11話 ホントのKissをお返しに・前編
負けの見えてる恋なれど、
せめて一太刀、刻みたい。
報われぬ想いと知りつつも、
さて、どう出る、滝本千代美?
十月、最後の日曜日。
県立大道工業高等学校文化祭の二日目、一般公開日だ。
正直に云って、工業の文化祭は人気がない。
人を惹く "華" がないからだ。
ただでさえ "工業高校" ということで、油臭いやら機械弄りなイメージがある上に、男子生徒しかいないことが致命的だった。
極端なことを云えば、いいところを見せても、それでトキメいてくれる様な存在が学校内にいないのである。
いや、内外含めて、一部そういう趣味の人が居れば話は違ってくるのだけれど、それはこの際無視するといたしまして、ハイ。
そういった状況で張り切ったりする男の子なんて、まず居ないだろう。
だから自然に展示なんかもお座成りになる、手抜きになる、どうでもよくなる。
そんな全体的に覇気の無い文化祭なんかに好き好んで行くようなのは、よほどの物好きか暇人くらいだろう。
一応ご近所の方々が、よしみとして申し訳程度に見に来るようだけど、ホント、それくらい。
他校の生徒がやって来る場合は知り合いが居るとか付き合いとか、そんなもので、それもほぼ男子だけだったりする。
珍しく女子が来るって場合はだいたい工業に居る彼氏に誘われたりとか、そういうもので、女子だけで目的無し、ただぶらりと立ち寄りました、というのは、ほぼありえないだろう。
そのありえないパターンではなく、ちゃんとした目的を持ってやって来たにも関わらず、正門前で、私たち、滝本千代美と石嶺紗江は、何か鬱屈としたオーラを放っている工業高校という存在に圧倒され、門を潜れずにいた。
「なんて云うか……、甘く見ていたことを恥じるわ」
自虐的な笑みを浮かべ、石嶺さんがポツリと云う。
「同感。これほどまでとは思っていなかったわね」
少し引きつりながら、ぎこちなく笑って私が返す。
「唯一救いなのは、当てなく遊びに来た訳じゃないというところかしら。目的がなかったら、とても立ち寄りたいとは思わないわね」
門の外から見える工業高校の校舎を見上げながらの石嶺さんの言葉に頷きながら、
「この有様見ると、つくづくうちの文化祭って外向けになってるって思うわ」
と、来月に開催される我が校の文化祭のことを思う。
市内でも商業の文化祭は派手で有名なのだ。
私も中学のとき、近所なのでよく行ったけれど、とにかく人、人、人で溢れかえっていた。
既に準備に入っているが、展示にしても催しにしても、基本外部向けを考えてやっていることがうかがえている。
私が所属している漫画研究部も、イラストなどの作品展示の他にベタな同人誌を作って、それを安価で販売する計画だ。
漫研に所属しておきながら、絵心のない私は文字原稿の方をやらさせてもらった。
内容は……、秘密。
「そういえば、石嶺さんのとこ、陸上部は何することに決まったの?」
文化祭ではあるが運動部だって勿論参加する。
外部にアピールして次年の入学予定者を呼び込む目的もあるからだ。
「グラウンドはファミリー層向けの競技体験会。屋内は有料の体力測定コーナー。あまり集客は見込めないでしょうね」
肩をすくめながら、やれやれといった感じで答えてながら、
「クラスの方、喫茶案がつぶれてくれて助かったわ。抽選様々よ」
とも云う。
喫茶とかの飲食関係は集客が見込めるうえに売り上げという現実的な旨みがあるため、営業許可数の割り当てがあり、幸いなことに我がクラスはその選に漏れたのだった。
「喫茶なんてやっても、男子のサボる口実になるだけだしね」
基本女子の多い我が校、表に立つのは女生徒だ。
男子なんて、裏方くらいしかやることが無い。
飲食系をやれば、接客も厨房も女子が中心でやることになり、男子なんて設営と買出し程度しか使い道がありゃしない。
