勇者のこころえ1
誰が呼んだか、クエストキングダム。
そこには、人と魔物が相争い、魔法と剣で成り立つ世界。
異形の魔物は、常に人の領域を侵さんと欲し、人は彼らを恐れた。そして、魔物たちの頂点に君臨するのは、世にも恐ろしい魔王。彼は北の果てから世界を見下ろし、時折気まぐれに世界を恐怖に震わせる。
人間たちは強大なる魔王の存在に、ただ逃げ惑うしかないように思われた。しかし、そんなとき。
人々は、魔王に対抗するために、一人の若者を見いだした。
彼こそ、人間たちの最後の希望。
彼こそ、勇者カインヘルド。
『勇者のこころえ』
この世は、レベルが全てである。
一般的にレベルは、それぞれの経験によって値があがり、成人するまでは年の数と相当して上がっていく。一歳ならば、LV.1。十八歳ならばLV.18。冒険者ではない、平凡な村民ならば、それが平均的なレベル値なのである。
そして、レベルが上がる為に必要となる経験値。それは何も剣を振り回し魔物を倒すことによって、蓄積されるわけではない。例えば、幼子が転ぶことでも経験値は僅かだがたまる。人生の経験が、つみかさなって経験値となり、特に試練や職務等の経験はレベルが上がりやすのである。もっともその中でも、飛躍的に経験値が溜まるのが、魔物討伐。ゆえに冒険者のレベルは格段に高く、人々から崇敬のまなざしを受ける。
そう、この世はレベルが、すべて。
幼いライザも八歳にして、その現実を思い知っていた。
何しろ、ライザのレベルはたったの5。八歳のライザは通常、年相応ならばLV.8でなければならない。しかしライザのレベルは五歳児と同等だった。
この事実は嫌でも周囲に露見した。
何しろ、各人のレベル及び職業は必ず、視界の右端に『表示』されるのである。
ライザも例外ではない。人々が、ライザを見つめるとき、彼らの視界には『宿屋の息子LV.5』――その文字が嫌でも目に付く。
そして、起こる現実。
一。近所の子供たちからの執拗ないじめ。
「うわっ! レベル5様の登場だぜ!!」
「今日もひ弱だな! レベル5!!」
「俺、レベル5だったら、生きてけねーよ」
二。近所の大人たちによる不愉快な噂の発生。
「あの子、発育不全なんじゃないかしら」
「虐待かしら」
「あら? 虐待なら虐待でレベルあがるんじゃない?」
「あ、そっかー。あはははは」
三。親からの心配そうな視線。
「ライザぁー。今日のおやつ、何がいーい?」
いや、これは、ない。むしろ、もう少し心配してくれ。
とにかく、この世は、レベルが全て。
それを、ライザは思い知っていた。
そうでなければ、こんな目には遭わなかった。
こんな、目には。
ライザはゆっくりと、顔を上げた。
目の前には、トカゲ型のモンスターが舌を伸ばして、ライザを前に舌なめずり。
周囲を見渡しても、堅い岩肌があるだけで、およそ武器になりそうなものもなければ、助けもない。当然だ。ここは、神の慈悲さえもとどかぬ、魔王の領域、ダンジョンなのである。
ぬっとりとした緑の肌。それは、およそ人とはほど遠い、魔王の配下。モンスター。トカゲはのそりとライザに近寄り、その熱い吐息が彼の頬をかすめた。
「……あ。う、あ」
恐怖に身を震わし後ずさると、ライザはすぐに体勢を崩して転んだ。そのすぐ上を、モンスターの鋼の爪が通過する。転んでなければ、やられてた。
しかし、そう何度も運良く逃れられるものではない。次の一撃は、もう逃げようがないほど、切迫していた。
絶望がライザに迫る。
「うああああああああ!」
彼が死を覚悟したそのとき、
「すべてを覆い、つつみかくせ! ミスト!!」
少女の声が、狭い洞穴にこだました。
*
間一髪とは、このことだ。
その声とともに、洞窟のなかは霧で充満し、いっきに視界が白に染まる。それはモンスターも同じだったようで、ライザの姿を見失ったそれは、苛立ちとともに明後日の方向に爪をふりまわしていた。ライザは訳も分からず、ただモンスターから距離をとり、周囲を見渡す。しかし、何も見えない。
一面が白に染まった中で、ただ、声だけが響いた。
「アベル!! モンスターを!」
「いい! かまうな! この場は、逃げんぞ!! スロウかけろ」
「命令しないでっていってるでしょ! ああ、もうっ! ゆっくり、じっくり! 固まれ、スロウ!!!」
その声で、霧の向こうのモンスターの動きがいっきに鈍くなった気がした。
「ほら、逃げんぞ!」
その声とともに、ライザの体を、力強い腕が持ち上げる。突然の力にぎょっとして、その腕をふりほどこうとしたところで、耳元で罵倒された。
「あばれんな、ガキ! 死にてえのか?!」
「っ!!」
死にたくないので、ライザはしばらく固まっていることにした。
