三話 笑う刺客に福来る
「だからさ、俺思ったわけ。『ゆで卵レンジでつくればいいじゃん』って!」
私、斎藤次目には親友がいる。
その関係は小学生に遡り、小中高と同じ学び舎を過ごしている。
名を菅原道実という。
私の目の前で、奇跡のような愚かな発言をしている男が残念ながらその親友だ。
学問の神様と一字違いの名前を付けたご両親の願いを言動の全てで否定して16年の大ベテランである。
しかしながら、進学校である当校に合格しており、頭そのものの品質は良いのだ。
残念なほどに阿呆なだけなのである。
「道実は本当に阿呆だなあ。」
「やめろよぅ、照れる。」
どこに照れる要素があるのか。
「よし、話も終わったし腹筋しようぜ!」
本当に、本当に阿呆だなあ。
冗談ではなく腹筋を始める道実。
私はリビドーのゴミ箱として作り上げられた器官としての脳筋であるが、彼は脳幹の先端から前頭葉まで筋肉でできているがゆえの脳筋だった。
ここ数日、私は連続して恋の罠に遭遇しており、純潔も命も危ういところを切り抜けてきたため疲れ切っていた。
生きるとは、かくも辛く険しいものなのか。
人生の桃色すべてがデス・トラップになる私はこれからも望まない灰色を望み選択していかなければならないのか。
そんな、ネガティブな感情の整理ができない程度には疲弊していたのだ。
「次目、疲れてんの?じゃあ俺んち泊まろうぜ!」
顔色を見るやいなやそう提案してくれた道実。
疲れと男子同士のパジャマ☆パーリィが関連があるかといえば余計疲れそうな印象だが、いつも何も考えていない道実も何か考えての事なのだろうか。
折角の好意であるし、リフレッシュも必要だ。
たまには友情を深めよう、そう思い申し出を受けた。
「110・・・111・・・112・・・」
そして彼は、今私の目の前で腹筋を延々と繰り返している。
何も考えていなかったようだ。
いつも通り過ぎて感情が動かない。
私はただ腹筋する道実を見つめていた。
100の位がもう一つ上がりそうになる頃、軽快な足音の後に部屋の扉を叩く音がする。
「兄さん、次目くん来てるの?・・・何してるんです?」
開けた扉から顔を覗かせたのは、道実の血のつながる妹、梨里ちゃんである。
揺れるツインテールが、当人は怒るだろうが、低めの背丈によく似合っている。
血縁関係について言及したのは念のためではなく、道実と同じ血縁とは思えないほど理知的な子であるからである。
もちろん、菅原家はご両親共々しっかりとされた方々であり、長男だけが菅原家の例外の中でも例外なようだった。
扉を開けたら友人が来ているというのに腹筋に勤しむ兄の姿。
やはり理解の範疇を超えているのだろう。
梨里ちゃんは怪訝な顔で我々を見つめている。
我々?
「兄は腹筋、次目くんは腕立て伏せ、ここはスポーツジムですか?」
おや?いつの間にか私も運動に勤しんでいたようだ。
うら若い男子達の汗をかく臭いが部屋に充満していた。
いや、これは道実の脳筋に呼応した私の脳筋がしでかした事であり私の意志ではない。
なのでどうか同じカテゴリーで見つめないで!梨里ちゃん!
