7話 I Missed "The Shock"
晒された秘め事、
遠い日のときめき、
そして、――糾弾。
「な、なんで……?」
アタシが何とか搾り出した言葉に石嶺さんは、
「隠し事というものはどこからかしら知られてしまうものよ」
なんて答えになっているよな、ない様なことを云う。
「安心して。そのことを吹聴しようなんて気は無いから。私はただ信濃くんの近況、それが知りたいだけ」
あなたの恋愛事情には興味はないと云いたげに、彼女は言葉を続けた。
その温度を感じない口調からそれが真実だろうとわかる。
石嶺さんが知りたいのはただ単純に寛ちゃんのことだけ。
誰のため彼女がそれほどまでに知りたがるのかが気になるけど、これ以上藪をつついて厄介なものが出てくるのも嫌だし、正直に云う。
「――知ってれば教えることも出来るけど、生憎とこっちが知りたいくらいよ」
「坪能さんも知ってはいないと?」
「たぶんね。もし会ってたりしてたら由香里の性格から何も話してこないことなんてないし」
「ああ、成程。さすがに親友、説得力ある言葉ね」
石嶺さんは前で組んでた腕の片方を顎に当て、唇の端を少し上げ笑みの形を作ると、納得するように少し頷く。
そしてすぐに顔を上げ、真っ直ぐアタシを見て云う。
「今後、彼の情報を得ることがあれば、教えてもらえないかしら?」
「拘るね」
少しからかうような笑い込みで答えてみたら、
「ええ。あなたたちと違って何とかしようと努力している人の応援だから」
思いきり冷ややかな視線込みで返された。
アタシや由香里は何もしていないってか。
――仰る通り、だね。
由香里は自身の恋心に気づかず、アタシは想いを伝えようともしていない。
自分の気持ちがわかっていない由香里はともかく、自覚しておいて行動に移していないアタシはそう云われてもしかたないって思う。
「次の記録会でまた会いましょう。それじゃ」
そう云い捨てて、石嶺さんは自分たちの学校の集合場所まで戻っていった。
次の記録会でまた同じことを聞くから、それまでになにか情報入れといてねってこと?
「――はぁ……っ」
アタシはひとつ深いため息をつき、がっくりと首を傾けた。
アタシが調子を崩しだしたのはこの記録会で彼女・石嶺紗江と会ってからだった。
石嶺紗江。
同学区の小中学校での同級生。小学校前に在る石嶺文房具店の娘。確か一男二女の次女で末っ子。
瓜実顔に細い目は佳乃と同じ様な造りなんだけど、受ける印象は真逆。
佳乃が軟なら彼女は硬だ。
勉強はよく出来て運動も得意。おまけに大人びた美人。
身長はアタシより少し低いくらいでスレンダーだけど出るとこは出てるわで、これで人気が出ない訳もなく、結構男子たちに騒がれていたが、浮ついた話を聞いたことは無かった。
男嫌いだって噂もあったけど、男子と普通に会話とかはしていたしで、そこら辺は謎。
進学先は県立商業高校。駅を真ん中にして東側に在るアタシたちの東校や寛ちゃんたちの工業高校とは反対の西側、通っていた小中学校と同じ学区内にある。
寛ちゃんの近況を知りたがってるという娘も商業に通っているということ。
うちの中学から商業へ進んだ子は東校や北校に比べればそれほど多くは無かったと思う。
伝を辿れば誰がいるかはわかるだろう。でも、その中から寛ちゃんに想いを寄せている娘を見つけるのは難しいなって思う。
由香里の様なわかりやすい子ならともかく(石嶺さんに見抜かれはしたけれど)アタシの様に隠していたら、もうお手上げ。
寛ちゃんを好きなんて、アタシ、由香里以外にそんな物好きが他にも居たことがまず驚き。
水上さんは、……寛ちゃんオンリーって訳じゃなく、あの三人の誰かだろうって感じだったしね。
アタシが寛ちゃんを強く意識しだしたのは、たぶん小六のときからだと思う。
あの "マッハダイヤ号事件" よりも以前、六年生になって間もない時期。
些細なことから一部の男子と女子が衝突し、口だけでは済まないで取っ組み合いへと発展しかけてた。
