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斎藤次目は恋をしたら死ぬ  作者: あつ
二章
8/22

七話 水気の多い人生でした

 

 私、斎藤次目さいとうつぎめは綿菓子でできた玉のごとくやわらく愛らしく生まれ、両親の愛を一身に受けてすくすく育ったらしいが、物心ついたその日に父母は亡く、またその姿の記憶も知識もない。


 私の育った祖母の邸宅に、両親に関する写真や記録の類の一切が存在しなかったからだ。


 祖母によると、人生道半ばにして親より先に逝った者達の姿を思い返す方が老体には堪えるとのことで、処分したらしい。


 祖母によれば二人はそれはもう大変仲睦まじい、良き夫婦であったということだ。

 しかしながら、その証拠や記録は家にも私にも残ってはいない。



「次目くん、どうかしましたか?」


 考え込んでいた私に梨里りりちゃんが問いかける。


「綺麗な写真だね。」


 私の手には少し古くなっていた家族の写真があった。

 一家の写真で、赤子を抱いている。

 写真館で撮ったのだろう、皆正装をしている。


「多分、兄さんの産まれた年のお宮参りですね。」


 なるほど、このかわいらしいまんまるあかちゃんが。

 これが、あの脳まで筋肉の塊に育ってしまうのか。

 時とはかくも残酷か。



 ◇◇◇◇


 今日、私は菅原家の蔵掃除の手伝いに来ていた。

 通常年末年始に行うものだが、子供達の受験シーズン到来によって後回しとなっていた。

 入学のバタバタも落ち着き、次の受験にも時間がありまだ取り掛かる余裕のあるこの6月に行う事となったと聞き、日頃世話になっている私は自ら手伝いを申し出たのだ。


「助かります。」


 梨里ちゃんは度々こうして飲み物を持って様子を見に来てくれている。

 たったの一年だがされど一年、積み重ねた埃と初夏の熱が水分を奪っていくこの蔵では一時間も居れば乾ききってしまう。


「でも、梨里ちゃんが手伝いをしては意味がないのでは。」


 そもそも次の受験が控えているのはこの梨里ちゃんであり、その人手を賄う為に私が出てきたようなものなのだ。

 その当事者がこうもちょくちょくと顔を出しては何の為の人手だろう。


「まあ正直、余裕はありますから。」

「ですよね。」


 彼女は兄と異なり積み重ねた努力と成績があるため受験年度の始めにバタバタする必要は特になかった。

「むしろ早く終わらせて、数学教えてもらえると」と言い彼女も整理作業に参加し始めた。


 数学と聞くと先日の『マクシミリアン事件』が思い返される。

 梨里ちゃんも思い出してしまったようで、一心不乱に棚上の書物を下ろし埃をはたきはじめた。

 かわいらしいホットパンツ姿のお尻が揺れている。

 若干の気まずさが蔵内の埃っぽい空気をより重くした。


「おはよう次目!あれ?梨里?なんで働いてるの?」


 菅原家、長兄の道実が顔を出す。

 只今の時刻は午前11時であり、目の前のこの男はつい今起きてきたかのような顔をしているどころか彼の睡眠スタイルであるパンツ一枚の姿であった。


 せめて着替えて来い親友。

 あともうそろそろブリーフはやめよう、親友。


「まだ余裕あるし。」

「昨日は忙しいからやりたくないって言って痛ってい!なんだよう、お兄ちゃんに本を投げるなよう!」

「おだまりなせい!そんな話より兄さんはさっさと着替えて!ご飯食べて!」


「あい」と素直に応えて親友は去っていく。

 しかしながら彼は姿はともかく行儀だけはよい。

 ちゃんと開けたままの扉を閉めていった。


 内側から開けることを想定していない蔵の扉を。


 なんてベタなことを。

 我々は予定調和とばかりに築100年はあるらしい菅原家の蔵に埃とともに閉じ込められたのであった。


「兄さん!?」

 慌てふためく梨里ちゃん。


 私はと言えば、ああ、やるかもなとどこかで想像していたためなんとなしに閉まっていく扉を受け入れてしまった。

 格子窓からの日差しがあるため完全な暗闇ではないため作業はできるが、密室空間で埃が舞うような真似をするのはやめておいた方がよかろう。

 私はせっせと運ぶ予定の本をまとめておくに終始した。


「次目くん!何落ち着いてるの!?閉じ込められたのに!」

「まあ、すぐ戻ってくるでしょうから。」


 パンツマンが衣類を着て文明に目覚めたあと腹を膨らましてここに戻るまでものの数分、のんびりしてても数十分だろう。

 それほど慌てることも無い。


「そう、ですけど。」

「水分はだいぶ失うから、あまり動いて汗とかかかないように。」

「・・・汗かいたほうがいいかも。」


 何を言っているのやら。

 密室で汗をかく行為とかそんなあなた。

 私は一瞬、青少年らしい妄想力を最大限発露してしまったが梨里ちゃんの様子を見て気がついた。


 随分ともじもじとしている。

 顔色がよくないのは光の当たり方のせいではないだろうし、密室において男女二人きりというシチュエーションに照れているのだなとは流石に思わない。

 鈍い私でも簡単に察することができた。


「小さい方?」


 こくこくこくと顔を真っ赤にして頷く梨里ちゃん。

 なんということでしょう。


「兄さんが来たタイミングが悪すぎて。」

「ダムで現状を表現してほしい。」

「決壊です。」


 双方慌てすぎてわけがわからない応答になっている。

 決壊だともう手遅れじゃないですか。

 とかく緊急を要する事態なのは伝わってきた。


 蔵の扉厚く重い石造りで、外側からの押戸であった。

 内側から引ければ開くわけだが、内側に取っ手らしい物はなく物理的には困難極まるものであった。


 外からの引く戸の作りが普通だと思うのだが今日この瞬間のために作られたかのように、こんな逆の構造になっている。


 開けることは早々にあきらめ、大声を上げる方向へ。

 蔵には格子窓があり、そこから声を伝えることは充分可能であった。


 しかしながら、この菅原家。

 築100年の蔵があるというところからも察して欲しい。

 いわゆる豪邸である。

 とにかく声を上げてみたが、周りに人の気配はない。

 いずれ来るだろうが、そのいずれより先に梨里ちゃんのダムの方が持ちそうになかった。


「こういうとき、男性の方が長さの分我慢できるって聞きました。うらやましい。」


 なにその豆知識。

 標準時で数CC程度の差ではないだろうか?


