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勇者のこころえ5


 勇者カインヘルドは、優しすぎた。

 幼い頃から、気が弱かったカインは、優しすぎて虫さえ殺せぬ少年だった。当然そんな気性だったから、やがて彼は自らの持つ『勇者』の称号に押しつぶされそうになった。カインはいつも群衆の期待を恐れ隠れて密かに泣いていた。そんなカインの傍らにはいつも、彼を慰める一人の少女がいた。

 カインの幼なじみ、セスである。

 セスは言った。

「カインには、あたしが付いているでしょ!」

 そうして、その手をひっぱって、二人は旅にでた。

「魔王なんて、あたしが倒してあげる! カインはついてこればいいんだから!」

 旅に出たカインは相変わらずめそめそと泣いていたが、一方で決して己の手を引く少女の手だけは離さなかった。

 二人旅は、やがて三人の旅となり、四人の旅となった。カインは長き旅の間にくじけぬ心と確かな強さ。そして勇気を手に入れ、やがて泣かなくなった。

 勇者カインヘルド。彼はそれでも決して――握った手を離さなかった。



 やがて勇者カインヘルドが、魔王の根城にたどり着いたのは、三年前のことだ。勇者カインヘルドを先頭にしたパーティは、戦士ダイアン、魔法使いカズミ、そして、僧侶セス。

 その戦いは、死闘と呼ぶにふさわしかった。魔王は恐ろしく強く、その肌は炎をよせつけず、並の剣をはじく。伝説の剣を手にしたカインヘルドを筆頭に、セスの魔法で強化された彼らは魔王に挑んだ。

 やがて長きにわたる戦いは、勇者たちの勝利で幕を閉じた。彼らはついに悲願の魔王討伐を達成したのだ。


 しかし、それはパーティーのうちの一人、僧侶セスの犠牲のうえで成し遂げられた。


 勇者カインヘルドは、冷たくなったセスの手を握る。

 セスは、魔王の最後の一撃からカインをかばった。あたしが、守ってあげるから。そう言ってカインを突き飛ばし、その身に魔王の渾身の一撃を受けて――彼女は死んだ。

 

 戦士ダイアンと魔法使いカズミ。二人はカインヘルドを慰めた。そして涙一つ零さずにいる勇者の姿に見飽きると、今度はセスの遺体からカインヘルドを引き離そうとした。

 魔王を倒し世界を救った勇者を、国民たちは待っている。多くの笑顔が彼を取り囲むだろう。アルフレイム帝国皇帝は、魔王討伐のあかつきに、莫大な財産と、カインヘルドと第一皇女の婚姻を提示していた。

約束された輝かしい未来。しかし、それを明示されても、カインヘルドは動かなかった。

 

 カインは、決してセスの手を離さなかった。



 死の間際の言葉は、もう少し選べばよかった。それが、セスの最後の後悔。


 あたしが守ってあげるから。


 これはないな、とセスは思った。


 守ってあげるといったのに、守りきれたのかもわからぬまま、セスはゆっくりと瞼を閉じる。


 最後に目にしたのは、今にも泣き出しそうなカインの顔。ああ、カイン。あたしが死んで、また泣かなければいいけれど。


 そう、思って、完全に瞼を閉じる。死の向こうに何があるかは知らない。けれど、次に目を開けたとき、幸せな光景が広がっていればいい。



 しかしセスが次に瞼を開いたとき、目前に広がっていたのは地獄絵図だった。


「へ……? え??!」


 そこは、確かに目を閉じる前の魔王城。

しかし、死ぬ前と死んだ後では、その光景は大きく異なっていた。

 魔王城の床一面に、人間の死体が敷き詰められていた。人、人、人。床の色さえわからぬほどに、所狭しと並べられた屍の山。

 セスは青ざめたが、あまりの死体の数にどこか現実離れした光景だった。

 これは、何の悪夢だろう。いや、そもそも自分は死んだはずではなかったのか。

 セスは瞬いて、己の僧衣を見つめた。それは確かにどす黒い血に塗れていたが、体には傷どころか傷跡さえもなかった。

 そのとき、

「セス」

 聞き知った、声がした。

「カイン! これ! どういうこ、と……」

 カインの声。慌てたセスが声の方に振り向くと、そこにいたのは、カインではなかった。少なくともそれは、セスの知る、カインではなかった。

 成人男性の何倍もありそうな巨体は、黒い影。その全面は鴉のような黒い鳥のはねで覆われ、ただ一点、顔の片面だけが、羽根に覆われずに人としての形を残していた。その顔は、悲しいことに見覚えがある。

