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エルフ妻の敵討ち  作者: 黒色粉末
6/9

開戦



 「アルネッタ! アルネッタ!」


 ず、と胸に重たい衝撃があり、アルネッタは堪らず咳き込んだ。


 げほ、ぜひー、と喘ぐ彼女の頭をリヴェレが掻き抱く。


 「アルネッタ、良かった、心臓が止まっていた」

 「ぐふぁー、……あ? 何、あたし、死んでたの?」

 「死神を追い払うのに一苦労だった」


 フェンがにやりと笑いながらゲージスの獣の死骸を放り投げる。

 数えきれない程大量に居たこの魔物達もほぼ倒し終えたようだ。


 「幽世の神の守護からも離れ、瘴気の只中で強力な呪文を唱えたのです。

  命があるのは幸運ですよ、アルネッタ」


 ミシェルがアルネッタの顔に手をやり、瞼を引っ張って目を開かせた。

 まず瞳、次に喉。魔女が魔術的儀式を施す体の各部を確認し、重大な異常が出ていないかを確かめる。


 それを終えると鉄杖を構えて聖句を唱えた。暖かな光がアルネッタを包み、身体を癒していく。


 周囲の警戒を続けるニコールが一行から僅かに離れた所にある大穴を指さす。


 「これを見たまえ。アルネッタ嬢が怒りに任せて炎を叩き付けた跡だ。無理は禁物だぞ」


 魔力と瘴気は似通った部分がある。

 呼吸で表すなら、息を吐いた後に煙を吸い込んだような物だ。魔力を吐いた後瘴気を取り込んでしまった。それも大量に。


 ミシェルの癒しの業を浴びながらアルネッタは偉そうに言った。


 「ふー……助かるわチビ助、上手よ」


 ごん。あいたっ。

 ミシェルがアルネッタを鉄杖で小突いた。ジュナスの信徒を不当に侮辱する者には懲罰が必要である、懲罰が。

 誰がチビだと言うのだ誰が。少しばかり自分があちこち大きいからって偉そうに。


 「じゃれ合うのは後にするんだな。魔王シエラベルタは俺達の事を見ているぞ」


 フェンに油断は無い。犬耳をピンと立てて周囲の音を探っている。


 「何故分かるの?」

 「視線を感じる」


 リヴェレは信じた。フェンの感覚は誰よりも鋭敏だ。

 眠りながらにして夜番の見張り役より早く魔物の気配を察知し飛び起きた事もある。


 「進もう。俺達にはそれしかない」

 「奇襲は失敗だ。魔物どもが罠を張って待ち構えているだろうな」

 「打ち破る。戦うと決めた以上は」


 フェンは満足げに頷いた。仲間達は皆、リヴェレの強い意志に導かれて戦って来た。

 今度もそうだ。如何なる敵、如何なる罠が現れようと、恐れはしない。


 「いけ好かない長耳の売女に鋼の味を教えてやろう」



――



 『いけ好かない長耳の売女に鋼の味を教えてやろう』



 ほぅ、とシエラベルタは玉座で足を組みながら息を吐いた。

 銀盆に張られた水に映る勇者達。エルフの遠見の術は彼らの仔細をくまなくシエラベルタに伝えてくれる。


 己で“大淫婦”と名乗りながら今更だが、他人から“売女”などと罵られるのは腹が立つ。


 「これまで私に下劣な欲望をぶつけようとした者はそれなりに居るが、この身を自由に出来たのはカイラルだけだ」

 「そうだろうとも陛下。それも決闘の末に」

 「……なんだ、いけないのか?」


 腕組みするシュライクは手櫛で毛繕いをしている。


 まるで昨日の事のように思い出せる。まだシエラベルタが意固地だった頃だ。

 まさか夫が閨を訪ねてくるのに、決闘を仕掛ける妻が居ようとは。今でも魔王軍の語り草である。


 「多くの者が『もしや世継ぎは望めぬのでは』と気を揉んでいた。

  それを思えば大淫婦などと言う悪名交じりの畏名は不適当か」

 「…………世継ぎに関して、結果は知っての通りだ。私は気高き男を産んだ。それも三人も。

