戦ってやる
直ぐに混戦状態に陥った。アストラクレス麾下の魔物達に痛覚は存在しない。それはつまり、恐怖を感じないのと同義だ。
神ですら血を流す。しかし中身の無い甲冑や土で出来た人形に血など流れている訳が無い。
彼らは刃も魔法も恐れなかった。そして瞬く間に打ち砕かれていく。
「弾けて消えろ!」
アルネッタの炎が瀑布の如く敵を薙ぎ倒す。
三角帽を被った赤毛の魔女の身体に火の粉が纏わりつき、掛かる端から何もかもを燃やし尽くしていく。
地面も壁も天空でさえも、炎の舌が舐めとるように、敵をこそぎ落とす。
彼女の炎は鉄すら溶かす。しかし、その鉄すら溶かす炎の壁を突き破り、アストラクレスは突撃した。
『ジャァァッ!』
気勢の声なのか、それは。
矛を振り上げ、突き破った炎の残滓の尾を引いて、アストラクレスはアルネッタを叩き潰そうとする。
リヴェレがそこに割り込んだ。神剣ジュナスを小さく、しかし鋭く右に一振り。
アストラクレスの矛が断ち切られる。鏡のような断面。
鋭く身を半回転させて尾を振った。彼女の鋼の尾は先端に青い宝石の刃が取り付けられており、それがリヴェレを狙う。
リヴェレはかわすどころか更に一歩踏み込み、また小さく、そしてやはり鋭く神剣ジュナスを振る。
アストラクレスの尾が斬り飛ばされ、青い宝石の刃が地面に突き立った。
更に身体を半回転。矛を放り捨て短く呪文を唱える。
アストラクレスの身体に冷気が纏わりつき、そしてそれは彼女の口腔から解き放たれた。
ぼぉぉ、と輝く氷の息が吐き出される。しかしその時には既にアルネッタが魔術を完成させている。
「震えて溶けろ!」
アルネッタの突き出した右手、その前方にある空間がブレた。何かの振動音。
アストラクレスの凍える息はアルネッタの手によって打ち消されていく。猛烈な水蒸気が立ち昇る。
『やるわ人間ども! しかし私は人の心の脆弱さを熟知している!』
蒸気の壁を突き抜けて何体ものガーゴイルが舞い降りる。アストラクレスに似た鉛色の肌を持っている。
ガーゴイル達は乱戦の最中に飛び込み、鋭い鉤爪でミシェルを捕えた。彼女は抵抗する者の抗う術無く空中に連れ去られる。
『どのように意気顕揚に見せようとも、所詮は勇者の虚名に取り縋っているに過ぎないのだ!』
「ミシェル!」
「く、このっ! リヴェレ様、私の事はご心配なくぅぅーッ!」
砦の何処かへと運ばれていくミシェル。次の狙いはフェンだ。
今も無数の敵を相手取るフェンの足元に魔法陣が広がる。青く暗く光るその邪悪な陣は、フェンの自由を奪った。
「ぐがっ」
「犬人の剣士、貴様の相手は俺だ」
姿は無く、声だけが響いた。白き虎シュライクの獰猛な唸り声。
魔法陣が強く発光したかと思うとフェンの姿が掻き消える。空間を繋げる魔道の業だ。
「リヴェレ、あたしの手を離さないで!」
アルネッタはリヴェレの左手を握り締めながら呪文を唱える。
どのような不意打ちも魔術的な物ならばアルネッタが対応できる。
そうでない物は、リヴェレが打ち破れば良い。
しかしそれは相手の力量がアルネッタを超えていれば無意味だ。
――例えばシエラベルタは二百年を生き、魔道を歩き続けたエルフである。
「ハハッ! 仲睦まじい事よ!」
「なん……っ」
アルネッタは目を剥いた。気付けば背後にエルフが居た。
白金の髪、輝く瞳、白い肌。
毛皮のコートを身に纏う長耳の大淫婦。それがアルネッタのうなじに手を添えていた。
間違いない、数日前、天空や水面に自身の姿を投影し、リヴェレに挑戦状を叩き付けた張本人。
魔王シエラベルタ!
