8話 Summer Sweet Pain
突きつけられた欺瞞、
予期せぬ出来事、
新しい出会い、
そして、――どう出る、井流志保?
気がついたら、救護室のベッドの上だった。
あぁ、そうか。アタシ、気を失ったんだっけ。
走りすぎて酸欠でブラックアウトするのと似てたなぁ……。
「あ、志保っ、気がついた? 気分どう?」
体を起こそうとしたら佳乃が覗き込んできた。
「あ……うん、なんとか」
佳乃の手を借りて、ゆっくりとベッドから上体を起こす。
空調が効いて過ごし易くなっている救護室だからか、体にまとわり付いていた怖気のきそうな汗もサッパリ乾いてて、意識無く寝入ってたおかげなのか、蛇がのた打ち回っていたような頭の痛みもなくなっていた。
だけど気分は? なんて聞かれても、正直良いなんて云えない。
でも、ここは佳乃に必要以上の心配させるとそれはそれで大変だから、空元気でも元気を。
「寝たからから、かなりスッキリしたよ。うん、大丈夫」
なるだけ普通な振りして云ってみたけど、佳乃はじっとアタシを見つめると
「――どうせ今日はこのあと帰るだけだから、見なかった振りしてあげる」
ため息混じりにそう云い、そしてアタシの耳元で声を潜め、
「志保が倒れる前に一緒にいたの、商業の人でしょ? もし何かされたりしたんだったら、部長や先生通じて向こうに注意してもらうようにするけど?」
そう忠告してくれる。
心配してくれるのは嬉しいことなんだけど、この件はアタシと石嶺さんとの話だ。
他の人や、ましてや学校を巻き込むなんて勘弁してほしい。なので、
「それはいいよ。問題はあるけど、アタシと彼女の個人的なことだから」
そんなアタシに佳乃は納得してないって顔しながら、でも、
「志保がそう云うのなら、黙ってるけどね。……あたしには云えない話なんだ?」
気遣いながら云ってくれるのに心苦しく思いつつ静かに頷く。
「――先輩たちには日射病でめまい起こしたって云ってるから。話、合わしてね」
そんなとこまで気を配ってくれて、本当ありがたいよ。
「あ、それから。あとで津坂にお礼云っときなよ」
ベッドから降り、帰り支度のため身だしなみを整えてると、佳乃がそう云ってきた。
「津坂くん?」
「倒れた志保をここまで運んでくれたの。あたしじゃ志保は抱えられないから助かったよ」
「ふ……ぅん。わかった、あとで云っとく」
津坂くんが、か……。
津坂くん。――津坂孝司くんは陸上部の一年でアタシと同じくトラック競技者だ。
アタシとは違う中学の出身で、高校に入って陸上部で初めて知り合った、新しい友人、というかクラブメイト?
クラスが違うのでそれほど親しいわけではないし、接点といえばほぼ部活動だけ。
部活動しているときだけの印象で云えば、練習の取り組み方は真面目で、少し頑張り過ぎる嫌いがある。
その分やり遂げようとする意志も強いんだけど、やり過ぎて先輩たちや顧問の先生から叱られることもしばしば。
積極的に声を出してリーダーシップとるみたいなタイプじゃないけど、やることやって背中で引っ張ってく、そーゆータイプかな?
競技に邪魔だからって短く刈り込んでるツンツン頭とまだあどけなさの残るファニーフェイスが先輩女子たちには人気だったり。
そんな一見可愛いがられ系のクセにわりと高身長で、アタシよりも十センチは高かったりする。
体の方はさすがに競技者、細マッチョ。意外とたくましかったりで。
うん、アタシを抱えてきたというのも頷けるか。って、あれ?
「……ねぇ、津坂くんがアタシ抱えたって」
不意に浮いた疑問を佳乃にぶつけると、
「うん、お姫様抱っこだよ。サッと抱えてダッと駆けて行く、その姿はなかなかに凛々しかったね」
と、ニヤニヤ顔で予想していた最悪の答えを返してきた。
うわぁ、不特定多数の視線が飛び交ってるところをお姫様抱っこでダッシュ?
