最終話
最終話「夢、見つけたり」
『私こそが美食マフィアの首領。ドン・ソルレオーネだ』
ムラサキと澤。
宿命の美食争覇の最中、スクリーンに大写しになったのは、毛並みの良いスフィンクスと、それを撫でる男の物と思しきいかつい手であった。
「……」
ムラサキはそれを一睨みし、黒い液体――『禁断のマリア』を注ぐ手を止めた。
白目を剥いて気絶した澤が、力無くステージ上に倒れ込む。
『……なぁん』
ムラサキの眼光に射すくめられたスフィンクスが、居心地悪そうにドンの膝から飛び降りる。
ドンは所在の無くなった手を組んだ。
両の指に嵌められた指輪の数々には、下品な程に大きい宝石が並ぶ。
『そう怖い顔をするな。ミス・ビグルスワースが驚いてしまったではないか』
「要件は何だ。これ以上俺達に何を望む」
ムラサキはなおも、顔の見えない相手を睨みつける。
すべての元凶、ドン・ソルレオーネ。
表舞台に姿を表した彼の目的とは。
ムラサキの胸中に、様々な感情が渦巻く。
『なに、折角このような場所まで足労をかけたのだ。直接会って、一言挨拶をと思ってね』
「……」
そう言うとドンは組んでいた両手を離し、カメラに向かって覗きこ込むような前傾姿勢をとった。
『男同士、美食の未来について、語り合おうじゃあないか』
強欲の権化のような顔が、そこにあった。
ムラサキとシオ、そしてシローといなりは、ドンの遣いだと言う黒服に連れられ、メインブレドウィナ内の螺旋階段を登っていた。
(どこまで続くんだ、この階段……)
一流のムラサキやシオ、そして忍びであるいなりと違い、美食筋肉の発達していないシローにとって、この道行きはなかなかにハードである。
登りきった先に聳える大扉まで辿り着いた頃には、すっかり疲労困憊だ。
「スシロー君……乳酸の過放出による筋疲労の強制回復、会得していないの?」
「シロちゃん、今度教えてあげるね」
「……」
平気な顔をした三名が、憐れむような視線を送ってくる。
かつてのシローであれば悔しさに涙が滲むような状況だ。
しかしシローは、世界の広さを知った。己の現状を正しく把握した。
そして現在に至り、もちろん悔しさは残っているけれど、それと同じくらい敗けるものかという闘志も持てるようになったのだ。
成長を自覚し、やっぱりこの旅は無駄ではなかったのだと、シローは強く頷いた。
シローの汗を拭ったハンカチを保管するいなりも強く頷いた。
ムラサキらの眼前に構えられた大扉は、光り輝く金箔がこれでもかと使われており、趣味が悪い。
人気店のフランチャイズ、そしてそれを別の人気店に当てることで潰し、またファミリーに取り込む。
立ち退きを飲まない店主には、あらゆる手段で脅しをかけて屈服させる。
そうして一代で財を成した成金趣味が、よく反映されていると言えるだろう。
「――ドン。お客人を、お連れしました」
「入り給え」
黒服が開けた扉の先、室内もまた金を基調とした内装で、実に目に優しくない。
その奥でワイングラスを傾けている、紫地に黒と金のチェックが施されたこれまた趣味の悪いスーツの男。
他でもない、ドン・ソルレオーネその人である。
「よくぞいらした。自己紹介の必要は無いかな? ソルレオーネファミリーの首領、獅子堂陽だ」
「用件は何だ」
様子見のジャブなどすっ飛ばしたムラサキの直截な物言いに、ドンは僅かに眉を動かした。