「どれ、可愛がってやろう」
「うわぁぁぁ!」
アルネッタの身体に電流が流れた。全身から力が抜ける。
リヴェレは凄まじい形相でシエラベルタに斬りかかるが、神剣ジュナスの刃が届く前にシエラベルタは霞の如く消え失せた。アルネッタと共に。
「アルネッタ! アルネッタ、畜生!」
「リヴェレ殿、動揺するな!」
アストラクレスと激しく切り結びながらニコールが応える。
「それぞれ手練! 分断されようと容易く殺される者達ではない!」
「クソッ!」
「切り抜けるぞ!」
ニコールはアストラクレスから数歩分の距離を取り左手を突き出した。
激しい衝撃が打ち出され、アストラクレスを吹き飛ばす。直ぐさま鉛の翼を羽ばたかせて空中で体勢を立て直すアストラクレス。
『神官の小娘は嬲り者に』
アストラクレスが舌なめずりしながら言う。
『犬の獣人は我が軍最強の戦士であらせられるシュライク様が。
あの薬臭い魔女は新陛下シエラベルタ様が』
くくく、っとガーゴイルは笑った。精緻な像の如き美貌が醜悪に歪む。
『言ったであろう、誰も生きては戻れぬと!
そしてニコール! 貴様を殺すのはこの私だ!』
アストラクレスは配下のガーゴイル達を従え一斉にニコールへと飛び込んだ。
ニコールは一体の首を斬り飛ばし、一体を風の魔法で打ち据える。その隙を突こうとする後続もリヴェレが立ちはだかり寄せ付けない。
しかしアストラクレスは寸での所でリヴェレの振るう神剣ジュナスを掻い潜り、ニコールへと体当たりした。
そのまま壁にぶつかるまで突進を止めず、壁に激突した後はニコールの身体を空中へと連れ去る。
「ニコール!」
「心配召されるな! 後で合流しよう!」
ニコールはそのままアストラクレスと揉み合いながら瘴気漂う空を連れ去られた。
リヴェレは今まで感じた事の無いような焦燥に胸を焦がされながら、剣を構え直す。
周囲には魔物達が満ちている。斬っても斬っても終わりが見えない。
しかし、他に道は無い。
「……来い」
しぶとさや諦めの悪さには自信がある。
どれだけだって戦って見せる。
リヴェレは呼吸を整えた。
――
黴臭さに満ちた薄暗いそこは偉大な死者を埋葬する石室のようにも見えた。
篝火がたかれ、獣人の戦士達が無数に佇んでいる。彼らは声も無くジッと息を潜めている。
壁には二頭の巨大な獅子の彫刻が施され、それは向かい合わせになり天に向かって咆えていた。
その石室の中心に、フェンは叩き落された。
「ぐっ……おぉ!」
背中を打ち付けるがくるりと身を撓らせて即座に飛び起きる。
油断なく剣を構えて周囲の戦士達を睨み付けるが、彼らはフェンに襲い掛かる気配を見せない。
魔王軍と言うには毛色が違う。フェンは気付いた。彼らは各地で迫害された獣人の戦士達だ。
人族と獣人族がと対等な関係を築けたのは、実はそれほど昔の話ではない。それまでは獣人族は様々な面で理不尽を強いられてきた。
今も真に対等と言えるのはカッシルくらいな物で、他地方では獣人が積極的に戦奴として使われている。
戦争をしているのだ。そういう時代だった。
「貴様に付けられた傷の礼をしたかったのだ」
ゆらり、と篝火の作る光と影。シュライクはそこから現れた。
彼は以前の様に威圧的に吠える事はしなかった。
ただ静かに琥珀色の瞳を輝かせ、身体を震わせている。
フェンは目を細めて牙を剥き出しにした。
「数を頼みに取り囲めば、俺に勝てると思ったかよ」
あくまでも強気。微塵も怯まない。
「違う」
長重なハルバードをぶ、と一振り。シュライクはフェンの前まで進み出た。
……こいつ、俺との決闘が望みか。
フェンは懐の小瓶を引っ張り出す。瘴気を中和する魔法薬だ。