その当時、既に身長が百六十センチに届こうとしてたアタシはその体格を買われて、女子の代表格として男子の代表とある日の放課後ケンカをするってことになってた。
血気盛んだったアタシはやる気満々で、当日の休憩時間とかで、殴る練習とかやってた。
で、隣の席の男の子に掌をかざしてもらってボクシングのパンチング宜しくそれを叩く真似してた。
軽快にパシパシとパンチを飛ばすアタシにパンチングミット代わりになってくれていた子がボソッと、でも辛らつに、
「どうでもいいような云い争いから殴り合いするなんて楽しいか?」
なんてつまらなそうな顔して云ってきた。
その気になってたアタシは水をさしてきたその子に、
「なに、文句あんの? なんだったらあんたともやってやろうか?」
なんてすごんじゃったんだよね。だのにその子はそんなのどこ吹く風とばかりに、
「文句はない。やる気もない。ただ、バカなことしてるなって思っているだけだ」
すごく冷めた感じで云い返してきた。
その云い方と言葉の内容にカチンときたアタシは軽く当ててたコブシを思い切りその子の顔めがけてぶつけにいった。
「痛ッ!」
なにか硬いものにぶつけた衝撃がアタシのコブシに走って、その痛みにアタシは思わずコブシを引いた。
「……殴り合いなんかやったら、そんな風に痛い思いすることになるんだよ。痛い目みてまでやることか? 止めとけば?」
少しだけ涙目になって、痛みを我慢するように額を押さえながらその子は淡々と云ってくる。
アタシのパンチを額で受けとめたのだとわかった。
そしてアタシのコブシが人を殴るには軟過ぎることも。
「どうせ売り言葉に買い言葉でもめたんだ。その程度のことならまだ笑って流して済ませられる。相手の浜やんには俺らの方からも云っといてやるから、ケンカなんて止めときなって」
まだ額を押さえたまま、そう云うと席を立ち、男子代表になってた浜やん、浜崎くんのところへ歩いていき、そのままなにか話し出してた。
浜やんに話かけてるその子の両隣にはいつの間にか、その子と仲のいい男子二人と女子が一人立ってて、一緒になって浜やんを説得しているみたいだった。
少しするとその場からは笑い声が立ち、和やかな雰囲気になったところで解散し、その子が元の席、アタシの隣に戻り、こっちを見ながら、
「話はついた。ケンカの件は無し。浜やんも悪かったってさ」
と、何事もなかったかのように云う。そして続けて、
「なんにしても、殴り合いなんてするもんじゃない。親からもらった顔や体に自分から進んで傷をつけるような真似するのは好くないぞ」
なんてことも。
小学校六年、まだ十一歳くらいの子供が云う言葉だろうか。
ませてる、とは違う。もっと歳くった、そう老けてると云った方がいい、実におっさんくさい男の子がそこに居た。
アタシがそんな感想を思い浮かべていると、その子は視線を正面に戻した後、付け足すように、静かに、ポツリと。
「特に、井流は女の子だろ」
その言葉にコブシに走ったもの以上の衝撃がアタシの胸を貫いていった。
高い身長と短めの髪、大雑把な性格、机に座ってるより走り回ってる方が好きな活動的なところ、何より男子とやりあうときの代表になっちゃうようにアタシはあまり女の子として見られることは少なかった。
男子からは "男女" なんて定番な悪口を云われるくらいで、アタシもそれを諦め半分で受け入れてた。
だのに、こんな風にさりげなく、しかも唐突に "女の子" 扱いされたことにすごく驚いて、それから、なにか気恥ずかしくて、顔が、頬が、段々と熱くなっていくのに、それを抑えることが出来なかった。
これがアタシの寛ちゃんとのファーストインプレッション。
あの時、確実にアタシの心は寛ちゃんに射抜かれたのだと思う。
その手のことに免疫がなかった上に子供心は単純に思い込むものだし。
でも、それを認めるのはなんだか癪で、幼い恋心を伏せたまま、それなりに仲のいいクラスメートの振りを続けてた。
