第十一話 欠落した登記簿③
「投資の配当は、地獄への切符。……使い果たす準備は、とうにできている」 ―九条―
「九条さん、しっかりしてください! バイタル、まだ安定しません……!」
リコは震える手でキーボードを叩き、九条の周囲に生命維持用の磁場を展開した。
ソファに深く沈み込んだ九条は、青白い顔で自らの手を見つめる。その指先は、陽炎のように微かに揺らぎ、実体を失いかけていた。
デスクの上には、先ほどの迎撃で使用した万年筆が転がっている。キャップから漏れ出した特注インク『影墨』の残香が、部屋の中に重く沈殿していた。九条自身の影を削り出し、市販のインクに混ぜ合わせたそれは、絶大な威力を発揮する代わりに使用者の存在そのものを磨り減らす諸刃の剣だ。
「……リコ、そんな顔をするな。自分の資産を切り崩して、窮地を凌いだだけのことだ」
「そんなの、ただの赤字じゃないですか! 影墨は九条さんの命を削って作る禁じ手だって、リコ、何度も言いましたよね?」
リコは目に涙を浮かべながら、懸命に九条の実体を繋ぎ止めるための補強プログラムを走らせる。モニターに映る九条の存在確率は、危険域を示す赤色のまま点滅を繰り返していた。
リコは事務所の奥から高純度の光学的安定剤を取り出し、九条の足元に広がる、短く心もとない影に照射する。
「……リコ、それよりモニターを見ろ。鴉が消えた後に、何かが残っていないか」
九条の掠れた言葉に促され、リコが解析画面を拡大すると、そこには一枚の奇妙なデータの断片が残されていた。
発行元は『徴税人』。そして項目には、不可解な文言が記されている。――「九条の影・半分、受領。目的地:忘却の監獄・レテへの通行料として」
「……九条さん、これってわざと影を奪わせたんですか? 事務所を守るためだけじゃなくて……」
「ああ。奴らの領域に踏み込むには、こちらから一方的に追うだけでは足りない。あえて影を徴収させることで、レテへと繋がる不可視の『商流』を作ったんだ」
九条は荒い呼吸を整え、リコを見つめた。
「リコ、僕の存在が完全に消える前に、その商流を逆探知しろ。……今度は僕たちが、徴税人の金庫をこじ開ける番だ」
リコは唇を噛み締め、覚悟を決めたように力強く頷いた。
「わかりました。死ぬ気でそのルートを特定します。……でも九条さん、これ以上は絶対に影墨を使わないって、リコと約束してください」




