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世紀末美食伝説ムラサキ  作者: 白洲柿人


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第13話

第13話「はずされた梯子」


 ――世界の『大崩壊』から百年。


 人々の努力と幾許かの奇跡により、文明の再興は成った。


 しかし、重要度が低いと見做された文化の再現は遅れ、時に見下され、その連続性を絶たれていった。

 伝統芸能、スポーツ、そして美食――


 世紀末美食伝説。


 それは、魔王を打ち倒す勇者の奇跡。






 世紀末美食伝説 ムラサキ、前回までは――


「次はワタクシの相手をしていただきます。美食五聖天としての、誇りを賭けてね」


 美食マフィアの首魁、ドン・ソルレオーネの下へと辿り着き一言文句も言ってやるには、配下と成り下がったかつての同志を倒さなければならない!


 全然そんなつもりも必要も無かったムラサキであったが、挑まれたからには勝負するのが五聖天。

 たとえ何連戦になろうとも、逃げるわけにはいかないのだ!


「次のお題は~」


「お、おお! これは!」


「そ、そんな……」


「……」



『スイーツ』



 運命の勝負テーマはまさかの『スイーツ』!

 対戦相手である美食五聖天、『砂糖』のコクトー・三上が最も得意とする分野であった!


「――予め申し上げておきますが、明日はワタクシも出させていただきますよ。()()を」


「!!!」


 去り際に放ったコクトーの一言。それは、コクトーがこの勝負において、自身が所有する旧文明の遺産、2BD(ザ・ロスト)を使用するという宣言であった。


 『ロスト』に対抗できるのは、唯一同じ『ロスト』のみ。しかしムラサキの持つ『創世王』は、スイーツに向いているとは言い難い。


 絶体絶命の難局を迎える中、コクトーが提供したのは混ぜるだけで牛乳をスイーツに変えてしまう魔法の液体(エリクシル)――


「――登録名(コード)奇跡の一雫(スイーチェ)


「なんだ?」


「まさか――」


「牛乳が!」


「牛乳が固まっていくーーッッ!!」


 その魔法的化学反応の目新しさも然ることながら、一瞬にして完成した最上級の味わいにも審査員達は感銘を受けた。


 やはりスイーツ界の頂点たるコクトーに抗する手段は存在しないのか?


「…………魔法、魔法か」


 その答えは否。


「見せてやろう。本物の魔法を」


 ムラサキが取り出したるは、愛妻・シオから託された『ロスト』。


「――登録名(コード)魔女の大釜(ヴァルプルギス)


「そんな……ま、まさか!」


 魔法的儀式によって生み出された奇っ怪なる錬金粘体(スライム)は、その身に宝石を纏わりつかせた宝具の如きスイーツに生まれ変わった。


 予測のつかぬ激闘に、審査員は――


「チェェストォォォ!!」


「こ、これは――――一・五対一・五! 引き分け! 引き分けです!」


 勝者と敗者、両方の不在を宣言した。


「ムラサキさん…………」


 蟠りが解け、かつての戦友(トモ)と手を取るムラサキ。


 だがそこへ――


「はあ、やはりこうなるか」


 美食五聖天、最後の一人が立ちはだかる。


「コクトーまでやられたとあっては、僕が出るほか無いわけだ」






「澤ッ――!」


 虎柄ルックに身を包み、ティッシュで鼻栓をした男。

 美食五聖天が『酢』担当、ヴィネガー澤こと澤丈藏その人である。


「ムラサキ。ここぞという時に邪魔をする。君はいつだってそうだ。だが、ドンの野望の実現を、邪魔させるわけにはいかない」


「そんなこと、俺は別に望んでいないッ」


 澤は観客席の奥から、ゆっくりとムラサキらの居る壇上へと歩を進める。


「ここまで来て、今更そんな言い分が通るとでも?」


「本当に望んでいない!」


「問答は無用だ。すべてはこの僕との美食争覇で決着をつけよう。古式ゆかしく、正式ルールに則った、ね」


「何ッ?!」


 澤は自身の顔の前にVサインを作る。


「美食争覇二連戦! 丁度良い機会だ。ここで過去のすべてを清算するとしよう」


「!!」


「二連戦?? ふつうこういう時って三連戦とかじゃないか? だって奇数じゃないと、勝負がつかないだろ?」


 澤の宣言に震撼する会場の中、シローだけが初歩的な疑問を抱いていた。


「……シロー、それは大いなる思い違いだ。例えば、AさんとBさんが三回勝負をして、Aさんが二回勝ったとする。強いのはどちらだと思う?」


「えっ……そりゃあAさんだろ?」


 シローのごく当然な答えを聞き、ジロウは溜息を吐き、シオは困ったように眉根を寄せ、コクトーはあらまあと肩を竦め、澤は鼻で嗤った。


 並み居る五聖天らからのこの反応! シローはまったく自覚無きままではあるが、自身の失言を悟った!


