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斎藤次目は恋をしたら死ぬ  作者: あつ
三章
17/22

一六話 斎藤次目の8月2日

 

 私、斎藤次目さいとうつぎめは綿菓子でできた玉のごとくやわらく愛らしく生まれ、祖母から継いだ我が家がありながらも、今は着の身着のまま飛び出して家には帰れぬホームレスである。


 私の命を奪う『影』の具体的で明確な襲撃を受け、命からがら逃げ出し行き場をなくした私がたどり着いたのは、普段使うのからもう一つ先に行ったコンビニエンスストアであった。

 追跡の理屈もわからないしどれだけの意味があるかわからないが、普段使いの距離は危険に思えた。

 まあコンビニは常に人の気配があり明かりのある店舗であるから、幽霊等の類であればそう簡単に現れることはないだろうしそれを理由に退避拠点に選んだわけだが、相手のルールがわからないだけに念を押した。


 空が白み始める。

 時間にして午前五時半。夏の夜明けは早い。

 私は家出少年よろしくコンビニ弁当と缶コーヒーを口にしながらこの時間を過ごした。

 思いの外美味かった。


 日が出てしまえば大丈夫だろう、というのは思い込みかもしれない。

 しかしながら今日は恋人であるれんが面倒見に来てくれる日であるので、何かしらがあるのであれば、彼女がそれと鉢合わせになるなど耐えきれない。


 ――私が取り除いておかねばなるまい。



 意を決し、帰宅することを決めた。



 ◇◇◇◇



 私はすこしばかり、甘かったのかもしれない。


 例えば、帰り着いた時に玄関の鍵が開けっ放しであるとか、家財が散乱し明らかに荒らされているというのは想定内であったし、それはその通りになっていた。


 まったくもってやってくれる。

 そうした感想が強かった。

 理不尽でどうしようもなく迷惑なもの、そういった程度であった。


 寝室に入った時、そんな認識は暴力的なその光景により捻り潰された。



 寝室の白い壁、カーテン、机……全てに張り付く赤いもの。

 びっしりと、隙間なく、埋め尽くすもの。



 それは手形だった。


 無数の血の手形が寝室を覆い尽くしていた。



 そして私の寝床であるベッドも例外なく、いや、より念入りに血によって埋め尽くされ、明確なメッセージが残されていた。




 刃物が突き立てられていた。




 私が普段ならば眠っているその場所に。



 家にある包丁、果物ナイフ、ハサミに至るまで、その全てが突き刺さされていた。


 傷口から噴き出している血のように布団の羽毛と綿が撒き散らされ、私の替わりに彼等が殺されたと言わんばかりだ。



 明確な殺意。


 迷惑などという生易しいものではない。



 私は一度、そうされていながらも、忘れていたのかもしれない。

 脅しめいた悪意に慣れていたのかもしれない。

 恐れ、回避し、それに成功する事を繰り返しているうちに、『そんなことはないんじゃないか』と思っていたのかもしれない。



 あいつは本来、私を殺害するための存在で、私を殺せるのだ。


 そこにためらいはない。



 胃が奥からひっくり返るような衝動。

 戻しても戻しても戻し足りない。



 体と心が受け止めた悪意を処理しきれない。



 徹夜による消耗とあいまって、私はその場で完全に気を失った。



 ◇◇◇◇



 霞んだ世界。



 淡いピンク色が見える。


 温かみがあり大変好ましい色だ。


 ここは何処だろうか?

