第五十九話 最終回
騒々しく人々が賑わっている。銀葉はその中を巫女服を着て走り抜ける。もうそろそろ舞をしなければいけない時間だというのに裏舞台に着くのが遅れてしまったからだった。何とか時間に間に合って母からヒイラギの枝を受け取って配置に着く。そして曲と共に舞いいずる。
二日目の神に捧げる舞。毎月行われるお祭り。こうしょっちゅう祭りごとをしていては色々面倒だと思う。それでも恒例行事だから仕方なく舞をする銀葉。鮮やかに舞う銀葉の周りにいつもとは違った空気が流れていることに気づく者は誰もいない。
はっとした。自分は社に呆然と座り込んでいた。何かをつかもうとしていたのか右手は前に出ていた。何が起きたか一瞬わからなかった。呆然としながらもそうっと立ち上がって社の扉を開けた。変わらぬ風景がそこにあった。
「戻って・・・きたの?」
「あら?銀葉。何をしているの?着替えが済んだのならさっさと家に戻ってくると思っていたのに。おかしな子ね?」
笑いながら大きな段ボールを運んでいる母。
「え、お母さん。私・・・」
「何?今日の舞も綺麗だったよ。明日も頑張ってね」
「え・・あ・・・うん」
銀葉は考えた。そしてひとつの回答。そう。向こうに言っている間の時間がこちらでは一切経っていない。きっと、銀葉が着替えを済ませて社を出ようとしたあの、最初の時から・・・なんの時間の変動も起きてはいない。それだけではない。銀葉の記憶で言えば泥水だらけのところを走って土埃と水蒸気を体に浴びたにもかかわらずそれすらも自分の体からは消えている。何も・・・残っていない。双輝たちと過ごした証拠が何も残ってはいなかった。
こんな変なことを誰かに言えるわけもなく。仕方なく銀葉はいつも通りの生活に戻ることになった。二日目のお祭りも無事に終わって銀葉は自分の部屋で苦しいと叫ぶ心を無視して眠りについた。
高校での生活の中で銀葉は自分の心が大きく変わったことを痛感した。まぁ、一番わかりやすいことを言ってしまえば神様の存在について。良しも悪しも神は存在すること。それについてどれだけ周りの友達から言われたことか。それともう一つは。
「お前ら女子は引っ込んでろよ!」
「何それ!私らだってやるし!」
クラスの催し物の会議中の男子と女子の論争。そう。男子のレベルの低さ。こんなのと前は論争していたと考えると鼻で笑いたくなった。
あっちでの世界のことはひとまず忘れることにした。きっとあれは自分の見た長い夢だったんだ。現実なんかではないんだと思うことにした。そうでないと、自分が壊れてしまいそうだったから。時折枕を濡らすこともある。もう一度会いたい。ちゃんと別れを惜しみたい。いや、きっとどんなにちゃんと別れを惜しんでも悲しさはなくならない。かえって苦しむだけかもしれない。永遠に会うことができない悲しさ。相手が生きているのに二度と会うことのできないことに銀葉は悲しみに打ちひしがれた。
高校生活もあと少しで夏休みを迎えようとする時期手前まで来ていた。社で見た『夢』から覚めて半年ほど経っていた。学校から帰ってきて銀葉は自分の家の最大の難関、多量階段のぼりを実行していた。銀葉の家は長い階段を登った先にある。いかにも神社、という感じがする。登り切って銀葉は笑う。以前は登り切った後息を切らしていたのに今は案外楽に上ることができるようになっている。それからもうすぐの夏休み、何をしようかと考えながら家の玄関へ向かう。
「あれ?」
もうすぐ完全な夏にしては涼しい風が吹いてきた。銀葉は立ち止まる。この風をどこか知っている。銀葉は走った。
急いでいた足を止めたのは社の前。そっと社を開ける。相変わらず神聖な空気がそこにはある。以前はわからなかったその空気に浸って銀葉は涙がこぼれそうになる。そういったことがあるから祭り以外では社には近づかないようにしていたことを忘れていた。こぼれそうになった涙を押し殺して社を出ようと扉に手をかけた。
「え・・・?」
換気窓しかないこの社。その換気窓も今は閉まっている。なのに社の中で風が巻き起こった。そして目を覆わんばかりのまぶしい光が射した。少しの間だけ目を手で隠していた銀葉だがその光に若干慣れて手を放し銀葉は自分の目に映った光景に絶句した。そして我慢していたはずの涙が次々にあふれ出てきた。それをぬぐうことすら忘れて銀葉は手を前にでした。
「約束を果たしに来たよ。待たせてしまったね」
「ううん、そんなことないよ、双輝」