狩る者と狩られる者
踏み混んだ森の中には、ひんやりとした空気が流れていた。
木々の天蓋から僅かにもれる木漏れ日が、ところどころ地面に差し込み光のスポットライトでも森の中に作っているかのようだ。
コケがところどころ生えてるし、なんというか静かで幻想的な森だ。
日本にあるような森と違って、人が入り込まない深い森とでも形容すべきか。
しかし、この森……。
「ここ歩きづらくないか?」
木伝いに転ばないように注意しないと、すぐに足元をすくわれそうだ。
「慣れたらそうでもないですよ」
ヨヨイは、ひょいひょいひょいっと身のこなしで、ジャンプしながら前へ前へと進んでいく。
何度か来て慣れたいう感じではない、単純にヨヨイの運動神経と身のこなしがおかしい。
なんなのそのチート身体能力?
まるで五条大橋で弁慶の太刀を華麗に避ける牛若丸、といったような跳躍。
……ぜえ……ぜえ……ぜえ。
30過ぎのオッサンの俺には、とてもじゃないが追いつけるペースではない。
どんどん距離が離されていくだけだ。
ヨヨイの動きは背中に羽が生えた、パルクールプレイヤーみたいだ。真上にある木につかまって前後に反動をつけてから一気にジャンプしたりと、現代を生きる忍者でも見てるみたい。
「ちょっ……ちょっと待ってくれ。こっちは歩くのに精いっぱいだ!」
「あっ……すみません。つい、いつものペースで。中の方まで入ると開けた空間がありますから、歩きやすいと思いますよ」
……いつものペース?
さらっと、とんでもないことを言ってくれる。
「ふぅ……そう願いたいね。ところで、普通にこの森は誰が入ってもいいのか?」
この手の森は時代によっては、権力者の管轄にあり一般人の立ち入りは禁じられているなど、法があった気もする。一応、把握しておくべきだろう。
「ええ。領主の管理してる森ではなく、ここはアルフレンドの共有林ですので、もっとも足元が悪いうえに、イノシシや狼など動物もいるので、あまり街の人は入りたがりませんけど」
……オウ。
幻想的な佇まいの森だと思ったら、けっこうダンジョンチックな森だった。
「そりゃそうだろうな。ヨヨイは狩りとか、手慣れてるようだけど」
「エルフ族は幼少よりすぐ、オモチャ代わりに弓を習いますから。森を根城にした農耕と狩り、それがエルフ族の日常なんです。もっともそんな隠者のような生活に飽きて、森を出る者もいますが。私もそんな一人でした」
なるほど道理で。
街でエルフが1人も見つからなかったワケだ。猫耳の獣人なんかは数人みかけたけどな。
「エルフ族は森から基本的に出ないのか?」
「伝統的な生活を神とし、外界からの変化を嫌う種族ですから。でも私は外の世界に憧れて森を出たんです」
フーン。
俺とは正反対だな、世俗的な生活に辟易として自由と孤独の道を選んだのだから。
人は生きたいように生きるべきだと思う。
そこには常に、寄り添う影のように行動という出た賽の目に対し、責任がつき纏うが。
ヨヨイが鼻をすんすんと鳴らし前傾姿勢になる。
手で俺にも屈めとサインを送ってくる。
「イノシシです。体重は90キロぐらいといったところでしょうか、風上へ移動します、ゆっくりとついてきてください」
と小声で言うヨヨイの後ろに、ゆっくりとついていく。
こちらの場所はやや高い位置にある、それに対しイノシシは下の方にいて、足で地面の何かを掘っているようで隙だらけだ。だけど、距離にして50メートル以上はあるんじゃないか。
「こっから射るのか?」
ヨヨイは矢を背中の筒から出し弓を構える。
目付きが変わった。
のほほんとした孤児院のヨヨイではなく、獲物を狩る狩人の目付き。
「ええ外しません、一発で仕留めます。この弓はエルフの森で一番樹齢の長い神木から精製された弓で、腕のある職人が仕立てた物です」
と言い弦を三日月みたいにピンと張る。
「切り取った神木を綺麗な湧水に30日ほどひたし、祭壇に捧げ水の神アクアの祝福を受けた物。矢の羽は通常使われるのは七面鳥の矢ですが、私のは、海辺にいる希少種で青色の深海孔雀の羽をほどこしたもの。空気抵抗がもっとも少ないとされる矢羽根です。相手が動かない限り、400メートル先までは外さない自信があります」
400メートル……矢てそんなに飛んだっけか?