「密室で男子二人が汗をかく・・・うん、うん。」
なにか納得したあとに
「部屋、臭い篭もるから程々にして下さいね。」
そういいながら窓を開け、でていく梨里ちゃん。
若干、良くない予感もするが年頃と言うやつだろう。
そっとしておこう。
「223・・・224・・・」
その兄は、不穏な妹が目に入っているのかいないのか、まだ腹筋を重ねていた。
◇◇◇◇
菅原家の晩御飯の席で、おいしい食事と久々の団欒を賞味した後ゆっくりしていると、風呂上がりの梨里ちゃんが声をかけてきた。
「受験対策を教えて下さい。」
梨里ちゃんはツインテールを下ろし、ラフなスウェットにホットパンツを着ている。
ほのかに残る髪の湿気の色気が大変よろしい、いや危ういと思う。
彼女はちょうど、中学3年生であった。
我々がつい終えたばかりの受験勉強に取り掛かるところなのである。
そして彼女の志望先も私達と同じ高校である。
「兄さんは参考にならないし。」
彼女は、そういって苦い顔をする。
一年前、「次目と同じ学校行くよ」と宣言して受験シーズンを迎えた時、あの男の偏差値は致命的であり適正水準の高校を探す方が困難な状態だった。
どうするのか?と問うと「大丈夫、一に腹筋、二に懸垂、三に背筋、四で勉強」と言い、事実、筋トレフルコースの後に勉強を行う生活を続け、周囲から見たら謎過ぎる偏差値の急上昇と合格を勝ち取っていた。
筋トレ5時間、勉強15時間を毎日きっちりとこなしていたのだから、それを見ていた私にはそれが当然の結果であることはわかっているのだが。
彼女の兄はつまりは天才型で行動レベルが規格外なのだ。
ああいうタイプが親族にいると積み立て型の努力家は苦労するし相談などしようもないだろう。
「いいよ。筋トレメニューは渡さないから安心してください。」
苦笑い。
どうやらあの兄はすでに妹に教授していたようだ。
「ん?梨里と遊ぶの?次目。」
これから風呂に入るところの道実と出会う。
「勉強の話をします。」
「うわあ、それなら俺はいいや!筋トレの時間になったら呼んで!」
そんな時間はない。
◇◇◇◇
梨里ちゃんは優秀そのものだった。
「これなら、今までどおりの勉強の維持で受かるんじゃないでしょうか?」
4と5がたちならぶ内申票、桁の多いテスト答案、兄とは全く異なる安定感がある。
「でも数学が弱くて。」
なるほど、ほかと比べて若干数字が見劣りする。
それでも合格ラインはクリアしていると思うが、とはいえ本人が補強を願うのは当然の心理。
私は苦手な項目の抽出と参考書の選別を手伝う事とした。
ノートパソコンを使っても良いと言うので、そちらを拝借してベッドに腰掛け検索をかける。
『徹底解説 いんすうぶんかい』・・・・
『淫猥なマクシミリアン』が予測検索リストにあがる。
完全に予測不能である。
うっかり予測選択をしてしまい『徹底解説 淫猥なマクシミリアン』キーワードが完成しサーバへと送信される。
そんな解説一片たりとも聞きたくない。
検索結果が返ってくる前にブラウザを閉じた。
気を取り直し、本来の書籍を検索してそのページを確保した後、もう一つの書籍を検索。
『しょうめい』っと・・・
『少年達のつぼみ』が予測された。
このパソコン無闇やたらに猥褻だぞ。しかも耽美系で。
・・・そういえばマクシミリアンも最近アニメになってる少年漫画のイケメンキャラだった気がする。
「次目くん・・・」
無表情な梨里ちゃんが私の後ろに立っていた。
「ああ、ほらこれこの本なんだけど解説と問題のレベルが高くてきっと使えると思うんだよね。この当たり押さえておくといいと思う。」
私は参考書について推薦する。
このままお互い気づかないのが幸せだろう。
協力を求める!梨里ちゃん!
「見、ました、ね?」
申請は却下された。
私は淫猥なマクシミリアンに向かい合うことを余儀なくされた。
梨里ちゃんは顔を真っ赤にして口をわなわな震わせながら泣きそうな瞳が左右に泳いでいる。
それはそうだろう、秘匿しておきたい趣味が検索エンジンによって暴かれてしまったのだ。
文明が引き起こした悲劇。
「違うんです」「そうじゃなくて」等の声漏れてはいるが言葉にならずにパニックを起こしていた。
これは私が助け舟を出すべきだろう。
「……腐ってたっていいじゃあないか。」
にんげんだもの。
みつをさんがそう言ったかは知らないが、いいじゃあないか。
梨里ちゃんは大切な親友の妹で、私にとっても妹のようなものだ。
こんなことで嫌いになったり軽蔑などしないことを言葉と表情に思いを乗せて伝える
大人になったね、予想外の方向だけど。
受け入れられるとは思いもしなかったのか、目を見開いて驚いたような顔をしていた。
「恥ずかしい思いをさせて悪かったね。」
私は精一杯慰める。
彼女は感情の片付け方がわからないようで、今も震えていた。
暫くよしよしと頭をなでてあげる。
「……てください。」
「ん?なんだい?」
梨里ちゃんから要求があった。
お兄さん何でも応えてあげよう。
「カラダ見せてください。」
なるほど、カラダね。ふむ。
ん?
情報を脳内で処理する前にのしかかる重み。
私は、腰掛けていたベッドに押し倒された。
え?
あれ?
「私、読む方じゃなくて描く方なんです。」
なるほどそれは大変立派な事です。
なんであろうと創作することは尊い。うん。
「だから男性のカラダ、見たり触ったりして理解したいなって思ってたから。」
シャツをたくしあげられた。
なるほど、それで、うん、理屈は通る。
「次目くんには知られちゃって恥ずかしい思いさせられたんだから、お詫びに協力してください」
なるほど、それは、うん。
いやいやいやいや、それは問題だ。
「お兄ちゃんに頼みなさい!」
「参考にならない。」
いやそっちはなるでしょ!彼、筋肉は得意分野ですよ!