 それは、言った。

「魔族と、取引をした」

 その体からは、絶えず骨のきしむ音が繰り返され、こうして向かい合っている間に、わき腹から三本目の腕が生える。それがもう人間でないことは、すぐわかった。

 しかし、彼は言う。馴染み知った、声のままで。

「君を蘇らせるために、一万の人間の命をさしだしたんだ」

 見渡す先、その視線の覆い尽くすかぎり、視界の果てまで死体が転がっている。よくよく見るとその中には、戦士ダイアンや魔法使いカズミの死体まであった。

 吐き気がこみ上げて、セスはその場にしゃがみ込んだ。

「どう、して……」

 恐怖で声がかすれた。その目を見るのが恐ろしく、セスはうつむいた。しかしそれを質すように、堅い手のひらが彼女の頬を覆う。その手はいびつに大きく、鱗に覆われていた。

「どうして?」

 その質問が愚かだと指摘するように、『カイン』は笑った。

「だって、君がいなければ。僕には、世界なんてどうだってよかった」

 そのとき、骨のきしむ音とともに、カインの背中が大きく膨らみ、その背から蝙蝠状の羽がつきだした。途端に、カインの体から血が吹き上げた。

 その血を浴びて恐れとともに見上げると、カインは鳥のはねに覆われていない方の顔に微笑みをうかべた。

「魔族と契約するために、魂を売り渡した」

 そして、彼はゆっくりと生えたばかりの四本目の腕を彼女の前につきだした。

「セス、僕は次の魔王になる。どうか、僕の側にいてほしい。大丈夫、モンスターどもに、君を傷つけさせないよ。だって」


 カインヘルドは、もう涙を流しはしなかった。


「今度は、僕が守るから」


 差し伸べられた手のひらの先で、泣いていたのは、セスだった。


 絶望がセスを浸食する。彼女はただ、変貌したカインヘルドを前にして、泣くことしかできなかった。愚かなセスは、彼の手をとることも、振り払うことも出来なかった。


「セス……!!」


 やがて、それにいらだったカインがセスの手を無理矢理つかんだとき。


「おい、やめろよ」


 声がした。馴染み知った、もう一つの声。


「アーベンルーシュ……!」


 彼は魔王城の天井に逆さ吊りに張り付いていた。

 人間的な外見から言えば、その姿は十代の半ばから後半。しかし、その頭には長くそびえる悪魔の角が生えていた。彼が、人ではないことは、セスもカインも知っていた。

 彼は幾度となく冒険の途中で、二人の前に敵として現れたのだから。そう、彼の名は、

「アーベンルーシュ。魔王の息子。君の父君は、僕が殺した。そして、次の魔王になるのは僕だ。ここに君の居場所はない。魔界に帰れ、闇の貴公子」

 カインヘルドは、魔族の王子を睨み付けた。

「ああ、本当なら、さっさと帰って、くそして寝てえよ、勇者カインヘルド。だけどな」

 するりと、腰にさした剣を抜き放って、アーベンルーシュは言った。

「俺は、泣いている女は無視できないんだ」

 漆黒の剣は、ただの剣ではない。魔界の庇護を得た魔剣だ。幾度となく、カインやセスを苦しめた最強の剣を手にして、アーベンルーシュは言い放った。

「ここは引け。カインヘルド。お前も、無理矢理この女を魔界へ引きずり込みたいわけではないだろ。この女がお前を選ぶまで、待ってやれよ」

 カインヘルドは、唇をかみ締めた。

 魔王に変じたばかりの彼は今万全ではないだろう。己の強大すぎる力の使い方さえ、分かっていない。彼が何のしがらみもなければ、その力を爆発させることも厭わなかっただろうが――今は。