 私はどうしたのだろう。


 視界が狭くて良くわからない。



 ピンク色が動いて何処かへ行ってしまった。

 好きな色だったんだけどな。


「行かないで。」


 私はなんとか声を絞り出した。



「つぎめちゃん!」


 愛しい声が聞こえる。

 ずっと私を優しく慕い、支えてくれた声だ。


れん。」



 視界が開けてきた。

 体が起動してきたのだ。

 両手両足に力が戻りつつあるのを感じる。


 世界がはっきりすると、愛する恋人の涙に濡れる顔が正面にあった。


「かわいそうに。どうしたの?」

「つぎめちゃんのせい。」


 それは、申し訳ない事をした。


「よし、よし。」


 私は朦朧とした意識の中、恋を慰めていた。

 とてもかわいそうで、かわいらしかったから。



 ◇◇◇◇



 もう一度眠り、目が覚めて意識がかなりはっきりしてきた。

 こんなに眠ること自体が久し振りであったので全身が気怠く、軽く痛みが残るが体力の回復を感じていた。


 家に行ったら、酷く荒れた部屋に倒れ込む私を見つけたらしい恋は、すぐに外に運び出しお父さんを呼んで家に連れてきたそうだ。


「すごく、嫌な予感がしたから。」


 救急ではなく、自宅に連れて行く判断をした理由を彼女はそう述べた。

 一刻の猶予も無い、そう感じたと。


 その直感、判断は正しい。

 あいつが夜だけ稼働し、私だけを狙うとは限らない。

 あの異様な状態の家で悠長に救急を待つことさえ普通に考えたら命取りだろう。



「恋、一つ聞いていい?」

「うん?」


 私はずっと考えていたことを口にした。


「今日は薄いピンク?」



 恋はしばらく呆けた後、質問の意味を理解した。


 お叱りのデコピンのあと


「当たりです。」


 と答えをくれた。


 そんな短いスカートはいて看病してくれてるからだぞ。

 ありがとうございました。



「えっち者。」

「仕方がないんです。とても好きな色だったのでまじまじとつい。」


 私はとにかく正直にがモットーである。

 誠意が伝わりますように。


「そうなんだ…。」


 恋は少し考えたあと、


「これ、上下セットなんだ。」


 重大情報を公開した。

 なんということでしょう。


 上も。なるほど。



 私は、恋の胸元を穴が開くほど見つめてしまった。

 穴が開くと信じているかのように。


 恋は顔を赤くしながら微笑んでいた。


 胸元も思いの外広い服なので白い首筋がよく見えるし、今私が興味をもっているものも見えるかもしれないとその境目をじっくりと視線で探っていた。


 その健康的な艶っぽさに引き込まれるように、気付けば私はふらふらと近づいてしまい、


「今はだめー。」


 鼻先を指でペチッと叩かれた。

 静止されてしまった。


 いやまあ、ご自宅ですからね。

 そうですよね。


 思いの外、しょんぼりしてしまった。



 そんな私をなでなでしながら恋は言うのだ。


「お楽しみ。」


 そうか、お楽しみなんですか。

 いつかお楽しみな日がくるんだなぁ。



 ◇◇◇◇



「次目くん、調子はどうだい?」

「おじさん。すみません急にこんな事に。」



 恋のお父さんは私に安心するよう優しく微笑んだ。

 恋の優しさはお父さん似なのかなと思う。

 でもすみません、私といえば娘さんと付き合ってて下着について楽しみにしてるクソガキなのに本当にすみません。



「二人共、励んだ?ん?励まなかったの?だめよそんな折角二人きりにしてあげたんだし有効に使ってよ。」


 恋のお母さんは私をヒヤヒヤさせるネタと微笑みをくれる。

 部屋の空気とお父さんの表情が凍る。

 恋がお母さんを、ペチペチ叩いて黙らせている。


「まあ、ともかく。」お父さんが軌道修正した。


「次目くん、何がどうしてこうなったのか、心当たりはあるかい?」



 やはり聞かれたか。

 どうしたものだろう?


 この状況、普通に考えたら警察に頼る水準だ。

 しかしそれを「お化けにやられました」は正気を疑われてもおかしくはない事案だと思う。

 いや、もしかしたらその通り私は正気ではないのだろうか?


 私が口をつぐんでしまっていると、おじさんが切り出した。



「例えば、違っても笑わずに聞いてほしいのだけど……呪いじみたなにか信じられないような事、だろうか。」



 私は顔を跳ね上げる。

 おじさんもおばさんも、恋も真剣な面持ちだ。

 ふざけている様子はない。


「四年前と、同じだろうか。」



 四年前。


 私が影に初めて殺された四年前。

 私はあの日、生き延びた後に大人たちにはこう応えた。


 影に連れ去られた後、記憶がない――


 正直なところ、真面目に取り合ってもらえるとは12歳の私でも思わなかったが、気の利いた話も作る脳もなかったので、素直にありのままを話してはいた。



「私達も信じられない、馬鹿馬鹿しいと思うが、無視できない程度に起きているんだ。」


 一息ついて、


「君の周りには。」


 私について。



「君のお父さん、お母さんについて、話をしよう。友達としてではなく、事実を伝えるべき大人として。」



 おじさんは、静かに語り始めた。

 友人ではない父の姿を。


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