ただ。その腕の温もりに、ライザはすがりついて、わずかに涙をにじませた。
助かった。そう思ったのだ。
*
思った、はずだった。
霧で覆われた洞窟を抜けた先に待っていたのは、まばゆい太陽。思わず、目をくらませるライザの頭上から、彼を助けた人物の声がした。
「ま、ここまで来れば、大丈夫だろ」
そう言うと、男はライザを地面に落とした。一切の容赦なく、唐突に、だ。
「いっだ!!!」
中途半端な高さから落とされ、ライザは悲鳴をあげて痛みに耐えた。
「なにすっ!!!」
叫ぶライザの前に、唐突に手が伸ばされた。
「な、なに……?」
「何って、礼だよ、礼」
困惑するライザに、男はあきれたように深々とため息をついた。
「お、れ、い。今のご時勢、モンスターだって金落とすんだから、人間様はいわずもがな。さあ、金だしな」
「はっ?!」
助かったと思ったら、ゴロツキに捕まった。何だ、こいつ。
陽光にくらんだ視力が回復したところで、男の職業を凝視した。いったいこいつは何者だ。そうして睨みつけると、予想だにしなかった事実が、ライザの前につきつけられた。
『勇者』
どうやら、視力がまだ回復してないらしい。
そう思って、何度も何度も目をこすり、再び男を見る。
しかし、そこに浮かぶのは――まごうことなき『勇者』の二文字。
この男、まさか。
「……勇者カインヘルド?!!!」
驚愕におののき、叫んだライザ。しかし、その頭を、男が拳で殴りつけた。
「はあっ?!! 俺をあの、へたれ鬼畜と同じにすんなや! 俺はな! 勇者アベルだ!」
「勇者……アベル……な、に……それ」
勇者といえば、カインヘルド。アベルなんて、聞いたこともない。そう考えたライザはいぶかしげに男の『勇者』の二文字を凝視する。凝視する、と。
『勇者LV.1』
男はレベル1だった。
(レベル1?! 勇者レベル1?!!!)
男の年齢は恐らく、十代半ばから後半。八歳のライザがレベル5であることさえ異常なのに、目の前の男は、限度を超えていた。
それも勇者で、レベル1。そんなもの、あり得ない存在だ。
ライザはあまりのことに、思わず勇者アベルをじろじろと凝視してしまった。足の先から頭の先まで、じっくりと。
背格好は、中肉中背。黒髪に赤い瞳は珍しい組み合わせで、特にその目は鮮血の赤。
その瞳には、どこかまがまがしさを備えており、ライザは思わず逃れるように目をそらした。途端に目に入ったのは、男の装備。それは勇者にふさわしく、兜から足具に至るまで、丁寧に手入れされた上で使い込まれているように見えた。その中で特に目に付いたのは、その背に背負った鋼の大剣。そこには、大陸一の帝国、アルフレイム帝国の王家守護の文様が刻まれていた。
ただようオーラ。剣の紋章。男がただものではないことは、すぐにわかった。
しかし。
勇者LV.1
その文字が、嫌でも目に付く。
「あんた…………本当に、勇者?」
「あ”あ”?! うっせえな、殺すぞ」
そういって舌打ちした勇者アベル。その人相がもう勇者じゃない。
「ああ、もう、アベル。だめよ、そんな怖い顔して。その子、怯えているわ」
そのとき、ダンジョンの入り口の方から、声がした。
聞き覚えのある声。おそらくは、先ほど霧魔法を展開し、ライザを救ってくれた女性だろう。耳に届く声は凛として、かつ可憐。
ライザは思わぬ助け船にすがりつこうとして、振り返った。その途端、そこにいたのは。
「ぶっ!!!!」
十四、五程度の可憐な少女だ。
彼女はやわらかそうな茶色の髪を肩より上で切りそろえ、華奢で小柄な体に少し大きめの僧衣を身に纏っていた。余ったそでが何とも愛らしい。
可憐な少女。そう、可憐な少女のはずだが、少女のレベルが可憐とはかけ離れていた。
『僧侶LV.153』
ライザは初対面であることを忘れ、叫んだ。
「レベルって、99までだろ?!! なんだそれ?! ってか僧侶でそのレベルってわけわからん!!!!」
少女は、その声に一瞬きょとんとした後で、
「仕方ないわよ、あたし、二週目だし」
可憐な外見とは不釣り合いなサバサバとした態度で、ライザに笑いかけた。
「リグレット」
そして、手のひらを差し出す。
「あたしの、名前。よろしくね」
差し出された手のひらは、愛らしい少女のものというよりも、節くれ立った冒険者の手。
これがLV.153の手か。感慨深くそれを見つめ、握手をしようとしたところで、彼女はその手をひっこめた。
「?」
「ちがう、ちがう」
不思議がるライザの前に、彼女は再び手をさしだした。
「お礼」
モンスターよりも、おそろしいものに捕まった。
ゴロツキ勇者と、LV.153の魔女を前に、ライザはただ固まることしかできなかった。