そ、それはものすごく恥ずかしい状況じゃないかぁ。
「なんで止めてくれなかったのよー」
今更ながらに顔を紅くして抗議するアタシに佳乃はやや白けた声色で、
「あんなところで失神する志保が悪い。自業自得でしょ?」
と、めんどくさそうに答えるだけだった。
あ、いや、ね、うん。……本当、その通りで返す言葉もございません。
「そう云えば、 アタシどれくらい眠ってた?」
これまた今更な質問を佳乃にする。
「記録会は終わってるよ。さすがにもう引き上げないと、ってなったからあたしが志保を起こしに来たって訳。いいタイミングで目、覚ましてくれて起こす手間が省けたけどね」
救護室に運び込んでいたアタシの手荷物をこっちへ渡しながら佳乃が云う。
「あー、それは皆に悪いことしちゃったなー」
「そんなに気にしてなかったよ、先輩たちも。……気が気じゃないのは津坂くらいだろうけど」
後半、なんかさらっと云ってたみたいだけど、アタシがそれに突っ込む前に、佳乃は救護室の施設関係者の人に挨拶をして先に出て行ってしまった。
「あ、佳乃っ。――あ、ご迷惑をお掛けしました。失礼します!」
そんな佳乃を追ってアタシも救護室を出て行く。
救護室の人にちゃんと一礼入れるのは忘れない。
"今度は気をつけてねー" とか、"水分はちゃんと取らなきゃだめだよー" なんて温かい注意を返してくれる。
本当、ご迷惑をかけました。
「すみませんっ、ご迷惑をお掛けしましたっ」
救護室の人に云ったのと同じ様なことを、駐車場に停めてある、部で借りたレンタルのマイクロバスの前で待ち構えていた顧問の橘先生(男性・教師生活二十五年。中型限定なし免許保有者)に頭を下げながら云う。
「あー、まぁ、無理はしないで。それだけです」
先生がやれやれといった感じの顔でうなづいて、
「さぁさ、バスに乗った乗った。帰りますよ」
と、バスへ乗り込むことを促す。
佳乃はさっさと先に乗り込んでいた。
ステップを上り車内に入る。アタシの席は中ほどの空いてるとこで、そこに付くまでに既に席についている先輩や同輩たちにペコペコと頭を下げ謝罪の言葉を云い続ける。
津坂くんは……アタシの席より後ろだったのでこの場でお礼を伝える事は出来なかった。
しかたないので戻ってから改めてすることにしよう。
「皆、席についてますねー? じゃ出しますよー」
先生の緩やかな言葉とともにマイクロバスは母校への帰路に着く。
二十分ほどの移動で学校へ到着。
先生や部長の簡単な総括があり、それが終われば解散だ。
駐輪場へ愛車を取りに行く前に、お礼を云うため津坂くんを探す。
わらわらと散り散りになる陸上部員たちの流れを見渡す。
居た。ひょろっとした長身にツンツン頭、津坂くんだ。
なにか佳乃と話してるみたい。そういやあの二人って同じ中学の出身だったっけか?
邪魔しちゃ悪い気もするんだけど、あまりお礼を遅くするのもあれなんで、行かせてもらおう。
「あー、津坂、くん?」
二人の話が聞こえないところから遠慮がちに声をかける。
アタシの声は届いたみたいで、二人が一瞬、ギクリ、とリアクションを起こした後、
「あ、志保。……と云うことはあたしはお邪魔だね。上手くやんなさいよ」
佳乃がアタシに振り向いてから、また津坂くんに向き直りなにか小声で云ったかと思うと「じゃあねー」と笑いながら去っていった。
去っていく佳乃を不審な気分で見送ってから改めて津坂くんと向かい合う。
――なんかこっちも挙動不審だな。
津坂くんはアタシと目を合わそうとせず、視線をあっちへキョロキョロ、こっちへキョロキョロと泳がせて、なにか居心地悪そうにしていた。
でも、まぁ。云うことは云っとかないとね。
「津坂くん、倒れちゃったアタシを運んでくれてありがと。助かったわ」
そう云って頭を下げる。
津坂くんはやっぱり視線を斜めに飛ばして頭を掻きながら、
「いや、別にいいって。やれることやっただけだし」
少し紅くなりながら云った。
「うん、だけど。それでアタシは大事にならなかったんだから、やっぱりありがとうだよ」
アタシより背の高い津坂くん相手だから、少し上目使いになってはにかむ様にそう云うと、
「あ、あぁぁ、いいんらってッ、井流らからなんらし、気にしゅんなっ。ざなっ」
慌てふためいてなんか怪しい言葉遣いのままそう云うと、津坂くんは脱兎の勢いでその場から居なくなった。
さっすがスプリンター、速いな~。
最後に津坂くんが何を云おうとしたのかよくわからないまま、アタシは駐輪場へと向かい、愛車にまたがり、今日の出来事を思い返しながら自宅への道を走り出した。
記録会から数日後。期末試験週間に入り、部活動は休止に。
校内でたまに出会う津坂くんは、アタシだと気がつくといつかの様に挙動不審になって壁にぶつかったり、人にぶつかったりしてた。
なんなんだろうな~?
もしかして、アタシって津坂くんに避けられている?