  カイラルの血を確かに伝えた」

 「文句は無い」


 くっくと笑う諸将達。


 「軽口はもう良いだろう。戦うぞ、手筈の通りに。

  奴らを分断する。あの小癪な犬人は私自ら縊り殺してくれよう」

 「陛下、奴は譲れん」


 シエラベルタが腕を一振りすると魔力で作られた銀盆が霧散する。

 水がばしゃりと床を濡らし、シュライクは傷の癒えた腕を撫ぜながら言った。


 「同郷の戦士だ。それも類稀な使い手。腹の底が疼くのだ」

 「…………お前は昔からそういう酔狂な男だった。

  もっと軍務に忠実であれば十二将が筆頭も夢では無かったろうに」

 「カイラル陛下は俺の酔狂を許して下さった」

 「ならば私も許すとしよう。……勝てるか?」

 「……死力を尽くす」


 確証はないと言う事だ。それもそうか。

 取るに足らぬ相手ならばシュライクは先の襲撃で勇者達を討ち取り、屍を打ち捨てた事だろう。


 「シュライク」

 「は」

 「存分に本懐を果たすが良い」

 「……ははっ」



――



 砦の防衛能力は沈黙している。監視窓には爛々と黄色い目が光り、周辺には魔物の徘徊した痕跡があるが、襲撃は無い。

 砦の堀には水の代わりに瘴気が満ちていた。薄暗い色の煙が立ち上り、まともに吸えば内臓を蝕まれる。


 小さくは無いが、大きくも無い。依然踏み込んだ魔王城などはこれの何倍あった事か。


 「……沢山いるわね、襲って来ないだけで」

 「入ってこいと言う事らしい」


 一行の目の前で鉛色の肌の怪物が羽ばたいた。

 鱗を持つ体に長い尾。鎧兜を着込み手に矛を持った怪物…………の石像だ。ガーゴイルだった。


 それがぐる、ぐる、と低い唸り声を発して城壁の裏側へと消える。

 すると跳ね橋が降り、同時に門が開かれる。


 『ここより先、進むのならば断言しよう。貴様らの誰も、この砦から生きては出られぬ』


 ガーゴイルが再び姿を現して見た目通りの低い声で言った。

 松明に照らされ腕組みするその姿。門番の真似事などしているがこのガーゴイル、強力な魔の気配を感じる。


 「その手のセリフは聞き飽きたな。魔王軍の者達は、どうも己の力を過信しているようで」

 『貴様の事はよく知っている。天帝を名乗る増長し切った神の走狗、ニコールよ』


 肩を竦めて見せるニコール。ガーゴイルはニコールをねめつけながらやはりぐる、ぐる、と唸った。


 「魔物に名を覚えられても仕方ない。麗しきご婦人方ならば喜びもするが……」

 『…………では、こうだ』


 ガーゴイルが翼を開いて夜天に吠える。その体がごき、ぼき、と異音を立てて変形していく。

 隆起した屈強な体が引き締まり、如何にも滑らかな柔肌へ。

 兜を取り払えば銀の髪が零れる。体に合わなくなった鎧も転がり落ち、豊満な体が露わになった。


 『人間は目で物を見る。神殿騎士ニコールよ、どちらが私の本性だと思う?』


 なんと、声まで違うではないか。

 先程の怪物の面影など最早無い。

 肌こそ鉛色である物の、正に美貌と評して良い女がそこに居た。


 仕草の一つ一つになんとも危うい色香がある。国を傾がせる女だった。


 「これは何とも」


 ニコールは素直に負けを認めた。

 彼が勇者リヴェレに教授したのは戦いの技だけではない。紳士としての振舞い方も、だ。


 紳士は淑女を無碍に扱わぬ物だ。


 「失礼した、美しい魔物よ。私は天帝山大殿堂が神殿騎士、ニコール。家名は返上した故、ただのニコールだ。

  お前の名を聞かせて貰っても?」

 『我が名はアストラクレス。かつては十二将が一、妖妃ダナエの居城を守っていた』


 ニコールは渋い顔をした。妖妃ダナエ、因縁の名である。


 かつて旅の最中、ニコールをあの手この手で籠絡しようとしたのが淫魔達の女王、妖妃ダナエだ。

