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エルフ妻の敵討ち  作者: 黒色粉末
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夜が来る



 魔王軍の特に強き者達は、魔王カイラルが集めさせ、研究させた魔神の秘術によって更なる力を与えられる。


 ならば成程、白き虎シュライクの力は人知を超越した物だった。



 大上段から振り下ろされるハルバードを半身になって避けるフェン。

 並みの相手ならばその一撃の隙を突き、心の臓を貫いて終わりだ。しかしシュライクは容易い相手ではない。


 その虎人が身を沈めると、長重である筈のハルバードがまるで鳥の羽毛の如く跳ね回る。

 曲芸の如く回転させたかと思えば変幻自在の突きとなり、それを掻い潜っても拳と蹴りを交えた体術が待ち受ける。


 肩当てを弾き飛ばされながらフェンは感嘆の声を漏らした。


 「(美しい。膂力と技が調和している)」


 フェンが大きく飛び退いた所に勇者リヴェレが切り込んだ。

 シュライクを挟んで反対側には何時の間にかニコールが。この師弟は言葉を交わさずとも互いの意思が伝わるようで、咄嗟の挟撃だろうと難なくこなす。


 「ぬるいわ、人族!」


 シュライクはそれすら凌いだ。腰から小剣を抜くと前後のリヴェレ、ニコール達と同時に打ち合う。

 冗談のような光景だ。奴は背中に目が付いている。


 「魔将シュライク! こっちを見なさい!」


 ミシェルが鉄杖を掲げて神言を唱える。女神を模した鉄杖の頭に清き光が集まっていく。


 「小賢しい!」


 くわ、と咆えてシュライクは小剣を投げた。リヴェレとニコールの一瞬の隙を突いた投擲だ。


 小剣はミシェルの鉄杖を弾き飛ばし、彼女を乾いた大地へと叩き付けた。


 「こんの獣臭い野蛮人!」


 アルネッタが手を一振り。そこに炎の揺らめきが生まれる。

 忽ち彼女の全身が赤く燃え盛り、それは彼女の掌中に収束して火球となった。


 リヴェレとニコールが身をかわす。アルネッタの手から火球が解き放たれる。


 「カァァァッ!」


 シュライクの咆哮。火球が直撃する瞬間、暗い魔力の渦が彼の身体から解き放たれる。

 激しい爆炎が上がった。衝撃で大地がめくれ上がり、灰と塩が巻き上げられる。


 フェンは飛び込んでいた。これでケリが着く相手ではない。


 く、と鋭い息を吐いて一撃。砂煙の中に確かな手応えがあった。


 「ハハハッ! ハッハッハッ!」


 シュライクの高笑いが聞こえた。爆炎が晴れたその向こう側から、白き虎は悠々と歩を進めた。


 あれだけの炎を浴びていながらなんら痛痒を感じていない。唯一フェンの刃の一撃だけが、シュライクの右腕に流血を強いた。


 シュライクは顎を大きく開いて熱い息を吐いた。歓喜していた。


 「……今のは痺れたぞッ!」

 「やれやれ、勇者殿に付き従っていると強敵には事欠かんな」


 ニコールが手首の返しで長剣をぐるり、ぐるりと回す。

 シュライクは余裕綽々と言った様子だが、それはこちらとて同じ事。

 俺も勇者殿もまだこんな物ではない。


 いざ再開せんと言った空気の中で、シュライクは心の底から名残惜しそうに言った。


 「このまま貴様らと雌雄を決したくはあるが、シエラ様はお喜びになられんだろう。

  来るが良い勇者ども! 死の大地を抜けて、我らの新たなる陛下に拝謁するがよい!

