6話 Love Fair
井流志保、
坪能由香里の親友。
そして――
走るのが好き。
風を突っ切っていくあの感覚が好き。
汗が肌からはがれていく感触が好き。
周りと自分の風景がズレていくのが好き。
全力を出し切ったあとの脱力していく、あの感じが特に好き。
アイツのことが、好き。
ハードワークしたとき、割とマジに思うことがある。
このまま倒れちゃえばいいのにって。
そしたら、この胸の中に抱えている面倒な気持ちもどうにかなってくれるだろうから。
でも、ま、世の中そんなに上手くはいかないものだし、そんなに都合も良くはない。
アタシがどれほどアイツのことを想っていようと、アイツに届くはずはない。
アイツはそのことを知りもしないから。
「よーしっ、練習終わりだーっ。各自ダウンしてからあがれーっ」
三年男子の熊谷部長の、名は体を現す大きな体から練習終了を伝える野太い声が響き渡る。
校庭のあちこちで練習していた陸上部員たちがそれぞれクールダウンし終えてから、まばらに引き上げていく。
その中の一人であるアタシもダウンを済ませタオルで汗を拭いながら、用具片付けの当番たちを横目で見つつ、トレーニングウェアを着替えるために部室へ戻ろうとしてた。
「お疲れ、志保」
そんなアタシの横に並びながら声を掛けてきたのは、部のマネージャーの一人で、同級生の半田佳乃。
瓜実顔に細い目。ボリュームの少ないおかっぱショート。小さいころに病気をしたとかでほっそい体。その病気のせいで運動は不得手なのにスポーツ大好きだからってマネージャーやってるような出来た娘。
「うん、お疲れ」
「志保、どうかしちゃった? 最近タイムバラけてたけど、今日のはそれに輪を掛けてひどかったよ?」
並んで歩きながら佳乃がタイムを記録している用紙を挟んでいるボードを見ながらそう云ってくる。
「あ、うん。ちょっと調子悪くてさ……」
アタシが口ごもる様にそう答えると、佳乃は少し声をひそめて、
「なに、アノ日?」
「うー、ま、そんなとこ、かな……」
「無理しちゃダメだよ~。体調管理も大切なんだからね」
病気で長く苦しんできた佳乃の云う言葉は説得力がある。
「ん、わかってる。わかってるって……」
「そうなんだとするとぉ、次の記録会どうする? 出るの辞めとく?」
「んー、出るよ。まだ日もあるし、それまでにはどっちも良くなってると思うし」
「参加、ね。わかった、部長たちにはそう伝えとくけど、都合悪くなったらいつでも云ってね?」
「りょーかーい」
佳乃は今日の記録をまとめるために他のマネージャーたちの集まってるところへ、アタシは当初の目的である着替えをするために部室へと別れた。
部室へ戻ると既に何人もの女子部員たちが着替えをしていた。
その中を自分のロッカーまでもまれながら進む。
「うー、つくづく思うけど、ここにもシャワーが欲しい」
「同感。使いたかったらプール棟ってのは面倒だし、第一遠いよねぇ」
「体育館組みはいいよねー、隣り合わせだからすぐ使えてさ」
「うちだけなんて云わないからさ、せめて校庭側にもシャワー施設作ってほしいな」
「男子はいいよなー、その気になれば水浴びできるし」
「女子はそうもいかないからねー」
無事自分のロッカーまで辿り着き、先輩同輩たちの女子トークを耳にしながら着替える。
大雑把にウェアを脱ぎ、バッグに詰め込む。
タオルで軽く全身を拭い、そのまま汗に濡れた下着に手をかけるけど、どうせうちに帰ったら履き替えるんだからとそのままにして制服をバタバタと着込む。
そして、また人の間を抜けるように進んで、
「お先、失礼しまーす」
と、声を掛けてから部室を出てゆく。背中に「お疲れー」といくつかの重なった声が届く。
部室からグラウンドを突っ切って、反対側にある自転車置き場まで愛車を迎えに。
途中、最後に見回ってから部室へ戻ろうとしている部長に「お先します」と一礼して声を掛ける。
「おぅ、気をつけて帰れよ」
部長の返事にまた軽く頭を下げ、一路愛車の元へ。
愛車へと辿り着いたら、前カゴに鞄とバッグを放り込み、鍵を外してから颯爽と走り出す。
やっぱり、この、風を切っていく感覚は大好きだ。
うちに着くまでのおよそ三十分、愛車・マッハダイヤ号は軽快に進んでいく。
アタシの自転車にこんな妙ちくりんな名前をつけたのはアイツ。
