【短編/青春】遠回りの自転車
小中高と見事なまでに、受験に失敗し続けた僕は第一志望という関門を突破したことがない。この多感な頃、すべて自分が決めたオサガリを甘んじて引き受けるしかなかったのだ。
特に高校受験は、第一志望の私立高校に落ち、気を取り直して京都南エリアで進学校公立高校を受験するも、落ちた。そのまま、雪崩入学方式でソコソコの公立高校に合格し、しぶしぶ入学した。
こう見ると、高校では第三志望に合格したということだ。
三年間クラス替えがない、二類文系コースというなんちゃって進学コースではあるが、現役で関関同立すら合格が危ういクラスなのだ。だからみんな推薦を狙う、そんなレベルに辟易としていたけれど、自分はそんなレベルの学力なのだと、認めるところから始まった。
というのも、そんなレベルのクラスでも一番を取ることはできず、「あぁ、僕はそれほど頭は良くない方だ」と自覚するいい機会になったのだ。
部活にでも入って気を紛らわそう、とはならず、帰宅部を選んでひたすら塾通いに精を出した。それでも成績は向上することがなく、知っていることは解けても、知らないことを考えて解くことができなかった。
当時、私立大学文系の受験科目は、国語+英語+日本史か世界史、が定番だったが、僕は国語+英語+数学という分不相応な選択をしていた。
やれどもやれども、解けども解けども、模試がふるわない。同じ問題が出ない以上、丸覚えができない。いくら頑張っても数学の偏差値が60を越えないあたりで、僕は世界史を選択しなおした。
この一連の僕のタイムロスは、部活でいうところのレギュラーを目指していた枠(野球なら外野手でとか、サッカーならボランチでとか、バレーボールならレフトとか)そういうものが間違っていたことになる。レギュラー獲得の道筋がみえないことには、どうにもならない。ここでいう道筋とは模試の結果ということだ。
という、暗澹たる高校生活は、三年間同じクラスという超絶村社会縛りがあったため、男女のお付き合いをするには、見えない高い壁を飛び越えるぐらいの無鉄砲さが必要だった。
風車に戦いを挑んだ男に似ている。
他所のクラスに遠征しているクラスメイトはいたが、同じクラスというとなかなかのリスクフルだった。
そんな中でも、友達の吉岡は果敢に挑んだ。
放課後、人気のない時間帯に高校の駐輪所で告白し、「同窓会で再会したとき、別れたりしてたら気まずいやん」そう言われてフラれたと聞いた。
この女性が誰なのか知らない。吉岡は教えてくれなかった。フラれた口上だけを教えてくれた。
この女子の貞操観念から察するに、どこかのコミュニティーで知り合った人と付き合うと、そのコミュニティーが将来存続する場合、一生をかけての広範囲で高度な判断を双方に求めるということだ。
僕はというと、同じクラスの北村さんという子が好きだった、好きになった理由はまったくわからない。目がくりっと大きくて、顔立ちがハーフのような純日本人の女子だった。高1の夏休みあたりに、早々に人生初めての告白をして、しっかりとお断りされた。清々しくもあった。夏休みが終わると、同じクラスの太田君とカップルになっていた。
もともと付き合っていたのか、付き合いかけていたのかわからないが、僕は余計なタイミングで何足も遅く告白に踏み切ったのだろう。
余計な噂にならないことを祈り、しかも太田君も僕と同じクラスだから、男同士で嫌な感じならないようにと、とにかく告白したことが漏れ出ないようにと注意して生きた。
そうはいっても、夏休みが明けると文化祭の準備なんかで、帰りが遅くなると、太田君が歩き、北村さんが自転車を手押ししながら、わずかな帰宅の時間も惜しむように話しているのを何度も目にする。
僕は自転車通学で、難儀なことに二人が一緒に帰宅する方角に家があった。後姿を見かけるや否や、曲がり、路地に入り、遠回りして家に帰っていた。おかげで塾に遅れた。
決して、北村さんも太田君も後ろめたくなることはないだろうし、堂々と付き合っていていいと思う。そりゃそうだ。だけども、どこかそんな自分が二人の間で笑われている、嘲笑の対象になっているのではないかと、ねじ曲がって考えたりもした。