故に喫茶飲食関係の出し物をするクラスでは、男子は高確率でサボタージュするのである。
そんなこんなでうちのクラスは "税の仕組み" なんていうお堅い展示で、男子に受付当番を集中的に押し付けて、女子は比較的自由に動けるようにシフトを仕組んだのでした。
男子差別と思うでしょうが、展示の原稿は女子が製作したものなのだから、この措置は正しいのである。
まぁ、男女比を考えれば、民主主義という名の数の暴力だと云えるけれど。
しばらくその辺りの話題で笑いあった後、一息入れると石嶺さんは意識を切り替え、
「さて、そろそろ覚悟を決めて、参りましょうか?」
いつものシリアスな趣きで云う。
その言葉に私は頷いて、
「ええ、行きましょう」
門を潜るべく歩き出した。
正門を潜り、外部からの参加者向けに校内案内の小冊子を配っていた係の生徒からそれを受け取り、目的の場所を確かめ、そこへと向かう。
冊子を渡してくれた男子生徒さんの視線がいろんな意味でアレだったのには、仕方ないことだと割り切っておこう。
それほど扇情的な格好はしていないつもりだけれど、同年代の女子の私服ってだけで、結構煽るものがあるのだろうって思う。
石嶺さんはともかく、私は彼に会うために少し張り切ってしまっているし。
そんな私の服装は、ネイビーカラーのストレッチ素材ロング丈ジャケットにブルー×オフホワイトの極細縦ストライプのブラウス、大き目のバックルの幅広ベルトを腰に引っ掛けるようにしてかけ、ヒザ上十センチのデニムミニスカートを穿き、黒タイツにショートブーツの組み合わせ。
それと小さめのショルダーバッグを肩から下げてます。中身は乙女の秘密。
ストレッチ素材のジャケットは身体のラインがわかるように、縦ストライプのブラウスは胸を強調するためだし、腰のベルトも括れへの視線誘導目的。
ヒザ上十センチは下品にならないギリギリのラインを狙って。タイツは勿論足を引き締めて見せるため。
上半身は優等生っぽさを、下半身はちょっとした冒険心を象徴させているつもりなのだけれど、上手く表現出来ているかは判定者不在のため不明。
石嶺さんは、その細身に合わせてかタイトな格好をしていた。
黒の薄手ニットのセーターの上に赤茶系のライダーズジャケットを羽織り、少しだけ前を開けている。その上から肩から斜めに黒赤ツートンのボディバッグをかけ、ボトムは黒のスキニーデニムパンツ、足元はライディングシューズ。
皮のボトムズで無いあたりが、ファッションでライダーを気取っていることを誇示している。
二輪免許も持って無いのに、なかなか堂にいったライダーズスタイルだった。
車とオートバイ、どっちもいけるという彼女のお兄さんの影響が知らずのうちに出ているのだと思う。
ああ見えて、石嶺さんはお兄ちゃん大好きっ子なのですよ。
指摘するとあのクールな姿勢を崩さず、ムキになって否定しますけれど。
「信濃くんたちって映画の研究部じゃなかった? その割りに視聴覚室を割り当てられてないのね」
目的地へと歩きながら、冊子の配置図に目を通して、石嶺さんがそんなことを云う。
「正確には映像文化研究部、ね。視聴覚室はSFアニメ研が押さえてるみたい。お題目からすると、劇場アニメのソフトでも流すんでしょうね」
私がその疑問に答える。
「で、その映像文化なんたらは何をすることになってるのかしら?」
「えーと、 "名作再見・ア〇ゴ探検隊の大冒険" と "ストップモーションアニメの素晴らしき世界" ですって。私物の映画ソフトの上映と自分たちで作ったコマ撮り作品の発表みたい」
石嶺さんはよくわからないって顔をして、
「……彼ららしい。って、云えば良いのかしら?」
と、こぼす。
「それで合っていると思うわ」
苦笑しながら私が返し、それから口調を改めて、
