第七話「新しい自分」
「またこれか……」
帰宅した俺はポストの中を見てゲンナリする。入っているのは”グループ面接必勝講座”、”就活強者のテクニック”などと安い謳い文句の書かれた紙切れたち。
一応就活生である俺の家には、毎日こんなチラシが届く。はっきり言ってウザい。
俺はそんな紙切れをくしゃくしゃに丸め、少し苛立ちながらアパートのドアに鍵を挿す。
もう二度と帰ってこないと思っていたのに、またこうして帰ってくることになるとはね。
「ただいま」
俺は一人暮らしで、誰が居るわけでもない。しかし、なんとなくその言葉が毎回出る。
「……」
部屋に入って真っ先に目に入ったのは、机の上に置かれた白い封筒。
これは所謂、俺の”遺書”だ。
中には白紙の紙が入っている。何か書こうと思ったが、結局何も書くことが思いつかなかったからだ。
別に何か思いを伝えたい相手がいるわけでもないし。ボッチの俺には白紙がお似合いなのかもしれない。
「これも、もういらないな」
俺はその封筒を取り、丸めたチラシと一緒にゴミ箱へ投げ込む。
今までの俺には、さようならだ。
今の俺には目的がある。異世界に行くという大きな目的が。
何の意味も無く漠然と生きていた俺はもういない。
「それにしても、パーティーメンバー集め、ねぇ……」
ベッドに身を投げ、雨崎から受け取った紙を広げる。そして、そこに書かれた名前をもう一度眺める。
『詩由原 曖』
上寄町第一高等学校1年C組
『見木沢 闘治』
上寄町第一高等学校3年D組
『麗条 紗璃花』
上寄町中央病院C棟508病室
『智瀬 優』
上寄町東第二小学校3年2組
「知らない奴らだな」
まぁ当然かもしれない。俺の交友関係なんて完全にゼロなわけだから。しかし少なくとも、見聞きしたことのある名前は一つもない。全くの赤の他人だ。
「一高か…」
それよりも、俺が気になったのは書かれている学校の名前だ。『上寄町第一高等学校』、通称『一高』。
ここは俺の卒業した高校だ。つまり、ここに書かれている二名は俺の後輩ってことになる。
「なんだかなぁ……」
正直言って、あまり良い気はしない。俺の高校の思い出といったら、常に一人ぼっちだった記憶しかない。良い思い出なんて全くない。
それだけじゃない。一高の評判はあまり芳しくない。
と言うのは、一高では"いじめ"や"暴行"などの問題が何故か他校より多く、不登校や鬱になる学生の数が多いらしい。
そんな場所にまた行かなくちゃいけないのかと思うと憂鬱だ。
「それに、中央病院C棟だって?」
『上寄町中央病院』はこの町で一番大きな病院だ。医者の腕も良いと評判だけど、C棟っていうのが引っかかる。
中央病院には三つの棟があって、ABCとそれぞれ名前がついている。A棟は緊急性の低い患者を診る場所になっていて、風邪とか軽度の怪我の時に行く所だ。
一方で、B棟は緊急性の高い場合に搬送される場所だ。手術や入院が必要な場合の施設だ。集中治療室もここにあったはずだ。
そして問題なのがC棟。ここは色々な噂が流れている。”医者が見放した患者の行く所”だとか、”非合法な治療が行われている”だとか。
まぁ、あくまで噂だし、本当にそんな場所だったら問題になるはずだ。だからそこまで気にしなくていいとは思う。
「東第二小学校……これもなぁ」
そして最後が『上寄町東第二小学校』。ここも良い噂を聞かない。
一高と同じく問題が多発している学校ってのは知っている。しかしそれ以上詳しいことはわからない。
「なんか嫌な感じだな……」
一高、中央病院C棟、東第二小学校、と見事にこの町で悪い噂が流れている場所ばかりだ。これは偶然なのか?
雨崎の言っていた言葉も気になる。
”ああそれと。彼らも貴方と同様に負の感情が強い者たちです。接触には慎重になることをおススメしますよ”
負の感情が強い、つまり何か悩みを抱えているということだろうか?
