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エルフ妻の敵討ち  作者: 黒色粉末
1/9

シエラベルタ



 サイズルの地下遺跡から助け出された時、シエラベルタはとその子供達は灰を被り、朽ち掛けた祭壇に腰掛けたまま目を閉じていた。


 彼女の忠実なる従僕、ドリュアスのミチェータは呼び掛ける。


 「魔王陛下、崩御なさいました」


 シエラベルタは身じろぎしなかった。彼女達をくまなく汚す魔法の灰がその自由を奪っている。

 やがて、桜色の唇が震えて小さな声を発した。


 「水を掛けて」


 ミチェータは傍にあった銀の水差しを蔦の絡まる樹の手に取った。

 傾ければ無限に流れ出す不思議の水がシエラベルタ達の灰を押し流していく。

 灰が流されるほど、シエラベルタの身体は自由を取り戻していった。


 「優しい顔をしていても、物分かりの良い振りをしていても」

 「はい、シエラ様」

 「勝手よなぁ、魔王なんて物は」


 シエラベルタはミチェータに頭のてっぺんから水を掛けるように命じ、そっと泣いた。百年分くらいは泣いたと思う。

 多分誰にも気付かれずに済んだ。上手く行った。


 だからシエラベルタは、公式には一度も泣いたことが無い女と記録されている。



――



 「お前を俺の女にする」



 そう言ってカルナック大森林から盗み出されたのはおよそ百年前だ。

 シエラベルタが生きてきた中で恐らく最も興奮した事件だった。



 シエラベルタは世に言ういけ好かない長耳族、エルフが誇る五大氏族が一、ロー・マラータに生まれた。

 周囲には精霊と、穢れた地底の種族、後は人間達が満ちていた。カルナックの森の中だけがエルフの高潔な意志と守護神ミスの息吹で満たされている。


 ……と、教わりながら育った。お笑い草だ。


 エルフなぞ無駄に寿命が長いだけの高慢ちきな引き籠りだ。今ならばそれが分かる。


 兎に角シエラベルタはエルフ達の中でも特別な蒼き血を受け継いだ。

 聡明さと美貌があった。そこに強烈な克己心と冒険心まで持ち合わせていたのが問題だった。


 シエラベルタはある時穢れた地底の種族と取引し、彼らの魔法の洞穴を潜って大陸各地を見聞した。

 長い耳、白金の髪。通った鼻梁。問題と出会えば叩き潰して押し通ろうとする本人の気性もあり、酷く目立った。


 そんなシエラベルタを、遠く北の大地に君臨する一族、オルカスの長子が見初めた。


 「口ばかり達者な長耳の女め。高慢さ以外に何か一つでも取り柄があるのか?」


 縦に割れた瞳を持つオルカスの青年カイラルは、そう笑いながらシエラベルタを馬から蹴り落とした。


 馬から、蹴り落とした。


 信じられるか? 諸王ですら無碍に扱わぬエルフの高貴なる姫を、問答無用で!


 「クソ戯け! 私をそんじょそこらのか弱い女と同様だと考えたなら、そのツケを払わせてやるぞ!」


 シエラベルタは幼い頃からの従者や生来の強引さで舎弟に加えたエルフの若者達を率いてオルカス党首の館に夜襲を仕掛けた。石を投げるとかそんな低次元な話ではない。油を撒いて火を掛けた。


 散々大暴れした末に囚われの身となったが、何をどうすればそうなるのか、琴線に触れたらしい。

 半年、賓客としてオルカス領で持成され、シエラベルタは何時の間にかカイラルと、雪狼を共に狩猟する仲になっていた。



 「冷たいな、ここは」


 吹雪の中でオーク材の弓に弦を張りつつ、シエラベルタは言った。


 「長耳どもの豊かな森とは違うのだろうな」

 「ここは何もかもが邪悪だ。精霊神の生み出したもうた人族と、我等エルフ達への悪意が渦巻いている」

 「我が領地の者達に問い質したのか? 『私の事が嫌いなんだろう』と? 自意識過剰な女め」

 「そんな事をする物かよ。だが彼らの目を見れば分かる」

 「知った風な事を言うな」


 カイラルは一纏めにした長い黒髪を払って飛竜の首に跨った。

 強風に飛ばされないようウシャンカを深く被り直し、シエラベルタを呼ぶ。


 「シエラ」

 「馴れ馴れしいぞ、トカゲめ」

 「大物が見えた。今までに無い大きなスノーウルフが。奴を狩り、お前のコートを作ってやる」

 「食い殺されてしまえ。魔物の毛皮などカルナックに持って帰れるかよ」

 「ハハハッ!」


 結局シエラベルタは雪狼のコートをカルナックの大森林まで持って帰った。

 男が危険を顧みず戦って得たハンティングトロフィー、それで作られたコートだ。

 拒否出来る筈が無かった。


 父は、激怒していた。ように思う。シエラベルタが旅に出て戻ってくるたびに怒っていたから、彼女は父の怒っている顔しか思い出せず、憤怒と平素の見わけも付けられない。

 元々エルフは長命で感情の起伏が少ない。表情がどうのこうのと見分けが付く物ではない。


 シエラベルタは五大氏族が一、ビヨールのシスクとの婚姻を命じられ、軟禁された。

 別に不満は無かった。尊き血の女として覚悟は出来ていたし、シスクの事は嫌いではなかった。人族を見下す所は気に食わないが、同胞に対しては誠実だし、仲間を守る為に傷つく事を厭わなかった。