 ダナエは様々な絡め手でニコールを己が物にしようとしたが、最後にはニコールの天幕に忍び込んだ所を一騎討ちによって打倒された。他ならぬニコールの手によって。


 『今亡き主の遺命により、新陛下に従っている。貴様らとまみえるのを楽しみにしていた。

  さぁ、命が惜しくないのならば跳ね橋を渡れ』


 リヴェレは何の気負いも無く跳ね橋を進んだ。

 瘴気は手で掴めるのではと錯覚する程の濃度になっていたが、幽世の宝石はそれを完全に遮断した。


 開かれた門の先。魔物達が犇めいていた。

 中身の無い鎧の亡霊や岩の肌を持ったゴーレムなど、ガーゴイルであるアストラクレスの部下に相応しい無機物然とした者が揃っている。


 彼らには苦痛も恐怖も無い。

 勇者達と戦い、殺し、或いは殺される瞬間を思い、戦いの命令が下されるのを今か今かと待ち焦がれている。


 『渡ったな、勇者よ! 人間の戦士達よ!

  ここは既に陛下の御座す魔の深淵! 貴様らの祈りも、断末魔も、貴様らの神には届かぬ!

  足掻くが良い! 虫けらのように!』


 リヴェレは神剣ジュナスを掲げて吠える。


 「押し通ぉーるッ!」

 『掛かれ!』



――



 「始まった」



 シエラベルタはチェストの中から戦装束を取り出した。


 彼女が持つのはおおよそが何らかの加護や秘術を閉じ込めた品であり、重い鉄鎧などは身に着けない。

 武器も生半の物を使うよりも己の魔力で生み出した物の方が強力だった。


 彼女が身に纏うのはオルカス領に生息する飛竜の皮で作った服。

 後はスノーウルフのコートだ。


 両方共、カイラルに贈られた服だった。



 部屋を出て薄汚れた通路を進む。遠くから戦いの音が響く。砦の彼方此方で部下が走り回っているのが分かる。


 途中にシュライクが待ち構えていた。こちらも具足を纏った完全装備。

 シュライクはシエラベルタを見て鼻を鳴らした。


 「剣を献上しよう」

 「これは、なんと」


 骨から削り出したらしい節くれ立った柄に反りの入った刀身。

 灰色にくすんだ色合いが作られてからの年月を感じさせる。


 魔王カイラルが所持していた剣だ。嘘か真か古龍の骨や皮、牙から作られたと言う。

 古龍の剣、勇者によって奪われ、今はカルダンにあると聞いていたが……。


 「奪還の為に部下をやっていたが、つい先ほど戻って来た。実に容易い戦いだったそうだ。

  カイラル先王陛下の剣、寝惚けた豚どもには勿体無い」

 「素晴らしい。……あのバカの吐息を感じるようだ」


 鈍く輝く刀身を睨む。この剣には鞘が無い。

 持ち主同様に気難しい剣で、あまり長い事鞘に納めていると高熱で周囲の物を何でも溶かしてしまうのだ。


 しかし果たしてこの剣、エルフの私に使いこなせるだろうか。


 大淫婦と呼ばれカイラルと共に魔の領域を統治したシエラベルタだが、エルフの血は誤魔化せない。

 おおよそ邪悪な品々とは相性が悪かった。


 「いや、選択肢は無いな」


 カイラルの剣、畏れなく振るえる者がどれほどいる?


 シエラベルタは革ベルトを緩めて余裕を作り、そこに古龍の剣を差し込んだ。

 再び歩き始める。


 「今はどうなっている?」

 「アストラクレスが戦いを始めた」

 「奴らの結束が厄介ならば、バラバラにしてやるとも。

  約束通り犬人はお前が。魔女と神官は私が殺す。神殿騎士は」

 「アストラクレスが。奴には戦う理由がある」

 「…………勇者リヴェレは」

 「足止めの準備は出来ている」

 「誰も生きては戻るまい」

 「今更だ」


 通路の分かれ道。二人は拳を打ち付け合って別れた。


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