「お、おいらそんなに変なこと言ったか?」


「いいか、シロー。三回戦ったAさんの戦績が、◯✗◯だったとしよう。だがここでBさんが異議を唱え、更に二回戦った時、その結果が◯✗◯✗✗だったとしたら、どうだ?」


「! Bさんの勝ちだ!!」


 何たる結果のパラダイムシフト!


「そうだ。つまり、奇数回戦ったからと言って、その結果がそれすなわち両者の実力を表したとは言い切れない。むしろ拮抗している場合、物言いの続く限り永遠に決着がつかない恐れすらある」


「だ、だったらどうすればいいんだってばよ?!」


「それゆえの二連戦だ。実力で上回っている相手に、連続で勝利することは難しい。よって、二連戦して両方勝つ事こそ、唯一力関係を明らかにする方法と言えるのだ」


 実に納得しかない説法に、シローは感銘を受けると共に深く頷いた。


「理解できたようだな、坊主。無論、結果が一対一となった場合、両者の力は互角と見做されドローとなる」


「なんてこった……それじゃあ、おいらが今までしてきた三回勝負は、意味が無かったってことなのかよ……」


「スシロー君……」


「その通りね」


「フン、愚かな」


 大の大人に寄って集って否定され、シローは涙目になった。


「茶番はもういいかな? 時間を無駄にした。早速始めようじゃないか」


「くっ……」


 思わず呻くムラサキ。

 無理もない、『ロスト』使用による美食的反動は、確実に彼の身体を蝕んでいる。


「まずは第一戦の種目! それは――」


 有無を言わさぬ澤の攻勢!

 もう疲れちゃって全然動けなくてェなどとはとても言い出せない空気が醸成される。

 澤の得意とする空間支配術である。


 そして、壇上へと登った澤の手が、黄金選定箱(パンドラボックス)から一枚の紙を掴み出した。


 そこに書かれていた『お題は』――


「『健康』――!」


「!!!!!」


 健康! 今までのお題とは一線を画す、もはや料理のジャンルとは言えない内容だ。


「確率的に、そろそろ来る頃合いだと思っちゃあいたが……」


「おっちゃん?」


「『変わり種』――黄金選定箱(パンドラボックス)からは、度々こうしたお題が飛び出る事がある。こうなると、普段以上に料理人のセンスが問われるのだ」


「つ、つまり?」


「例えばな、坊主。『炒飯』や『ラーメン』を『中華』と捉えない人間は、そうは居ないだろう。だが、何をもって『健康』とするか。それは個々人の規範とする文化、あるいは哲学や信条が影響してくる。審査員らのそうした背景を汲み取りつつ、いかに料理に拡大解釈を込めるか! そのせめぎ合いこそがこの対決を左右すると言っても過言では無い」


「ごくり……」


 『健康』の二文字からは想像だにできない今回のお題の奥深さに、シローの心は打ち震えた。


「『健康』、『健康』か……よし、方針は定まった。料理人の情けだ、後攻は譲ってやろう。束の間の休息を、精々有効活用してくれたまえ」


 驚異的な速さでお題に沿ったメニューを閃いた澤は、先程までコクトーが居たスペースに陣取り、調理を開始した。


 何たる即断即決!

 そしてそれをこの大舞台でやってのける胆力!

 この男、鼻栓などしていても、やはり歴とした五聖天なのだ!


「僕が提供するのは、ずばりサラダ。野菜を健康的だと思わない人間は居ないからね。それにサラダにはドレッシングが付き物。ドレッシングには(ヴィネガー)が必須。すなわち、サラダはまさに僕の領分なのさ」


「澤さんは、サラダを用意するようです! 勝負の導入として、先手に相応しい品と言えるでしょう!」


 何という先手の不利をも有効活用する手管か!

 サラダと言えばなんとなく最初に出てくるイメージの強いメニュー。

 こうした印象を利用し、先手として相応しい料理を用意するのみならず、後手の安易な模倣をも防いだのだ!