「……上映会は正午スタート。使える時間はきっとそこまで。上手く居てくれるといいんだけど……」
この先の懸念を口にする。
「上手くいくと信じましょう。きっと、そこにたむろって居るはずよ」
私の肩をポンと軽く叩き、石嶺さんが優しく云ってくる。
……そうだね、上手くいくって、信じないとね。
映像文化研究部に割り当てられていたのは、工業高校に付き物な実習棟の一角だった。
お世辞にも集客によさそうな場所とは云えず、その配置に期待値の少なさが読み取れる。
入り口に申し訳程度に施された装飾パネルに "映像文化研究部展示会場" の表示。
その下に、上映会のタイムスケジュールが書かれたボードが貼り付けてあった。
正午から "ア○ゴ探検隊の大冒険" 十四時から "ストップモーションアニメの素晴らしき世界" 、その後にはなにも書かれていなかった。
「……それぞれ一回だけ。天晴れなくらいのやる気の無さね。ここまで来ると尊敬の念さえ湧くわ」
石嶺さんが感心したかのように皮肉を放つ。
入り口の前に立つ私たち。
扉の向こうからは、複数の、人のなにやら話す声が聞こえてくる。
「とりあえず、人が居ることだけは確かね。信濃くんが居るかはわからないけど、居なくても居場所は聞けそうよ」
入り口から視線を私へ向けなおし、石嶺さんが静かに云い、
「じゃ、行くわよ」
ノックもせず、扉に手をかけると、その引き戸をためらい無くスライドさせ中へと入る。
「あー、すいません。上映は十二時からなんですがー」
突然の闖入者である私たちに、なにやら愛想の良さそうな笑顔を浮かべた男の子が柔らかい声音でそう告げてくる。
部屋の中には、ひのふの……五人の男子生徒。
受付席をセッティングしようとしていたらしい、今声をかけてきた男の子、それを手伝っていたようなバンダナ巻いたツンツン頭の、若いのになぜか歳くってる雰囲気をまとわせているおっさんぽい人、新月くんだ。
その奥の上映機材を載せたテーブルで、ノートパソコンを操作していたのだろう特徴的なメガネ男子・木村くんに、それを覗き込むようにして横に立つ、長身細身でウェーブヘアの、この場に似つかわしくないようなハンサムさん。
そして、一番奥で椅子に腰掛けて、テーブルに広げたなにかのプリントを読んでいた彼、信濃くんがそこに居た。
信濃くんが、居た。
中学の卒業式のとき以来に見る信濃くん。
髪の毛が伸びてるね、仏頂面に拍車がかかって、ますますオジサンぽいよ。
少し痩せたのかな? 頬の辺りからあごのラインが男っぽくなってる。
ああ、見ているだけで胸がいっぱいになってくる。
もっと落ち着いた気持ちで相対出来ると思っていた。
いろんなシチュエーションでの対応を、頭の中で何度もシミュレーションしたりもした。
――だのに、だのに。
顔を見ただけで心臓が早鐘を打つ。鼓動が高鳴って、すごい勢いで血液が全身を駆け巡っていく。
どうしよう、顔が熱いよ。きっと私、紅くなっちゃってる。
「失礼。上映会を見に来たわけじゃないの。人に会いに来たのだけど」
愛想の良さそうな男の子をやんわりと制して、私を伴ってつかつかと部屋の中に入りながら、石嶺さんがそう云うと、
「あれ? 石嶺? 予想外の来訪者だな。お前さんがこんなとこに来るなんてなぁ」
彼女を認識して新月くんが意外そうな顔して答えた。
「お久しぶり、新月くん。ええ、私も同じ感想よ。好んで来たい場所とは云えないわね」
軽く会釈してからの、その石嶺さんの返しに大きく苦笑いしながら、
「相変わらず手厳しいねぇ。で、その好まざる場所に出向いてでも会いたいってのは、どこの何方のことかいね?」
と、落ち着いた対応をしてくる新月くん。相変わらず大人な人だ。
その新月くんの言葉に返すように石嶺さんは、私の腰に手を当てるとそっと前へと押し出し、
「彼女が、信濃くんに、ね」