そんなある日、自習になった授業でグループになって試験勉強してたとき、同じクラスで中学の同窓生でもある武石くんの何気ない発言がアタシや由香里の心に波を立てた。
寛ちゃんが中学生らしい女の子と二人きりで仲良さそうに歩いていた、と。
初耳だった。
ニオで何度か会ってた由香里からも聞いたことのない話。
由香里も同じだったみたいで、ハッキリ分かるくらいに顔色が変わっていった。
アタシは何とか平静を装ってその場をかわしたけれど、由香里は……。
その夜、由香里から電話があったけどなにか要領を得ないことばかり云ってて、相当パニクってるのがわかった。
そのときは何とかなだめてやり過ごしたんだけど、翌日からの由香里の落ち込み具合はそれはひどい有様をしてた。
由香里は気持ちを落ち着かせる事が出来ないまま期末試験に突入し、案の定というか、散々な成績を取る事に。
ま、アタシも由香里のこと、どうこう云える様な成績じゃなかったのだけれど。
最低だった期末試験後、由香里から改めて寛ちゃんと女子中学生とのことで電話があった。
二人の関係を考えてるとなにか気持ちがおかしくなるんだと云ってくる。
"由香里、それは嫉妬だよ、あんたは寛ちゃんに恋してるからそんな気持ちになるんだよ"
そう云ってあげれば、由香里の悩みは直ぐ解決しただろうに、結局アタシは云い出せずじまいで、
「……よく判らないよ」
なんて、その場を誤魔化すようなことを云って、その話を打ち切った。
……石嶺さん、あなたの云う通りかもね。
――アタシって最低だ。
夏休みに入る前の最後の日曜日、その夜、由香里から電話があった。
「志保ちゃん。あたし、寛ちゃんに失恋しちゃった」
通話が始まった途端、由香里はあっけらかんとした口調でそうアタシに告げた。
それから、今日の昼間、何があったのかをとつとつと語る。
現実を知りたいのなら、と、キムと新さんに誘われたこと。
寛ちゃんが女子中学生と付き合っているのは本当だったこと。
そのとき寛ちゃんを好きなんだということにやっと気がついたこと。
そして、わかった瞬間に失恋をしたということ。
キムと新さんに励まされ慰められて、それで何とか立ち直れたこと。
――そんなことを、普通の口調で、落ち着いて話してくれた。
由香里は語り終えてからしばらく黙り込んで、それからポツリ、ポツリと、搾り出すように、
「……でもね、志保ちゃん、ホントはね、やっぱり悔しいんだ。……寛ちゃんに彼女が出来たことはね、しかたないって思えるの。……だけど、だけどね……、寛ちゃんに好きですって云えなかったこと、自分の恋心に気がつけなかったことがね、すごく、悔しいの……。ずっと、ずうっと育ててた自分の想いにね、応えてあげることが出来なかった。それが、すごく哀しくてね、すごく悔しいんだ……。告白してね、振られるのならまだいいの、それならそれで諦めきれるから。……でも、あたし、それも出来なかった。それがホントにね、……悔しいよぉ……っ!」
胸の内に溜まっていた感情を吐き出すと、あとはただ泣き続けた。
アタシは携帯の向こうから聞こえてくる由香里の泣き声に「悪くない、あんたは何にも悪くないよ」と、背中をさする様な気持ちで云い続けた。
ああ、由香里。本当にあんたは悪くないよ。
悪いのはアタシだ。
あんたの気持ちに気が付いてたのに、それをわからせてあげなかった。
それどころか、わからないままにしようとしてたんだ。
"スタートラインにも立たせないで" そう云ったのは石嶺さん。
彼女の云うとおりだ、由香里にはスタートラインに立とうという意思があった。
それをさせなかったのはアタシ。
中学のとき、由香里の恋心に気が付いていたのは何人か居た。
でも、立場的にそれを由香里に教えることが出来たのは親友のアタシだけだったのに、自分の想いの方を大事にして教えようとしなかった。
そのクセ、自分の想いを告げようと考えもしていなかったりしてさ。
本当に親友だって云うのなら、由香里に恋心を気づかせ、自分も同じ相手を想っていることをハッキリ告げ、その上でどちらが選ばれるのかをすればよかっただけだ。
そう、同じスタートラインに立って、競い合えばよかった。
そしてどちらかが選ばれても、どちらも選ばれなかったしても、云いたいこと云いあって、元通りにはなれなくても、いい関係でいられたはずなのに。
そんな風になれる関係をアタシたちは作ってきていたはずなのに。
アタシは、スタートラインに付こうともせず、競技に参加しようともしないで、それでも勝てるといいな、なんて都合のいいこと無意識に考えていたのか。
そんな不正は許される筈がない。
参加しない者が勝つ競技、それは明らかな八百長だ。
八百長して勝って、それで万が一寛ちゃんの彼女になれたとして、アタシは嬉しかったのかな?