「健康になりそうですね~」


「あれ、でも食事の最初って言ったら、大人なら乾杯からって感じじゃないのか?」


「――小僧。それはまさか食前酒のことを言っているのか?」


 司会の言葉に、ふと頭をよぎった疑問がシローの口から零れる。

 耳聡くそれを拾った澤の顔は、人を心底見下した、冷酷な表情をしていた。


「美食を堪能する前に酒などと。まったくもって愚かな風習だ。考えても見給えよ。酩酊まで行かずとも、酒が入った状態では、味覚の深奥に至ることなど不可能だ。ゆえに食前酒とは、自信の無い料理人が、それを誤魔化すために出すものに過ぎない。それが証拠に、飲み物は水で良いと言うと、従業員に嫌な顔をされるだろう?」


「それは酒の利益率が良いからじゃあ……」


「そも飲酒という行為自体、自らの味蕾を潰す愚かな行為さ。まったく理解できないね」


 言いたいことは言い切ったとばかりに、澤は作業に戻る。


「そう言えば丈さんは下戸でしたか」


「……そもそもサラダってコースの後の方じゃない? 最初はアミューズとか前菜とかだし」




 ステージ中央に設置された食材棚には、古今東西の様々な野菜が用意されている。澤はその吟味を始めていた。

 何種類もの野菜を採用することで、より健康になっている感が増すという、人間の普遍的心理を巧みに突こうという作戦か。


「すごい手際の良さだ……なんか嫌味な奴だけど、さすが美食五聖天…………」


 選ばれた野菜達を素早く一口大に切り分けていく姿を見て、シローが思わずそう零す。


「……でも、こんなにすごくても……悪の手先にならざるを得ない。それが、社会って事なのかよ」


 ジロウがそうであったように。コクトーもそうであったように。シオも多分そうであったように。

 澤もまた、何かしらの理由を胸に、このような状況になっているのだ。


 社会という名の鎖と檻。

 強大な権力を持つ美食五聖天と言えど、その枠組みから外れることは許されない。

 いわんや、吹けば飛ぶような自分は。


 そんなシローに近付く、一つの影があった。


「旅の意味、どうやら見つけられたようだな」


「――――ッ?! と、父ちゃんッ?!」


「おじさま?!」


 それは見紛うことなく、シローの父、コトブキであった。


「おうよ。しばらく見ねぇうちに、随分とでっかくなったな」


「どうやってここに?!」


「電車だ。家から三駅だからな。母ちゃん達もいるぞ」


 そう、ムラサキ達の遠大な旅路はあくまで徒歩によるもの。

 文明の利器を使えば、世界はかくも近いものなのだ。


 そしてコトブキの指差す先、観客席の片隅には、ちゃっかり観戦するツカサとアガリの姿もある。

 壇上のシャーリーとあわせ、江戸前ファミリー勢揃いだ。


「倅の成長をこうして見れた……それだけで、旅に出した甲斐もあったってもンだ」


「皆して来てるじゃんか! 店の方は良いのかよ!」


「ああ。店は佐護達に任せてある。アイツら、あれで筋が良くってな。『コンベヤ寿司』のノウハウや機材を取り入れて、『寿司処 江戸前』も今や拡大の一途を辿っとる。そうそう、丁度昨日、ドライブスルーを始めたところだ」


「えぇ……」


 想像していた方向と別ベクトルへの実家の躍進に、シローは戸惑いを隠しきれない。


「――小僧。悪の手先とは言ってくれたな。ムラサキの弟子とは言え所詮は(わっぱ)、浅薄な了見ではそう思うのも仕方がないか。だがこれだけは覚えておくことだ。人の行動には必ず意味がある。その価値を余人が理解できるかは関係ない。一面的な物の見方で、あれこれと人を判断するんじゃあない!」


 澤はかけていたサングラスを外した。

 それは封印していた第一感覚の開放を意味する。

 澤の纏う美食オーラが一段とその圧を増した。


「僕はすべてを支配する――それには、表の権力だけでは駄目だと思い知った! だから手を組んだのさ。あの、悪魔のような男とね」


「美食五聖天にそこまでさせるなんて……たぶん、よっぽどのことがあったんじゃないかな……」


「嬢ちゃんの言う通りだ」


「丈さんは、ワタクシ達の中でも特に目を引く存在だった……いいえ、恐らくすべて計算の上。ワタクシ達に悪意が向かないように……メディアへの露出も、率先して」


「…………」


「だからでしょうね。あんな事が起きてしまった――」


「……当時、我々五聖天の勇名は頂点に達していた。だがなシロー、故事にもある通り『デルフォイは討たれるグノーティ・セアウトン』――それを羨やみ妬む連中が、必ず出てくるものだ。ある時、奴が全霊をかけてプロデュースした店舗で、悲劇が起きた。敵対店舗に雇われた、大義なき闇バイトテロリストによって、その評判が地に落ちたのだ」


