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神の花嫁

作者: フィミカ―

「神の花嫁」は、連載中の時空万華鏡の前身であり、一つの宇宙で紡がれた物語です。

それぞれのお話は独立しており、時代も場所も背景も登場人物も関わりは有りません。

「ある宇宙のどこかで紡がれた」ひとときの夢物語としてお楽しみ下さい。

 分厚い石で組み上げられた、殺風景な造りの部屋の窓際に、娘が一人たたずんでいた。

 その部屋は塔の最上階であるというのに、そこに到る階段も扉も見当たらない。

 心を尽くして整えられたのだと伝えて来る、大きなしっかりとした寝台だけが部屋の中の調度らしい調度と言えた。

 灯りもない、窓も扉もないこの石造りの部屋で、娘は長い長い眠りに沈んでいた―つい、先ほどまで。

 娘が目覚めると同時に、ゆっくりと壁の中央が穿うがたれて行き、始めからそこに有ったかのように、大きな窓が姿を現わしていた。

 強い陽光が射し込む。

 けれども、熱を含んだ空気は部屋の中まで訪れはせず、そこは隔絶された空間のままであった。

 強烈な砂漠の太陽を遮るために窓に厚手の絹を掛けたのが、娘が寝台から足を降ろしてから初めに行った事だった。

 そのまま娘は、壁の中央に穿うがたれた大きな窓から、ただじっと、遠く遠くを見はるかしていた。


 まだ十分に明るいとは言え、そろそろ夕闇が近くなる時刻。

 周囲には人も人工物の気配もなく、熱気に揺れる空気の流れだけが見えている。

 その向こうに何物かが見えているかのように、娘はじっと佇んでいた。

 年の頃は二十歳といった頃であろうか。きめ細かな白い肌と、腰までゆるやかに波打つ黄金の髪、緑の瞳となれば、この国の一般的な人間の姿とは大きく異なっている。

 つややかな浅黒い肌、夜の闇を思わせるぬば玉の髪と深い瞳。それがこの国の民の姿である。


 そう、彼女は来訪者。

 来訪者達の一人。

 遠く遠くの国から、この水と熱の国にやって来た。

 ある、目的のために。




「シーリィア」

 低い、穏やかな青年の声―だろうか。空気を震わせる音とは別の「音」が、娘の視線の先で揺れた、と見えた時、娘は窓辺からするりと身を離し…その場に一人の青年の姿が現れていた。