――石嶺さん、アタシってホント最低だわ。
「……ゴメンね、志保ちゃん……ひくっ……寛ちゃんのことじゃ、ぐすっ、もう、泣かないって……決めたのに、ずっ、ダメだよね、あたしって……すんっ、弱い、よねぇ、へへ……」
……ううん、由香里。あんたは強い。
気持ちを伝え、拒まれるのが怖くて何もしてこなかったアタシに比べれば、動こうと思えてた分、何十倍も強いよ。
――ああ、そうか。アタシは由香里のこの強さが怖かったんだ。
だから、きっと心のどこかで勝てないって思って、それで由香里の気持ちにフタをしたままにしてたんだ。
競い合う、そんなことのずっと前に、あんたに心で負けてたんだね。
「そんなこと、ないよ。由香里、あんたは強い子だよ。きっとアタシなんかより、ずっとずっとね……」
それからやんわりとこの話に区切りをつけ、お休みを云いあってアタシたちは通話を終えた。
深夜になってから、アタシはひとり静かに泣いた。
あっけなく、唐突に、なにかすることもなく、第三者から終わりを告げられた自分の恋心のために。
ただ何年も想っていただけの自己満足な気持ちの決着に、情けなさと悲しさで枕を濡らした。
こうしてなにもないままに、アタシの、想うだけだった恋は終わった。
夏休み。
我が陸上部は大会参加者や地方競技会への遠征組以外の居残りが涼しい午前中だけの練習を七月最終週と八月初週の二週間で行っていた。
合宿とかじゃないのは先に云ったとおり、遠征やらで人が出てて残りの方が少ないからと、合宿を監督するべき大人が居ないからだ。
先生とかは大会やら遠征やらについていくからね。
アタシは当然のごとく居残り組。まだ一年だし碌な記録出していないしで、今ところ戦力外。
そんな面子だけの練習だから、まー流してやっているのは仕方ないってことで。
同じく居残り組の先輩に聞いたところ、暑い最中でムキになって頑張りすぎて、なんか事故でもあると逆に怖いから、このくらい緩いので丁度いいんだって。
そんなものなのかねぇ?
この練習週間中、何気なく視線を巡らせていると何度か津坂くんと目が合うことがあった。
その都度あっちがあわてて目を逸らせたりするもんだから、これはやっぱり避けられてんだろうなぁ、なんて思った。
視線が合わないときは、佳乃と一緒でなにか話してたりで、それ見ると、やっぱりあの二人ってそういう関係なのかなー、なんて邪推したりして。
仲良さ気にしている二人を見ると、胸の底の底の方でチクリと痛むものがある。
自分にもあったかもしれない光景だからだろうか。
……そのために必要なこと、なにもしてこなかったクセに、何考えてんだろ。
笑っちゃうよね。
そんなこんなで夏休み前期練習週間は最終日を迎える。
居残り組のトップから、後期練習の日程なんかの簡単な話があって、それから解散。
着替えてから例のごとく駐輪場へ向かう道すがら、この後のことを少し考える。
帰ってからの今日の午後は家でゴロゴロすることにして、明日はどうしようか?
由香里でも誘って遊びにでも行こうかな?
あ、そうか、由香里ってば、最近はキムや新さん連れ回してあっちこっち行ってるんだっけ。それじゃ、誘うの無理かもな~。
……しかし、どうしてキムと新さんは由香里に遊ばれているんだろ?、謎だね。
「い、井流っ」
駐輪場まであと少しってところで、後ろからかかる声に不意に呼び止められた。
振り返ると、そこには津坂くんと佳乃の姿が。
呼びかけたのは津坂くんか。二人して、なに?
「ホラッ、行けっ!」
佳乃はそう云うと津坂くんをアタシの方へ押し出し、
「津坂、いい? ちゃんと云うんだぞ! 志保、いい夏休みをねーっ」
津坂くんに言葉の前を、アタシには言葉の後ろを投げかけて、とてもいい笑顔を残して反対方向へと走り去っていった。
この場に残されたのはアタシと津坂くん。
津坂くんを見てみれば、いつぞやの挙動不審状態で、顔を紅くして、汗をだらだらと流している。
え、もしかして熱中症? だとしたら保健室へ……。
なんて、アタシがトンチンカンなこと考えていると、
「お、俺じゃ、力になれないか?」
と、津坂くんがこれまたトンチンカンなことをのたまった。
「えっ?」
その意味するところが分からず、疑問符いっぱいつけた顔で答えると、
「井流、なんか悩んでんだろ? 五月の記録会からこっち、暗い顔してることが多くなってた。六月のとき、倒れたのだって、日射病なんかじゃなくて、あの商業の奴となんかあったんだろ? 休みの練習に入ってからも、たまになんか暗い顔してたし。まだ何か悩んでること、あるんだろ?」
津坂くんはいっぱいいっぱいな感じなのに、それでも伝えたいことを伝えようと懸命に言葉をつむぐ。
「ひとりで抱えて辛いことなら、誰かに分けろ。話せっ、俺が聞く、俺が半分抱えてやるっ」
あっち見てこっち見ての挙動不審ではなく、耳まで真っ赤にしながら、アタシの目をまっすぐ見詰めて、津坂くんは云う。
「俺はっ、井流の力になりたいっ! 俺は井流が、井流のことが好きだっ!」
真っ直ぐな言葉が、いつかの、誰かの、あの言葉と同じ様に、胸を貫く衝撃になる。
「井流志保さんっ、俺と付き合って下さいっ!」
そう云って、津坂くんは頭を深く下げ、そして右手を前に差し出した。
昔あったテレビの告白番組でおなじみの "お願いします" のポーズ。
そんな姿に津坂くんの不器用な一面が窺える。
彼からの突然の告白を、アタシはただ驚き、聞いていた。
津坂くんがアタシを? 津坂くんは佳乃と付き合ってるんじゃなかったの?