「闇バイトテロ――!」


 シローの脳裏に、ジロウの店で暴れた男の姿がフラッシュバックする。

 ジロウの機転により未遂に終わったテロだったが、あれが成就していたら一体どれほどの被害が出ていただろうか。


「そうして奴は堕ちた…………堕ち……あっ! 堕店したのだ! いわばそう、堕店主となったのだ。うん」


「……」


「好き勝手言ってくれる。だがまあ、おおよそその通りだ」


「そこまでは理解できる――だがそれなら何故だ! 何故よりにもよって! それを仕組んだ相手と手を組むッ!」


「えッ?!」


 シローは、ムラサキから飛び出た言葉の意味を、即座に理解することができなかった。


「……ムラサキ、君に問おう。自らに敵対する相手をこの世から無くすには、一体どうしたらいいと思う?」


「――!」


「すべて滅ぼすか? 矮小な相手ならそれもいいだろう。だが違うね、スマートじゃない。唯一の正解は僕が実践している。そう、()()()()()()()()()! それが最も崇高で、最も合理的だ。そうは思わないか?」


「…………」


 澤が語るのは、親が子供に諭すような、いっそ清々しいほどの理想論だ。

 だがその真実は違うのだろう。

 最も危険な相手と手を組み、その他すべてを駆逐する。

 それが、澤の描いた未来。


「そうら、そんな事を言っているうちに、もう完成だ。後はドレッシングをかけるだけ――だがこれですべてが()まる。この皿に最適な酢は白ワインビネガー……! 酢とは多すぎても少なすぎても完成度を損なう、サラダの調和を担う一滴! 神の如きバランスは、この僕だからこそ実現できる!」


 澤は興奮気味に、しかし手元だけは慎重に、瓶の中身を一度スプーンで受けてから、それをサラダに降り注いだ。


「さあ、とっておきの『健康』だ――」


 審査員らの前に、ヴィネガー澤の渾身が込められた一皿が置かれる。


 緑、赤、黄――色鮮やかな野菜たちが綺麗に盛り付けられた、実に健康的なサラダだ。

 だがそれだけでは無いだろう。

 美食五聖天の作り上げるサラダ、それは他のサラダとは比較にならないほどユニークで、ドラマチックで、アメイジングであるはずなのだから。


「実に健康そうだが……この、いくつもあるスプーン。これは一体――?」


 審査員の一人が指摘するように、皿にはほんの一口サイズほどの小さなスプーンが数本乗っている。

 見ればそれぞれの皿の部分(つぼ)には、何かが少量ずつ乗せられている。


「ふむ、このカラフルなものは――」


「それはキヌアです。白、黒、赤の三色を配合した、見た目にも美しい健康食。コンソメで炊き、細かく刻んだコルニッションと和えてあります」


「で、出たっ、キヌア! 健康に良さそうな雰囲気だけで、大して美味くもないのに食べられている野菜ランキング第一位!」


 失礼極まりない発言をするシロー!