信濃くんの前まで私を送り出してから、そう云った。
場の男子たちの視線が私へと集まる。
初対面の二人以外、中学では同じクラスだったこともある木村くんも新月くんも私が誰であるかを認識出来ていない様子で、
「……えーっとぉ、どこか見覚えあるんだけどぉー」
額に人差し指を当てたポーズで少し悩みつつ、そう木村くんが口を開いたとき、
「間違ってたらゴメン。――滝本……滝本、千代美さん。だよね?」
信濃くんが、私の顔を真っ直ぐ見詰めながら云う。
――私を、私だとわかってくれた。
私は力いっぱい頷くことでその言葉に応えた。
「え゛っ?」
「……滝、本? ――ああ、云われてみればっ。しっかし、よくわかったなぁ寛?」
これは驚いたって顔する木村くん。
新月くんは驚きつつも、それを見抜いた信濃くんに感嘆しつつ、言葉を振る。
「いや、かなり大人っぽく綺麗になってるけど、元々目鼻立ちが整ってたから、滝本さんは」
振られた信濃くんが少し照れた感じで見抜いた根拠を答える。
その言葉が私の胸をもっと熱くする。
――綺麗になった。
そうだよ信濃くん。私、あなたのために綺麗になったんだよ。
ただ、あなたのためだけに。
「いやさぁ、それ以前に寛、滝本ちゃんのことどこで知ったのよ? 接点無かったと思うけど」
木村くんが素朴な疑問を口にすると、
「小学校で一緒のときあったんだって。三年と四年」
信濃くんがそれに答える。
「ふーん、そんな歳のとき同級生の目鼻立ちを観察するようなことしてた訳?」
「いや、すごく間近で見る機会が何回かあって」
「すごく間近?」
「うん、ほぼゼロ距離」
それは、あの "鼻の頭の挨拶" のこと。けど、木村くんはそれを知らないから、
「ゼロ距離……って、ナニしてたのよ、寛!?」
きっとあらぬ想像をしたのだろう、疑わしげな視線で信濃くんを見る。
周りを窺うと、他の面子の方々も皆それぞれの興味ありげな視線で私と信濃くんを見比べていた。
彼の名誉のために、ことの詳細を告げようかと、私が口を開こうとしたとき、
「四組の学習発表会事件。記憶にないかしら?」
と、石嶺さんが絶妙のタイミングで割り込んでくる。
って、何、その仰々しいお題目? 初耳なんですけれど。
「四組……? あ、もしかして」
「担任が生徒にキスまがいのことさせたって、PTAで問題になりかけたってぇアレか?」
木村くんが何か思い出したって顔をすると、新月くんが間髪入れずその内容を語った。
「え、なにそれ。そんな面白そうなことがあったの?」
愛想の良さそうな男の子が興味津々って風に身を乗り出して聞いてくる。
なにそれ? って、私のセリフだ。あれって、そんな後日譚があったの?
そんな私の葛藤も知らず、新月くんがその事件とやらの解説を始めだす。
「なんでも、世界のアレな挨拶とやらのひとつに、キスするくらいに顔を正面から近づける、てーのがあって、それを父兄参観の発表会でやらせたんだと。当日は何事もなかったんだが、後になって冷静になったそれを見てた父兄の一部から、もしかしたら難しい年頃の子供にやらせることではなかったのでは? とか問題視するような声が出て、PTAの総会で議題に上げる上げないの話になりかけたんだが、当の担任が父兄に謝罪してとりあえず問題にはならなかったとか、確かそんな話だったはずだ」
熱弁ありがとう新月くん。そんな話があったのね。
――やっぱり問題になってるじゃないか、先生ぃぃぃぃっ。
「ふーん。で、寛はその当事者だったと?」
ハンサムさんが柔らかくからかう調子で信濃くんに真偽を問う。
信濃くんは視線とちょっとした首を傾げる動作でそれに答える。
ハンサムさんは、それを肯定と受け取るように目を伏せ、それから私の方へと視線を向けて、
「そして、そちらの彼女がその御相手だった訳だ?」