何より400メートル先までは、外さないと自信あり気に言うヨヨイがヤバい。
シュッ!
放たれた矢は真っ直ぐにイノシシの横っぱらに突き刺さり、ぐったりと倒れ動かなくなった。
正に一撃必殺。
これだけの距離があってあっさりと決めるとは、弓の腕は本物だ。
「やりました」
ヨヨイはロープを出して頑丈そうな木を探しだす。
イノシシの足を木に縛ってからぶら下げて、ナイフで皮を剥ぎ、肉をバラバラにしていく。
実に手際がいい。
俺はやることがなく、後ろの方でぼんやりと見てるだけだ。
うぅ……すげえ血なまぐさい。
肉ってのはこうやって食卓に並んでるんだろうけど、見慣れない俺にとってはちょっとしたカルチャーショックだぜ。
「これだけの量なら、肉売り商人に卸せばトル金貨4枚とシル銀貨何枚かになるでしょうね。いくらかは食料用に孤児院に持っていきますが」
「いつもこう簡単にとれるの?」
「そんなことないですよ。今日は運がいいです、手ぶらとか収穫がウサギが1頭だけの日もありますから」
そう言い終わり汗を拭うヨヨイ。
肉を解体し終わったようだ。
よし。
じゃあ後はヨヨイが解体した肉をダストで保存してと。
「この後はどうすんだ? このまま持って帰るのか?」
「まだ血抜きをしてませんから水場で血抜きをしてから、持ち帰ります。さすがにこのままだと血生臭いですから」
とヨヨイが言い終えるか否かの瞬間。
――ひゅっんと、空気を切る音が聞こえた。
同時に俺の横の木に刺さった、1本の矢を見て理解する。
何者かに命を狙われているということを。
「なっ!?な、なんだぁ!」
心の底から、這いずるように出てきた恐怖。
それが肥大していく。
こっちは相手の正体も素姓も分からないのだ。
それにこの視界の中、見渡す限り森の中では、どこに相手がいるのかも把握しずらい。
足の先から震えが伝播し、ガタガタと地震でも起こしたかのように身体が小刻みに震えやがる。
心臓の音がやけにうるさく、バクバクと警鐘を鳴らしている。
「狙われている……のか!?」
裏返りなんとも情けない声を出してしまう。
すでに確認するまでもない。
正体不明の存在に、明確な殺意を向けられていることはその事実だ。
まだ相手が名乗り出て正体を明かしてもらった方が、それがバカでかいモンスターのような存在でも恐怖は薄いかもしれない。
見えない殺意てものが、これほどに恐ろしいとは。
見える風景は何も変わらないのに、この俺達を包む森そのものが邪悪な意思を持ち、阻害してくるような感覚さえしてしまう。
「静かに。頭を低くして身を伏せてください。相手はどうやら風上にいるようです。ここからでは鼻が効きません。とりあえず木を背にして隠れますよ」
と言い人差し指を立て、注意を呼びかけるヨヨイは、信じられないぐらいに落ちついていた。
俺孤児院にいる時の、人見知りヨヨイとは全くの別人だ。
今は、とても頼もしく見える。
「この矢の軌道……直線か。とすると、相手の距離はここから300メートル以内てとこでしょう。ロングボウなら300メートルを超える飛距離も可能ですが、直線の軌道は描けない」
自分自身に語りかけるように、ヨヨイは独り言をする。
ヨヨイは矢を抜き、矢の先端を手で味見するみたいにペロリと舐め言った。
「毒ですね」
「ど、毒ぅ!?」
えっ? 何この子!
さも当然のように毒ですって。
というか……毒なめて大丈夫なのかよ!?