「それは違うぞ、シロー」


 そしてそれを嗜める師、ムラサキ。


「第一位は、ケールだ」


 そう、キヌアは穀物なのだ。


「こちらの匙はピューレのようだが――香りからして、豆だろうか」


「仰る通り。豆類は良質な植物性タンパク質を含みます。朝に食せば、いわゆる『朝たん』にも貢献できるでしょう」


「なるほど。見栄えも良いし、聞けば聞くほど何だか健康になってくるようだ」


 審査員らの反応は上々。

 ゆっくりとお辞儀した澤は、横目でムラサキを見て口元を邪悪な笑みに歪めた。


(あん)ちゃん……」


 数分で皿を平らげた審査員らは、見るからに健康そうな様子だ。

 たかが一食、そしてこの短時間でそんな効果が出れば世話はないが、彼らは自身が健康に

なったと本気で信じている。


 だがそれで良いのだ。

 病は気から。思い込みこそ健康への第一歩なのだから。


「さて、僕のターンはこれで終了だ。見せてくれよムラサキ。健康的な君の一皿を」


「……了解した。準備がある、暫し待たれよ」


 挑発的な澤に対し、ムラサキは静かにそう言い、調理場の椅子に腰掛ける。

 アームレストに肘を置き、組んだ手に人中を押し当てた。


 静寂が会場を包み込む。


 ムラサキは微動だにしないまま、ただ時間だけが過ぎていく。


 一分、二分、三分――。


 さすがに異変を感じ取った観客が、何事だろうかとざわめき始める。


 五分が経過。


 群れとして一丸となった反応を見せていた観客達であったが、この頃になるとそれぞれの個性が現れ出す。

 困惑の色を隠せない者、トイレ休憩と断じて席を立つ者、なにかが起こるその瞬間の目撃者となるべくまんじりともせずステージを凝視する者――。

 反応は様々であるが、昨日の『マナー対決』で開幕二十分待ちを経験した者も多く、まあ一時間くらいは動きが無くても驚きはしないなどと宣い、余裕を見せていた。











 そして、十時間が経過した。











 無論、この時間に至るまでには波瀾万丈紆余曲折があった。


 即時の美食争覇再開を訴える市民団体と、その抵抗組織の設立。

 先鋭化した両陣営タカ派によるクーデター。

 繰り返されるパイプ椅子爆弾によるテロ。

 自席を追われ難民と化す民間人。

 そして、第三勢力『五聖天を見守る会』の発足――。


 愚かな争いを経て、小康状態を見た現在。

 彫像が如く動かなかった漢が、今、ようやく動き出した――!


「…………『健康』というお題に対する俺の答え――それが、()()だ」


 十時間も放置され、その間の飲食も美食争覇規定により制限され、すっかり萎びた審査員達は意識を若干朦朧とさせながら、重い頭を上げた。


 だが上げた視線の先には、ただ腕組みをする漢の偉躯が聳えるのみで、目当ての皿は見当たらない。


「! ムラサキ、貴様まさかッ――?!」


「そう、そのまさかだ。真の健康――それは、絶食!」


 物は言いよう!

 異議を唱えようとした審査員達だったが、予想以上の消耗のためか咄嗟に言葉が出てこない!


「そうか! オートファジー!」


 律儀に舞台袖で待機していたジロウが膝を打つ。


「おうと、何だって?」


「――オートファジー。それは、細胞の自食作用。細胞内で不要となったタンパク質や小器官、あるいは有害物質を隔離・分解し再利用する生命の営み。オートファジーとは健康の秘訣。人はオートファジーによって健康を保っているのだ」


 ムラサキが滔々と語り始める。


「そして、このオートファジーを人為的に促進させる手段が存在する。それこそが絶食による一時的な飢餓状態だ。有効に作用するとされるこの十時間で、貴方がた審査員は、実際に、科学的に健康になったのだ」


「なんと!」


「そういうことだったのか……」


「実に科学的な話だ」


 感服する審査員達!

 理系至上の現代において、なんだか科学的な説明は極めて高い説得力を持つのだ!


「科学的アプローチ! でもそれは、不出来な説明をした途端に瓦解する、極めてリスキーな手だッ」


「ええ。でもムラサキさんには十分、お勉強する時間があった――加えて、あの肌のツヤをご覧なさい! ぐっすり睡眠を取った証拠!」


「そう。度重なる美食争覇と『ロスト』の連続使用による消耗――のぼりゅはその回復すらやってのけた。休息と攻勢を両立した、まさに攻防一体の戦略!」


「しかも、だ。次の二回戦は先攻後攻を入れ替えて行われる。となれば、あの腹ぺこ審査員達が最初に口にするのはムラサキの料理だ。まさに、空腹は最高のスパイス! ここまで考えていたとはッ!」


「――フッ」


 これにはムラサキも思わずにっこり。


 そして審査員も、満場一致でムラサキの勝利を宣言した。


「ちぃっ、流石は我が宿命のライバル。だがまだ終わりでは無いぞ」


「いや、一勝したからもう兄ちゃんの敗けは無いんじゃないか?」


「次のお題を引きたまえよ!」


「ぬぅ……」


 言われるがまま黄金に光る箱から紙を取り出すムラサキ。そこに書かれていたお題は――


「『再仕込み醤油』! 二回戦のお題は。『再仕込み醤油』となりますッ!」


 沸き立つ会場!


「ここで来たかッ!」


「ムラサキさんの得意分野――!」


「やったねのぼりゅ!」


「さ、再仕込み……?」


「この瞬間! 僕は『後攻の権利』と引き換えに『引き直しの権利』を発動する!」


「何だって?!」


 言い渡されたお題に対し、しかし澤が待ったをかけた!


