第五話「その味は」
目的もなく、ただ漠然と孤独に生きる……。
そんな毎日から抜け出したい!
だから俺は、この『深血水』とかいう怪しい液体を飲むと決心したんだ。
容器を傾けると、重力に従って中の液体が口の中へ流れる。べたつくような感触が喉を伝う。少し粘性があるようだ。
味は何とも言えない。果物のような淡い甘味に加え、うっすらと鉄のような味がした。決して美味しくはないが、吐くほどでもない。
俺は一気に飲み干す。変なものが入っていたといても、もう引き返せない。
だけど一度は死を覚悟した身だ。構うもんか!
毒を食らわばなんとやらってやつだ。
「ほお、一気にいきましたね」
雨崎が感心したような声を上げた。それは無視して、俺は空いた容器を突き出す。
「ほら、これでいいだろ」
「ええ。問題ありません。すでに能力が発現したはずですよ」
雨崎は笑顔で容器を受け取り、コートの内ポケットへと仕舞う。相変わらず作ったような笑みを浮かべ、感情が読めない。
こんな怪しい男から渡されたもの、本当に飲んで良かったのか?
ここにきて再度不安が沸き上がってきたけど、後の祭りだ。もうこいつを信じるしかない。
「どうですか?何か感じませんか?」
手を広げて様子を伺ってくる雨崎。いちいち芝居じみた動作をするヤツだな、ほんとに。
「別になんともないけど」
飲んでから、特に体に違和感を感じたりはしていない。本当にただの変な味の水を飲んだだけって感じだ。
念のために自分の体を見回すが、何も変化はない。やっぱり嘘っぱちだったのか?
こういう場合、体に電撃みたいな衝撃を感じたり、突然頭が痛くなったりっていうのがお決まりなんじゃないのか?
なんというか、ちょっと期待外れだ。
「そうですか。まぁ濃度にもよりますし、何より個人差が大きいですからね。ですが間違いなく力は発現していますよ」
断定するように言い切る雨崎。
「ふーん。じゃあ、その発現したっていう俺の能力は何なのさ?」
疑いの視線を向けてみたが、動じる様子は見せなかった。
一見、嘘を言っているようには見えない。
「それは私にもまだわかりません。実際に使って頂くのが早いですね」
使うだって?俺には能力に目覚めた実感すらないぞ。
それなのに使えって言われても、何をどうすればいいのかさっぱりだ。
呪文でも詠唱すればいいってのか?
「どうやって使えばいいんだよ?」
苛立ちを露わにして問い詰める俺に対し、雨崎は余裕の笑みを見せる。
「ご心配なく。何も難しいことありませんよ。能力の行使には、『起動因子』と呼ばれる行為をすればいいのです」
「起動因子?何だよそれ」
「行動だったり、イメージだったり、何らかの象徴的な行為です。例えば、目を閉じるという行動だったり、頭の中で何かを想像したり。人によって色々です」
雨崎は事も無げに言うが、俺には何がその起動因子というものなのかわからない。
まさか本当に呪文を詠唱しなきゃいけないわけじゃないよな?
「そんなこと言われたって、何がその起動因子ってやつなのかわからないよ」
「自分自身に聞いてみてください。何をすれば力が発動すると感じますか?直感的にわかるはずですよ」
またしても当然のごとく言い切る雨崎。
直感的にわかるだって?全くピンと来ないぞ?
何をすれば力が発動すると感じるか……
「……」
言われた通り、俺は自分自身に問いかける。
何をすれば力が発動する?
