プロローグ
――キーンコーンカーンコーン。
聞きなれたチャイムの音が聞こえたような気がした。
どうやら授業が終わったようだ。
俺、、伊瀬大和は目を開いた。
頭の中に霧がかかっているかのように、ぼんやりしている。要するに寝ぼけているということだ。
このままでは次の授業に支障が出てしまうな。
俺はゆっくりと椅子から立ち上がり、廊下に出た。
特に行先なんて考えていない。体を動かせば少しは目が覚めるだろうと思っただけだ。
別に、授業中眠いのは授業の質が悪いからではない。
ここ、城南高校はどちらかといえば進学校に属する高校だ。だから授業もいい加減ではなくそれなりにまじめに取り組んでいれば理解できる内容。だた俺自身それほど頭が良くなくやる気もないため、つい眠りがちになってしまう……それだけの話だ。
ふらふらと歩きながら、ふと、教室に目を移す。
この教室は俺のクラスではなく、隣のクラスだ。見慣れたブレザーの制服の男女たちが騒いでいる。
廊下越しに聞こえるその声に、思わず足を止めてしまったのだ。
ああ……あの短髪の男は……。
朝倉皆斗。
皆斗は背が高く筋力もあり、整った体つきの男。それでいて学力もコミュ力も高いため、かなりのハイスペックだ。
一年の時は俺も奴と一緒のクラスだった。二年生になった今では隣のクラスになってしまったが、俺にとってそれは心底嬉しいことだった。
俺は奴のことが嫌いだから。
「おいブタ。その席今すぐ開けろ」
皆斗は一人の男子生徒にそう言った。随分と威圧的な声だった。
「あ、あの……僕は……」
対する男子生徒はいかにも気弱といった感じの雰囲気だ。声にも怯えが混ざっている。
あれは確か……裕也だったよな?
一ノ瀬裕也は皆斗と同じく俺のクラスメイトだった男であり、皆斗とは対照的に背の低い小さな男だ。そしてその貧相な体に対応するように物腰も低く、声も小さく気弱な印象を受ける。
男としてはやや長めの髪で、目が完全に隠れてしまっている。そのためぱっと見表情を読むことは難しいが、あまり愉快な気持でないはずだ。
「ブタが喋んな。返事はブヒブヒだろ?」
…………。
皆斗はかっこいい顔つきで頭も良くて運動もできる。ただその高スペックゆえにすぐに人を見下し、特に底辺と断じた男子生徒には暴言や暴力を厭わない。
要するにいじめだ。
「ブヒブヒだなんて、そんな」
「俺の言ったこと、わかんねーのかよ! 屑がっ!」
皆斗は気弱な裕也を蹴り飛ばした。
裕也は彼の蹴りに耐えられるはずもなく、椅子から転げ落ち床に倒れこんだ。
その姿を見て、皆斗はすかさずスマホをかざす。
あいつのやり口はいつもそうだ。スマホで写真を撮って、メッセージアプリに投稿してグループで共有する。そしてこの場にいる奴の仲間も、いない奴も一緒になって笑いあう。
「きゃはは、皆斗、もっとやりなさい」
「殺せ~」
数人の男女が拍手をしながら皆斗を応援している。このクラスでの裕也のいじめは半ば公認の事実であり、誰も止める者がいないのだ。
最低だ。
「はぁ」
気分の悪い光景に、俺はため息を隠し切れなかった。
「あいつら、まだいじめなんかして……」
いじめは悪いことだ。俺だってそんなことは理解している。
だけど小心者の俺は面と向かって助けることもできないし、教師に告げ口することもできない。天罰が下らないかな、と無責任で他力本願なお願いをしているだけだった。
見て見ぬしている俺も同罪だ。そんな風に思ってしまうからこそ、なおさら皆斗の行動に気分が悪くなってしまう。
(あいつらみんな、異世界にでも転移してしまえばいいのに……)
どこかのネット小説みたいに、そんな妄想をしてみる。あいつらさえいなくなれば、俺のこの胸糞悪い罪悪感だってなくなってくれるはずなんだ。
だけど、そんな妄想をしても現実は何も変わらない。
気分の悪いものを見たせいで、すっかり目が覚めてしまった。
俺は隣のクラスを無視して、すぐに自分の教室へと入った。
自分の席に着き、カバンをおろしてゆっくりと座り込む。
一時間目は、数学だったよな。
なんて考えながら、スマホのメモを確認しようとしたちょうどその時――
俺は……『それ』を見つけた。
「〈異世界ツクール〉?」
スマホの画面に表示されたのは、見たことのないアプリだった。
俺はこんなアプリをインストールした記憶もないんだが……。端末のアップデートで勝手に追加されたのか?
異世界系のアニメや漫画ならそれなりに好きだけど、だからといって作ってみようとまでは思ったことがない。
不思議に思いながら、俺はアプリを起動した。すると最初の説明文らしき文章が表示される。
――このアプリについて。
異世界の『神』になってみませんか?
このアプリでは異世界をあなたの手で制作することができます。
広大なフィールド、都市や町の建物、ダンジョン、そしてそこに住む様々な生き物をあなた自身の手で生み出すことができます。
敵となる魔族、味方となる亜人、そして勇者に協力する将軍や国王などを、様々な制作ツールから生み出し、そして配置することができます。制作したキャラクターにはあなたの設定が反映され、まるで本当に生きているかのように行動します。
また、身近な知り合いを転生、転移により異世界に送り、勇者とすることもできます。
――と、そこまで読んで俺は目を止めた。
「身近な知り合いを異世界に送る?」
異世界を作る、というならそういう制作系のアプリというので納得だ。でも身近な人物を異世界に送る、なんてそれはもうファンタジー世界の冗談みたいな話。
馬鹿馬鹿しい。
俺は教室の中だというのに思わず笑いだしそうになってしまった。こんなアプリごときで誰かを神隠しできるなら、世の中を騒がせる大事件になってるはずだ。
「…………」
と、頭では理解していた。
だけどストレスが溜まっていたのかもしれない。俺の指は自然とそのアプリへと伸びていた。
気が付けば、俺は空いた時間にせっせとアプリで異世界を作るようになっていた。
もちろん、誰かを異世界に送れるなんてそんな与太話を信じたからではない。
いや、正直言うとちょっと妄想したりはした。俺の生み出した異世界で皆斗たちが困惑しているシーンとか、異世界で増長して暴れまわったりするお約束の展開とか、俺がクラスの女子とハーレムになったりとかそんなくだらない話をだ。
だけど俺は変なクスリをキメてるわけじゃなく、ごく普通の高校生なのだ。妄想と現実の境界はしっかりと理解している。
皆斗たち元クラスメイトが俺の作った異世界にクラス転移するという空想は、思いのほか楽しかった。このダンジョンでは、この村では……、この国王や王女様となんて考えてるうちに、どんどんアプリ内の異世界が完成していった。
そうして俺は、一通りの世界、イベント、そして設定を完成させた。
あとはこの完成したゲームをプレイするだけだった。自分でテストプレイして、よくできているようだったら第三者に公開してもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、俺はスタートボタンを押した。
その日、隣のクラスの皆斗たち三十人が行方不明になった。
このアプリの説明は……本物だったのだ。