「二回戦以降、敗けている時にしか使えない特別ルール――奴め、ちゃっかり覚えていたか」


「そんなちゃぶ台返しありかよ!」


「それに、後攻の権利を放棄するってことは、さっきジロウさんが話していた先攻の強みが、そっくりそのまま澤って人の有利になっちゃうんじゃ……」


「!!!」


 いなりの指摘は正しい。

 澤はしてやったりの表情で笑った。


「面食らったようだな。流れは完全に僕の方に来ているッ!」


「いや来てはないだろ」


「『引き直し権』による新たなお題はこれだッッ!!!」


 高らかに宣言した澤の手に握られたお題の紙。そこには『豚肉』の二文字が!


「改めまして! 二回戦のお題は『豚肉』となりました!」


「おおっ!」


 ほとんど飢餓状態の審査員達が、喉と腹から唸りを上げる。

 ここでまた『マナー』などの非料理種目が選ばれていたならば、暴動が起きていた可能性が高い!


「なんでもいい! なるべく早く出してくれ!」


「――今、なるべく早くと、そうおっしゃいましたね?」


 空腹に喘ぐ審査員。

 澤のサングラスが、照明の光を反射させる。


「かつて、有効な利用方法が分からず、放棄された遺物があった――」


 澤は、いつからそこにあったのか、足元の箱の蓋に手をかけた。


「だが、魔都ネオトキオからドンが横流しした先端調理器具により、調理方法が確立。先日無事に()()された、最新の『ロスト』」


 開かれた箱から、白い煙のようなものが漏れ出る。


「永久凍土から発掘されし禁断の叡智。登録名(コード)、|愚者らの祭典《Les Tourtes》――」


 箱から出された澤の手には、一つの包みが握られていた。


「この場に最も相応しい、僕の『ロスト』だ」


 澤は一度舞台袖に引っ込み、戻った時にはその腕に謎の機械を抱いていた。

 その箱状の機械の扉を開けると、中に置かれた皿の上に、ロストの包みを載せる。


「出力:六百、時間:四分……」


 澤が操作盤を何度か押すと、謎の機械が唸りを上げて稼働し始める。

 そしてその間、澤は腕を組んだまま微動だにしない。


「えぇっと、これは……準備の方はよろしいので?」


「そんなものは必要無い。この『マイクロウェーブ発生装置』に入れ、適切な出力と時間を設定した上でマイクロウェーブを照射することで、一切の調理工程を経ず完成する――それが、|愚者らの祭典《Les Tourtes》。本日はその一つ、『酢豚』をご賞味いただこう」


 激しい動揺に揺れる会場!

 まさか本当に、調理らしい調理もせずに美食が出来上がると言うのか!


「う、嘘っぱちだい! もしそんな物があったら、誰も料理なんてしなくなっちまうじゃないか!」


「ゆえの遺失(ロスト)、ゆえの堕落(ロスト)。文化を破壊するほどの力が、この小さな包み一つ一つに込められていると、そう弁えることだ」


「――ッ?!」


 師の不利を悟ったシローは、何とか審査員の心象を悪くさせようといちゃもんをつける。

 そんな彼の精一杯の抵抗も、澤に躱され虚空に消えた。

 そうこうしている間に刻限たる四分間が経過。

 マイクロウェーブ発生装置と呼ばれた機械は鈴の快音を鳴らし、その動作を停止させた。


 澤は分厚いオーブンミトンを両手にはめ、包みを取り出す。

 相当に熱されているらしく、白い湯気が彼のサングラスを曇らせた。


「あ、熱々すぎるんじゃないか?! えっと……そ、そうだ! 猫舌の人に対する配慮が足りない!」


 言い負かされっぱなしを我慢できないシローによる、ほぼほぼいちゃもんのような指摘! 澤はそれに、露骨に表情を歪めた。


「猫舌ぁ? 猫舌とは美食の神に見放された劣等形質ッ! なぜなら、料理とは火入れが完了したその瞬間から劣化が始まっているからだ。そのような下賤な存在など、このような場では考慮するに値しない!」


「??!!」


 なんたる暴言! 世が世なら社会的制裁は免れない!


 だが権威主義的空気の蔓延する現代においては、澤のような上級国民の発する正論に異を唱える事は自殺行為である。

 シローは二の句を継ぐことのできぬ悔しさに、静かに下唇を噛んだ。


 そして供されるは照り光る酢豚。

 熱せられた酢の香気が立ち昇り、審査員らの腹の音が汚い重奏(アンサンブル)を奏でる。


「はふっ、ふっ……う、うまいッ!」


「なんて完成度だッ……!」


 実は猫舌であった審査員の一人も、我慢して料理を口に放り込む。

 明日が大変だ。


「まさかただ待っているだけで、これほどの料理ができあがるとはッ……!」


 審査員達を唸らせる澤の『ロスト』!