 「ムシの良い話だ。お前を逃がすと思うのか?」


 フェンが剣を構え直した時、虎が吠えた。


 瘴気の壁の向こう側に無数の気配が現れる。それは唸り声と騒々しい足音を立てながらこの場に乱入しようとしていた。


 「ゆけよ魔の従僕ども!」


 それは魔王軍による交配で生み出された魔物だった。頭は虎が骨格は人間に近く、トカゲのような尾を持っている。

 四つん這いで走るその姿は枯れ木の様に貧相に見えるが、その実非常に俊敏で力強い。

 世代を重ねるサイクルが早く、あっという間に繁殖可能だ。複雑な命令を理解する知能は無いが、シュライク麾下の軍団にとって使い捨てに出来る優秀な戦力だった。


 ゲージスの獣と呼ばれ忌み嫌われ、北部で猛威を振るった恐るべき魔物である。


 「まさかこの程度で死んでくれるなよ、ハハハッ!」

 「待て、シュライク!」


 悠々と歩き去るシュライク。

 ミシェルがくらくらする頭を抱えながら起き上がり、リヴェレに駆け寄って鉄杖を構えた。


 「リヴェレ様、今はこの場を切り抜けねば!」


 リヴェレは難しい顔をしながら迫りくるゲージスの獣達に剣を向ける。



――



 玉座の前に跪くシュライクの手を取り、立たせる。

 右腕からの激しい出血。この白き虎に手傷を負わせるとは、やはり勇者。


 シエラベルタは癒しの呪文を唱えた。暖かな光がシュライクの腕に伝わり、じわじわと傷を癒す。


 「勇者は強いか」

 「大した事は無い、が」


 しかし、とシュライクは続ける。


 「成程勇者達が力を結集したならば、正に強敵だ」

 「実によい! それでこそ討ち滅ぼす価値がある」


 シエラベルタはにっこり笑った。周囲にひしめく魔王軍の幹部達も。


 「そう言った者を倒せば、我が息子達に楽をさせてやれよう」


 扉を開きクノーノスが足音高く表れた。


 この気高き吸血貴族は外套を仕立て直し過剰に飾り立てている。戦装束だ。

 彼はこの後、この塩と灰のみばかりのヘンサス平原に進行して来た人間の軍勢を迎撃に向かう。


 「陛下、このクノーノスが御身を煩わせる羽虫を叩いて参ります」

 「侮るな。我らは包囲されている」

 「勇者が相手ならばまだしも、壁の中に籠っていただけの太った豚どもに遅れは取りませぬ」


 クノーノスが言う程簡単な状況ではなかった。それに気付けない程思い上がった吸血鬼では無い筈だ。


 諸将や部下に弱気は見せられぬ、と言う事か。まだまだ若造と思っていたが、位に相応しい振舞い方は知っているらしい。


 「クノーノス、望みはあるか」


 彼が生きて戻る確率は決して高くない。

 クノーノスは暫し黙考した後答える。


 「御手を許してくださいますか」


 シエラベルタはシュライクを視線で下がらせた。


 「特に差し許す。ちこう寄れ」


 ゆっくりした、長い口付けだった。


 クノーノスはシエラベルタの前に跪き、手の甲にキスした。


 ジワリと、互いの熱が入れ替わるような。


 やがてクノーノスは立ち上がり、マントを翻した。


 「魔王陛下に勝利を!」



 クノーノスは入った時と同じように足音高く玉座の間を出て、胸を張って出陣した。


 忙しなく蝙蝠の翼を羽搏かせて夜空を飛ぶ。彼の一族や眷属達が集い始め、雲の如き軍勢を作り出す。


 「クノーノス! キスしたか?」

 「ぶちかましてきたか?」

 「不敬だぞ、お前達!」

 「うるさいヘタレ! 偉そうに言うな!」

 「陛下に一発かましてきたのかと聞いているんだ!」


 彼の姉や弟たちが蝙蝠に変化して耳元でギャーギャー騒いだ。

 堪らずクノーノスは白状した。


 「御手を許して下さった」

 「でかした!」

 「可愛い可愛い私のクノーノス! きっと陛下は貴方の事をいつまでも覚えていて下さる!」


 そうなのだろうか。

 そうであれば嬉しい。




 クノーノスは漸く七十歳を過ぎた所。初めてシエラベルタと出会ったのは四十年前、カイラルが長子ヘイゼルが生まれた時。

 王家との政治的協力関係を築くため、クノーノスはヘイゼルの守役として宮殿に上がった。


 クノーノスの目から見たシエラベルタはとてもエルフとは思えない気性の持ち主だった。

 行動的で神出鬼没。地獄耳で侮辱や陰口などを聞き逃さない。

 名誉に関わる事には特に敏感で、「外から来た白痴の長耳族」などと侮られた時など決闘騒ぎにまで発展した。