「ふふふ。いやなに、私も美食家の端くれ。一度こうして、直に会って話がしたいと思っていたのさ」
「……シオは連れ帰らせてもらう」
「美食争覇だったか。その結果ならば、残念だが仕方がない。だが今一度聞こう。私の野望のため、力を貸す気は無いか?」
「野望、だと……?」
名だたる料理人を集めていたドンの目的。
それは未だ明らかになっていない謎の一つだ。
「そうだ。私の野望、それは『食による世界征服』!」
「何だとッ?!」
「――ッ」
「ど、どういうことなんだってばよ?!」
「荒唐無稽に聞こえるかな? だが、ヒトは食わねば死ぬ。そして子飼いのシンクタンクの計算によれば、料理の準備、食事、片付けにかかる時間はおよそ二時間。これが朝昼晩。つまり、人類は平均して、人生のおよそ四分の一を食に関する作業に割いていることになる。それほどまでに、ヒトと食とは密接な関係にあるのだ」
「世界征服……ヒトの頂点に、君臨しようとでも言うのか?」
「そうではない。そうではないのだ! 今や世界は、かつて――旧文明と同じ道を歩もうとしている。私はそれを止めねばならない」
「何言ってんだ! それは逆だろ? だって旧文明って、今よりもずっと発展した、素晴らしい世界だったって学校で習ったぜ! 便利な機械を誰もが自由に使えて、暮らしも豊かで、それに――」
「ならば何故滅びたと?」
「そ、それは『大崩壊』が……」
「『大崩壊』か。滅びの理由、その真相は誰もが口を閉じた結果、我々の世代に伝わることは無かった。自然災害か、あるいは疫病か。異種族との戦争が起きたなどという説すらある。目指すべき理想郷と、盲目的に信ずるのは如何なものかと思うよ」
「……」
「それが証拠に――そら、そこの箱の中身を見給え」
ドンが指し示すのは、綺羅びやかなテーブルに置かれた小さな木箱である。
ムラサキがその蓋を開けると、そこにはプラスチック製と思しき容器が一つだけ入っていた。
ムラサキが恐る恐るそれを手に取る。
容器の中には、地獄のマグマを思わせる黒々とした粘液が入っている。
「これは――?」
「私はそれを『オーバーロスト』と呼んでいる」
「オーバー……ロスト?」
「左様。『ロスト』とその出自を同じくし、しかし現代までその叡智を留めることの出来なかったもの。それが『オーバーロスト』だ」
「こんな物まで集めていたなんて……」
「そいつはな、旧文明で実際に使われていたソースだ。私が野望を抱くことになったのは、そいつを発掘したからこそだ」
「こ、これが一体、何だって言うんだよ?」
「一部かすれて読めないだろうが、裏の記載を読んでみるがいい。ただし、心することだ。今までの価値観が、この瞬間に一変するかもしれないぞ?」
ムラサキは心臓の鼓動が早まるのを感じながら、ゆっくりと容器を回転させる。
シロー達は、彼の後ろからそれを覗く。
果たして、そこに書かれていた言葉とは――――――
『ちゅうのうそーす』
「「「「!!!!!!!!!!」」」」
「それは旧文明が、能力によって食する物さえ区別していた証左だ。それは他者への寛容を失った格差社会であったという、悲しき歴史の証左なのだ。ゆえに必然、存在したはずだ。無能に与えられた、低能ソースが!」
余りの衝撃に、ムラサキ一行は言葉が出ない!