 ムラサキの用意した空腹という極上の状態も相まって、もはやムラサキのターンを待たずに札を上げんばかりの勢いだ。


「『ロスト』と最先端機器との共演……ムラサキ、君はこれにどう対抗する?」


 不敵に嗤う澤に、ムラサキは――


「最先端。最先端、か……」


 冷静さを保ちながら腰を上げると、


「まだ完成には至っていないが……それゆえに最先端である装置をお見せしよう」


 まったく臆した様子もなく、そう言い放った。


「……強がりを。君が身一つでここまで来た事は、既に調べがついている。シオンもそうだ。最先端どころか、機械の一つも持ち合わせちゃいないだろう?」


「ああ、その通りだ。だからこの場で行おう。喪われし技術の再現を」


「?!」


 ムラサキは黙々と準備を進める。

 舞台を整えるために使用された金属支柱、その余りを組み合わせて土台を作ったと思えば、今度は豚と牛の合挽肉をビニール袋に入れ始めた。


「あれはペイストリーバッグ……一体何に使おうと言うの?」


 コクトーが口にした通り、肉を詰めた袋は本来生クリームを絞り出すためのものだ。

 一体何をしようというのか。そうした疑問を余所に、ムラサキは語り始めた。


「…………今とは比較にならないほど豊かだったという旧時代。その豊かさがゆえに、人口は増加の一途を辿り、そしてある時その影響が顕在化した。食糧危機だ」


「野菜、穀物、食肉――人の生存に必要な食材は、当然だが育てる必要があった。特に肉は、まとまった量を手に入れるのに時間がかかる。牛など、年単位の生育が必要だ。そしてその間も、飼料として野菜や穀物が消費される」


「この頃になると、養殖牛の価格高騰は限界を超えはじめた。当時の肉の等級は面積等級と呼ばれ、単位価格でどの程度の面積の肉が買えるかで決まっていた。そして最高級のA5ランク――すなわち、単位価格あたり百四十八×二百十ミリメートルの牛肉などは、石油王しか食せないほどであったと言う」


「抜本的な解決が望まれた。種の存続のため、生命の禁忌に触れるクローニング技術が解禁された。研究は先鋭化し、全身サーロイン牛や全身タン牛、極めつけに、全身合挽肉牛が誕生した。あまりに非人道的と、前年に誕生していた全身脳味噌牛達が主張したため、研究は細胞単位で食肉を培養する方向へとシフトしていった」


「当時理想的とされた和牛ステーキ肉は、赤身と脂身が等しい割合で交互に配置された構成。その再現には、培養赤身と培養脂身とを正確に組み立てる装置が必要だった。そうして誕生したのが――」


 完成した謎の装置を、ムラサキが卓上に置いた。


「――この、積層型三次元美食成型機だ」


 積層型三次元美食成型機!


 突如現れた近未来的先端機器に、会場が騒然となる。


「そ、そんなものが、本当に再現できるのでしょうか?!」


「よ、よくぞ言った司会! 貴様の説明では、培養?した肉を極めて精密に配置するなどという話だが、そんな高度な事が出来よう筈もない! よしんば技術的に可能だとして、今この場で組み上げられるとは到底思えんッ!」


 狼狽える澤の言葉は、しかし的を射ている。


「――澤、お前の言う通りだ。そこまで微細かつ繊細な動きまで、再現することは叶わなかった。代わりとなるマニピュレータ――そう、それは俺自身だ」


「??!!」


 ムラサキの両手には、挽肉の詰まった絞り袋が握られている。


「ま、まさか――」


「そのまさかだ。今こそ見せよう、これが人力三次元積層だ!」


 ムラサキの手が素早く動き、絞り出された挽肉が様々な形状に整えられていく。


 円形、星、ハート。


 整形されたそれらをフライパンで香ばしく焼き上げれば――


「完成だ。これこそが、未来ハンバーグッ!!」


「……」


 出された料理を前に、顔を見合わせる審査員達。


「最先端……と言っていいのか。これは?」


「生クリーム絞るのと、そう差が無いように思えるが」


「そもそもお題が『豚肉』なのに牛肉使っているし……」


「ぬぅ……」


 その評価は芳しく無い!


 当然である!