放課後の教室でたまにひっそりと催されることがあった残念トリオの懇談会。
いろんな意味で悪目立ちをするあの三人組、他の男子とはなにか違ってる感じがするんだけど、積極的に話したりするのはちょっと……って思っている女子のために、連中の後見人を自称してた水上さんが主催してた、ようは雑談の場。
アタシみたいにさりげなく連中に助けられたり背中を押してもらったりした子たちとその友人らが参加してた。
最初は怖々と進んでいくんだけど、ちょっと会話に火がつけばもう連中の独壇場で、次から次へと拡がっていく話題、巧みな話術に絶えない笑い。気がつけばいつもトリオ漫才で幕を迎えるといった具合だった。
そのうちに普通に女子が連中に話しかけてる光景が当たり前になってた。
それでも片寄りは出来るもので、男子に囲まれていることの多い新さんや、話の返され方が独特すぎるキムには皆遠慮がちで、自然と寛ちゃんへと集中することに。
この傾向は中学になっても変わらずで、由香里は中一のとき寛ちゃんの隣でその状況を目の当たりにして、水上さんに問いかけ、返された言葉を聞き、そして寛ちゃんに思いを寄せるようになっていった。
その由香里からバレーボール部の先輩男子から強引な交際を申し込まれ、逃げるようにして断ったという話を聞いた。
その先輩の噂は聞いたことがあって、陸上部でも先輩たちがたまに話題に上げていた。
とにかく、弾撃ちゃ当たる式に軟派しまくる人だそうで、おまけに下半身に節操がないらしい。
て、云うか、この人の軟派はイコール性行為で、そのために軟派しているといった方が正しいとか。
そんな色魔に目をつけられた由香里。そりゃ後が怖いよね。
ふむ、あの子のプロポーションだったら目もつけられるか。
女好きな人なんかには堪らないだろうしね。
しかし、そんな人がよく学生続けていられるなぁ。
結構ゆるいのかな、うちの学校って?
まー、そんなこったでアタシは色魔の先輩をどうにか抑えてもらうべく、部の先輩たちにそれを相談することに。
「――、という訳で、何とかならないかと思いまして」
陸上部の部室、アタシの前には熊谷部長(三年男子)に宮部副部長(三年女子)、チーフマネージャーの伊豆田先輩(三年女子)の三巨頭がそろい踏み。
なかなかに壮観だ。
アタシの話を一通り聞くと部長が重々しく頷いて、
「二年の宗村か。なんだかんだであいつぁ抜け目なくやり過ごしているからなぁ」
「今のところうちは被害無いですけどね」
「ですが、このままにしておけばいずれはこちらに火の粉が飛ぶことも考えられます」
副部長と伊豆田先輩が続ける。
「オイタが過ぎるとどうなるかを教えておくのも頃合いか……」
二人の言葉に部長が少し考えるように目を閉じて、
「よし、わかった。バレー部々長の脇田にも話しつけとこう。あいつも宗村には手を焼いてたからな、お灸をすえるにはいい機会だろう」
パッと開眼すると力強い声で宣言してくれた。
「ということだから。井流、あなたの友達にも安心するようにって云ったげなさい」
と、こちらは副部長。
サムズアップが頼もしいです。
「坪能さん、だったかしら? 以前クッキーの差し入れしてくれた子よね?」
「あ、この件のお礼にって本人作る気満々ですから、期待してて下さい」
「そう。あれはとても美味しかったわ。また頂けるのは嬉しいわね」
伊豆田先輩が顔を綻ばせてそう云ってくれる。
喜べ由香里、あんたのお菓子は大変に好評だよ。
この後、アタシが由香里にこのことを報告したのは云うまでもない。
そして後日、由香里がお手製の洋菓子あれこれを大量に差し入れたことも。
「ひと月ぶりね。どうかしら、何か進展はあった?」
前回から一ヶ月後の記録会、柔軟をしてるアタシに変わらぬ口調で声をかけてきたのは、例によって石嶺さん。
「いきなり本題切り出してくるとか、ストレートね」
少しだけうんざりした気持ちで返事するアタシ。
「あら、なら時候の挨拶からでも入りましょうか? その分話が長くなるけれど、それはあなたの望むところではないでしょう?」