またしても、第一志望は手に入らないのだ。高二になってもクラス替えはなく、まだ続く二年間にうんざりとした。相変わらず二人は付き合ったままで、僕もさほど気にならなくなっていたが、どこから聞きつけたのか、太田君の友達から、呼び出される。
「おまえさぁ、北村さんにちょっかい出してないよな」
寝耳に水とはこのことである。
「しらないよ、というよりもその話の出どころはなに?」
「質問してるのは、俺のほうなんだけど」
と普段あまり話すことのない同級生の三津谷君に絡まれた。
「聞きたいことがあるなら、太田君が聞けばいいだろ」
と言い返し、どういうわけか、それもそうだという雰囲気になったのをよく覚えている。
三津谷君とは、その後同じ駿台予備校でもクラスメイトになり、四年間付き合うこととなった腐れ縁だ。
春休み、僕は別の男子グループの補欠要因として、ボウリングに誘われた。当日、男子と同じ人数のクラス女子が現れた。見慣れた顔なのに制服じゃないだけでこんなに違うの? と驚いた。
グループデートというのか、クラスメイトの集いというのか。ボウリングは待ち時間が多い、二ゲーム、三ゲームとダレはじめてくる。ジュースを買いにシューズ貸し出し隣の自販機に行くと、尾野さんがトントンと肩を叩いた。彼女も喉が渇いたらしい。尾野さんに先にどうぞと順番を譲った。
「ねぇ、北村さんに電話したりしてるの?」
尾野さんは、小銭を入れながら、唐突に聞いてきた。
「噂になってるのか、嫌だな。電話なんてしていないよ」
咄嗟に嘘をついた。電話はしたことがある、去年の夏休みに。
後ろめたくはなかったが、本当のことを言う必要もないと思った。
「女子ってさ、噂を集めてこねくり回すの好きだから」
「男子も似たようなもんだよ」
「ねぇ、好きな人いる?」
ガコン!と大きな音を立てて、缶のポカリスウェットが出てきた。
「いないよ、同じクラスで好きになったらあとあと大変だからね」
「そうかな、好きならいいと私は思うけど」
尾野さんは僕がジュースを選ぶのを待たずに、ビリヤード台の方に歩いて行った。
高3になり、受験年となっても、北村さんと太田君は別れることもなく、お付き合いを続けて行った。年の近い、僕の叔母は二年で離婚したと聞いた。
「一緒にいると不安なのよ」と叔母が僕の実家で、母とよく話していたのを覚えている。一緒にいても不安なのに、高校生なんて一緒にいる時間なんて学校の休み時間、お昼のお弁当、放課後ぐらいだ。あと土日ぐらい。それでも不安にならないのだろうか? 不安の正体すらわからないから、別れないのだろうか?
高3の夏休み、夏期講習で三津谷君と講座が一緒になった。学校であまり話さないが、アウェイになると急に仲間度が高まりまるで昔からの友達ぐらいに話すようになる。妙に打ち解けると、「太田君たちって最近どうなの?」と思わず聞いてしまった。
「あぁ、仲いいみたいだよ。俺も勉強で忙しいからあまり知らないけど」
と友達Aとして無失点の返事をしてくれた。それが事実であってもなくても、僕も傷つかないし、太田君も北村さんも傷つかない。
僕はきっちりと、第一志望どころか第七志望ぐらいまで、全ての大学に落ちた。どこも合格判定はBぐらいまでに上がっていたが、足りなかった。今度は、第二志望や第三志望のおさがりを手に入れることもできず、駿台予備校に通うことなった。三津谷君は別のコースだったが、彼も浪人した。
太田君は推薦で、北村さんは女子大に現役合格した。それぞれ第一志望だったと三津谷君から聞いた。彼はなんでも知っている。
浪人生になって、勉強しかすることがなかった。今までの勉強法を見なおして、徹底的に基礎を覚えることに注力した。苦手な英語は、英単語にイディオム、構文にそれこそ過去問ごと覚える勢いだった。
共通テストは受けず、私立一本で挑んだ浪人生正月。北村さんから年賀状が届いた。初めてのことだった。私は今年から就職活動です、みたいなことが書いてあったと思う。短大に進学したのをそこで初めて知った。三津谷君が言っていた話とはちょっと違うなとそこで分かった。
僕は返事の年賀状を出さずに、2月初旬の私立大学第一志望の受験に集中した。同志社大学法学部、どうしても入りたかった。