……でも、さっきの佳乃の発破や、これまでの津坂くんの不自然な反応、あれはアタシを避けていたんじゃなくて、逆に意識しすぎてたからで――。
少し混乱してた頭の中で今ある情報を色々整理していくと導き出されてくるものがある。
ああ、そう考えればみんな辻褄が合う。
頭を下げて右手を差し出したままの姿勢の津坂くんを見る。
じっとアタシの答えを待っている。
……告白するの、きっと、きっと、すごく勇気が要ったんだろうな。
ああ、津坂くん。あなたのその勇気が、眩しいよ、尊いよ。
アタシには持ちえなかった勇気だ。
鼻の奥がツンとする。頬を一筋なにかが流れていくのがわかる。
顔を上げ、それをぐっと堪え、右手で拭う。
津坂くんは勇気を以って想いを告げてきた。
ならばアタシも相応の気持ちで応えないといけない。
勇気には、勇気だ!
心の中で答えを決め、すぅっと、ひとつ深呼吸をして、口を開く。
「――津坂くん。ごめんなさい、アタシその手は取れません」
アタシの言葉に津坂くんの体が一瞬震え、右手が力なく下がってゆく。
それを目にしながら言葉を続ける。
「……アタシね、少し前に何年か越しの恋、失くしたばかりなんだ」
……恋とはいえないような恋だったけれど、ね。
頭を上げようとしてた津坂くんの動きが止まり、
「だから、直ぐに次の恋なんて、出来ない。――それに」
「……それに?」
アタシの言葉にゆっくりと顔を上げ、目を合わせてから津坂くんが云う。
その視線に負けないよう見詰め返し、アタシも応える。
「アタシ、津坂くんのこと、ほとんど知らない。部のときのあなたしか知らない。――だから」
「だ、だから?」
少しこわばった声色で言葉を返す津坂くんに、アタシはそのとき作れる限りの笑顔で、
「友達からでいいですか? アタシにもっと、あなたのことを教えてください」
そう告げた。
これが、今のアタシの精一杯の勇気。
津坂くん、あなたの勇気に、少しは応えられたかな?
――答えはいきなりアタシの両手を握り締めてきた、彼の手の熱さで伝わった。
感極まったのか、言葉を上手く出せない彼に、アタシは少し照れた顔で、
「これからよろしく、ね」
微笑みながら、云った。
八月の二週目、平日の午前。
朝というには遅く、昼というには早い時間帯。
アタシは愛車に乗って、とある場所へと赴いてた。
吉原小学校の今はもう使われていない旧正門前に構える石嶺文房具店。
目的地はそこ。
学校の塀際に愛車を止めて、文房具店のアルミサッシのスライドドアををあけて中へ入る。
アタシが通っていた頃は確か木製の引き戸だったよなぁ、なんて軽く思い出に浸りながら、弱い冷房の効いた店内を見渡し、奥の方に声をかける。
「すいませーん」
すると、店舗と住居とを隔てている暖簾をくぐって、背の高い痩せた女の人が出てきた。
「はいはい、いらっしゃい。何かしら?」
ニコニコとしながらアタシに云ってくるその人は、石嶺文房具店の女店主、つまり石嶺さんのお母さん。
「あ、すみません、お客じゃないんです」
少し恐縮しながら云うアタシに石嶺のおばさんは、
「あら、それじゃ……?」
そう云いながら、上を指す。
アタシがそれに頷くと、またニコリと笑い、
「珍しいわぁ、紗江にお友達が会いに来るなんて。あの子うちにお友達呼んだりすることしないのよねぇー」
そう云いながら暖簾を住居側にくぐると、上の方に向かって、
「紗江――――っ、お友達が遊びに来られてるわよ――――っ」
と、大きな声をかけた。
それからしばらくすると階段をトントンと下りてくる音がして、
「――誰かと思えば」
石嶺紗江さんが、暖簾を手で払いのけ、飽きれた顔でこっちを見ながら、そう仰いました。
"こんなところで立ち話もなんでしょ? さぁ、上がって上がって" と、石嶺のおばさんに促され、さくさくと二階へ上がり、石嶺さんの部屋へ。
"ゆっくりしていってね" とおばさんが冷たい飲み物と一口サイズのお菓子の詰め合わせを置いて去った後、二人きりの沈黙の時間が。
アタシも石嶺さんもおばさんの勢いに流されて、会話のきっかけを失っていた。
アタシはテーブルの前にちょこんと座り、石嶺さんは机の椅子に腰掛けて、アタシを見下ろすようにしている。
気拙さもあって、顔を合わせづらかったので、ゆっくりと石嶺さんの部屋を見回す。
