第十一話「病室の少女」
「いつ見てもでかい病院だな」
俺の目の前にそびえる大きな建物。上寄町の中央に位置する総合病院だ。懐かしの母校を訪れた──というより潜入したその足でやってきた。学校からは電車で20分ほどだったが、乗り換えも無く非常に楽だった。
さらに立地は駅から徒歩圏内であるため、苦労なく辿り着くことができた。白い壁が見上げる高さまで続いており、中央病院の名に恥じない大きさだ。この町で一番大きな病院なだけはある。
一番手前に見えるのがA棟。その奥がB棟、そして最奥にC棟が見える。用のあるのはC棟だ。俺は敷地の奥を目指して進む。
進むにつれ、雰囲気が変わるのを感じた。C棟だけが妙に新しく見える。外装はピカピカで、汚れ一つない真っ白な見た目だ。もちろんそれ自体は問題ないのだが、A棟やB棟に比べると奥に位置しているためか薄暗い。
新しい見た目に反し、人気も少なく薄暗い。そのコントラストがなんだか気味悪く感じる。
こうして実際に見てみると、C棟の悪い噂もあながち正しいのではないかと思えてくる。しかし、ここで引き返す選択はあり得ない。俺は入口を目指す。
自動ドアを通って中に入ると、受付と待合室になっていた。看護師がちらほらと行き交っている。とりあえず受け付けに向かう。
「こんにちは。診察希望の方ですか?」
「あ、いえ。ちょっと聞きたいことがありまして。麗条紗璃花って人は入院してますか?」
その名前を出した途端、受付の女性の表情が変わった。マスクをしているため口元はわからないが、目つきが細くなり、眉が歪んだ。
何かあるのだろうか。今の対応、少し気になるな。
「はい。こちらに入院されています。失礼ですが、お知り合いの方ですか?」
疑うような眼差しを向けてくる受付の女性。しまった、受付で確認するのは間違いだった。俺は麗条紗璃花って人とは何の接点もない。嘘をついても、身分の提示を求められたら終わりだ。
「いや、ただちょっと確認したかっただけなので……お忙しい所失礼しました」
受付の視線が険しくなったところで、耐えきれなくなった俺は逃げるようにして外へ出る。
「失策だったな……」
さて、どうしたものか。これで一気に入りづらくなったぞ。またあの受付に見られたら今度こそ不審者と思われるだろう。
全く接点のない男が女性の病室に面会に通してもらえるとは思えない。であれば、また学校の時のように侵入するしかない。しかも今回は学ラン姿のまま来てしまっている。忍び込むにしても目立ち過ぎだ。
「仕方ない」
俺はポケットから銀色の小型ナイフを取り出す。痛いのは嫌だが、痛みが起動因子なのだから仕方ない。俺はナイフで浅く指の皮を切る。じわっと血が出るのを確認した時、全身に電気のような衝撃が走るのを感じた。間違いない、能力が発動したのだ。
発動を実感した俺は再度病院の中へ入る。ステルス能力が発動しているとわかっていても緊張する。
「お~い。勝手に入らせてもらうぞ~」
試しにさっきの受付の目の前で手を振ってみる。しかし、女性は何の反応も見せない。どうやら本当に誰も俺に気づいていないようだ。
しかし、この能力はどのくらい継続するかわからない。急いだ方が良い。俺はエレベーターで5階を目指す。5階についたところで、俺は渡された紙を取り出す。
『麗条 紗璃花』
上寄町中央病院C棟508病室
雨崎のメモによれば、彼女の部屋は508号室だ。表示を確認しながら目的の部屋へ進む。
「だから、あたしのことは放っておいてっていってんのよ」
と、目的の部屋を見つけた時、怒鳴り声が聞こえてきた。若い女性のヒステリックな声だ。その声に思わずドキッとしたが、今の俺は誰にも気づかれない状態だ。自分の小心さに思わず苦笑いする。
どうやら何者かが病室で会話しているようだ。壁に耳を当てると、会話の内容が聞こえてきた。
「そんなこと言わないでちょうだい。お医者様もじきに良くなるっていってるわよ。きっと大丈夫」
「そんなの口だけでしょ? 本当に治るならとっくに治ってるはずじゃない」
若い女性と少し年を感じさせる女性の声。その内容と口調から穏やかな雰囲気でないことはわかる。
「それは……時間がかかるだけなのよ。治療を続ければきっと良くなるわ」
「そんな嘘はもうたくさん。出て行って」
「紗璃花、落ち着いて」
「いいから出て行ってよ」
その言葉を最後に会話が途切れた。間を空けず、部屋から着物を着た中年の女性が出てきた。整えた髪や仕草から品の良さを感じるが、心労が溜まっているためかその表情は暗く、老いて見える。俯いた瞳にはうっすらと涙も見えた。
先ほどの会話から、部屋にいるのは麗条紗璃花で間違いないだろう。とすると、この女性は彼女の母親だろうか。
それにしても、聞いてはいけないものを聞いた気分だ。なんだか入りずらい。しかし、そうも言ってられない。俺は女性と入れ違いになるようにして部屋に入った。
部屋の中は真っ白で、いかにも病室という感じだ。開け放たれた窓の外には街並みが見え、カーテンが風で揺れている。窓には花が飾られていて、机には果物なども置かれている。
そして隅に位置する白いベッド。その上に、女性が横になっていた。彼女が麗条紗璃花に違いない。
大きな目にスッと伸びる鼻。綺麗な人だと思った。良く見ればまだ幼さも残っており、10代後半といった感じに見える。
そして何よりも目を引くのが彼女の髪だ。炎のように真っ赤だ。赤い長髪が白いベッドにとても映えている。染めているのだろうか? いや、それにしては自然な光沢だ。薬の副作用で変色したといった感じだろうか?