「だからこそッ! 旧文明を是とする今だからこそッ! 改革しなくてはならないッ! このままではいずれ、旧文明と同じ道を辿ってしまう。そうなれば世界の行く末は闇だ! そして必ず、世界を巻き込む大崩壊が再び起こるだろう。それでは、同じことの繰り返しだ! だからッ! 成し遂げなければならないのだッ! たとえ悪と詰られようと! この! 私がッ!」
垂れ込める重い沈黙。それを破ったのは、勇気を振り絞ったシローの一言だった。
「…………でも、でもさ。兄ちゃん達の使っていた『ロスト』は――あれは、ヒトの生活を良くするためのものだったはずだろ? だったら世界は、捨てたもんでもなかったんじゃないか?」
「物事というのはな、少年。一側面だけでは判ずることができないものだ」
ドンはそう言って、ムラサキに視線を送る。
「美食五聖天、『ソイ・ソース』のムラサキ。君ほどの漢が、いつまでこんな辺境で燻っているつもりだ? 私と共に来い。世界を見せてやろう! 変革のついでだ。社会の中心面している、ネオトキオの連中に一泡吹かせてやろうじゃないか」
「俺、は――」
ムラサキは苦しげに目を伏せる。
その視線の先にあるのは、未だムラサキの手に握られていた『ちゅうのうそーす』だ。
容姿、才覚、収入――
そうした尺度で測られた人類は、そうやって区別されていたのだ。
もし自分が、シローが、そのような時代に生を受けていたとしたら――
己と彼とは、同じ物を口にすることすら出来なかったに違いない。
そんな世界が、果たして正しいと言えるのだろうか。
「決心がつかないようだな。突然の事だ、無理もない……ならばここはやはり、美食争覇にすべてを委ねてはどうかな?」
「――何?」
「美食争覇の結果、私が勝てば君ら五聖天は私のために力を尽くしてもらう。君が勝てば、金輪際、二度と関わらないと約束しよう」
ドンからの唐突な提案!
その内容は魅力的であり、それゆえ怪しさ満点だ。
「あ、悪の親玉の言う事なんて、誰が信じるって言うんだ!」
不敬と断ぜられてもおかしくないシローの物言いに、しかしドンは態度を変えない。
それどころか、口元に指を当てる様はどこか楽しんでいるようにも見える。
「ふむ。そのように思われるとは、些か心外だな……ときに少年。我々の主なビジネスを知っているかい? それはね、脅迫だよ。では脅すために重要な事が、何か分かるかね?」
「し、知るもんかそんなこと!」
「信用さ! 意外かもしれないが、この仕事は信用が第一でね。約束を反故にされたなどと噂されれば、事業を畳まなくてはならなくなる。そうだろう? 指示に従った所でどうせ秘密が暴露されてしまうとしたら、一体誰が金を払うというんだ。私なら払わない。だからこそ! 私が関わらないと、そう約束したのなら、安心して信じてくれて良いのだよ」
ただ一人を強請るのであれば、同じネタで何度も金銭を要求すればよい。
だが稼業として複数人を相手にするのならば。
持続可能な脅迫を実現するためには、誠実な対応こそが求められるのだ。
「……分かった。その勝負、受けるとしよう」
「兄ちゃん?!」
「だがどのように執り行うつもりだ? 見た所、自分で料理するようにはとても思えないが」
ムラサキの後方でシオが同意するように頷く。
美食五聖天ともなれば、ひと目見ただけで対象の有するインナー美食マッスルの多寡まで看破することも可能なのだ。
「無論、私は調理に関しては素人同然だ。君達の流儀に則っても、戦いにすらならないだろう」
「なら一体どうやって……」
「だがそんな私でも、簡単に美食を振る舞うことができる。そういった類の物を、君達は既に知っているはずだ」
「……『ロスト』か」
「左様。いかに貴重な代物と言えど、このような立場に居れば、自然と集まるものさ。この地で発掘された『ロスト』は、おおよそ所有している。今回はそうだな、公平を期すため、互いに同じ『ロスト』を用いるのはどうかね?」
ドンは執務机の引き出しを開け、中に入っていたアタッシュケースを取り出した。
「君も聞いたことがあるだろう。美食探検家により発掘されるや否や、箝口令が敷かれたという原点にして頂点の存在」
アタッシュケースが静かに開かれる。
ムラサキ達からは、ケースの蓋が陰になり中を窺い知る事はできない。