中学に上がる前、自転車を新調してもらって嬉しかったアタシは、学校で浮かれた気分のまま、
「名前つけるんだ~アタシの愛車♪」
なんて云っちゃったんだよね。
そしたら隣の席にいたアイツがボソッと
「マッハダイヤ号」
なんて云いやがった。
そのけったいな名前に
「なんで?」
って、聞き返したんだけど、
「愛車といったら "マッハダイヤ号" だろう?」
と、アタシには全然訳わかんないのに、どうしてそんなこともわかんないんだ? って顔して云い返してきた。
「JAKQか。うん、確かに」
「愛車ってったら、やっぱ "マッハダイヤ号" だよねー」
なんて、アイツの連れたちが口を揃える。
そのうちに周りにいたクラスメートまでもが「マッハダイヤでいいんじゃない?」「聞き慣れたらカッコいいかも?」なんて云い出したものだから、済し崩し的に "マッハダイヤ号" と命名されちゃった。
高学年だろうと、小学生なんて所詮こんなノリなのよ。
翌日、ご丁寧なことにアイツらは "マッハダイヤ号" なんて書いてある、ラメの入った派手な自転車用のステッカー持ってきやがって、クラス衆目の中でアタシにプレゼントしてくれちゃったりで、そこまでされるとこっちも引っ込みつかなくなっちゃって、その日の放課後、わざわざ小学校まで乗って行って、このことのためだけに集まってくれちゃった結構な人数のクラスメートの見守る中、前のフェンダーにステッカー貼ったわよ。
貼った瞬間、皆が拍手して「おめでとう」「マッハダイヤ号、おめでとう」なんて祝うの。
アタシ、そのとき思ったね。これは祝いじゃなくて呪い――。
"あぁ、もうこれ剥がせない" って。
このバカ騒ぎの張本人たちを見てみれば、いい仕事したなぁって顔してやがって、なんか腹たったからアイツの頭、拳骨でポカンと叩いてやった。
アイツは何故だ? って目で訴えてたけど、アタシは無視。
スカッとしたなぁ。
多少色褪せたり削れてたりするけれど、今もフロントフェンダーに健在な "マッハダイヤ号" のステッカーを見ると、あの日のことが昨日のことの様に頭の中で鮮やかに輝きだす。
アタシとアイツの懐かしく楽しかった思い出だ。
道中何事も無く帰宅し、玄関から居間の方へ「ただいま」と声を掛け、そのまま二階の自室へ。
鞄を置き、バッグを開けて汚れたウェアなんかを取り出し、さっと制服を脱ぐ。
そのまま部屋着に着替えたら、汚れ物と替えの下着抱えて下に降り、風呂場へ向かいながら、また居間へと声を掛ける。
「お風呂、空いてるー?」
「空いてるよー」
母親からの返事を受け、躊躇せずに脱衣所に入る。
汚れ物を洗濯籠に放り込み、服を脱いでゆく。
真っ裸になったら扉を開けて浴室へ。
シャワーで汗なんかを洗い落としてからいざ浴槽へドボン。
「ふひーーーーー」
年頃の娘の出す声じゃないけれど、やっぱりお風呂に入ったときの心地よさに、こーゆー声は出ちゃうもの。
ひざを抱えるように湯船に体を沈めてゆっくりとバスタイム。
視線を下げると慎ましやかな丘陵が見える。
入浴剤の透き通る緑色の中に小麦色と肌色と桜色のコントラスト。
「はぁーーーーーーっ」
ちょっとため息。
そういや由香里が湯船に浮かんで楽になるとかって云ってたことがあったっけ。
浮かぶほどのサイズも体積も無いアタシには見当つかないよそんなこと。
しぼんでしまえ、Dカップめ。ついでに歳とって垂れろ。
そんな邪念にまみれながらそっと自分の胸に触れてみる。
掌にいい感じ収まるふたつの膨らみ、形だって悪くないと思う。
でも、アタシの身長じゃ十分な大きさとは云えない。
せめて十センチ低ければ、程よいサイズのナイスバディになるんだけどなぁ。
揉めば大きくなるとか云う都市伝説信じて何度も揉みまくったけれど、感度ばかりが良くなって、大きさには影響なかったし。
揉むといえばやっぱり由香里の乳、あれは反則だったなぁ。
ドンだけ柔らかいんだよって感触で、触ってるとこっちの気分がおかしくなってきたもの。
触られてる由香里もまんざらじゃないって感じの紅い顔してたし、あれはやばかった。
止めた後、部屋の中の空気が桃色がかって見えて、二人とも妙に気まずくて、危うくそっちの世界へ入り込むところだった。
一線越えなくて良かった、うん。