「……痛み」
俺の口から出たのはその言葉だった。
別に確信を持って言ったわけじゃない。ただ、何となく自然に口から出たのがそれだった。
「ふむ、なるほど。痛みの起動因子ですか」
俺の呟きを聞いた雨崎は納得したように頷き、袖から何かを抜き出すようにして取り出した。
「貴方には、これをお渡しします。どう使うかはお任せします」
差し出してきたのは銀色の小さなナイフ。どこにでもあるようなシンプルなものだ。夜景の光を受けて鈍く反射している。
「……」
俺は無言でそれを受け取る。手に触れた瞬間、妙に冷たく感じた。
無機質なそれは、"後はどうすればいいのかわかるよな?"と俺に問いかけてくるように感じた。
俺は右手でナイフの柄を握り、刃を左手の手のひらに当てる。
そこで俺は固まる。
軽くとはいっても、さすがに自分で自分の手を切るのは気が引ける。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
今更なにを怖気づいているんだ。
俺はもう、後戻りする気なんてない。
覚悟を決めた俺はナイフを下へ引き抜く。
「……っく」
左手にスッと赤い線が走り、ナイフには僅かに血が付着している。
かなり浅く切ったつもりだったが、それでも多少は血が出ていた。
遅れて、手に鋭利な痛みを感じた。
その瞬間──
「お?」
体の中心から全身に痺れのようなものが広がるのを感じた。例えるなら、鳥肌が全身に走るような感じだった。
これが能力が発動したってことなのか?
そう思って自分の体を見るが、何も変化はない。手から火を放ったり、空を飛べるわけでもない。
いたって普通だ。
何だよ、期待させやがって。
「おい、あんた。何にも起きないぞ?」
俺は雨崎に非難の視線を向ける。
当然だ。自分の手を切るなんて痛い思いしたのに、何の成果も得られなかったんだ。
痛み損もいいとこだ。
思いっきり雨崎を睨むが、何の反応も返ってこない。
「おい!聞いてんのかよ?無視か?」
無視するとはいい度胸だ。俺は声を荒げて怒鳴りつける。
しかし、それでも反応はない。
不審に思って雨崎の様子をよく見ると、その顔からはあの変な笑みが消えていた。
代わりに眉を歪ませ、どこか焦っているようにも見える。それは初めて見せる表情だった。
へー。コイツでもこんな顔するんだな。
というか、どこ見てるんだ?微妙に視線が合ってないぞ?
「おい、どうしたんだよ?」
再度問いかけてみるが、依然として何の反応も見せない。
仕方ないので近づいて顔でも叩いてやろうかと思ったその時──
「……ツカサさん。もし聞こえているのでしたら能力を停止してもらえますか。止める時は、心の中で止めようと思うだけで停止しますので」
雨崎は辺りを見回しながら声を出した。
何してんだ?俺は目の前にいるだろ。
というか、俺は能力なんて使ってないと思うんだが。
それに、何で俺の名前知っているんだ?名乗ったっけ?
まぁ、どうでもいいか。
「はいはい。止めようと思えばいいのね」
能力を使っている実感はなかったが、俺は教えられた通りにした。
すると、先ほどまで別の場所を見ていた雨崎の視線が俺に向いた。
「っ!?」
雨崎は目を見開いて驚きを露わにする。
「……なるほど」
しかしそれは一瞬で、すぐにさっきまでの人を馬鹿にしたような笑みを浮かべた。その表情を見たらさすがにムカついてきた。
「何が、”なるほど”、だよ!よくも無視してくれたなおい!」
「いえいえ、違いますよ。私は無視していたのではありません。貴方の能力のせいですよ」
叫ぶ俺とは対照的に、雨崎は落ち着いた口調だ。あの焦った表情が嘘のようだ。
「俺の能力?」
「ええ。とても強力な力でしたよ。正直申し上げて、私の予想を上回っていました」
そう言われても俺は能力を使った気がしていない。
確かにナイフで手を切った瞬間、何か変な感覚があった。
でも、それ以外は何も無かった。雨崎みたいに空を飛べるようになるのかと思ってたけど、違ってた。
ガッカリだよ。それなのに強力な能力だったって?
やっぱり俺をからかってるんじゃないか?
「へー。じゃあ、その能力ってのは何だったんだよ?」
俺は苛立ちを隠さずに尋ねる。しかし、雨崎は態度を変えない。
それどころか、次に返してきたのは俺の予想外の言葉だった。
「貴方の能力は"気配の完全遮断"ですよ」
そう言って雨崎はニヤリと笑みを見せた。