だが、漏れ出る何らかのオーラが美食中枢を刺激するのだろうか、その場に居る者すべてに、全身が粟立つような感覚が襲った。
「はじまりのロスト、その名も――」
ドンは、白い円錐台形の物体を手にしていた。
「三分後の奇跡」
「!!!」
かつては真珠のように輝いていたのであろう表面は薄汚れ、文字など一部しか読み取ることが出来ない。
しかし、それでもなお厳然と立ちこめる圧倒的美食存在感は、ムラサキ達を容赦なく諌めるかのようだ。
「ここに記されているのは『C』『P』『O』の三文字……すなわち、人体を構成する基本元素である炭素と酸素、そして魂であるリン。そこに足りない水、H2Oを注ぐことにより、究極完全栄養美食が完成するという――さて、美食五聖天ムラサキ殿。互いにこの、三分後の奇跡を用いての勝負といこうではないか」
「………………いいだろう」
「兄ちゃん?!」
「よろしい! ルールは極めてシンプルに! 互いに、三分後の奇跡に、同時に湯を入れて蓋をする。調理が完了したと判断し次第、その旨を宣言し、即時試食を実行する。そして当然、より美味しく調理出来た方を勝者とする。以上だ。異存は無いか?」
「それで良い」
「のぼりゅ……」
「成約だ! 黒服よ、湯を持て!」
「「失礼します」」
恐らく最初から準備万端だったのだろう。ドンの命令に従い、二人の黒服がそれぞれヤカンで沸かした湯を持って参上した。
「二つのヤカンに違いは無いが、公平のためそちらが選び給え」
「……」
促されたムラサキが一方のヤカンを無言で受け取り、残るヤカンはドンの手に渡った。
「それでは冷めないうちに調理を開始するとしようか。まあ、湯を注いで待つだけなのだがね」
ドンが三分後の奇跡の蓋に手をかける。ムラサキもこれに追随し――
(――ッ!)
勢いよく全開にしそうになった所で踏み留まる。
対戦相手であるドンが、半分程度開けたところで手を止めたのを目にしたからだ。
(なぜ半分だけ開けているかは分からないが、恐らくそれこそがこの『ロスト』の肝! そうと知らなければとりあえず全開にしていた所だった!)
それは、類稀な観察眼を養ってきたムラサキだからこそ気付くことの出来た罠!
単純な勝負に見せかけ、このような悪辣極まる仕掛けを幾重にも張り巡らせているに違いない!
ムラサキは慎重に蓋を半分程度まで剥がした。
白い容器の中に入っていたのは、複雑に絡み合った皺状の物体だ。
恐らく、何らかの生物の脳を乾燥させたものだろう。
容器の内側には細い線が一周している。
お湯を注ぐ際の目印に違いない、と素早く判断したムラサキは、水面がその線とピッタリ合うように慎重にヤカンを傾けた。
(……)
繊細な作業を終えたムラサキがドンを盗み見ると、彼もまた丁度湯を注ぎきった所であった。
ドンはヤカンを脇に置くと、蓋のつまみを折って密閉した。
(成る程、これなら湯が冷めにくいというわけか)
ムラサキもそれを真似る。
向かい合う両者は、互いに蓋を抑える手に力を込めた。
「三分後の奇跡完成までの時間は、その名の通り三分。より正確に時を計ることのできた者が勝利する。これなら私にも芽があるはずだ」
「!」
三分後の奇跡の調理工程は、湯を注ぐ事と規定の時間待つことの二つのみ。
ゆえに、そこに調理者の技量は反映されず、あっても湯量の多寡が精々だろう。
ならばドンの言う通り、これは体内時計の正確さを争う勝負に違いない。
時間のカウントに関して、頂点美食者であるムラサキに不安は無い。
火入れの時間を秒単位でコントロールする料理人にとって、心中で正確に時を刻むことなど日常茶飯事だからだ。
(一、二、三――奴のあの自信、カウントに長じているという自負があるのだろうが、こちらは一秒を更に十分割して認識している。敗北はまずあり得ない)
ムラサキは対戦相手の技量や対戦方法といった状況から、己の勝利を確信していた。
だがこの部屋には、勘案していないイレギュラーが存在していた。
「な、なんてこった! 単なるカウント勝負じゃあ、いくら兄ちゃんが料理うまくたって関係ないじゃないか! そ、そうだ! もし兄ちゃんが忘れちゃった時のために、おいらもカウントしておこう一、二、三――」
(や、やめろシロー! 声に出すな! 数を数えている最中にそんなことされたら、どこまで数えたか分からなくなるだろうがッッ!!)
