第十五話「暗い家」
俺の『完全ステルス能力』。これは非常に便利なもので、発動中は誰にも気づかれない。
最初は使えない能力だと思っていたが、段々とこの力の汎用性に気付いてきた。実は色々な状況で使うことができる優れモノだ。
例えば、誰かを尾行する場合だ。この能力を使えば絶対に気付かれない無敵の追跡者になれる。そう、まさに今の俺のように。
「探偵にでも就職するかな」
俺は智瀬優の後を追いながらそんなことを呟いた。
学校で智瀬を見つけた後、俺は一度学外へ出ていた。能力の持続時間がわからないからだ。小学校の中でステルスが解けてしまった場合、間違いなく不審者扱いされるからな。
そんな訳で、一度学校の外へ向かった。その足で試しに近場の飲食店に入ってみたところ、”いらっしゃいませ”という店員の声が飛んできた。つまり、能力が切れていたってわけだ。
この結果から、能力の持続時間は30分程度ってことがわかった。ただ、起動因子である痛みの度合によって持続時間が変わる可能性もある。今回は薄く指の皮を切る程度だったから、30分しかもたなかったのかもしれない。要検証だな。
「てか、なんて話しかければいいのかねぇ……」
智瀬の小さな後姿を見つめつつ、ため息を吐く。
能力の確認を済ませた俺は再度小学校へ向かい、授業が終わるのを待っていた。それは帰宅する智瀬を尾行するためだ。
なぜこんなストーカーまがいなことをしてるかと言えば、理由は単純。”何て話しかければ良いかわからないから”、だ。
相手は小学三年生の子供だ。そんな子供を説得して異世界へ行くメンバーへ引き入れる方法なんて知るわけがない。何て言えばいいか見当もつかない。
第一、話しかける場所を考えないと通報されかねない。小三の子供に”異世界へ行こう”なんて話かけてる奴がいたら誰だって迷わず通報するだろう。
つまりはタイミングだ。話かけるタイミングを見極めないといけない。そのためにこうして様子を伺っているわけだが、一向にチャンスは訪れない。
そうこうしている内に住宅地に突入する。しばらく歩いた後、智瀬はとある家の前で立ち止まる。どこにでもあるような一軒家だ。
そして鍵を開けて中に入っていく。ここが彼女の家なのだろう。表札を見れば『智瀬』の文字が書かれている。
「ただいま帰りました」
妙に礼儀正しい声を上げる智瀬。自分の家に入るにしては余所余所しい。それに表情が強張ったようにも見えた。
「どうしたもんかな」
俺は家の前で腕を組む。下校中なら話しかけるチャンスがあるかと思っていたが、その予想は甘かったようだ。
このまま家に侵入するか? いや、それはダメだな。警戒されてしまう。怪しまれない状況で話しかけなければ。
となれば、セールスか何かの振りをして訪問するというのはどうだろうか。これなら普通に話しかけられるかもしれない。しかし、セールスと聞いて断られるかもしれないし、親が出てきたら彼女と話すことはできない。どうしたものか──。
と、考えを巡らせていた時、目の前の家から大きな音が響いた。何かが割れたような鋭い音だ。
加えて人の怒声のようなものまで聞こえてきた。
「何だ?」
視線を窓に向けるが、カーテンが掛かっており中の様子は見えない。しかし明らかに異常な音だ。今も怒声のような音が断続的に聞こえてくる。間違いなく、智瀬の家の中で何かが起きている。
その時頭に過ったのは、智瀬に何かあったのではないかという予感だ。俺がこれまで会ったメンバーたちは全員、何らかの問題を抱えていた。ということは、この智瀬にだって何かあるはずだ。
学校の様子では友人たちと仲良くやっていて、特にトラブルは見当たらなかった。つまり、”学校では”問題がないということだ。ということは──。
その考えに行きついた瞬間、俺はステルスを解除してインターホンを押していた。
「すいません。今すごい音が聞こえたんですが、大丈夫ですか?」
