一三話 斎藤次目、選択する(後編)
私、斎藤次目は綿菓子でできた玉のごとくやわらく愛らしく生まれ、両親の愛を一身に受けてすくすく育ったことは疑いようがなかった。
しかしながら、自身が愛情を示し与えることについては欠陥があり、運命を言い訳にしても許されたものではなかった。
私はここにそれを改め、愛情を示せる人間として有りたいと思う。
◇◇◇◇
放課後、私はふと思い立って我が斎藤家の墓に立ち寄った。
そこには愛情深き祖母、そして父と母が眠っている。
彼らの愛情にあやかろう、私の不誠実と反省を告白し、見守ってもらおう。
そんな思いで日が落ちる頃合いの墓前に立ち、黙祷した。
(……の?)
一瞬。
微かな声が聞こえた。
静かな墓地だが、今は葉の音さえ聞こえないほどに静かだ。
音が殺された、そんな突然な静寂。
視界の端に入り込んだ、黒い影。
影。影そのもの。
私を殺した、あの影だ。
そんな、まさか今、私が何をしたんだ?
(うらぎるの?)
今、明確に声が聞こえた。
裏切り?
私が人を愛する事を考える事が裏切りなのか?
ふと、影の姿は視界から消えた。
気配も、殺意も感じない。
音が返ってきた。
なんだというのだろう。
警告のつもりだろうか?
今日まで散々なほど、なんとも言い難いが破廉恥な目にあってきたが姿を見せず、私が心を積極的に傾けたらあの殺意に満ちた影を差し向けるとは。
体の浮気より心の浮気ということか。
なんとプラトニックか、死神の基準。
しかし、肝が冷えた。
久しぶりの危機であった。
安堵し息を吐いたとき、背後から砂利を踏みしめる音が聴こえた!
私は思いきり振り向いた!
「……びっくりした。」
恋がそこに立っていた。
仏花を持っている。
「どうしたのつぎめちゃん?」
「なんでもないでしゅう。」
おばけと対峙していたとはとても言えない。
場所が場所だけに恋が卒倒してしまいそうだ。
「恋は何で?」
「見かけたら帰り道と違うとこに向かうとこだったから。」
つけてきちゃった、と。
「また一人増えるのかなあとか。」
本当にすみません。
そんなことはいたしません。
まあ、仏花をこうして用意してきたということは行き先に気付いて途中で用意してくれたのだろうし本気でそうは思っていないだろう。
「わたしもご挨拶させてね。」
「ありがとう。」
祖母は彼女を好いていたし、彼女も祖母を好いていた。
正反対の二人だったが相性は良かったのだ。
今頃、祖母は父母にこんな子を振り回す孫について文句を言っていることだろう。
墓前に祈る恋の姿をみるとおさげにした髪から覗くうなじが夕焼けに生えてとても綺麗だった。
うん、この子はとても良くわかっている。
なんとなしにまじまじと見つめてしまう。
……様子がおかしい。
座って祈る姿がフラフラとしている。
その時間も随分と長い。
「恋。」
「っ!え、あぁごめんね、ぼーっとしちゃってた。」
これは駄目だな。
問答無用でおでこを当てる。
若干頭突きになってしまったが緊急事態だ。
「お熱あるでしょ。」
おでこに伝わる温度を感じる。
「え、あ、はい。実は。」
この子はそんなときに私なんかを尾けて!
「帰ろう。少し家で休んで、そしたら送っていく。」
「え、いやわたしそんな。」
この子はこうして黙って無理をする。
散々遊び回ったあと、あの日体調が悪かったのだ、と後から知らされる事が昔から何度あったことか。
「だーめ。お薬のんで、すぐ休む。」
私は恋の手を引いて、急いで帰路についた。
◇◇◇◇
「お熱は?」
「微熱です。」
私のベッドで休む恋。
調子がそこまで悪くなるのでなければ、後は送って帰ってもいいだろう。
「恋は調子が悪くても無理をするから。」
「いや、そのね、つぎめちゃん。」
まだ無理をしようというのか。
「何か食べたいものがあれば用意する。」
「えーと、言いづらいのだけど。」
まだ恋は遠慮しようというのか。
「これ毎月のヤツだから、気にしないで?」
まだ……うん?