何たる獅子身中の虫!
突如始まったシローによる無邪気な妨害により、折角ここまで正確に数え上げてきたムラサキのカウントは雲散霧消してしまった!
(だいたい、相手にも聞こえるように数えたら意味がない! 何を考えているんだコイツはッッ?!)
先程まで数字に彩られていたムラサキの心中は、一気に怒りと焦りの混沌に塗り替えられた。
だが僅かに残った理性が、敵にカウント消失の事実を知られるわけにはいかないと、表面上の冷静さだけは保たせてくれた。
(……)
どこまで数えたか分からない。
カウントを失ってからどれだけ時間が経過したかも分からない。
シローの唱える雑音はそもそも出鱈目で参考にならない。
よく考えたら、湯を注いだ後に若干時間が空いてから数え始めたので、もう最初から見当違いだった可能性すらある。
これはもう、詰みだ。
(思えば遠くに来たものだ…………ネオトキオか……一度行ってみるのも、良いかもしれないな)
ムラサキは既に敗北後のプランを考えつつあった。
これは決して惰弱な精神の現れでは無い。
どのように転んでもその先に生きがいを見つけるという、社会人にとって必須とされるスキルなのだ!
(………………いや)
微かな違和感。
カウントを、勝負を諦めたことで脳のリソースに余裕ができ、今まで見えていなかった物が見え始めたからこそ気付けたそれは、一体何か。
(シローの妨害工作に、ドンが慌てた様子は無い……組織の頂に相応しい、動じない心を持っているというだけかもしれないが……しかし奴は最初から自信満々だった……この勝負、何か必勝法があるのか?)
自分が思い至っていないだけで、勝利条件やルールに、何らかの罠が隠されているのでは。
手の尽きたムラサキの、そうであって欲しいという願望と言われればそれまでだ。
だが彼には、なんだか不思議と確信めいたものがあった。
それは言い換えれば、相対する存在への信頼なのかもしれなかった。
長き苦闘の元凶たる強敵への。
(……)
ムラサキは観察する。
実際の所、部屋の中は怪しい物だらけだ。
何せ敵の居城の真っ只中であり、待ち構えていた巣の中であるからだ。
実は部下の一人がストップウォッチ片手に別室で待機しており、逐一時間を報告している可能性すらある。
ならば情報の受発信はどうしているのか。さりげ無くドンの耳を注視する。この角度からでは、彼がイヤホンを付けているか確認できない。
(いや、そんな単純な方法では無いはずだ。この男は、試合の後に物言いがついた際に発見されるリスクなど犯しはしないだろう)
不正の手段などという、有史以来万人によって開拓されたものは、星の数ほど存在する。
それこそ、毎秒振動する微小機械を尻の穴にでも入れてしまえば、見つかる恐れもないのだ。
疑い始めたらキリが無い。
(……)
眼前の男は果たして、目的のためならば異物の挿入をも辞さないだろうか。むしろ悦んでするだろうか。
そんな事を探るべく、ムラサキはドンの顔をまじまじと観察した。
(…………?)
交差する視線――いや、ドンはムラサキの表情を視てはいない。
無論、相対しているのだからムラサキの方を向いてはいるのだが、焦点は少し別の場所に定まっているように見える。
これこそが、抱いた違和感の正体だった。
(どこを視ている…………)
気取られぬよう、ドンの視線の先を追うムラサキ。
そこにあったのは、ムラサキ自身が抑えている|三分後の奇跡《プロミスド・トライアンフがあった。
――瞬間。
ムラサキの脳内で美食シナプスが強火の発火を繰り返し、これまでのドンの言動がフラッシュバックした!
『無論、私は調理に関しては素人同然だ。君達の流儀に則っても、戦いにすらならないだろう』
(そ、うか――そうだったのか……奴に正確な時間を教えるもの――それは、ほかでもない俺自身ッ!)