 だが奴は現れた。夜の帳、エルフの森の間隙を突いて。

 溶岩でも溶かせぬ竜鱗の鎧を着込み、縦に割れた黄金の瞳を爛々と輝かせ、

 かつて五つの世界を支配したと謳う暗黒竜の末裔を名乗る、オルカスのカイラルが。


 扉を蹴破って現れたカイラルの平然とした顔、今でも忘れられぬ。


 「嫁を取れと言われた。お前以外に居ない」

 「…………間抜けか、お前。精霊神はおろかどんな神も、このような暴虐お許しにならないぞ」

 「この婚姻を神が、或いは世界の誰もが許さぬとしたら見ているが良い。俺の野望のついでに、全てを黙らせやる」

 「野望……?」


 飛竜の背、冷たい風を浴び、熱い血潮をうねらせた男に抱きすくめられながら、シエラベルタは実を言うとほんの少しだけ、陶酔していた。




 シエラベルタはエルフ。カイラルは竜人。共に長命の種族だ。

 そういう種族の特徴なのか、こうと決めたら頑固で、一度嫌ったら中々許さない。そして全く以て素直でない。


 初めは拒絶したし剣と魔法で決闘した事もある。第一子を成すまで六十年掛かった。そしてその間に途轍もなく様々な出来事があった。


 北の大地は邪悪な魔物達を従え、戦う為に軍を発した。


 「俺は凍土に押し込められ、嘲笑われるだけの男ではない」


 シエラベルタとの婚姻と同時にオルカスを継承したカイラルは咆えた。


 邪竜、吹雪の主、殺戮者、……そして魔王。

 魔王カイラル。彼は多種多様な種族の諸王を討伐、或いは懐柔し、瞬く間に勢力を糾合した。

 南下する吹雪の軍勢に何もかも飲み込まれていく。


 百年戦争の始まりだ。人類は暗黒の時代を迎えた。


 この広き大陸の半分を手中に収めるまで六十年。

 そして人類種を根絶せんと望む所まで四十年。


 百年の間にシエラベルタの岩の如き意地もほどけていた。長子誕生から四十年後、双子を設ける。


 そしてそれとほぼ同時期だった。

 精霊神によって魔王カイラルを討つべく勇者が見出されたのは。



 百年戦争は、魔王カイラルの討伐によって終わりを迎えた。



――



 荒れ果てた玉座の間にシエラベルタは居た。


 砕けた床と穴の開いた壁。ノームに作らせたステンドグラスなど木っ端微塵になって吹雪が吹き込んでいる。


 乾いた血痕と何かの肉片。焦げた絨毯に溶けた金細工。

 どうやらカイラルは戦いの最中己が竜の本性を開放し、炎のブレスを使ったようだ。


 戦いの名残。じんと冷えた身体に力を込め、シエラベルタは耐えた。


 ぎち、と音を鳴らして歯を食い縛る。拳を握り、両肩を張る。



 ――鳴るな、歯の根。震えるな、肩よ。



 「生き残った者は?」

 「散じました。多くは故郷に落ち延びた物と」

 「あのバカの亡骸は?」

 「…………灰になって風に。剣のみ陛下を弑した証として勇者が持ち去りました」


 ミチェータは跪いたまま答える。

 ドリュアスの彼女にこの凍える風は堪えるだろう。シエラベルタは退室を命じた。


 「死んだかよ、カイラル」


 覚悟はしていた。カイラルは己の敗北が避けられぬものと予見していた。


 だからシエラベルタと子供達をサイズルの地下遺跡に閉じ込めたのだ。戦いに巻き込まない様に。


 全く自分勝手で、こちらの気持ちなど全く考えていない。

 百年前から、そう、ずっと。


 「――――バカがァァァー!」


 玉座を蹴っ飛ばした。怒りが爆ぜる。荒れ狂う魔力の渦がシエラベルタから巻き起こる。

 それは吹雪を飲み込んで城の隅々まで広がっていく。

 天空の雲、木々、野の魔物達、全てを薙ぎ払った。


 シエラベルタは膝を突いて心臓を押えていた。


 「カイラル! お前の望む通りになんてしてやらぬ! 我は魔王の妻! 長耳の大淫婦!」


 ミチェータが慌ててやってくる。彼女は心臓の激痛に喘ぐシエラベルタに駆け寄ろうとして、再び起こった魔力の衝撃に吹き飛ばされた。


 「我はシエラベルタ! 我はシエラベルタ!」


 百年戦争は終わった。

 そして新たな波が、新たな憎しみを携えて、北の吹雪と共に押し寄せる。



――



 猛虎シュライクは今や敗軍の将となった。


 彼は虎人。二足で立つ虎である。牙と爪は鋭く、屈強優美な肉体を誇る。


 しかし自慢の尻尾は拷問によって切り落とされ、左目も潰された。

 敗者の末路とは言え、自嘲を堪えられぬ有様だった。