 そんなこと言ってる場合かというか、そんなこと言ってしまう程に限界がきているようだ。


 そして目につく、蔵の端にある地面の見えている部分。

 この蔵は床張りの面もあるが、全てを覆っているわけではなかった。

 地面は床よりも水通しはよい。

 当たり前の話だが。


 私は、梨里ちゃんを呼ぶ。

 先程目についた地面を指差し、サムズアップ。


 梨里ちゃんも気付いた。



 そこなら、被害は少ないな、と。



「え、でも、えぇ!?」

 梨里ちゃんの視線は何度も地面と私の顔を往復した。


「ちょっと待って下さい次目くん!」

「う、うん私は待てるけれども」


 ダムの方が待ってはくれない感じではないだろうか。

 それが私にもわかるほどの事態であるからこその、提案である。

 背に腹は替えられぬというより、背を選ぶか腹を選ぶかのような選択でしかないのであった。


「でも、そんな、こんな次目くんの前でそんな」

「後ろ向いてましゅう。」


 相変わらず私はこういう時に噛んでしまうのである。


「え、えぇえええ・・・?うううう・・・あっ・・・むうううう!」



 色々と彼女の中で動きがあったようで、決断するしかなくなったようだ。

 どっちしたってもう流れていってしまうのは避けられない事態であれば、もはや仕方ない。


「あっち向いてて下さい!目と鼻と耳も塞いで!」


 要望に最大限応える紳士の私であるが鼻と耳では手が足りない。

 どうしようか?取り敢えず鼻を塞いでおくこととした。



 後ろから衣擦れの音が聞こえてくる。

 ホットパンツを脱いで、もう一枚を脱いだ音であろう。



「う、う、うぅう〜〜〜!ぁぅ………。」



 本当に恥ずかしそうな唸り声のあと、聞こえてくるのはせせらぎの音。

 私は、心を殺しここはせせらぎ、美しき水の里であると念じ、耐えた。


 静かで歴史あるこの蔵にせせらぎが響き渡る。

 なんという情景。

 これが玉川上水か。


 気分はすっかり太宰。私は太宰。

 ロマンチツクに身投げをどうぞ。ドボン!

 恥の多い人生でした。


 ―――いや、この玉川上水に身を投げるのはいくら太宰でも難しかろう。


 もはや私もわけがわからない有様であった。



「次目くん、ちゃんと耳塞いでるぅ……?」


 玉川上水に小鳥のような囁きが交じる。



「うん、塞いでる。」



「塞いでないじゃないですかーーー!!!ばかー!!」



 しまった、バレてしまった。

 仕方がない、どうせ怒られるのであればこのまま開き直って聞いていよう。



 ◇◇◇◇



 そして危機を脱した梨里ちゃんであった。

 もうダムは平静を取り戻したようだ。

 本当に良かった。どうなるかと思った。


 私は若干どうにかなってしまっていたが。


 最近セーフの判定の緩さに油断しつつあり、このラインならと喜んで受け入れてしまっている気がするしそれが罠のような気がする。

 気をつけて生きよう。



「………て。」


 梨里ちゃんが、何事かを呟いている。

 お礼だろうか?

 いやそんな、梨里ちゃんも恥ずかしかったでしょう。



「次目くんも出して。」



 なんということでしょう。


「いや、私はそんなもよおしてないです。汗もかいてたし。」

「気にしないで。」


 気にするよ!?


 梨里ちゃんは顔を真っ赤にしながらも半べそかいた目が据わっている状態であった。


 先日のヤケを起こしたときと完全に同じだ。

 こうなると彼女はだいぶ無茶をする。


 そう思っていたら一瞬にして腰回りをホールド。

 手荒く引き離す訳にもいかず無防備な私!


「このあたり押せばもよおしませんか?」


 私の腰を掴み、下半身の膀胱のあたりをぐいぐいと押してくる梨里ちゃん。


 際どい!危ない!近い近い!!


「ご容赦くださいましお代官様。」

「許さぬ。脱げ。」


 あれえ、もうあたくし駄目なのかしら。

 ベルトが気づけば奪われており、チャックまでもが半分さがっておりました。


 梨里ちゃんは膀胱を押しながら着実に私のパンツを攻略してきた。


 待って!待って!

 何その手際!!


「おまたせー!ごめーん!テレビ面白かった!」


 扉を閉めた張本人がいらっしゃい。

 どうやら呑気にテレビを見ていたご様子である。


 私のパンツと膀胱に手をかける、そんな彼の妹の姿に日が当たる。

 梨里ちゃんがヤケクソになったタイミングでこうなってしまうのはもはや運命か。

 私の運命と同じだね、共に泣こう。


「……も………………も」



「んもぉぉぁぉああぁおおおぉー!!」



 梨里ちゃんの絶叫が今日も菅原家に轟き渡る。


 今日も平和でよかったなあ。




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