妹、伊瀬さくら
〈リアルツクール〉。
この世界において〈異世界ツクール〉の対を成すアプリ。俺が異世界を創造したように、この世界のすべての事柄を操ることができるはず。
「だけどなぁ」
何でもできます、というのは逆に困るものだ。
土地を奪えば誰かが困る。金を生み出せば悪くて窃盗扱い、誰かの感情を捻じ曲げたりするなんて論外だ。
リディア王女の分身を作ったようにコピー機能はあるようだが、これも俺の手に余る代物だ。現実世界で勝手に人間を生み出すなんてあまりにも恐ろしすぎる。
しかし悩んでいても話は前に進まない。
まずは簡単なところから。
「水」
俺はアプリを操作して水を生み出した。
〈異世界ツクール〉で池や湖を作り出すのと同じ要領だ。マップを拡大してこの部屋を表示、そこの一角に水を放り込んだだけ。
瞬間、べちゃっと床に水がまき散らされた。
「…………」
たいした話じゃない。
水なんてどこにでも溢れている代物だ。出てきた水は、蒸発してどこかに消えていくだけ。この巨大な地球という星の中では、たいした話じゃない。
だけど。
「すごいな、これ」
無から有を生み出すというのは、たとえありふれたものであったとしてもすごいことだ。少なくとも科学者ではない俺は水を生み出せないのだから。
さて、テストは終了したんだから、次こそが本番だ。
誰にも迷惑がかからず、そして劇的な変化を試してみたいのだが。
俺はメニュー一覧からそれらしき操作を探す。操作がスマートフォンのアプリみたいだから手軽なものだ。
手軽さのわりに、やってることは結構重いと思うけどな。
そうして適当に調べた後、一つの機能に行き当たった。
「時間を進める……とか?」
いわゆるスキップだ。物語の速度を速め、次の展開へと早足で進めてしまう機能。
これなら操作者である俺以外が違和感を抱くことなく、大きな変化が期待できる。
「これ、どうなるんだろうな?」
目覚めたら廊下を歩いてたりするのだろうか? 俺はここに残ったままなのだろうか? このアプリを知っているリディア王女は?
ま、一度試してみるか。この動画とかを再生するときによく見るシークバーを前に進めればいいんだよな?
「あ……」
やばいっ!
少し進め過ぎた。
「は?」
「どうかなさいましたか大和様?」
ここは俺の部屋……だったはずだ。
しかし俺の部屋にあったはずの机、椅子、本棚やカーテンなど、慣れ親しんだものが一切視界から消え失せた。
代わりに現れたのはいくつもの机と椅子。そしてそこに腰かけるブレザーの制服を着た人々。正面には巨大な黒板。
どこからどう見ても、教室だった。
本当に……時間が飛んでる。
なんてことだ……。試しに一、二時間進めてリディア王女に様子を聞くつもりだったのに。これじゃあ半日無駄にしたようなものじゃないか……。
「今日の俺の様子、どうだった?」
「は……はぁ。どういった意味ですか?」
「ああ、ごめん。これじゃあ意味わからないよな。少し〈リアルツクール〉の影響で記憶が飛んでて。昨日三国志の話をした夜から朝までのことを教えてもらいたいんだ」
「わ、わかりました」
不思議そうなリディア王女だったが、俺の質問の意図を理解してくれたらしく、、話を進めてくれた。
昨日から今日まで、俺は普通に寝て普通に料理を作って普通に登校して普通に授業を受けていたらしい。別に操られていたとかぼんやりしていたとかそういうことはない。何かを質問したときの返事は明瞭で、学校へも率先して向かっていたとのこと。
スキップ機能は何も問題なかった。
これ、嫌なことをすっ飛ばしたと思ったら便利だな。受験や面接の前に使えば……。
……なんてな。そんな大切なことで記憶が飛んだら、落ちた時に困るよな。他人のせいで落ちたみたいじゃないか。
さて、少し意図とは違ったが〈リアルツクール〉の偉大さは証明されたわけだ。
――キーンコーンカーンコーン。
おっとっと、もう次の授業か。
辛いなぁ、辛いなぁこれ。俺の感覚では明日までゆっくり寝るって感覚なんだが。今日の授業もう一回飛ばしていいか?