「女の子の日。」
なるほど。
「お熱はあるし、今日はちょっと重たい日だから辛いけど、大丈夫だから。」
ああそう、それはよかった。
そうなの。
「すいませんでした。」
私は真後ろに飛んで土下座である。
もうみっともないやら恥ずかしいやらどうしようもないやら。
勝手に勘違いして大丈夫なのに連れ込んだ果てに女の子にこんなお月様のタイミングまで言わせるなんて。
もうイヤっ!私ったらなんてダメ男なのっ!?
特に恋に重ねてこんなことばかり!
どうしようもなく情けない気持ちでいっぱいです。
粛々と土下座しつつ、スンスンと泣く事しかできない。
「よしよし。」
恋がそんな愚か者の頭を撫でるのである。
ああ、本当に優しい。
ダメよ恋さん、そんなに優しいからこんなダメ男がいつまでもダメなのよ。
「ごめんね、つぎめちゃん。わたしが言ったこと、傷つけちゃったかな。」
そんなことはないです。
至極真っ当なのです。
「ずっと気にしてるくせに。」
そして、恋は私の肉のないほっぺを指先でこねるのである。
やめたまえ、ほっぺが気になって反省が何処かに行ってしまう。
「わたし、誰かより大事にされたことがないなって、卑屈だけどそう思ってるところがあるから。良い子にしてた分、わたしはほっとかれてきたなって。」
それは本当に理不尽だな。
私みたいな手のかかる子ほど大事に扱われるものな。
「だから、好きな人には一番大事にされたいなあって。」
大事に大事に、私のほっぺをなでる恋。
そうか、そうなんだなあ。
一番大事にしてくれる人、大事にしたいと思ってる人か。
「それなら私は恋が一番大事だよ。」
私は何が恋愛感情か、と問われると事実どうしたものかわからない。
色香に惑うパトスに流されるのも一つの恋心であろう。
憧れに秘め誰にも届かぬ場所で漬物にされるのもまた一つの恋心であろう。
一番大事にしたい人――そんな基準もまた、恋心なのだろう。
そして私はそれを選んだとき、答えは決まっていた。
なるほどなあ、これは、そういうことか。
「そういうことでいえば、私は恋が好きなんだ。」
君が泣くような結末がありませんように。
それは、だいぶ昔からそう思っていた。
他の誰が泣いたとしても、に変わったのはつい最近だろうか?それともずっと前から?
「無難に?」
「過激に。」
「どうしても?」
「どうあがいても。」
「皆を丸く収める手があって?」
「そんなものはない。」
中々信用しない恋さん。
まあこれまでの私の日頃の行いの悪さからしたら当然である。
それでも私は、彼女に伝える。
「私は後先考えずに初恋が好きなんだよ。」
「うわ、うわぁぁぁ、うわぁ……」
ベッドに飛び帰って沈んでいく恋さん。
一瞬下着が見えてしまった。
うん、好きな子のものだし見てもいいだろう。
「わたし卑怯だ。」
「ん?」
「わたし抜け駆け、卑怯、ずる、フライング、孔明、罠。弱ってるとこにつけこんでるだけだもん。」
先程お布団に、とびこんで隠れたお顔がなかなかでてこない。
「それでも前から好きなんだよ。」
私はとにかく、まっすぐ伝えた。
「う…うぅ〜〜っ!!」
ひとしきり唸りに唸って、ぐるぐる身悶えして、動かなくなって一息ついて。
「しょうがないね、つぎめちゃん。」
布団にかぶせたお顔をちらり。
見たこともないくらいに真っ赤で、優しくそしてかわいくはにかむ恋の笑顔がそこにあった。
ああ、本当に、良かった。
彼女のこんな笑顔に会えて。
彼女のこの笑顔を守ることができて本当に良かった。
◇◇◇◇
「ごめんね、つぎめちゃん。」
告白と受入れの儀式からしばらくお布団からでてこない恋さんが突然謝ってくる。
でてこないかなあ、と正座してちょーんと待ちぼうけていた私は面食らう。
「え、なにが?」
え、やっぱなしとかそういう?
いやいやそんな、ちょっと待って。
「恋人になったのに、その、今はそういうことさせてあげれないタイミングで。」
私は盛大に正座のまま前に倒れ込んだ。
「早いでしゅ。」
突然のことすぎて私は噛む。
まあ確かに、私のこれまでの素行ではそういうことを求めそうですけれども!
斎藤次目16歳、付き合ったその日に求めるほどのスキルも経験もございません。
でも、女の子の日中はやめておいたほうがいいんだな、という事はこの機会にしっかりと覚えておくことにした。
少しだけ大人になった気がした。