反応はない。しかし、インターホン越しに何か息を呑むような気配を感じた。先ほどまで響いていた音も止んだ。やはり何かがおかしい。
「あの、聞こえてます?」
少し口調を強めたが、変わらず反応は返ってこない。さらに声を上げようとした時、玄関の鍵が開く音が聞こえた。
「何でしょうか?」
見れば、智瀬がドアを半開きにして顔だけ出している。インターホン越しに応えれば良いのだが、なぜわざわざ姿を見せて来たのだろうか。
「いや、さっき変な音が聞こえたから何かあったのかなと思って」
「何でもありません、大丈夫です」
智瀬はきっぱりと言い切った。黒い瞳を真っ直ぐに俺に向けている。小学校三年生にしてはしっかりとした受け答えだ。この対応だけ見れば確かに何もなかったのだろうと思えてくる。
しかし、俺は見逃さなかった。彼女の目端に小さな涙が浮かんでいるのを。彼女の体が僅かに震えているのを。
「そうか……。本当に何も無いんだな?」
僅かな沈黙。
「……はい」
智瀬は小さな声を出した。視線は下に向き、顔には暗い影が見え隠れしている。しっかりしていると言ってもまだ子供だ。必死に隠そうとしているが俺にはしっかりと伝わってきた。
どうやら俺の予感は正しかったようだ。この家の中で、彼女の身に何か起きている。
「わかった。突然すまなかったな」
そう言って俺はポケットの中のナイフを握る。その瞬間、能力が発動する。
「あれ?」
その証拠に智瀬は驚きの表情を見せ、ドアを開けて周囲を見回す。俺は目の前にいるわけだが、彼女が気づくことはない。
「消えちゃった……?」
混乱する智瀬。その隙に空いたドアから家の中へと侵入する。
「なんだこの家……」
玄関に入った俺が感じたのは不気味さだった。まだ明るい時間だと言うのに、家の中は薄暗い。カーテンを閉めている上に、電気も付けていないようだ。
周囲を観察していると、智瀬がドアを閉めて家の中に入ってきた。その時、奥から第三者の声が聞こえてきた。
「ねえ、さっきの奴はちゃんと帰したの?」
それは濁った声で、トーンが不安定だった。聞いているだけで嫌な気分になる。
「はい。帰ってもらいました」
智瀬は短く返事を返した。
「どっから答えてんだ! さっさとこっちに来なさい!」
「ごめんなさい」
怒声を聞いて慌てたように走り出す智瀬。俺もその後を追う。
辿り着いたのは居間。そこには中年の女性の姿があった。智瀬の母親だろうか。床には食器の破片が散らばっている。さっきの音はこれか。
「変なこと喋ってないでしょうね?」
高圧的な口調で問い詰める女性。その目つきは鋭く、自分の子供に向けるものではない。何かがおかしい。
「話してません」
智瀬が俯きながら答えた時、中年の女性は椅子から立ち上がる。
「だから声が小さいのよ!」
そして突然いきり立ったように叫び、智瀬に迫る。智瀬は小さく体を震わせる。
「ごめんなさい……」
「それが謝罪のつもりか!」
次の瞬間、俺は目の前の光景に唖然とした。
女性は智瀬の髪を乱暴に掴み上げ、空いた手で智瀬の小さな腹部を殴りつけた。
「……うう……ごめんなさい」
その場にうずくまり涙を浮かべる智瀬。女性はそんな智瀬の髪を再び掴み上げ、耳元で怒鳴り声を上げた。
「もっと腹から声出しなさいよ!」
さらに腹部に拳。智瀬の苦しそうな声が響く。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
再度うずくまった智瀬は小さく声を上げる。俺は目の前の凄惨な光景に茫然とする。
おいおい……何だよこれ。躾けとかいうレベルじゃないだろ……。酷い、こんなの子供をいたぶってるだけじゃないか。
「まだわからないか!」
そう言って女性は智瀬へ手を伸ばす。また殴るつもりなんだろう。
「やめろ」
気づけば、俺はその手を掴んでいた。