埋め込み式のクローゼット、ベッドに机、本棚と収容ボックス、そして小振りのテーブルがあるだけのシンプルな部屋。
年頃の女の子の部屋にしては彩りが無さ過ぎる気もするけれど、石嶺さんの部屋だと思えばなぜか納得できた。
無駄を排して機能を求めた実用的な揃えなんだ。
そのシンプルにまとまった部屋の中に異彩を放つものがひとつ。
元々が古いのだろうに、陽に焼けてさらに色褪せた、旧い年代の自動車のポスター。
「……元々は兄のところにあった物よ。兄が部屋の模様替えするときに譲ってもらったの」
それをじっと見詰めていたからなのか、石嶺さんがその由来を説明してくれた。
「車、好きなの?」
「いいえ。特に興味もないわね」
何気なくこぼれたアタシの言葉に本当に興味なさ気に返してくる石嶺さん。
その返事に、じゃあなんで? って顔をアタシが向けると、
「――単純に綺麗だと思ったからよ。この車のことをね」
綺麗、か。
全体像が写っている訳ではなく、車の前の部分を低い位置から斜めに舐める様に写したポスターだった。
現代の車には無い、特徴的なライトやフェンダーのラインは、確かに綺麗だなと思えるものだった。
「ト○タ二〇〇〇GTって云うそうよ。兄は私と違って車に詳しくてね、日本が世界に誇れる名車だとか色々と教えてくれたわ」
ポスターを見つめてるアタシに石嶺さんが淡々とした口調で告げてくる。
「え、トヨ○の車なの?」
「そうよ。とても思えないでしょ? バカの一つ覚えみたいに売れるだけの没個性の車作ってるメーカーのものとはね」
ちょっと驚いたってアタシの言葉に、皮肉気に返す石嶺さんである。
……すみません、アタシの家の車、○ヨタのファミリーカーなんです。
でも、販売会社的には売れる車作るのは正しいことなのでは? そう思ったけど顔には出さない。
没個性って云うのは、同意出来るところがあるし。
アタシも車に詳しいって訳じゃないけど、どれも同じように見えるもの。
「懐古主義ではないのだけれど、今の車の残念さ加減を見ると、この時代の気持ちの豊かさとか大らかさが羨ましいわ」
辛辣な中にホンの少しの哀しさが垣間見える様な、そんな口ぶり。
「興味無いって云うわりには結構語るね?」
少し茶化すようにアタシが云うと、
「あら、美しいものが嫌いな人がいて? 対照的に醜いものを貶しているだけのことよ」
……返ってきた言葉に石嶺さんは石嶺さんだなぁと、つくづく思う。
「で、何かしら? こんな話をするためにわざわざ来た訳ではないでしょ?」
どこか不毛な会話に飽きたのか、多少脱線しかけていた訪問目的に対して、石嶺さんが修正をかける。
「あ、うん。寛ちゃんのことで新しい情報が入ったんで伝えとこうと思って」
アタシがそう云うと、石嶺さんは少し複雑な表情を浮かべ、
「あれほど罵倒され、その上もういいと切って捨てられて……。なのに直接自宅へ来て情報提供?」
そう云って、理解不能って感じで片手で顔を覆い隠してうなだれた。
たっぷり三秒はそうした後、顔を上げ、アタシをじっと見詰めて、
「井流さん、あなたマゾ?」
と、大真面目に云いやがりました。
「だ、誰がマゾかぁっ!?」
即座にアタシが顔真っ赤にして云い返すと、
「あなたに決まっているじゃない。でもなければ、ああまで云われてまた私に会おうだなんて、普通思わないわよ?」
しなやかな人差し指をアタシに向け、極めて冷静に反論する。
アタシがその言葉に上手く返せないでいると、
「大体において、記録競技なんてやってる連中は総じてマゾよ。コンマ何秒縮めるのに、数ミリ先へ行くために、身を削る努力を嬉々として続けていくなんて、マゾ以外の何者でもないわ」
と、記録競技やってる全ての人たちにケンカ売るようなこと、云い放ちましたよこの人。
「だっ、だったら、石嶺さんはどうなのよ? 走り高跳びやってるじゃない?」
アタシは彼女の矛盾を付こうとするんだけど、
「ああ、あれはただやってるだけよ。競技と云うよりも遊戯ね。遊戯って云い方が悪ければ運動かしら?」
……走り高跳びを健康体操かなにかの様に仰いますか。
「あなたは真面目に競技に取り組むタイプのようだから、間違いなくマゾね。井流さん」
「だから、マゾじゃないってっ」
「あら。じゃあ、真面目に取り組んではいないと?」