結果は、不合格。第二志望の同志社大学経済学部も不合格だった。
それから数日後、同志社大学商学部の合格通知が届き、浪人生活が終わった。第三志望の合格だったが、渋々でもなく、イヤイヤでもなく、おさがりでもなかった。僕が僕の手でちゃんと正々堂々とつかみ取った結果だったからだ。
入学手続きを終え、3月、高3の元担任に挨拶に行った。
「初めて見たよ、塩島の口角上がってる顔」と先生に言われた。いつも不平と不満が顔からにじみ出ていたらしい。なかなか辛辣な先生だ。
「もっと早く言って欲しかった」とふざけて言うと
「そうだな」と言って、肩をポンポンと叩かれた。
そのポンポンは【頑張ったな】でもなくて、【頑張れ】でもなかった。
【おめでとう】だったと、僕は思っている。
大学生になるまで、3月はとにかく時間を持て余した。せっかくだから、北村さんに合格の報告をすることにした。手紙だと重苦しいので、余っていた年賀ハガキに「返事おくれてすみません。大学、無事合格しました。成人式で見かけたら、無視しないでね」
と自虐に書いてしまった。ボールペンなので消すこともできず、そのまま投函した。
数日後、北村さんから分厚い封筒に入った手紙が届いた。母が女性から手紙が届いたことに驚いていたが、特にアレコレ干渉せず僕に渡してくれた。
何が書かれていたのか忘れたが、高校時代帰り道で僕が避けて別の道から帰っていたこと、勉強で教えて欲しいことがあったけど聞けなかったこと、遠足のバスで隣同士になったが尾野さんに代わってもらったこと、なんかが書いてあったと思う。
とりとめのない、北村さんから見た三年間が綴られていて、それは苦い青春の答え合わせというよりも、どこか後悔めいたものがそこにあったように感じた。でも、後悔めいたなんて思うと僕がどれほど傲慢な人間なのかと、内省を自ら促しそうになる。そんな呪いを発動させたい手紙なのかと、やりきれなくなり、読んですぐ破いて捨てた。
同じく苦難の浪人時代を終えた、三津谷君と偶然からふね屋で再会した。三津谷君は同志社大学経済学部に合格していた。負けた勝ったでいうと、負けたことになるが、大学受験なんてだれかと競っているものでもないのだ、と達観できるようになっていたから、心は穏やかだった。
三津谷君がせっかくなので少し話そうと言い、僕もそうしようと応えた。
あれこれ共通の予備校講師の話しや、アイツは二浪だとか、どんなバイトしたいとか、サークルはどこにするかとか。一度会計を済ませて、改めて二人でボックス席に座り、それぞれ大きなパフェを注文した。とりとめのない噂話と楽しい話ばかりで、母の井戸端会議のように主語がコロコロと変わった。
「そういえば、北村さんさぁ、太田と別れたんだってね」
三津谷君が細長い鬼の耳かきみたいなスプーンで、パフェを崩しながら言った。
「へぇー、そうなんだ」
と気のない返事に不満だったのか
「チャンスじゃん、今なら行けるかもよ」
と三津谷君が悪気なく、ひ弱な僕を煽った。
「大学に入ったら、出会いもいっぱいあるよ。バイトでも知り合うかも。コンパもあるしね」
僕が心にもない返事をすると、三津谷君が目をキラキラさせて
「それもそうだな」とパフェのイチゴを口に押し込んだ。
あの分厚い手紙の束に、太田君と別れた話が書いてあったかもしれない。でも、もう破り捨てて手元にはない。確認する術がないが、確認できたとして、何になるのだろうか。
ふと、思い出した。
「同窓会で再開したとき、別れたりしてたら気まずいやん」と断った女子の話を思い出した。告白した吉岡は、高二の夏に転校してしまい聞けずじまいだった。飲みに行ける年齢になったら教えるよ、と言われたきりだった。
パフェを上から、土器を発掘するみたいにして丁寧に掘りながら
「そういえば、吉岡を振った女子って誰だっけ?」
パフェを完食し、手持無沙汰な三津谷君が食い気味に答えた。
「尾野さんだったと思うよ」
「そうか」と小さく呟く。僕の口角はいまどうなっているのか。
三津谷君に聞くのも変だ。
「なぁ、来年さぁ、成人式のあと3-1のメンバーと集まろうってなってるんだけど来るよね?」
「ずいぶん気が早い話だな」と冷ややかに答え、続けて言った。
「行くよ、たぶん」
おわり