 同時に彼女は公正だった。クノーノスの知る限り卑怯な真似は一切しなかったし、自分にとって不利な条件もそれが正当な遣り取りの結果なら受け入れた。


 当時軽輩者として侮られ続けたクノーノスにはシエラベルタは眩しく見えた。


 『お前がその地位に着いたのは、全てお前の努力に寄らしむる物である!』


 クノーノスは容姿に優れていたから、守役の責務を尻の穴で買ったなどと言われる事もあった。

 難しい時期であったためクノーノスは耐えた。誇り高き吸血鬼族が、決定的な侮辱に対し怒りを飲みこんだのである。


 『お前が怒らぬから、私が代わりに怒ってやるのだ!』


 そうしたら、シエラベルタがそんな事を言い出してまたもや決闘騒ぎが起きた。クノーノスは彼女に忠誠を誓った。


 敬意を抱いていた。それ以上の物も。

 当然、表に出す事は無かった。彼女は魔王陛下の妻である。


 だが


 ――今くらい、許されるか。


 クノーノスは呟いた。


 「…………陛下、愛しておりました」


 彼の兄弟達は顔を見合わせた。

 今ばかりは、からかう事もしなかった。



――



 「あにうえー」

 「あにうえー」

 「うるさい、少し待っていろ」

 「半刻前にもおんなじ事言ってたよねー」

 「ぼく聞いたー」


 ヘイゼルは白金の髪を神経質に弄りながら砦をずっと見ていた。

 なんだこれは。見れば見る程貧相な砦だ。これが我が母の最期の居城だとは。


 魔王の居城とは荘厳であるべし。その威光を知らしめる物であるべし。

 それすら敵わぬのか。


 「ミチェータ」

 「はい」


 ドリュアスのミチェータがヘイゼルの手を取る。二人は揃って砦に向かって一礼した。

 二人が北のオルカス領に戻り次第、新魔王として戴冠、同時に婚儀が執り行われる。


 シエラベルタは死ぬ。その名は魔族の中で語り継がれていくだろう。


 「俺がもう二十年早く生まれておれば、軍など易々掌握して見せたわ」


 そうすればむざむざ父や母を死なせはしなかった。

 己の若さが、堪らなく憎い。


 「うそだぁ」

 「シュライクと中悪いじゃん。無理だよー」


 茶々を入れる双子に、ヘイゼルは眉を吊り上げる。


 「俺と奴は意見を異にする事が多い。しかし互いに認め合っているのだ」

 「ほんと……?」

 「思い込みじゃない……?」

 「戯けどもめ!」


 ヘイゼルは愚弟二人をべしべし叩いた。頭を押えて涙目になるサンドラとカラカル。


 「……お前達、陛下との最後の時間をよい物に出来たか?」

 「一緒に料理したよー」

 「ナメクジ料理だろ」

 「魔法を教えて貰ったー」

 「豚に真珠だ」

 「お絵描きしたねー」

 「“頭の弾けたクノーノス”、か?」

 「アクセサリを作ったよー」

 「アクセサリなど……ん、何?」


 双子は金の首飾りを差し出してきた。

 ヘイゼル、と名が彫られている。


 「かあさまからあにうえに」

 「“すまなかった”って」


 双子は急に間延びした口調を改める。


 「そりゃ無理だよね、今までずっと長子として、後継者として」

 「日々学び、鍛えた。それでも厳しい言葉ばかりを賜り、愛でなく義務感を糧に成長した」

 「それが突然『家族の時間を大切にしたい』なんて言われても」

 「無理だよね」


 ヘイゼルは首飾りを受け取る。

 鼻を鳴らした。


 「それで挑発しているつもりか?」

 「兄上、恨んでおられませんか」

 「父上と母上の事を、愛しておられますか」

 「愛など惰弱」


 ミチェータが抗議するように頬を寄せてくる。

 彼女は何も言わない。だが言いたい事は分かる。


 恨むかよ。あの二人が俺を愛していた事など、手に取る様に分かるわ。


 「……そして俺は、惰弱な男だ」




 ヘイゼルは命令を待っていた部下達に出発を指示した。今後オルカスにて新体制を発足する基幹となる者達だ。


 ヘイゼルはジッと奥歯を噛み締めて耐えていた。今は呑み干してみせる、どのような怒りも。

 我はヘイゼル、カイラルが長子、暗黒竜の末裔。

 我らはいつか必ず戻って来るぞ。父や母に報いる為に。



――


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