梨里ちゃんは半ばヤケクソなのか勢いなのか支離滅裂になってきていた。
私は梨里ちゃんに完全に馬乗りになられていた。
重みとして体に触れる部分の柔らかさが肌越しに伝わってきて、ようはお尻なわけですけれども、危険信号が激しく点滅を開始。
胸から腹にかけて舐め回すように見られ、押され、さすられる。
「いやそんなあかん、おやめくださいお代官様。」
「良いではないですか。」
ノリはいい。しかしやめる気配はない。
梨里ちゃんの手と視線はどんどん下にむかう。
私に乗っている梨里ちゃんの可愛らしくやわらかい臀部が腰から太ももに向かって移動する。
やめて!死んじゃう!
そんなことしたら大変なことになっちゃう!
下腹部から足の付け根に向かって触られ、撫でられる。
「あっ」
私から変な声がでてしまう。
いやだもうなにこれ恥ずかしい!最悪!
たぶん相当でかい死亡フラグが近くに来てる。
危険!危険です!アウト!
ズボンに手をかける梨里ちゃん
あ、あっあっあ、それはだめ、ほんとにらめぇ!
「もうやめてくださひ。」
情けなくお願いする私。
嬉し恥ずかし、そして死が待っています。
「減るもんじゃないしいいじゃないですか。死にゃあしませんから。」
「死んじゃうよぅ。」
死んじゃうんです、ほんとに!
だめ!許して!ほんとにー!!
「勉強おわってんの?俺も混ぜてよー!」
風呂上がりの道実が現れた。
風呂上がりのまま。つまりは全裸で。
かわいいぞうさんがぶらさがっていた。
ほら梨里ちゃん、あなたがいま見ようとしたものはそっちにありますよ。
「……ゃぁぁぁー!!!」
梨里ちゃん、おたけびを上げる。
男に馬乗りになって脱がしているシーンを肉親にみられ、かつその肉親が全裸で現れるという、謎しかないカオスな事態に、精神が限界をむかえたようだ。
我々は梨里ちゃんをなだめ、落ち着かせるのに深夜までかかった。
◆◆◆◆
その夜、今日も生命の危機とそれを脱した私は、完全に表情を失っていた。
こんな毎日が続いてはいつか死神の逆鱗に触れ命を落とすだろう。
または、それが運命なのか。
「なあなあ、次目。好きな子いる?」
こちらの憂いなどお構いなしの道実が状況お構いなしの質問をしてきた。
そういうのは修学旅行にとっとけよ。
「梨里はどう思う?」
ああそういう話ね!!
ほんとすみません!
「梨里は、たぶん昔から次目が好きなんだよねー。」
そりゃお兄ちゃんとしてはそんな妹と半裸で組んずほぐれつつしてた野郎には確認しないといけないよね!
「まあ、そうは言っても次目には恋ちゃんも先輩もいるし、難しいよな。」
この男、よく見てるんだ。
「次目が事情があってそういう事から避けてるんだっていうのはなんとなくわかるんだ。
考えなしにそういう事を曖昧にするタイプでもないし。」
本当に、よく見ている。
そして細かくはわからなくても理解を示してくれる。
そこに、いつも救われる。
「私は、どうしたらいいんだろう。」
好意を受けている事を自覚しながら、生きるためにそれを避け、曖昧にしてきた。
好意に対する態度として最低である自覚もあり、それがどうしようもないこともわかっていた。
だが、命を言い訳にしても彼女達の想いを無碍にしている事実は変わらず、それが私を苛んでいたのだ。
「好きな子は?」
「いないよ。」
居たら、生きていない。
「じゃ、それ決めたらいいよ!
運命の人がこの中にいるかもよ!」
・・・。
そうか?
そういう可能性もあるのか?
この三人の刺客に、運命の赤い糸、運命づけられた人がいる可能性が。
その人の存在の可能性を無いものとし、全員の想いをかわすことでしか対応を考えることができなかったが、運命の人であれば全く問題はないんだ。
何も事情を知らない道実の、真っ直ぐな気持ちが逆に道を切り開いてくれた。
運命の人を、探し出す。
私が運命を感じる人を選び、生き延びるんだ。
それがこの理不尽な運命とそれを定めた死神に勝つということだ!
「道実。」
「んー?」
「道実と友達で、私は良かったなあ。」
「やめろよぅ、照れる。」
うん、私も少し照れる。