幽世の神の宝石はリヴェレのすぐ傍に居なければ効果を発揮しない。
フェンはカッシルの獣人。多少は瘴気に強いが、それでも長く身を晒せば死ぬだろう。
「瘴気の事ならば心配いらん。この場に限っては浄化してある」
シュライクはぐるる、と喉の奥を鳴らした。
「先王陛下の魔力を分け与えられた俺達とは違い、貴様は瘴気の中では力が弱まる。それは望む所ではない」
「…………成程な、難儀な奴だ」
「自覚はある。部下達にも散々……苦労を掛けた」
笑う者は居なかった。ただジッとシュライクとフェンの二人を見詰めている。
「もし俺が敗れたとしても彼らは決して手出ししない。見届けるだけだ」
「好きにすれば良い。例えこの場の全員が相手だったとしても戦ってやる」
「それは勝利とは呼べん」
「……そうだな」
共感があった。フェンは剣を確りと握り直し、一度深呼吸する。
「喋り過ぎた」
「同意見だ」
「始めよう」
二人は切っ先を落とし、腰を屈め、目を見開いて相手の呼吸を探った。
強敵との果し合い。邪魔の入る余地など無い。己と相手、それのみ。
獣人の戦士にとって至福の時間である。
――
アルネッタは首を絞められたまま床に叩き付けられた。首の骨がぎしぎしと鳴るのが分かる。
怪力だ。アルネッタは暗闇で光る魔王シエラベルタの目を真っ直ぐ睨み付ける。
「(血が、血が止まる)」
首の太い血の流れを綺麗に抑えられている。数秒と経たずに身体ががくがくと震えだし、アルネッタは前も後ろも分からなくなるだろう。
させるもんか。
アルネッタは腰を跳ね上げた。黒いローブから素足が伸び、シエラベルタの腕に絡みつく。
「ほぅ、レスリングだな!」
引き摺り倒されるシエラベルタ。
アルネッタの腿がシエラベルタの肩にがっちり掛かり、その体の撓りで肘を圧し折ろうとする。
魔女と言うとどうもひ弱に見られがちだが、“赤毛のアルネッタ”をそこいらの魔女と同列に語ってはならない。
「この……クソエルフ……!」
「面白い、付き合ってやろう!」
シエラベルタが肩を起点にぐるりと腕を捻る。アルネッタは手首を確りと捕えていたつもりだが、シエラベルタはそこから容易く抜け出した。
互いに素早く立ち上がる。半歩で相手を掴める至近距離だ。呪文を唱えようとすれば隙を突かれる。
「くくっ」
「……何がおかしいのよ」
このエルフ、嫌な笑い方。
シエラベルタは犬歯が剥き出しになるような凶悪な笑みを浮かべ、パチンと指を鳴らした。
それを合図に暗闇の中に青い炎が灯る。
幾つも幾つも、魔法の燭台にシエラベルタの魔力の火が灯り、部屋の全体像を照らし出した。
玉座か。最深部まで連れ去られてしまったらしい。
「魔王陛下直々の歓迎、光栄ね。
でもあたしが怯えると思ったら大間違いよ」
何処でだって、何とだって戦ってやるんだから。アルネッタは視線を外さないまま周囲の気配を探る。
「魔女よ、お前の身体、魔力の流れが……」
「はぁ? おしゃべりしたくてあたしを攫った訳?」
「これは面白い」
すとん、すとん、とシエラベルタはステップを踏む。
実にこなれた雰囲気がある。このエルフは如何にも女性らしい身体つきに似合わず、格闘戦の訓練を積んでいるようだ。
それも入念に。
アルネッタは両手に炎を纏わせた。組み合えば燃やしてやるし、距離をとればやっぱり燃やしてやる。
「くくく……、お前、誰に抱かれた?」
下品な問いに眉を顰めた瞬間シエラベルタが飛び込んだ。
炎を纏わせたアルネッタの両手を取る。当然アルネッタはそれに抵抗しようとする。
しかしその反射的な行動はシエラベルタに制御された物だった。彼女はアルネッタが身を捩る瞬間に手を放し、虚を突かれてたたらを踏むアルネッタの足を刈る。
こいつ、上手い!
