第三話「異世界へのお誘い」
雨崎は空中に浮かびながら、片手で俺の腕を掴んでいる。空いたもう片方の手ではテンガロンハットを押さえ平然とした表情だ。
「ああ、これですか。ただの浮遊魔術ですよ」
浮遊魔術?と疑問に思った時、雨崎の体が上昇を始める。当然ながら片手を掴まれている俺も上へ向かって引っ張られる。
「痛い痛い!」
片腕に全体重がかかるわけだから、そりゃ痛い。思わず叫んでしまったが、雨崎は止まらずそのまま上昇を続ける。
そして屋上に戻ったところで雨崎は手を離した。腕を開放された俺は無事に屋上へ降り立つことができた。続けて雨崎も屋上へゆっくりと着地する。
「俺、生きてるんだよな……」
生きている。その事実が不思議に感じられた。
自分の体を見回すが、どこも問題はない。もしあのまま地面に落下していれば、こんな五体満足ではいられなかっただろう。そう考えると肝が冷えた。
飛び降りる直前までは何も怖くないと思っていた。しかし、死の一歩手前まで行って帰ってきた今、俺はなんて恐ろしいことをしていたのか実感した。
引っ張られた腕の痛みが、とても鮮明に感じられる。生きているからこその痛み。俺は……まだ生きているんだな。
「大丈夫ですか?」
腕を押さえていると、雨崎が俺の顔を覗き込んできた。真っ黒な瞳に真っ黒な髪。服装も合わせて全身が真っ黒だ。まるで死神だな。
だけど、俺はコイツに助けられたんだ。死神どころか、俺にとっては命の恩人だ。
「ああ。一応、助けてくれたことには礼を言うよ」
「いえいえ、お気になさらず。今死なれては私も困りますので」
そう言って雨崎は口を歪めて笑みを見せる。正直、見ていて心地良い笑顔ではない。どこか裏を感じるような笑みだ。やはり死神という方がしっくりくる。
「先ほどのは浮遊魔術と言うものでしてね。私の世界では割とメジャーなものです。これで異世界から来たということは納得して頂けましたか?」
表情を変えずに問いかけてくる雨崎。その言葉に、俺はさっきの光景を思い起こす。
何もない空中に浮き、重力に逆らって上昇する雨崎。助けられた俺にしてみれば、本当に浮遊魔術というものを使ったとしか思えなかった。
「……そうだな」
こんな人間離れしたことをやってのけたんだ。異世界から来たと言われても今は馬鹿にできない。
「それは何よりです。ではご理解いただけたところで、本題に移りましょうか」
「本題?」
「ええ。あなたにはコチラの世界に来て頂きたいのですよ。先ほども言いましたが、我々協会は戦力になる方を探していましてね。貴方にはぜひ協力して頂きたいのです」
雨崎は俺の目を真っ直ぐに見つめる。表情こそ変な笑みを浮かべているが、その瞳は真剣に感じられた。
だけど要領を得ない。仮に本当のことを言っているとして、その協会とやらは何で俺なんかをスカウトしに来たんだ?
自分で言うのもなんだが、俺なんか何の戦力にもならないと思う。筋トレはしていると言っても所詮は趣味レベル。本気で鍛えている人には敵わないだろう。
それに友人もゼロ人の俺だ。人脈なんて無いに等しい。そんな俺が一体何の戦力になるって言うんだ?
「その顔は、"何で俺なんかを"、と言いたそうですね」
図星を突かれた俺は言葉を返せない。そんな様子を見てか、雨崎は短く笑う。
何かむかつくな……。
「ハハハ、どうやら当ててしまったようですね」
「わかってるんだったら答えろよ」
この雨崎という男の態度はどこか人を馬鹿にしたような印象を受ける。そんな態度に俺は苛立った口調を返す。
「失礼。理由は単純です。我々は『深血水』というものを使って、深層意識に根付いた負の感情を力に変えることができるのです。つまり、心の闇が深い方ほど、強い力を発現するというわけです」
「負の感情を力に変える?」
「ええ、まぁ百聞は一見にしかずとも言いますので、実際に見て頂いた方が早いですね」
その言葉と同時に、雨崎はコートの内ポケットから何かを取り出した。
「これが深血水です。飲めば力を発現します」
その手に握られているのは銀色の小さな容器。見た目はウイスキーなどを携帯するスキットルボトルに似ている。
「とりあえずお渡ししますね。そこそこ貴重なものなので無くさないでくださいね」
雨崎は俺に歩み寄り、その深血水とやらが入っている容器を差し出した。一瞬迷ったが、俺は手を伸ばしてそれを受け取る。容器は鉄のように冷たく、妙な重さを感じた。
つい受け取ってしまったが、貰ってよかったんだろうか?すこし嫌な感じがする。
「協会の方針で、異世界──つまり我々の住む世界へ向かう場合には必ずそれを飲んで頂きます。そして貴方と同じ様に心に闇を持つ者と、『パーティー』を組んで頂く必要があります」
「パーティー?」
「そうです。要は仲間を作って頂きます。我々協会としてはなるべく戦力を充実させたいのですよ。戦うなら一人よりも多人数の方が良いでしょう?」
「……」
俺は手の中の容器を見つめながら考える。仲間とパーティーを組んで異世界へ行く。それは正に俺が読んでいた本の主人公のような状況だ。
この世界ではない別の世界。そんなものが本当に存在するなら見てみたい。それに、もし本当に仲間ができるのならば、今の俺は迷わずに行くと答えるだろう。
しかし、そんな上手い話があるんだろうか?俺には今まで仲間なんて存在は一人もいなかった。そんな俺に、本当に仲間なんてできるんだろうか?
色々とわからないことだらけだ。さっきから戦力がどうのって言っているが、一体何と戦っているんだ?とんでもない化け物と戦わされる羽目になったりしたら最悪だ。
「その異世界──あんたらの世界に行ったとして、俺は何をすればいいんだ?何かと戦うのか?」
「場合によってはそうですね」
曖昧な答えに、俺は眉をひそめる。いちいち回りくどい言い方をするなコイツは。
「どういう意味だよ」
「ふむ、私の世界についてお話しする必要があるようですね」
雨崎は顎に手を当て沈黙する。そして頭の中で考えをまとめたのか、再度口を開く。
そして語られる内容は、全く別の世界の話だった。