「あ、えと、そ、それはぁ……」
「ほら、マゾ決定ね」
畳み重ねられる言葉に打ちひしがれるアタシの向こうで、石嶺さんが高らかに勝ち誇っているのがわかる。
うっ、すっごく嬉しそうな笑い声上げてますよ。
「……アタシがマゾなら、石嶺さんはサドだよね」
半分涙声の拗ねたような口調でつぶやく。
「ええ、本質的には。ただし愛しい殿方に対しては虐められ役専門だけれど」
そのつぶやきに、しれっと大人トークでやり返してくる。
アタシがそれに返せず別の意味で赤くなってると、
「あらまぁ、未通女い反応ね。井流さん、もしかしてあなたって処女?」
これまたしれっと答えにくいことを云う。――もうやだこの人。
大体、想い人に何も云えないでいたアタシに、性体験なんかあるわけないでしょうに。
「も、もしかしなくったってそうよっ。石嶺さんだって、そ」
「あら、私があなたと同じってどうして云えるのかしら?」
そうでしょ? と云おうとしたアタシに被せて、意味深な物云いをする石嶺さん。
「経験的にはそうかも知れないけれど、物理的には、さぁどうかしらね? 膜なんて激しい運動してれば自然と破れるとか何とか。ねぇ、健康スポーツ少女の井流さん?」
それは自分に対して云ってるのか、それともアタシに?
「――降参。アタシ、石嶺さんとやりあえるだけの人生経験値ないです……」
完膚なきまでに打ち負かされましたよ。
白旗上げておとなしく軍門に下りますよ。
仰ぎ見る石嶺さんは、それはそれは楽しそうな笑顔をしてましたとさ。
「で、話を戻すけれど、信濃くんの情報って?」
それまでのことが何もなかったかの様に平然と方向転換させる石嶺さんである。
そのギャップに一瞬呆けてしまったアタシだけど、石嶺さんの刺すような催促してくる視線に促され、由香里から得られた、寛ちゃんの最新情報、つまりあのことを伝える。
「寛ちゃんに彼女がいたよ。栗山中学の娘で、由香里が自分の眼で見たって。さらに情報の大元はキムと新さん」
あっさりと、お天気の話でもするように大型爆弾を投下してやる。
「!」
アタシの言葉に石嶺さんが強張る姿が見れた。
やっと、一矢報いたって気分。
でも、顔には出さない。……バレたら後が怖いし。
「……坪能さんが確認したのね? そしてソースは木村くんに新月くん、か。これ以上真実味のある情報元はないわね……」
眉にしわを寄せ、片手でこめかみを押さえて、長い息を吐く石嶺さん。
初めて見る、彼女の深く悩んだ表情だった。
その表情で、石嶺さんが応援している相手のことをどれほど大事にしているのかがアタシにも窺えた……。
「――ありがとう井流さん。とても有意義な情報だったわ。良くも悪くもだけど」
一分近く悩んだ末、顔を上げた石嶺さんは、辛そうな表情を上手く消せないまま、アタシに礼を云った。
その表情にアタシがなにも云えないでいると、
「あなたは――その、大丈夫だったの? この話はあなたにとっても、重たいものだったと思うのだけど。えぇ勿論、坪能さんにも、だけれど……」
石嶺さんは、およそ彼女らしくない感じでおずおずと訊ねてきた。
その言葉から自分の友人のことだけではなく、アタシや由香里のことをも心配してくれていたのがわかる。
さっきの辛そうな表情はアタシたちに対してのものでもあったのか。
石嶺さんの、また違う一面が見れ、何か嬉しい気持ちになっているアタシだった。
「あ、うん。由香里は少し荒れたけど何とか乗り越えてた。アタシは……、思ってたよりもショック受けなかったよ」
正直に、今の心境を云う。
石嶺さんが訝しむ顔でアタシを見る。
「石嶺さんに散々云われたじゃない? あれでね、アタシも色々と考えたんだ。アタシと由香里で寛ちゃんを思う気持ちがどう違うのかって。そしたらね、アタシの気持ちは恋に恋しているみたいなものだって気がついたの。恋している自分に酔ってる、それに近いかな? だから、由香里から寛ちゃんに彼女が居たって聞かされてもね、事実を事実としか受け止められなかったの」
なるだけサッパリした口調でつらつらと喋る。
石嶺さんはそれを黙って聞いてくれていた。
「アタシは寛ちゃんの彼女になりたかった訳じゃなくて、寛ちゃんに恋しているままでいたかっただけってこと」
石嶺さんはなにも口を挟まず、耳を傾けてくれている。