「はぁ、さっきまで部屋で休んでたのに授業とか……。めんどうだなぁ」
「ふふふっ」
リディア王女に笑われた。
「……ごめん。みっともないところを見せたな。神様こんなで幻滅したりした?」
「いえ、そうして勉強を嫌がる姿を見て、妹のことを思い出しましてね」
「そうか……」
どうやら妹の件で好意的にとらえてくれたらしい。
「…………」
妹、という単語に、俺はふと……思い出してしまった。
そう、俺には妹がいた。
まだ、両親がマンションにいたころの話だ。あそこには俺、父、母、そして妹の四人が住んでいた。
小学六年生の妹――『伊瀬さくら』はよく俺になついていた……と思う。俺がこうして高校に上がる頃には、さくらは中学生になっている……はずだった。
でも、さくらは死んだ。
どこにでも転がっている交通事故の話だ。深夜まで働いていたトラック運転手が居眠り運転で歩道に侵入。歩いていたさくらをひき殺した。
暗かった葬儀は今でも忘れない。
やがて俺は高校に進学し、両親は妹を失った悲しみから逃れるように仕事にのめりこみ、そして海外へと行ってしまた。
俺がこうして自由に一人暮らしをできているのは、さくらがいなくなってしまった結果だった。
もし……死んでしまった妹を生き返らせることができるなら? いや……死んでいたという事実をなかったことにできたとしたら?
そう……今の俺になら……できるかもしれない。
いなくなったリディア王女を生み出した……〈異世界ツクール〉と同等の〈リアルツクール〉があるのなら。
「…………」
これは……明らかに禁忌だ。
リディア王女が勝手に城を建てたりしたのとはわけが違う。人間の存在を冒涜する、おぞましい行為だ。
――お兄ちゃん。
記憶の中のさくらが、俺を呼んだ気がした。
事故で死んだあの日も、こんな声で俺を呼んでくれたのが最後だったか。
当時中学生だった俺にとって、妹の死は人生で一番ショッキングな出来事だった。これがなかったとしたら、今の俺という人間自体が生まれなかったと言ってもよいほどに。
だけど……。
それでも……俺は……。
無残にひき殺され、満足に死に顔を拝めなかった妹のことを思いだす。
こんな理不尽があっていいのか?
あの子には何の罪もなかった。なのに死んだ。そして今、俺はその死神のいたずらに抗うだけの力を持っている。
俺は自分のことを神だとは言わない。ただもし神がいるのだとしたら、そいつは今の俺に味方してるんじゃないのか?
俺をこの〈リアルツクール〉に引き合わせたのは、神の意志。
なんてぐるぐると頭を回転させながら、俺はリアルツクールの機能を検索していた。
検索、伊瀬さくら。
「あ……あった」
思わず、小さな声を呟いてしまった。
名前、伊瀬さくら。
年齢、十二才。状態、死亡。力、2。防御力、2。スキル、無し。職業、学生。
まるでRPGのステータス画面のような内容が、画面に表示されている。
俺はその光景に改めて恐怖してしまった。
なんだよこれ……。勘弁してくれよ。これじゃあ俺たちが……ゲームの世界の住人みたいじゃないか。
VRリアル人生ゲームお疲れさまでした、なんてどこかのSFだかファンタジーだか分からないようなオチが、俺の人生の終わりであってほしくはない。
と、とにかく……これで……さくらが?
震える手を動かしながら、俺は考える。
事故をなかったことに、は操作が難しいよな。分からない。
でもこの状態を生存に戻すレベルなら……俺でも。
状態変更は〈異世界ツクール〉でも多用する機能だ。俺もいくつかの設定のため病気や呪いの機能を追加したことがある。
経験もあるこの操作なら容易い。
状態欄をタップすると、予想通り変更の選択肢が表示された。
死亡→普通。
状態、普通。つまりケガも病気もない健康な状態。もちろん死んではいない。
興奮で手が震えた。
いける。
やれる! やれるぞこれ! さくらを生き返らせれる!
授業も始まりかけだというのに、俺は迷わず状態変更の警告に同意して――
※その機能は現在使用できません。後日のアップデートをお待ちください。
――と、エラーの警告文を見た。
「は?」
アップ……デート?
確かに、この機能は存在していた。
しかしまだ実装はしていないらしい。
「はっ……ははは……は……」
乾いた笑いしか出てこなかった。
今はまだできないらしい。
俺の興奮、なんだったんだ? いや、アップデートされたら本当にできるようになるのか?
分からない。
ただ一つ言えることがあるとすれば、今の俺は無性に疲れているということだ。
「……リディア王女」
「大和様。先ほどから……体調でも悪いのですか?」
「あ……ああ、心配かけちゃったか。大丈夫だ。それよりもこれ、返すよ」
そう言って、俺はリディア王女に〈リアルツクール〉を返した。
これでいいんだ。
どうせ生き返らせれないんだ。こんなものを持っていても疲れるだけ。
だけど、もし……本当にアップデートしたのなら、その時は……。




