彼
魔王エドワードの削除。
敵を倒すために大和が行ったその決断は、異世界に様々な影響をもたらしてしまった。
「おかしいと……思っていた」
自室でそう呟いた、一体の魔族。
全知の将、ライオネルである。
「最初は洞窟での出来事だった。僕はなぜそこに行ったのか覚えていなかった。そして勇者たちと会話をしたことも……何もかも記憶から抜け落ちていた」
過去を思い出した、そう呟いた。
「次に魔王様に違和感を覚えた。魔王様が同じ言葉しか話さなかったからだ。そしてそれに疑念を抱いていないエドマントにもおかしさを感じた」
そして――
「今日、魔王様が消えた」
魔王エドワード、消失。
朝、いつものように玉座の間へと向かったライオネルは驚愕した。魔族の王、魔王エドワードの姿が全く見えなかったからだ。
しかし、魔王が座るべき玉座が空席だったわけではない。そこには、ライオネルと同じく魔界三将の一体であるジェーンが座っていたのだ。
彼女はライオネルに言った。『頭が高いぞ、ライオネル』と。
そう、魔王エドワードという存在が消え、ジェーンが魔王となっていたのだ。
さすがにこれは、ライオネルにとって受け入れられないものだった。
かつて桃源郷で誓いを交わしたあの時から、ライオネルにとって王は魔王エドワード。彼が魔王であるから忠誠を誓えた。たとえほかの些細な違和感があったとしても、仕えるべき君主がいれば……それだけで良かったのだ。
それが、すべて消え去ってしまった。
その後、発狂して暴れまわり、地下牢に入れられたらしい。『らしい』と伝聞でしか言えないのは、その時の記憶が全くなく、気が付いたら牢屋の中に入っていたからだ。
わけが分からなかった。
なぜ、彼女が玉座に座り魔王となっていたのか? なぜ、それを誰もが平然と受け入れているのか? 本物の魔王はどこへ行ったのか?
深く考えればまた発狂してしまいそうなため、暴走寸前のところで堪えた。
そして地下牢の中で怒りに震えて過ごしていたその時、ライオネルは『彼』に出会った。
彼の顔をライオネルは知っていた。が、なぜここにいるのかは分からなかったし、ここまで来れたこと自体があり得ない事態だった。
とはいえ魔王エドワードが消失するという全体未聞の異常事態が発生しているのだ。目の前の小さな違和感などライオネルにとってあってないようなものだった。
彼は鉄格子の前に座りこむと、ゆっくりと話を始めた。こちらとしては話をする気など全くなかったのだが、彼が勝手に声を出し始めただけだ。
彼、はライオネルにすべてを教えてくれた。
この世界を生み出した神の存在を。
全知全能の神は指先一つですべてを生み出し、すべてを消せることを。
そして神の御業によって、魔王エドワードが消されてしまったことを。
独り言とはいえ、あまりにも荒唐無稽で理解不能な内容だ。
嘘だっ! とライオネルは即座に否定した。
何もかもを神のせいにして思考を放棄する。『全知』の名を冠する将として、そのように無知蒙昧なふるまいは到底看過できなかった。
どこにでもいる、新興宗教の教祖の勝手な妄想話。
ライオネルはそう切り捨てた。
彼は深いため息とともに、別の話を始めた。
それは先ほどまでの妄想じみた神話と違い、現実の内容に即した話題であった。
全知の将、と称されるライオネルにとって、耳を傾ける……否、傾けざるを得ない内容だった。
そして、ライオネルは……納得するしかなかった。
神という、すべてを生み出す万能の存在を。
「すべて君の言う通りだった。この世界の歪みを僕と……そして君だけが知っている」
ライオネルは涙を流した。
知りたくはなかった。
自分がどれだけいい加減な存在であるか、神の指先一つで消えてしまうようなはかない存在であるか。
そして何より、この戦いで魔族は敗北してしまうという、未来予知にも等しい事実を。
「魔王様は……神に、消された」
石畳でできた地下牢の床を、ダンッ、と強く叩いた。冷たくそして硬い床は彼の皮を抉り、その手を血で滲ませる。
「僕たちにとって、魔王様はただの君主じゃない! あの日、桃園で夢を誓い合った仲間なんだっ! それを気に入らないから消した? 邪魔だから消した? そんなことが許されるわけがないっ! 絶対に許されていいわけがないっ!」
心に湧き上がる、怒り。
どうしようもないこの状況が、神という謎の存在によって生み出されていたのだ。ならばその神を恨まない理由などない。
「絶対に許さないっ! たとえ相手が神だとしても、僕の……僕たち魔族の大切なものを奪ったその報いを……必ず受けさせてやるっ!」
それは、ライオネルにとって新たな目標となった。
魔王を失い、途方に暮れて混乱していた
「僕はどうすればいい? どうすればその神に復讐ができるんだっ! 教えてくれっ! 君ほどの者ならば知っているだろう! いや、君はそのためにこの話をもってきた! そうだろう?」
ライオネルは鉄格子を掴み、彼に縋った。決して分の悪い賭けではない。神を陥れるこの話は、神を快く思っていない者であるからこそできることなのだ。
彼は口元に薄っすらと笑みを浮かべながら、ゆっくりと話を始めた。
ライオネルの、そして魔族のこれからを。
そして示される未来を。
「戦い? 確かに、結界が消えれば僕たちは……、だけど海が……。橋? 蛇矛? それは本当の話……いや、君が言うならそうなんだろうね。今更何かを疑うつもりはないよ」
正直なところ、納得はしていない。
だがライオネルは彼の話に耳を傾ける以外道はなかった。
「分かった。ならその時を待つよ。僕はジェーンに謝ればいいんだね?」
その後、ライオネルはジェーンに謝った。
彼女を魔王と認め、その傘下に落ち着いたのだった。
ここで王妹殿下来訪編は終了です。