「心配しないでください。ジャガイモの毒ですよ」
俺の表情で、言いたいことをヨヨイは察したらしい。
「ジャガイモの毒?」
「ジャガイモに含まれる芽をつぶした毒です。これなら当たっても死ぬことは、まずありません。せいぜい嘔吐、腹痛、めまい、この程度の症状です。これで分かったことが一つ。相手は私達を殺す気がないということ、殺す気ならもっと強力な毒を使うはずですから」
何でジャガイモの毒だって、この子は即座に分かるのだろうか……?
「さて……ここでこうしていても始まりません。相手が何人いるか、目的がハッキリしませんし。包囲されてると想定すれば時間をかけるほどこちらが不利……」
「ヨヨイ、同じく狩りに来た人っていうことはないか? 矢はただのミスでさ」
そうだったらいいなって思う。
ただの俺の願望さ。
「いえ、こちらに矢を放つ前に僅かですが殺気が感じられました。攻撃する前によほどの達人でない限りは、殺気は漏れるものですよ」
……本当に何者なんだろうこの子は。
只者ではないってことは十分に分かったが。
「主様。私が偵察に行ってきましょうか」
「うおっ!? いつも急に現れるなチョコレー!」
チョコレーが例のごとく、俺の肩に当たり前のように鎮座している。
「そうですね。精霊さんならきっと見えないでしょう。お願いできますか?」
「私にお任せあれ」
と言いひょこひょこ木の根を歩いていく。
……遅い、あのペースならどんだけ時間がかかるんだろう。
もっとも斥候に向いてなさそうな精霊を派遣してしまった。
う~んダストで何か出してみるか。
召喚する物は日用品だ。
レベル2以上の物で何か使えそうな物がいいけど。
と祈るようにしたところで、出てくるものはしょせん運頼みでランダム。
「ダスト!」
現れた物は小さな箱に入った爆竹だった。
……こんなもん、夏の花火以外の用途でどう使えってんだよ。
「主様。偵察してきましたよ」
「うぉっ! チョコレーいつのまに!」
いつの間にか、俺のすぐ横にいて到着しました。
とばかりに片手を上げるダンボールの精霊。
「相手は3人ほど。フードを被っており素姓は不明、相手の武器は弓が2人、1人は長めの槍が武器です」
「3人ほどなら問題ないでしょう。私の方から先行で仕掛けます! アツトさんはここで隠れてください」
と言い残しヨヨイは、足早に前方へと身を翻し消えていった。
「俺達の出番はなさそうだな」
「そうですね。まあ無理をする必要はないかと」
しばらく待つと、ヨヨイが向かった方角から、男の小さな悲鳴が聞こえてきた。
ヨヨイの様子を見に行ってみるか。
あれだけの能力があるからきっと、問題ないと思うが。
「……うぅ」
「……なんてヤツだ、信じられん」
「空中で飛びながら、矢を射ると化物かよっ! クソっ聞いてねえぞ!」
「動かないでください。下手に動くとこの矢が今度は心臓を貫きますよ、殺意を向けられて矢を撃たないほど私はお人好しじゃない」
移動してみると予想通りというべきか。
ヨヨイが高い木の枝に昇り、しゃがんだ状態で矢を構えている。
弓を持つ2人は、肩に矢が刺さっていて尻餅をついた状態だ。
もう1人の剣を持った者は剣を構えているが、足はガタガタと震えている。
やがて観念したように、剣を地面へ落とし両手を上げ降参のポーズ。
「よし。そのままのポーズで、私達を狙った理由は何でしょうか、速やかに答えなさい」
「……それは言えない、これでも傭兵なんでな」
「そうですか傭兵ですか。では質問を変えます。誰に頼まれたかを言いなさい」
「バカっ! 傭兵だと言ってどうする!?」
「……あっしまった!」
こいつら傭兵と言っても大したことなさそうだ。
何となく一連の流れで、こう察してしまう。
と俺が安堵した瞬間だった。
「……なっなんだ、こりゃああ!」
俺は思わず大声を上げてしまった。
だっていつの間にか、ヘビが俺の周りを囲むみたいにして包囲してるんだもの。
微動だにしないヘビの群れ。
舌をチョロチョロと出しながら、こちらを伺うように待機している。
何だこれは!?
いったい何がおきてるんだ!?