 年の頃は娘より少し上であろうか。白い肌、短く整えているがゆるやかに波打つ黄金の髪、緑の瞳…と、娘との相似は疑うべくもない。

「シーリィア」

 今度ははっきりと口にし、青年は穏やかな笑みで娘をゆっくりと抱擁した。

 大柄な青年の腕に、シーリィアはすっぽりと収まってしまう。

「元気だったか」

 シーリィアは少し唇を尖らせ、そして花の様に微笑んだ。

「ええ。あなたは?アルラート」

「元気だとも」

 微笑みあう相似の一対は、まるで絵画のようだ。

「感動の再会」

 いたずらっぽい笑顔でアルラートはシーリィアを見つめる。

「とうとう、だな」

「ええ」

 時は、満ちた。

 最も相応しい時が、やってきた。

「月に、届くわ」




 夜のとばりが静かに歩み寄って来る。

 未だ本来の輝きには届かぬ、けれども満ちて大きな月影が、これから少しずつ力を増し始めるだろう。

 今夜は満天の星も、余りに輝く月の光に追いやられてしまうに違いない。

「大きいな」

 アルラートは石の窓枠に背を預けて座りながら、ひときわ大きい月を見上げて呟くともなく呟いた。

 実際、ここまで大きな月影は、長くこの星で過ごして来た中でも初めてだ。

 手を伸ばせば届きそうな程。

 見る間に輝きを増していく月に、一抹の不安がよぎる。

 間違いはない。

 今この時こそは、幾度もの、何人もの輝ける才能の持ち主達が導き出した、完璧な時だ。

 間違いなど、あるはずがない。

 なのに自分は、傍らに立ち、やはり月を見ているのだろうシーリィアの目を、まっすぐに見つめる事が出来ない。

 信じているのに不安がよぎるのは、もしも「あれ」を月に届ける事が出来なければ

「アルラート」

 そっと自分の肩に置かれた手に、ぴくりと反応してしまう。

「ああ」

 届けることが出来なければ、この手を失うかもしれないからだ。

 あり得ないと知っていて尚。

 不思議な情動だと思う。いや、情動が不思議なのだ。

 その情動を味わって、アルラートは自分の肩の位置よりも少し上に有るシーリィアの目を、しっかりと見つめた。自分と同じ色の、静かに微笑む瞳を。

「そろそろだ」

 穏やかに、笑んで。




 灯りのともされていない部屋だと言うのに、月の光でお互いの表情までもがはっきりと見えていた。たった一つの窓から、煌々とした光が真っ直ぐに差し込み始めているのだ。

 驚くほどに近く、大きな月の姿が、窓にかかりはじめている。

 二人は、その窓を正面にして立っていた。

 月光が眩しい。

 アルラートが両手を胸の前で何かを受ける様に合わせると、星屑をまとったかのごとく輝く球体がふうわりと出現した。

 二人は、どちらからともなく目を合わせ、頷く。

 アルラートは球体をシーリィアにゆっくりと手渡し、す、とその背後に下がった。

 そのまま、彼女の身体をくるむ様に後ろから抱きしめる。

 それは、鉄壁の守り。

 これを越えて、何であろうともシーリィアに届くことはない。

 窓はついに月光で埋め尽くされている。

 光以外何も見えるものはない。

 強い輝きに、二人の姿が照らし出され。

 シーリィアは、つと、球体を捧げる様に、両腕を月に向かって差し出した。

「守って。先の先の世まで」

 光の粒子が、シーリィアの輪郭をぼやかせる。

 月の光と同化したかの様な発光。

 風もないのにふわりと衣の裾が浮き上がり、そして、ゆっくりと沈んだ。

 部屋を満たす光は穏やかさを取り戻し。

 輝く球体は、もうどこにも存在していなかった。




「塔に閉じ込められるというのはどんな気分だった?」

「面白かったわよ」

 身体は眠っていたが、毎日熱と水と風の織り成す光景を飽きることなく見ていた。

 大地と空と星と月と太陽と……

 時に嵐、時に日照り、時に宇宙の彼方まで晴れ渡る。

 一度として同じ光景は無かった。

「とても綺麗だった」

 なんて美しい星。

 日々刻々と姿を変える光景は、遭遇の感動と等しかった。

「飽きないな?」

「飽きないわ」

「もうしばらく?」

「きっといつまでも」

「塔の中で?」

「それはもういいわ」

 くすくすとシーリィアは笑む。

 王である養父は、誰より愛した妻の子である「娘」が神の花嫁だと占術師に告げられた時、誰の目にも触れないように、窓も出入り口もないこの塔を造り、娘を閉じ込めた。

 神を、欺くために。

 花嫁となる資格を失う二十歳を越えるまでの数年間を、占術で深い深い、死にも等しい眠りにつかせて。

 けれども、一体誰が知っていただろう、占術で深い深い眠りにいざなわれる、それこそが「神の花嫁」となる―目覚めの合図であるなどと。

 シーリィアはその時、深い眠りに落ちて行きながら、記憶の奔流に巻かれていた。思い出してしまっていた。何故、自分がここに存在しているのかを。何故、養父の許で成長し、今眠りと言う護りを与えられようとしているのかを。

 失われて行こうとしている偉大な智慧を、欠ける事なく未来へ届けるために、今この文明において隠し切ること。ただ、そのためだけに。

 そうして、無邪気な人の娘は、久遠の彼方より訪ね来た者となった。

 深い眠りは、シーリィアの存在を見事に隠し切り、この約束された時まで安全に運んでくれた。塔の中にいる限り、シーリィアは他の誰にも感知される事はなかったのだ。けれども魂は常に目覚めており、占術で誰の目にも触れぬよう隠された塔の中で、ひそやかに時を待ち、そして肉体の目覚めを待っていた。

 久遠の彼方の者たちではなく、人の施した占術でくるまれていたからこそ、誰の目にも留まらなかった。

 それはそれは、巧妙に練り上げられた計画だったのだ。

 アルラートが問う。

「いいのか?」

 このまま去ってしまっても。

「…ええ」

 優しい養父は、最愛の妻の忘れ形見を思って、きっと悲しむだろう。

 けれど、もう自分は養父の知っている…いや、他の誰もが知っていた娘ではない。全く別の存在となってしまった自分を見せるよりも、神の花嫁となってしまったと、失われたのだと思って欲しい。

 懐かしい皆の面影が、この胸に感傷を連れて来るとしても。

「ある意味その通りなのだし」

「ん?」

 神の花嫁。

「そうだな」

 シーリィアの眼差しにアルラートは微笑み、彼女をそっと抱き寄せる。

「やっと取り戻した。」

 長くて、短い時間だった。

「ええ」

「帰ろう」

「ええ」

 そうして、二人の影は蜃気楼であるかのように揺らめいて。

 熱砂の風が青い空を吹き渡り。


 …それっきり。


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