「だからさ、由香里や、石嶺さんのお友達みたく、ちゃんとした気持ちで寛ちゃんの彼女になろうと思ってる人たちと比べたら、受けるショックなんて大したことなかったの」
失敗を誤魔化すときのような、そんな空回りした声音で喋り続けるアタシに、
「それでも――」
石嶺さんが真摯な瞳で云う。
「それでも、信濃くんに恋していたという、その事実は消えないわ」
そして、椅子から降り、アタシの傍に寄り添うと、
「想いが大きかろうと小さかろうと、恋に破れるのは辛いものよ。――こんな私にだって経験があるから、わかるわ」
失恋した経験があるのだと思いもよらぬことを告げながら、そっとアタシの頭を抱きかかえてくれた。
腕から伝わってくる温もりを、優しさを、アタシは静かに目を閉じて受け入れていた。
「だから、哀しかったらお泣きなさい。悔しかったら怒りなさい。やりきれなかったら叫びなさい。あなたにはそうしていい権利があるわ。――信濃くんに恋をしていたあなたには、ね」
それは石嶺さん、あなたの体験からの言葉なのかな……。
他人に厳しい人は優しい人でもある。
それは、それだけその人のことを思っているからのことだから。
ありがとうね、石嶺さん。
でも、もう泣いたから。
もう、悩まなくてよくなったから。
だから、優しいあなたの腕の中で、心の中でひとつだけ云わせてもらっとこう。
"じゃあね、バイバイ。アタシの初恋"
「また遊びに来てね――――っ」
石嶺のおばさんの声を背に、石嶺文房具店から離れていく。
ふと振り返ると、二階の石嶺さんの部屋の窓から彼女がこっちを見ていた。
そして、小さく手を振っていてくれてた。
アタシもそれに笑顔と手を振る事で応える。
愛車に跨り少し走り、交差点へと差し掛かる。
左へ行けば山、右へ行けば海、まっすぐ行けば駅方面だ。
さてと、どっちへ行こうか?
少しだけ考えて、すっと右へとハンドルを切る。
海岸沿いを走って商店街の方へでも行きますか。
踏み切りを越え、幹線道路を渡り、旧道の海岸線へ。
倉庫の列が並んでいるから海風はまだ期待できないけれど、もう少し走ればそれもなくなる。
ゆっくりと走りながら、石嶺さんとの別れ際のことを思い返す。
「色々と騒がしちゃってゴメンね、石嶺さん」
慰められた照れもあって、わざと明るく振舞って去ろうとするアタシに、
「――紗江」
「えっ?」
「親しい人には名前で呼んでもらいたいのよ、井流さん」
結構恥ずかしいこと云ってるクセに、変わらないポーカーフェイスのままの石嶺さん。
「自分は名前で呼んでもらおうしてるのに、こっちは名字呼び?」
アタシが茶化すようにそう返すと、
「名前で呼ぶのは好きな人だけと決めてるの」
などと、いけしゃあしゃあとのたまいましたよ。
「じゃあ、アタシの事は好きじゃないんだ?」
それならばと、こう切り返したら、
「ええ、あなたは "親愛なる人" だから」
なんて、嬉しくなるようなことを微笑みながら云っちゃってくれましたよ。
その笑みはいつぞやみたいに皮肉気なものではなくて、本当に親しみからものだった。
だからアタシも、つい嬉しくなっちゃって、
「じゃ、またね。紗江!」
再会を約束した言葉を口にする。
云われた石嶺さんは、一瞬ポカンとした顔して、それから苦笑しながら、
「ええ。また、ね」
そう応えてくれた。
倉庫街を抜け、右手が開けた場所に出る。
夏の陽射しを受けた海がキラキラ光ってる。
流れてくる風にも仄かに潮の香りが混じる。
少しペダルを踏み込むペースを上げる。
スピードが上がる、風を切るこの感覚が心地良い。
夏が与えた、この胸の甘い痛みは、もう過去のもの。
新しい何かが、アタシの中で、もう始まっている。
フロントフェンダーに思い出と一緒に鈍く輝くステッカー。
アタシは愛車 "マッハダイヤ号" と共に、夏の風の中を走っていく。
志保編、各タイトルは曲から取りました。
章タイトルはSURF△CEの「それじゃあバイバイ」
6話は岡〇有希子さんの「Love Fair」
7話は中森〇菜さんの「I Missed "The Shock"」
8話は森川美〇さんの「Summer Sweet Pain」
あくまでイメージでして、曲そのものが話に直結しているという事はございません。
次回から最終章『千代美~あなただけを~』が始まります。





