閑話〜孤児院の日常
アルフレンドの街。
円形の広場を東に行き、路商達が離れ小島のように展開してる露天通りを抜け、肉屋、パン屋、じゃがバター売りと並ぶ店を突き進むと、街の外れに孤児院が見える。
アツトが去ってから、この街に変化があった。
ほんの少し。
そして孤児院にも。
ボロのいつ雨漏りしてもおかしくない屋根は、職人による応急処置が行われ、開ける度に軋む木のドアの蝶使いは新品に直され、音がしなくなった。
居住者以外には訪れることのない礼拝堂の床は、安い板に張り替えられた。
職人との交渉はユーリがし、限界まで値切り職人の棟梁が苦笑いをし首を縦に振るまで粘りに粘った。
「可愛い子にそこまで言われたら仕方ねえな。神さまも古くて傷んだ建物よりは、新しい方が気分がいいだろしなっ」
と手抜かりなくやってくれた。
シスターイレアが、仕事を終えた職人に秘蔵の酒を振る舞ったので、職人達は上機嫌で帰って行った。
ユーリは集めてきた花を、入り口や礼拝堂に、飾りつけることにした。
花を売るついでに、お茶を出しくつろげるスペースの花屋がいいんじゃないか。とかつてアツトの進言を実行することにした。
礼拝堂でお茶を出そうとしたユーリだが、シスターイレアが「いけません! ここはお祈りをする場ですよ! 神さまが許しても私が許しません!」
と口すっぱく言うものだから、ユーリは気迫に押されて、しぶしぶ外の入り口でお茶を出すことにした。
しばらくしたら、何故か礼拝堂に祈りを捧げに来る人が毎日ゼロだったのが、1日に2~3人に増えた。
投げ込まれることのなかった賽銭箱には、銅貨が入るようになり、食卓のメニューに鶏肉やシチューが加わる日もあり、特に幼少のピットは一番喜んだ。
ユーリや人見知りのヨヨイは、この不思議な事態に首を傾げるが、二人とも自分の突出した美人度にかなりの無頓着だったので、原因を探ることが出来なかった。
花売りの喫茶店は、それなりに繁盛した。
ある日、年老いた酔っ払いの男が礼拝堂に、千鳥足でふらふらと、吸い込まれるように入ってきた。
ちょうど森に狩りに行く前のヨヨイは、弓と深海孔雀の羽で作られた弓矢、そしてナイフを携帯していた。
普段のヨヨイなら怯えて、隅に隠れるが弓を持つと人格が変わり、生粋の狩人になるヨヨイは身構えた。
タダでさえ、人が苦手のヨヨイである。
酔っ払いなど、賽銭を取った挙句に暴れて、ゲロを吐いて倒れこむに違いない。
とネガティブな妄想が先走った。
男は礼拝堂の中央にある、天の太陽を掴むような仕草の、女神像のザルに賽銭を入れてから、こう言った。
「おめぇさん。あの、これの神はいったいどこの神さんよ。風の神シルフィードって言ったっけか? いや違うな、わからねぇ」
ヨヨイは目を丸くした。
記憶の中を急いでほじくったが、何も出てこない、分からない。
そう言えば、この孤児院の神はどこの神なのだろう?
シスターイレアは毎日礼拝をするが、時間をそんなかけないし、自分達に神の教えを説くこともなかった。
外への憧れから人里に出て、エルフの里にも帰れるに帰れずに路頭に迷っていたところを、シスターイレアが「全ての人に孤児院の扉は開かれています。良かったらいらっしゃい」
とヨヨイを受け入れたのだった。
やはり、神のありがたい教えを聞いた記憶がない。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待っててくださいぃ~」
ヨヨイは逃げるように孤児院の入り口にすっとんで行き、客がいないのでテーブルでお茶を飲んでいたユーリを捕まえた。
「ユーリちゃん、ユーリちゃん! その、あのっ、神様はどこなの!?」
激しくユーリの肩を揺さぶり、ユーリの持つカップの中身がゆらゆらと揺れた。
「なんだよヨヨイ。こらっ揺らすなって!?」
とりあえずユーリはヨヨイにもお茶を飲ませることにした。
一息ついて、ヨヨイ少し落ちついた。
「えーとさ……実は私も分かんねーぜ」
「何で!? ユーリちゃん、私より長くいるのに?」
「んなこと言ってもなぁ。聞いた覚えねーし、そーだあのオッチャンが信仰してたゴミの神マヨリーンとか名前、適当に言っておけば?」
「さすがにそれはマズイと思う……それに名前マヨリーンだったけ? マヨゾーンだった気も……」
「さあ忘れた。ピット知ってっかな? まあ、イレアさんに聞いたら分かるんだろうけど、二人とも買い物中だしな」
ヨヨイは神妙な表情で「適当に神の名を語ってさ。もしあの人が水の神の教徒でここが、炎の神イフリートを祀ってたらだよ。法論とか騒動に発展するかも……」
「うへーそんな面倒くせーんだ」
ヨヨイはうなずいた。
「うん水の神アクアと、火と鉄の神イフリートはものスゴく仲悪いの。水と油みたいにね。教徒同士も暴力に発展することはないけど、どっちの神が優れてるか法論とかしてるの見たことある」