第一アタシには好きな男がいる。
彼氏とか、そんな関係じゃないけれど、好きな男が。
悶々とした気分で思わぬ長湯になったけど、特にとがめられることも無く、仕事を終えて帰ってきてた父親とお風呂をバトンタッチ。
世間じゃ父親がすぐ後にお風呂に入ったり、逆に父親の後に入るの嫌がる娘がいるそうだけどうちは違う。
さすがにお年頃ですので一緒に入るのは遠慮するけど、洗濯物を一緒に洗われようが一向に構わない良好な親子関係を築いている。
父親よりもオヤジくさい同級生と何年も一緒だったからか、うちの父親なんかすごく若く思えてる。
父親が風呂から上がると塾から帰ってくる弟を待ってそれから夕食。
その日のたわいない出来事を互いに話したりして楽しく皆で食べる。
食べ終わってからもしばらくは居間でテレビ見ながら皆で過ごす。
井流家は今日も平和です。
ゴールデンタイムが終わるころに自室へ戻る。
明日の支度やら何やらと片付けてベッドでゴロリとしてたら携帯が聞きなれた着信音を鳴らす。
こんな時間にかけてくる相手なんて知れてる。
表示されてる相手の名を確かめてから通話ボタンを押し、
「由香里、なーにぃ?」
「あー、志保ちゃん、志保ちゃん。今日も寛ちゃんに会ったよぉ」
親友・坪能由香里の弾んだ嬉しげな声が耳に飛び込んでくる。
「ふーん、それはそれは。で、今日はどんな話、したの?」
ここ最近の由香里からの話題といえば、中学卒業後久しぶりに会った元同級生、信濃寛。通称・寛ちゃんのことばかりだ。
「キムくんと新さん、それから新しく出来た友達のこと。寛ちゃんたちね映画の同好会とか作ったんだって」
キム、木村邦明と新さんこと新月和浩もアタシらの元同級生。
信濃・木村・新月の残念トリオはアタシらの中学、いや小学校のころから変な意味で有名人だった。
「十月の終わりにある文化祭でどんな映画撮るかって何回も会議してるんだって。でも大体キムくんが変な企画出して荒れて終わっちゃうんだって。なんからしいよねー」
由香里の楽しげな笑い声が響く。
寛ちゃんのこと話しているときの由香里はいつもこんな感じだ。
楽しくてしかたない、そんな気持ちが溢れてる。
中学三年生のころからそれがすごくハッキリしだしてた。
由香里自身は全然気づいていなかったのだけど、あの子は寛ちゃんに恋をしていた。
現在進行形でそうなんだけど、本人は未だに自覚していない。
周りはあの子の寛ちゃんびいきは単に仲の良い男友達に対するものくらいにしか見てなかったけど、アタシはわかってた。
あれは恋心からだと。
そーゆーことに目ざとい何人かは、知っていてもあえて生温かく見守っている様子だった。
残念トリオの対象者以外の二人とか、女子で最初に寛ちゃんのいいところを見抜き、それを周りに広めていった、残念トリオ最高の理解者だった水上直嬢。
そして、最近になってそのことを告げてきた石嶺さんとか、ね。
由香里との通話が終わってから、ベッドに横たわったままあれこれと思いを巡らせる。
ここのところあの子からの電話が終わるといつもこんな感じになってしまう。
原因はわかってる。
寛ちゃんだ。
寛ちゃんの話題が出ることがアタシの気持ちを面倒にさせてる。
「信濃寛くんの近況とか、わかることだけでもいいのだけど、教えてもらえないかしら?」
先月、近隣校の陸上部合同で行われた記録会で中学卒業後久々に会った元同級生・石嶺紗江は、アタシと再会の挨拶を交わした後、そう云った。
なぜ寛ちゃんのことを学校の違うアタシに聞こうとするのかと問い返すと、
「彼の近況を知りたがっている人がいるの。私の学校よりも接点が多いでしょ、あなたたちの学校は? 帰り道とか。それに――」
「それに?」
「信濃くんに恋しているあなたの親友、坪能さんなら色々と情報とか持っていないかなと思って」
「由香里の気持ち――」
「知ってたわ、中学のころから。彼女、わかりやすかったから」
そして、それから――
「それとあなたの気持ちも、ね。親友と同じ相手を好きだってこと。だから、あなたからでもいいのよ、井流志保さん?」
嘲笑する訳でもなく、ただ事実を告げただけといった感じの柔らかい笑みで石嶺さんは、アタシが誰にも云わずに隠し抱いてた気持ちをあっさりと晒した。
次回、アタシがアイツを好きだと気づいたころの話。