と、遊び心の多そうな笑顔で、私にも真偽を問うた。
その笑顔はなんというか、その、心を蕩けさせるというか、忍び込んで来る様な、そんな性質のスマイルだった。
信濃くんという想い人がいる私でさえ、一瞬惚けてしまいそうになる、それほどに優しく怖い笑みだった。
さすがは信濃くんたちのお仲間。只者では無いようです。
きっと、あの愛想の良さげな男の子も一癖あるんだろうなと思いつつ、ハンサムさんの問いに頷くことで答えた。
私の返答に蠱惑の笑みを浮かべるハンサムさん。うー怖い怖い。
「成程。それでゼロ距離で何度もか、納得納得……ってか、なによ寛、お前さんそんないい思いしてた訳?」
木村くんが彼お得意のひとりボケ突っ込みを信濃くんに向ける。
「ちょっと待て。確かその頃だったよな、寛が女の子関係で荒事しでかしたとかあったのは。もしかして、その女の子っつーの、滝本か?」
直後、新月くんが佐古くんとの諍いの件を持ち出す。それに食いつくように、
「それって、前に聞いたことある、寛が柄になく暴力沙汰したとか云うアレのことだよね?」
「ふむ、当事者を見ると寛がらしくないことをしたのも納得出来るね」
愛想良しくんとハンサムさんも口をはさみだした。
皆の好奇心満々って視線が私に突き刺さる。
信濃くんが色々と説明しようと口を開くけれど、それ以上に他の皆の口がまわり、それをさせようとしない。
場が私と信濃くんの過去話を赤裸々に暴こうとする方向へ傾きかけた、そのときだった。
大きくは無いけれど力強くパンパンと手を叩く音が響き、冷たさすら感じる声音で、
「それまで」
と、石嶺さんが云い放ち、一瞬にして場を支配した。
それまでの騒がしさから一転、静けさを取り戻した展示会場に石嶺さんの声が通る。
「旧交を温めあい、新しい交流を結ぶのも良いのだけど、出来れば後からにしてもらえないかしら?」
それから私と信濃くんを除く、皆ひとりひとりに視線を向けた後、
「お願いがあります。彼女と信濃くん、ふたりきりで話をさせてあげられないでしょうか」
そう云って、誰かに向けてではないけれど、深々と頭を下げた。
その真摯な姿に、頭を下げられた側の面々は視線を飛ばしあい、互いの意思を確認しあう。
「……レディにそんな風に頼まれたら、紳士として断る訳にはいかないな」
ハンサムさんがワザとらしい軽いセリフを云って出入り口へと動き出すと、
「だねー。ごゆっくりー♪」
と、愛想良しくんが続き、木村くんと新月くんも倣う。
新月くんは石嶺さんの横を通り過ぎる際に、軽く肩をすくめ、苦笑いをしてたみたいだった。
映像文化研究部の面々が展示会場から出払ったのち、最後に石嶺さんが退室した。
退室際に私へと視線で "頑張りなさいな" と告げ、信濃くんをひと睨みしてから扉を閉じた。
ふたりきりになった。
展示会場には、今、私と信濃くん、二人しかいない。
信濃くんと視線が会う。
彼が "座る?" といった感じで椅子を勧めてきたけれど、私は首を横に振り、それを断る。
すると信濃くんは「そっ」と短く口にすると、腰掛けていた椅子から立ち上がり、テーブルを回って、私の前に来る。
そして、少しだけ困ったような顔になって、云う。
「――俺に、話があるんだよね」
その表情と口調で、彼が私が何を話そうとしているのかを理解していると知った。
私が何を告げ、そして彼がどう応えなければいけないのかを、わかっていることが知れた。
そんな彼の態度で、ホンの少し前まで妙に浮き足立ってざわついていた感情が穏やかになる。
自分が何をしに、ここまで来たのかを思い出す。
――私はここへ、信濃くんに告白して、そして振られるために来た。
目を瞑って深呼吸ひとつ。
落ち着け、云うべき言葉を思い起こせ、覚悟を決めろ、滝本千代美。
「信濃くん、私――」
次回、千代美編最終話・後編。
暫し、お待ちあれ。