引き気味のユーリは顔をしかめた。ヨヨイが止めなければ、適当に言いくるめをするつもりだったから。
そこへ、シスターイレアとピットが買い物から帰って来て、ヨヨイとユーリは、無人島に助けの救助船がやってきたような安堵の表情を浮かべた。
「ただいま~」
「今日は良い野菜と果物を仕入れてきたの。蜂蜜を露商の方から分けてもらったから、夕食はヤギのミルクに混ぜて飲みましょうか」
「お帰りイレアさん。ところでここの神様ってさ誰を祀ってんの?」
ユーリの問いに、シスターイレアは笑顔のまま石像みたいに固まった。
2人は答えを待ったが、その気配はなく。
ヨヨイがたまりかねて「イレアさん?」と聞いた。
シスターイレアは口を真横に紡いでから、まばたきを2つ。
止まっていた時間が縫い直され、なんでもないような調子でこう言った。
「私、知らないわ」
「ええー!!?」
ヨヨイ、ユーリ、ピットは声を揃えてその日一番の大声で叫んだ。
「知らないって……マジかよ」
ユーリはテーブルの上で脱力した。
「私がアフレンド市長にここを任された時から廃墟同然で、ただ孤児院があれば、街としても神の威光を利用出来るって、腹づもりがあったと思うの。孤児院の資料も何もなかったけど、帰るところを無くした子供達の受け皿になろうって。だから、気にしてなかったわ」
「じゃあ、どこの神をも祀ってないってことですか?」
ヨヨイが聞いた。
「そうなるわね。でも急にどうして?」
ヨヨイはいきさつを説明すると。
シスターイレアは何かを決心したように、礼拝堂の中へ入って行く。
待ちぼうけの酔っ払いは、礼拝堂の横に長いイスにもたれかかって、夢の世界に入る寸前だった。
首が傾ぎ、頭の重みで戻るという動作を無意識的に、繰り返していた。
シスターイレアは、やや強い口調で言った。
礼拝堂で酔っ払いが寝ていたからではなく、ある一つの決意を伝える為だ。
「お客人」
「んあ?」
「ここはゴミの神、マヨラー様を祀る礼拝堂です!」
「あーそれだ。そういう名前だったな、なんか変わった物を天から与える神なんだろ。俺ぁそういう噂を聞いてな。神様のお目こぼしに預かりに来たのよ。酒を降らせてくれーってな。おめーさんもこの街の人間なら知ってるだろ。俺は綿売りの商人だったが、ドフォール商会に綿取引きの多くのシェアを取られて、質の良い綿を仕入れてたが、仕入れが難しくなって商売がパーにになっちまってな」
酔っ払いの男の呂律は怪しいものだったが、身に起こった不幸を語る内に、酔いも少し覚めてきてるようだった。
「マヨラー様は酒を降らせませんが、ちょうどこの孤児院には良いお酒がありますよ。それを私がお持ちしましょう。でも飲みすぎには注意してください。それに貴方は失敗などしていません。別の道がきっとあります。型にこだわる必要はないと、きっとマヨラー様もおっしゃっるでしょう」
酔っ払い男はシスターイレアの説教にか、それとも渡された、大事そうに抱える酒と実りの街ローローで作られた一級品のブドウ酒、エンピローグという金貨数枚もの値がつく送り物に感動したのか。
何度も頭を下げ、孤児院から出て行った。
「なあイレアさん。あのブドウ酒すごい高い商品だろ。ローローでも数十本しか作られなかったワインだぜ」
値打ちに気づいたのは親が元商人で、一家離散したユーリのみだった。内情を知るユーリは孤児院の懐具合が心配らしい。
「ユーリちゃん。物の価値ってねそれを使う人によると思うの。お金があってもお腹は満たされないわ。あの人には必要だったのよ、あのお酒で今を忘れるのも良し。売って再起のお金にするのもよし。孤児院の扉は困った者に開かれているのだから」
とは言っても、金がなければ人は生きてはいけない。
世捨て人にでもならない限り。ユーリにはそれが痛いほどに分かっていた。
金はつまるところ、てっとり早い価値との引き換え券だ。それが無ければ、人に何も分け与えることすら出来ない。
シスターイレアの言葉は、あまりに美しくそして理想的だが、現実という地に足がついていない。
それでもユーリは言葉を押し殺した。
理想を追うのは決して悪くない。
「敵わないなぁ、イレアさんには」
「ふふっ。じゃあ夕食の準備をしましょうか」
翌日、礼拝堂の入り口には、大量の食品が山のように積まれていた。
ワインや缶ビール、それに備品や消耗品も大量に置いてあり、入り口の向こうが見えない量だった。
シスターイレアが朝に扉を開け、見慣れない品物の数々に目を丸くしてるいると。
空からひらりひらり、一枚の紙が舞い降りてきた。味気のない紙にはこう書かれていた。
好きに使え
BY ゴミの神マヨラー
かなり久々に三人称で書きました。
主人公視点以外は三人称になります。