シエラベルタがマウントポジションを取ろうと走る。アルネッタはごろごろと床を転がった。
ぬ、と唸るシエラベルタはマウントを諦めてストンプを仕掛けた。ぎりぎりの所でそれから逃れるアルネッタ。
ど、ど、ととてもエルフの細い足が出したとは思えない打撃音で床が震える。
アルネッタは埃塗れになりながら立ち上がった。
「下品な奴ね」
再び睨み合う。
「何せ私は“長耳の大淫婦”ゆえ」
「えぇ、そう考えるとお似合いね。エルフの癖に魔王の妻になるなんてさ」
再び両手に炎を纏わせる。これ以上不覚は取らない。
「強い男が好きでな。カイラルは正に強き男だった。
剣も、魔法も、精神も、何一つ勝てなかった。当然レスリングでも」
「そうなんだ。でも残念ね、アンタの大好きな魔王様はリヴェレに負けたわ」
「…………そうだな」
アルネッタが仕掛ける。小さく左手を振るとシエラベルタの目の前で炎が弾ける。
猫騙しのような物だ。格闘戦ではこれがよく効く。
思わず首を逸らして逃げようとしたシエラベルタにアルネッタは食い付いた。
右手の炎で胴を薙ぐ。かわされた。追撃の為に一歩踏み込む。
がつ、と顎に鋭い衝撃が走った。視界が激しく揺れて足が震える。
シエラベルタの前蹴りだ。身体を後ろに逃がしながら右足を振り上げたのだ。
前に踏み込んだ所に、運悪くそれが決まってしまった。
アルネッタは態勢を立て直した。視界はぐらぐらしていたが、何でもない様に振舞う。
「ほぉ、頑丈だな、魔女の癖に」
「足癖が悪いわね、エルフの癖に」
「言ったろ? 我は大淫婦シエラベルタ、ただのエルフと侮って貰っては困る」
「えぇ、とっても野蛮で下品」
アルネッタは歯噛みした。真正面からではこいつに勝てない。
すとん、すとん、と再びステップを踏むシエラベルタ。彼女はまだその身に有り余る魔力を欠片程も見せていない。
もしこのエルフが本気を出したら?思わず眉間に皺が寄る。
「ただ下世話な話がしたくて“誰に抱かれた”等と聞いた訳では無い」
「……だったら何が言いたいってのよ」
「本当に気付いておらんのか? ……ふうん、どうせあの勇者だろう。
好き合った男と肌を交わし、のぼせてしまったようだな。
魔女が己の腹の中の事も分からぬか」
なん……
アルネッタは思わず呼吸を止めた。
「己の女に手を当てて見よ。直ぐに分かる」
全く愚かな事だが、アルネッタは素直に言う通りにしてしまった。
下腹部に手を当て、そして愕然とする。この下品な魔王の言う事は真実だった。
そしてその時、シエラベルタの飛び蹴りが綺麗に顎に入り、アルネッタは意識を刈り取られた。
「…………苦痛を与えて殺してやろうと思ったが……ふむ」
シエラベルタは倒れたアルネッタを見て深く考え込む。