「セス」

 カインヘルドは、蘇らせたばかりの少女を前に、それをためらった。

「カイン……」

 セスがその名を呼ぶと、嬉しそうにカインは笑った。

 その手を握り、いとおしそうに頬ずりすると、祈るように両の手でその手を包み込んだ。

「君が、大切なんだ。本当に。だから、どうか。僕を選んで」

「……カイン…………ごめん。……じかんを、時間を頂戴……」

「セス……!!!」

「おねがいっ!!!!」

「あー、もう、さっさと消えろよ、魔王カインヘルド」

 アーベンルーシュが魔剣を振るうと、時空にゆがみができた。それに、カインが呑まれる。ゆがみの向こうには、魔族たちがはびこっていた。それに、カインが呑まれていく。セスは、消え行く彼に手を伸ばして叫んだ。

「カイン!」

 しかし、それもあっという間のこと。ゆがみの中に吸い込まれ――あっという間にカインはその場から、消えうせた。

 愕然と、セスは膝を折る。

 カイン。カインヘルド。生まれたときからずっと一緒だった、大切な幼馴染。

 気が弱くて、優しくて――でもいざというとき誰よりも強い、セスの大切な――

 伸ばした手は行き場を失って、力なく下ろされる。

 そんな少女を眺めて、魔族の王子は言った。

「安心しろ。ただ、魔界に送っただけだ。今のカインヘルドなら、死なねえよ。それどころか、こっちに戻る頃には配下ぞろぞろひきつれてくるぜ、きっと」

 しかし、その言葉を聞いても、何の慰めにもならない。カインヘルドは、セスの幼馴染は、もう人間ではなくなってしまった。彼は、魔王となった。

 その事実を前にして、セスはその場に座り込んだ。心も体も本当は、今にも崩れそうなほど憔悴していた。しかし、それを無理やり奮い立たせて、セスは自分を助けた男を睨んだ。

 アーベンルーシュ。今は亡き魔王の、ただ一人の息子。

「…………なんで、あたしを助けたの?」

 思えば、アーベンルーシュは幾度となくカインヘルドの前に立ちふさがったが、他の魔物や魔族、父である魔王の行ったような非道を、この男だけはしなかった。ゆえに、男は闇の貴公子と呼ばれ、子供たちの間ではカインヘルドの宿敵のライバルとして、人気を二分したのだ。しかし、それがセスには理解できなかった。

 この男は、魔族だ。その本性は、冷酷にして残虐なはずだった。

 しかし、アーベンルーシュは、警戒するセスを前に、

「俺はな、確かに魔王の息子だが、それ以上に」

 まばゆいまでに、無邪気な笑みを浮かべた。

「俺は――勇者のファンなんだ」

 そういって、笑う男は魔族。しかしセスには彼が、光に見えた。カインヘルドという光を失ってしまったセスの、暗いくらい未来を照らす、一条の光。あたたかな光を前に緊張の糸が切れた。それまでの張り詰めていた全てが切れて、一筋涙をこぼすと、セスは気を失った。


 崩れ落ちる少女の体を、抱きかかえるのは、人ならざるものの手。


 しかし、その手はあたたかく、人と変わらぬぬくもりに満ちていた。セスは喪失の痛みの中、ぬくもりに包まれて深いふかい眠りについた。


 『血の祝杯』。後にそう呼ばれることとなる、新たなる魔王の大虐殺。

並々と注がれた命のさかずきは、死んだはずの一人の少女――魔女セスへと捧げられた。



 それから、三年後。心と体の療養ののちに、彼女は再び旅に出る。名を捨て、後悔と決意を胸に、彼女は勇者となったアーベンルーシュ――アベルとともに、旅立つ。


「いいのか?」

「うるさいわよ、悪魔」


 もう泣かないで、カインヘルド。


 少女は、かつてカインに贈られた杖を手に握る。

彼女はもう、迷わなかった。


 自我を失い暴走する、たった一人の幼なじみ。彼を悪夢から解放する。


「カインを、助けるわ。私の、大切な、弟分だもん」

「……………………かわいそーなやつだよな、カインヘルドって。ほんと、報われねえ」

「は? 何?」

「何でもない。いくぞ、鈍感女」

「何よ! それ!!」


 心底呆れた顔をして、アベルは足を踏み出した。その後ろに続く少女の名前は、リグレット。


「行くぞ」

「うん」


 アベルは、リグレットに手を差し出した。

差し出される手のぬくもりを、二人は知っていた。そして、それを教えてくれた人物はここにはいない。


 だからこそ――


 リグレットは、アベルの手を握った。



 旅は続く。

 魔王を殺すその日まで。

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