 「魔王麾下、最精鋭を擁し、諸国を席巻した白き虎も、こうなっては哀れな物」


 護送中、鉄牢の馬車に乗せられたシュライクは侮辱の言葉を投げかけて来た人間を睨む。


 彼は駄馬に跨りかっぽかっぽと歩を進める。馬車を取り囲む兵士達とは毛色が違った。


 「どうした? 言葉すらも忘れたか?」

 「……敗者は語らず」

 「潔い姿だ。感銘すら覚える」


 しかし死んだ気になられては困る。


 途端、その人間の姿がぐにゃりと溶けた。

 肉色の塊が再構築され、シュライクも見知った蝙蝠男の姿になる。


 「貴様、クノーノス!」

 「しゃぁッ!」


 名誉ある吸血鬼クノーノスは腕を一振りした。

 周囲にいた兵士達は状況を飲み込む前に首を胴から切り離された


 黒き仕手クノーノス、血塗れクノーノス、技の冴えには一片の曇りも無い。


 「シュライク、この恥さらしめ! おめおめと虜囚の辱めを受けるとは何事だ!」

 「クノーノス、何をしに来た! もう何もかも遅いのだ!」


 後続の兵が鏑矢を打ち上げる。甲高い音がこだまする。


 異常を察した増援が次々と現れるだろう。たかが雑兵、物の数ではないが、人族など殺しても殺してもきりが無い。


 「陛下は死んだ。我らの負けだ」

 「貴様の死に様を決めるのは、残念だが貴様ではないんだよ」


 クノーノスは鉄牢を力尽くにへし曲げる。

 そしてシュライクの腕を縛っていた聖銀の鎖を掴んだ。


 「ぬぁぁ……!」


 それは魔物にとって毒だ。比較的人間に近い獣人のシュライクなら力を奪われるだけで済むが、夜の一族であるクノーノスには致命的だ。

 掴んだ両手があっという間に焼け爛れるも、クノーノスは構いはしなかった。

 彼は聖銀の鎖を引き千切り、ぐしゃぐしゃになった両手でシュライクを抱える。


 そのまま鉄牢の外に放り出す。馬車の行く道は切り立った崖の上にあり、シュライクは谷底に向けて真っ逆さま。


 そしてそれを、飛竜が受け止めた。跨るは白金の御髪に長い耳。

 シエラベルタである。


 「久しいなシュライク。暫く見ぬ間に男ぶりを上げたではないか」

 「奥方殿か!」

 「捕まれ、揺れるぞっ」


 シュライクは飛竜の背の鱗を掴んで身を縮こまらせる。

 忽ち二人を強風が襲い、そしてあっという間に飛竜は雲の上へと躍り出た。


 後を追って翼を生やしたクノーノスが現れる。彼は太陽の光を克服した猛者でもある。


 「奥方殿よ、今になって無能な部下を処断しに来たか」

 「シュライク、貴様の皮肉を聞きに来た訳ではない。

  まだ戦えるな?」

 「俺は」


 ぎろり、とシエラベルタの目がシュライクを睨む。


 シュライクはこの目が苦手だった。

 遥か昔、シュライクがカイラルへの謁見を前に緊張で縮こまっていた時、シエラベルタは「虎でなく、まるで猫のようではないか」と言ってシュライクを罵った。

 その時からシュライクはこの目が苦手だ。


 「猫か貴様は! シュライク、カイラルは己の死を予見していた! 勇者は強かった! 馬鹿め!」

 「我等、弱き故に」

 「それで貴様はいじけているのか! ド戯け、逸物を引き千切るぞ!」

 「クカカッ」


 シュライクは笑いながらも平伏するしかない。


 「長耳の奥方殿よ、戦いを続けるつもりか」

 「貴様はそうではないのか?」

 「陛下は敗れた。最強の男が。俺達の竜が。女にこの意味は分かるまい」

 「誰が野暮ったい詩を詠めと言ったか」


 私は百年カイラルの妻であった。貴様らは百年もあって、私の事を何も学ばなかったのか?


 強風が吹き付ける。飛竜は只管高く飛んでいる。


 この方は、まだ戦う気でいる。エルフでありながら魔王の妻となり、我らと共に穢れた地を統治なされた変わり種。


 なんという事だ。これまで見た魔王軍のどんな戦士よりも、この方は勇ましい。


 「…………お許しいただけるならば」

 「言ってみよ」

 「臣にもう一度、戦って死ぬ機会を賜りますよう……」


 シュライクは最後に残された闘志をこのエルフに懸けた。両目から情けなくも涙が溢れ、それを見たクノーノスは鼻で笑った。


 小癪な虎人が見栄も外聞も無く泣いている。これを見られただけでも両手の分の価値はあった。



――


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