『三分後の奇跡完成までの時間は、その名の通り三分』
(三分間の調理時間。同時に行われた調理開始――)
『より正確に時を計ることのできた者が勝利する』
(完成を宣言した後、何が起きるか……それは試食タイムだ。試食には当然、それなりの時間を要する……その間に、相手の品はどうなるか! 至適美食圏外となることは間違いない)
『これなら私にも芽があるはずだ』
(つまり! この勝負は相手よりも先に! かつ三分間に近いタイミングで完成を宣言する! それが勝利条件! ゆえに、何秒経過したかなど、自分で数える必要は無い! 正確にカウントできる存在が眼の前に居るのだから!)
(奴はただ待てば良い! 全神経を集中して、この俺が調理完了を宣言するのを! そして、その宣言よりもわずかに先んじて、自分が完了を宣言する! それだけで必勝!)
嗚呼、何たることか!
料理勝負の体で始まったこの対決の本質は、単なる度胸試しであったのだ!
相手に有利と誤解させ、その実は反社の得意分野に持ち込む狡猾な手管は、まさしく裏社会の首領に相応しい!
(タネは分かった……それならば、破るのは容易ッ!)
ムラサキは決断的に、だが多少の手加減を込め、蓋を閉じる手を上げて調理の完了を宣言しようとし――
「調理完了だ!」
それに即座に反応したドンにより、中断された。
「…………いや、些か早過ぎたか。よもや企みが露呈していたとは。流石は美食五聖天、恐れ入ったよ」
「九十二……えッ、一体どういうことなんだってばよ?!」
「わたしのカウントだと、今は百十五……まだ生煮えのはず」
「流石のぼりゅ!」
「え? え??」
「いやはや、うまく行くと思ったのだがね……」
「御託は良い、早く試食させろ。三分経ってしまう」
結果、ドンの調理した三分後の奇跡は、いなりの指摘する通りの完成度であった。
(だがそれでも、ジロウのラーメンより何倍も美味い……)
脳と思われていた物体は、麺であった。
三分を経過せずに食したそれは、少々硬めではあるものの、バリバリ硬い食感はこちらの方が好みと言う者もいそうである。
対して、その後に供されたムラサキのそれは、程よく火が通った文句のない出来栄え。
結果は一食瞭然である。
「俺の勝ちだ。約束通り、今後一切関わらないでもらおう」
ムラサキは腕を組み、見下ろすような体勢でそう言い放った。
とても先程まで敗けちゃってもいいかななどと揺れていたとは思えない堂々たる態度は、まさに王者の風格。
「マフィアに二言はないさ……これでも本気だったのだがね。君達と共に、世界の平和を目指す事は。敗けた身で何をと思うかも知れないが、考え直す気は?」
「――世界平和と貴様は言ったが、そこに至る道は一つではないはずだ。人は美味い料理を食べた時、幸せな気分になる。それが俺達料理人の使命であり、矜持だ。そうやって人々が、少しずつでも幸せな気分になったのなら、世界もまた平和に変わっていくはずなのだ。だから俺は、俺達は、美食を愛し美食を作り続ける。貴様に何を言われようと、そんな事とは関係無く、だ」
「兄ちゃん……!」
「それに、主戦派の料理に毒を仕込めるのもまた料理人の特権だしね」
「シオさん……」
「だから、残念だがドン・ソルレオーネ。世界とやらを、お前と見ることは無い」
ムラサキ・ノボリュ。美食五聖天最強の男が、悠然とドンに背を向ける。
「それは俺が、自分の目で見ることにするさ」
――世界の『大崩壊』から百年。
人々の努力と幾許かの奇跡により、文明の再興は成った。
しかし、重要度が低いと見做された文化の再現は遅れ、時に見下され、その連続性を絶たれていった。
伝統芸能、スポーツ、そして美食――
世紀末美食伝説。
それは、今ここに結実す、荘厳なる大団円!!
本日この後のエピローグの投稿をもって、本作品は完結いたします。




