歴を見られてしまったら、それこそ恥ずかしくて明日から合わせる顔がないほどだ。
それに比べれば、ゲームを見られるなんてまだまし。ここは苦肉の損切りを行って、これ以上変なものを見られないようにするのが……ベストか。
ぐ、ぐ、仕方ない。
「お、おう。ちょ、ちょっと時間があったから試しに触ってみたんだ。ま、まあ、なかなか面白いんじゃないかな。暇つぶしとしては悪くないと思うぞ。ま、まあ、一日10分か20分程度しかやらないし、そんなに真剣に作ってはいないんだがな」
こ、こうしてやる気ないアピールしておけば、もしがっかりな仕上がりでも恥ずかしくないっ! 俺は本気を出せばすごいんだっ!
「うわーすごいねお兄ちゃん! もう100時間もこのアプリでゲーム作ってるんだ。超大作だねっ!」
「ぐはっ!」
こいつ! 俺が長時間このアプリ使ってることを、一瞬で見破ってしまうとは……。
お、俺が超まじめにこのゲームを作ってたことがばれてしまった。これで『俺全然テスト勉強してないわー』的な言い訳してテスト結果が悪いのをごまかすっぽい俺の言い訳が完全に通用しなくなってしまった。
「そ、そんなに時間たってたかー。昔は俺もやる気に満ち溢れてたんだよなぁ。でもなんだか最近行き詰まっちゃって、ちょっと意欲が低下してきたんだよな」
「えー、そんなのもったいないよぉ。勉強もスポーツも何一つやらずに帰宅部なお兄ちゃんが100時間もかけて頑張ったんだから、こんなところで終わらせちゃ駄目だよっ! あたしも協力してあげるから、絶対に完成させようねっ!」
拳を握りしめてめらめらとやる気に燃えているさくらを見ると、もはやこの流れはどうしようもないものだと理解できる。
俺は盛大にため息をついて、現状を受け入れることにした。
「……とりあえず、起きて朝飯食べることにするよ。着替えるから部屋出てってくれないか」
「うん」
やれやれ、こいつのせいですっかり目が覚めてしまったぜ。仕方ないから起きてやるか。
〈異世界ツクール〉、頑張るぞー。
ドアを開けて部屋から出ようとしていたさくらが、こちらへ振り向いてにっこりと笑った。
「がんばってねお兄ちゃん! あたし、いつでもお兄ちゃんのこと応援してるからっ!」