手を口元に当てて小さく笑う彼女。見透かしてるなー。
「そうだね。不毛な会話はお互いいい気分しないし……わかってることだけ教えるわ。由香里がニオでよく会うようになったってさ。高校で映画の同好会作ったとか、新しい友達が出来たとか、相変わらず少女マンガ読んでたとか、キムと新さんとバカやってるとか、そのくらい」
由香里から又聞きしたことをそのまま伝えてやる。
「情報あり、か。……ニオでよく会うというのは有益な情報ね。ありがとう」
「あ、いや、これくらいしかないけど……」
普通に感謝されてこっちが面食らってしまった。
「信濃くんの行動先がわかるだけでもありがたい話よ。ただ、ニオなのね……」
そう云うと石嶺さんは少し顔を曇らせて、
「学校帰りにニオ、私たちの学校からそのルートは取れない。偶然を装って出会うには不自然すぎるわ」
そう、考えていたことを口にする。
駅方面から登校しているのならそれもありえるだろうけど、石嶺さんや彼女が応援しているという娘も商業の近くから通っている。
学校帰りの寄り道としたら、石嶺さんの云うとおりそれはとてつもなく不自然な行程だ。
「休日にどんな行動しているか……それは無理みたいね?」
少しだけ期待を持っている感じでアタシの方を見たけど、すぐに無駄なことを悟って残念そうに言葉を吐息とともに放つ。
「……力になれなくてゴメン」
本音はどうでもいいやって思ってるけれど、一応、謝っておく。
「いいのよ、元から過度な期待はしていなかったから。なにか少しでも得られればそれで十分」
アタシの本音をわかっているのか、包み隠さず云いたい放題。
「石嶺さん、あのねぇ」
さすがにカチンと来たんでなにか云い返してやろうと口を開いたんだけど、
「でも、今の話の感じでは坪能さんは未だお友達感覚なのね」
ポツリと彼女は、らしくない情を込めた感じで、由香里のことを哀れむように呟いた。
「恋敵が少ないのはありがたいことなのだけれど、彼女、今のままでいいのかしらね……」
その言葉を聞いて、アタシは初めて石嶺さんに親近感を覚えた。
が、
「永く育んできた想いを自分がわからないままでいる。それが辛いことだと、あなたならわかるのじゃないかしら、井流さん?」
いきなりこっちに振られ、言葉を返せないでいると石嶺さんは続けて、
「友情は大切だと思うわ。でも、それが壊れるかもしれないからと、友人の恋心を気づかないままにしているのは、果たして友情と云えるのかしら?」
強い意思を持つ視線をアタシに向け、
「気がつかないままでいてくれれば、いつか自分の想いが成就する。そんな風に考えていないと云える、あなた?」
それは、そんなことは――、
「即反論出来ないのは肯定ということよ。あなたは心のどこかで坪能さんの恋が実らなければいいって思っている」
ち、ちが――、
「あなたは意外に聡い人だから、自分と坪能さんを比べて彼女には勝てないと思ったのでしょうね。だから、少しでも彼女の芽を摘むことを選んだ。坪能さんに恋心を自覚させないで終わらせようとした」
血の気がひいてゆく、目の前が回って石嶺さんが歪んで見える。頭がガンガンする。
「相手をスタートラインにも立たせないで終了宣言? 競技者として恥ずべき行為ね。自分もそこには立っていないくせに」
もうアタシは石嶺さんを見てなかった。目の前は地面。遠くから彼女の声だけが届く――。
「自覚してやっているのならまだいいわ、覚悟があるから。無自覚ですものね、あなた。――最低ね」
全身から冷たい汗が噴き出してる。がくがくと震えが起きる。
「もう、信濃くんのことはいいわ。ありがとう、さようなら」
石嶺さんが冷たく云い捨てて去っていくのがわかる。
でも、アタシは自分をきつく抱きしめたまま震えてた。
「志保、志保っ、どうしたの? 真っ青だよ、気分悪いの?」
佳乃の心配そうな声が聞こえる。
優しく触れる手の感触があった。
そこでアタシの意識は途絶えた。
次回、志保編最終話。