あまりじろじろ見るのも申し訳ないが、綺麗な顔に加えその赤い髪がどうしても目を引く。布団を胸までかけて窓の外を眺める姿はとても絵になっている。しかし、表情は暗く、とても悲しそうに感じた。
「大丈夫か?」
その姿を見ていると、どうしても何か言わなければいけないような思いに駆り立てられた。気づけば、俺はステルス能力を解除して声をかけていた。
「え?」
ベッドの彼女は目を大きく広げ、俺に視線を向けた。その表情は驚愕一色に彩られている。それはそうだろう、いきなり誰もいない場所に男が現れたんだから。しかし他に良い方法も思いつかなかった。
「あんた誰?」
彼女は警戒を露わにする。部屋で能力を止めるのは失敗だったか。これならノックして普通に入った方が良かった気がする。
「動かないで。看護師を呼ぶわ」
「ちょっと待ってくれ、俺は怪しい奴じゃない。響堂ツカサっていう者だ。話があって来たんだ」
ナースコールのボタンに手を掛ける彼女。俺は慌てて声をかける。
「響堂ツカサ? 聞いたことないけど。話って?」
意外にも彼女は冷静に言葉を返してきた。もちろん鋭い目線を向け、警戒を示してはいるが。少しでもおかしな行動をとればすぐにボタンを押すぞ、といった様子だ。だけど、ひとまず話は聞いてくれるようだ。
さて、どう話したものか。この状況でいきなり異世界のことを切り出していいものだろうか? 完全に頭のおかしな不審者と思われるんじゃないだろうか。
だが、他にどう言っていいかもわからない。やはりここは素直に言うしかないだろう。
「まずは驚かせたのを謝るよ。ゴメン」
彼女を刺激しないよう、極力優しい声をだした──つもりだ。
「というか、あんたどうやって入ってきたの?」
「信じてもらえるかわからないけど、俺は気配を完全に消すことができるんだ」
「へ~。やって見せてよ」
気が強い子なのだろうか、顎を突き出して言い放った。できるものならやってみせろ、と言わんばかりだ。
「え?」
そんな態度に俺は思わず眉をひそめる。だから、と彼女は少し苛立ちを見せた。
「今ここで、気配を消してみなさいよ」
不敵な笑みを見せる彼女。むしろ俺の方が気押されている。
「できないの?」
「わかった。見せてやるよ」
見た目に反して強気な女子のようだ。まぁいいけどさ。
この状況でナイフを取り出すのはマズイので、俺はポケットに手を突っ込んでナイフを握る。鋭い痛みが手に走る。続いて、全身に能力の発動を示す衝撃を感じた。
「消えた……?」
間違いなく能力は発動した。それを示すように、赤髪の彼女は再び驚愕の表情を見せる。彼女から見れば、俺は一瞬で消えたように思えるだろう。
その表情を確認したところで、俺は能力を停止させた。これで再度姿が見えるはずだ。
「手品……じゃないわよね?」
彼女は目を見開いて俺を見つめる。
「ああ、超能力みたいなもんさ」
「超能力? あんた超能力者なの?」
ベッドの彼女は大きな目をパチパチと瞬きさせる。
「いや、それはちょっと違うかな。実はそれが話したいことに関係してるんだ」
「どういうこと?」
「この能力は異世界から来たって奴に貰ったんだ。それで、俺はその異世界にスカウトされた。でも異世界に行くには仲間を5人集める必要がある。そのメンバーの一人として、君にも一緒に来てほしいんだ」
結局、俺はそのまま事実を話した。説明を聞いた彼女は眉間に皺を寄せ、首を傾げた。
「ちょっと待って。いきなり話が飛びすぎて意味不明なんだけど」
難しい顔をする彼女を見て、そりゃそうだよな、と胸中で納得した。俺が逆の立場だったらまず信じないだろうな。
「俺も詳しくはないけど、この世界とは別の世界があって、そこには魔法なんかが存在しているらしい。要はファンタジーの世界ってわけだ」
「さすがにそんなこと信じられないって。証拠でもあるの?」
「ない」
俺はきっぱりと言い切った。それを聞いた彼女は狐に化かされたような顔で唖然としていたが、すぐに大声で笑い出した。
「あはははははっ。あんた正直ずぎでしょ」
よっぽど笑いの壺に入ったのか、お腹を抱えて笑っている。さっきの暗い表情が嘘のような無邪気な笑顔。今の彼女からは、とても明るくて活発な印象を受ける。
「いいわ。信じてあげる」
目尻の涙を手で拭いながら、彼女は笑顔を見せてきた。場違いながらも、その表情を見てドキッと胸が跳ねた。
「そりゃどうも」
なんだか彼女を直視できない。俺は照れくささを隠すようにぶっきらぼうに言葉を返した。
「それで、あたしも異世界に行けって?」
「そういうことだ。一緒に来てくれるか?」
俺の問いかけに対し、彼女は少し俯いた。表情は笑顔のままだが、さっきの無邪気な笑顔じゃない。悲しそうな笑みだ。
「そう……そんな世界がホントにあるなら行ってみたいな」
じゃあ、と喜びの声を出す前に、赤い髪の彼女が言葉を続けた。
「でも無理」
「何で? 行きたいって言ったじゃないか」
予想外の返答に思わず身を乗り出す。そんな俺に、彼女は儚い笑みを向けた。
彼女が次に語る内容を聞いて、俺は言葉を失った。