※削除されたリプレイ動画:カルネ村その後のその後
カルネ村、とある宿屋にて。
異世界人が暴虐の限りを尽くしたこの地は、かつてののどかな田舎村とは似ても似つかないほどに荒れ果てていた。
数少ない旅人を泊める施設であるこの宿屋も、例にもれず壊れた家具が散乱している。
宿屋として機能していた頃の、受付。その長テーブルに腰かけている少女がいた。
リディア王女である。
あの時、異世界人である朝倉皆斗に言われた言葉。
『慰めろ』。
リディア王女は少女であるが幼児ではない。自分が一体これから何をされるのか、実際に経験がなかったとしても知識は十分に持っていた。
逃げることは不可能。
この宿屋の出入り口は一か所。そこには異世界人の女子たちが待機している。窓を割って出ていくことは可能だが、そもそもそれほど大きな建物ではないためすぐに気づかれるだろう。
ここまでした人間たちだ。逃げようとしたとき……どれほどの暴行を受けてしまうか、想像できなかった。このまま殺されてしまってもおかしくない状況なのだ。
(わたくし……一体、どうすれば……)
気が付けば……絶望に涙を流していた。
(誰か……誰か助けて……。お願いします……)
心の中の叫び声は、決して誰にも届くはずはない。 叶うはずがない。
……そのはずだった。
「……初めまして、王女殿下」
不意に、声が聞こえた。
はっとして顔を上げると、目の前に一人の男が立っていた。
外から入ってきたわけではない。かといってこの部屋に潜んでいたはずがない。突然沸いて出てきたような男の出現に、リディア王女は困惑するばかりだった。
「あなたは……一体」
「通りすがりの宿泊者、とでも申しましょうか」
あからさま嘘に、リディア王女は思わず眼前の男から距離を取った。外がこれだけ騒ぎになり。燃えている炎が窓越しにも見えているのだ。ただの宿泊者が逃げ出していないのはあまりにも不自然だった。
黒い髪の……二十代前後の青年だろうか。知り合いではない。どこかで顔を合わせたことがある可能性はあるものの、大きな特徴のないその顔を記憶できている自信がない。
何より彼女は王女なのだ。顔はあまりにも広すぎる。彼女が顔を覚えていない国民の多くが、彼女のことを知っている。
「これをあなたに渡しましょう」
そう言って彼が渡したのは、透明な板だった。
リディア王女はそれに見覚えがあった。手のひらサイズの透明なそのプレートは、かつて異世界人のステータスを測るために使用したもの。
「これは……ステータスの」
「そう、これはあなたがた王族が持つステータスプレートです。このままでは何の役にも立たないので、私の力である機能を追加しておきました」
「追加? そのようなことが?」
「このアプリの機能は〈リアルツクール〉と呼ばれるものです。この世界が生み出した神の世界――すなわち『リアルな世界』に干渉することができます」
「……は? はぁ?」
「こちらの世界からリアル世界にあなたを召喚するように命令するのです。そうすればあなた様はここから見た異世界――すなわち神の世界に召喚させます。すでに設定は済んでいますので、あとはその画面を押すだけです?」
「……召喚? 神の世界?」
「向こうの世界にはこの世界を生み出した神がいる。彼の名前は伊瀬大和。必ずやあなたの力になってくれるでしょう」
「あの……わたくし、何がなんだか」
男の発言はあまりに現実離れしていて、リディアは頭が混乱していた。ただでさえ命の危険があるこの状況だ。ゆっくりと男の言葉を咀嚼している余裕などなかった。
「も、申し訳ありませんが、あなたが何を言っているのか……よくわかりませんでした。新興宗教……ではないのですよね?」
「…………」
「あ……あの……」
「はははははははははははははははははははははっ、新興宗教! そりゃそうだね。こんな怪しげな男の怪しげな会話。聞いてくれるわけないさ」
男が笑った。
これだけ危機的な状況。下手をすればこの男だって異世界人に殺されてしまうかもしれない。にもか変わらずこうして笑っているこの男に、リディアは初めて恐怖のような感情を抱いた。
笑い終えた男は、急にリディア王女と距離を詰めてきた。
鼻と鼻とが触れ合うような距離。にやついている男の双眸が、目の前にアップされる。
「いいかいリディア王女。彼に会ったら百年戦……いや、違うな。三国志がいい。三国志について話を聞くといい。君はどこかで三国志について話を切り出し、彼にこう切り出すんだ。『三国志に興味があります』とね。そうすれば本か何かをくれるはずだ。彼は少し迷うかもしれないが、君のような美少女の頼みを断り切れないだろうな。せっかくあこがれの神様に会うんだ。それだけのわがままは許されてもいいだろう?」
「……も、申し訳ありませんが、今、あなたの言葉を覚えている余裕がありません」
男は、もしかすると自分を救ってくれようとしているのかもしれない。このよく分からない頼み事も、『はい』と首を縦に振るのが正解なのだろう。
だが、どこかでこの怪しげな男のことを信用できなかった。もとよりこの状況で他人を信じ切るのは難しい話だ。たとえ自らに命の危険が迫っていたとしても。
あるいはその瞳の奥に、皆斗たちと同様の劣情を垣間見た……のかもしれない。
「ふふふ、慎重なことだ。俺の話を疑ったか? まあ、君がどう思おうと関係がない。君はそうする。そうなるんだよ」
「訳が分かりません。そんなことよりもここにいてはあなたが危険です。二階に隠れていれば見つからないと思いますので、今すぐ二階へ……」
「さあ聞こえてきただろう? 君を祝福する鐘の音が」
「突然何を……」
「良き旅を、リディア王女。君はとても美しい。君の顔は覚えておこう」
男を二階に連れていこうとしたリディア王女だったが、突然、目の前が暗くなっていくのを感じた。立ち眩みにか何かに似た感覚だ。
「ああ……そうそう、名前を言ってなかったな」
「………………」
「俺の名前は……そう、エドワード。魔王エドワードだ」
そこで、リディア王女の意識は途絶えた。