「ここに書いてあるのは、そういう奴らなのか?」
まぁさっきまで屋上から飛び降りようとしていた俺が言うなって話だが。
やれやれ、なんだか面倒なことになりそうだ。しかし諦めるわけにはいかない。俺は異世界へ行くんだ。この課題をクリアして必ず異世界へ行ってみせる。メンバー集めだってなんだってやってやるさ。
「一週間しかないからな。早速明日から動き始めよう」
そう、雨崎が俺に与えた時間はたったの一週間。こんな短い時間で5人を説得し、メンバーにしなければならない。悠長にしている時間はない。
俺はポケットに入っている携帯を取り出し、地図アプリを起動する。続けて検索欄に『上寄町』と入力する。
表示されたのは俺が住むこの町、上寄町の全体像。上寄町は中央を流れる川で東西に分かれていて、東側が海、西側が山に面している。隣り町に行くためには、この山を越える必要がある。
海岸沿いは工場や研究所などが立ち並んでいるため、東区は工業的な色が強い。一方で西区の中心部はオフィスや高層ビルが立ち並ぶ商業地区で、山側へ行くほど住宅が多くなる。人口は50万人と、そこそこ大きな都市だ。
そんな地図上で、西区の中心部から少し離れた位置に小さな赤点が表示されている。ここが現在地、つまり俺のアパートだ。
続けて俺は『上寄町 一高』と入力する。すると現在地のすぐ近くに別の赤点が表示される。ここが俺の母校である上寄町第一高等学校で、俺の家からは徒歩15分程度の距離だ。
わざわざ確認するほどでもなかったが、念のために、というやつだ。
次に『上寄町 中央病院』と打ち込む。今度は西区の中心部に赤点が表示される。その名の通り、西区の中央に位置する大きな総合病院だ。ここからは電車で4駅ほど離れている。
なるほど、行き方は大体わかった。迷うことはなさそうだ。
そして最後に『上寄町 東第二小学校』と入力する。今度はさらに離れた東区に赤点が表示される。
「結構遠いな。というか、これ百人墓地の近くじゃないか?」
東区で有名な場所の一つに『百人墓地』というものがある。百人墓地というのは通称で、正しくは『上寄海岸霊園』だ。これは俺がまだ小さいころ、正確には17年前に起きた事故の死者を埋葬している場所だ。
聞いた話では、何かの研究所で大規模な爆発が起きたらしく、そこに働いていた人や近隣の人が大勢亡くなったのだそうだ。
その弔いとして跡地が霊園となっており、中央には慰霊碑などが建てられている。
その霊園のかなり近い場所に赤点が表示されている。俺も良く知らなかったが、この東第二小学校というのは百人墓地のすぐ側にあるようだ。
ぱっと見、難しい場所にあるわけでもない。電車を使えば簡単に行けそうだ。
「オーケイ。ここも迷わずに行ける」
一通り全ての場所を確認した俺は、ベッドで仰向けになる。そして白い天井と蛍光灯の明かりをボーっと見つめる。
思い起こすのは、ビルの屋上から飛び降りようとする自分。そこに現れたのは、黒いコートを羽織った雨崎という男。
滑り落ちた瞬間、走馬灯が駆け巡る。このまま死ぬんだと悟った時、雨崎の手が自分を掴んだ。
当然のように空中に浮かぶ雨崎。渡してきたのは『深血水』とかいう怪しい液体。
それによって俺は『ゴースト』というステルス能力に目覚めたらしいが、実感は無い。
「まるで現実感がない一日だったな」
今日は信じられないような出来事が連発した。何よりも、一度は死を覚悟した俺が、またこうして自宅で寝ることになるとは。
あのまま落ちていたらそうなっていたんだろう?そう考えると肝が冷える。
それに全て現実のことだったんだろうか?本当に起こったことなんだろうか?あまりに非現実的すぎて、今思うと自信がなくなってくる。
しかし考えたところで仕方がない。俺は異世界に行く、今はそのことだけを考えればいいんだ。
まずは明日、一高へ潜入してリストに書いてある二人を探してみよう。
そう確認した俺は、眠気に従ってゆっくりと瞼を閉じる。
「……おやすみ」
俺はその言葉を呟き、長く感じた一日に別れを告げた。