 肝心のハンバーグが、挽肉だけで作ったためか、どうにも味気ないと言わざるを得ない状態。

 せめて玉ねぎでも入っていればと、審査員らは難しい顔をした。


「それでは、札を上げていただきましょう!」


 彼らが何とか食べ終えた事を見届け、モデが審査の宣言をする。

 上がった札は澤が二、ムラサキが一。猫舌の審査員のみが、ムラサキに入れた形だ。


「一対一……勝負はつかなかったようだな」


「でもさぁ、最初は兄ちゃんが三対〇で、今度は一対二だろ? じゃあ票数的には兄ちゃんの方が上なんじゃないか?」


 穏便に収めようとしたムラサキの配慮は、シローによって打ち砕かれた。


「――ッ、まだだ! 決着がつかないなどと、そんな事が認められるか!」


 判定敗け。

 そのような流れになったら、困るのは大見得を切った澤だ。

 彼はなんとかして勝負を続けさせなくてはならない。


「でも、今からもう一戦するって言うのは……」


「そ、そうだ『禁断のマリア』! 今回の発端となった、貴様とシオンの合作料理! 僕がそれを美味と認めたならば、潔く敗北を認めようじゃないか」


 苦し紛れのように聞こえる澤の提言。


 しかし――


(禁断のマリア――実像は杳として知れないが、仮にも美食五聖天の合作だ。およそ準備に時間がかかる類の代物だろう。名案が浮かぶまでの時間を稼ぐことができる。作戦を練る暇も無いほど作り方が簡易だったならば、そう大した物では無いだろう。出来の不備をつらつらと指摘してやれば、奴も観念すること必至だ。万が一美味だったとしても、ドンが知りたがっていたレシピを白日の下に晒すことができる。敗北も実は身を切る献身だったと主張すれば、組織内の地位も安泰。そしてもしムラサキが断れば、勝負から逃げたと見做して糾弾できる。クックックッ……完璧な作戦だ!)


 何と言う狡猾な計算か!

 どのような結果に転ぼうとも、そこから自身の利を創生する手管においてこの男に並ぶものはそうそう居ないだろう。


 だが、予想外の出来事というのは、いつだって起こり得るものだ。


「――――禁断のマリアを検分すると、そう言ったのか?」


 ムラサキが静かにそう尋ねる。


「……ああ、そうだとも」


 言い知れぬ不安が冷や汗となって、澤の背中を伝い落ちる。


 目論見は完璧のはずだ。

 もしや穴があったのか。いや、そんなはずはない。


 澤の脳内ではあらゆるパターンが検討され、抱いた違和の正体を探る。


「――美食の道に殉ずる、その意気や良し」


「おい待ち給え、今殉ずると言ったか?」


 ムラサキは懐から醤油の一升瓶を取り出した。

 後ろに控えていたシオも同様に、白い袋を取り出す。


「『塩』の五聖天たるシオと、『ソイ・ソース』の五聖天たる俺……ならばその合作の正体は自明だ」


「ま、さか――」


 ムラサキがガラスのコップに醤油を注ぐ。シオがそこへ、大量の塩を投入する。


()()醤油――俺とシオは、人を殺せるほどにしょっぱい醤油を作るべく、日夜研究を重ねた。だがある濃度を超えると、塩はそれ以上溶解しない。我々の前に立ちはだかったのは、化学の壁」


「そんなある日。試飲で灼かれた喉を潤すために、私が牛乳を手にした時だった――のぼりゅがそれに気付いたのは」


「牛乳とは油が水に分散、つまり乳化した液体だ。これが分離しないのは、均質化(ホモジナイズ)という、脂肪分をきめ細かくする処理を行っているからだ」


「勿論、この手法をそのまま取り入れることはできない……でも、溶けないのならば分散させれば良いという気付きを得ることができた」


「力技も試したが、長期の安定は難しかった。だから、最後の一押しは科学だった」


 ムラサキは、コップを分厚いソーサーの上に置くと、その中に飲み薬のカプセルのような白い物体を入れた。

 ソーサーには何らかの操作のためのボタンが複数備えられており、ムラサキがそれを押すと、何やら微細な音と共にコップ内の液体が撹拌され始めた。


「塩分濃度四十パーセント……死海よりも塩辛く、ドンフアンに比肩するこれこそ、我々の到達点――出会うべきでは無かった、それゆえに禁断のマリアージュ」


「そんなもの作るな馬鹿ッ! お、おいやめろ、僕に近付くな! 警備員ッ! やめさせろ! 殺人の現行犯だぞ?!」


 しかし、その悲痛な叫びに応える者は居ない。


「澤、お前が言い出した事だ。これは神聖な儀式なのだ。美食争覇憲章第三条、『供された飲食物を正確に審査するため、これを半分以上残すことは許されない』」


 ムラサキに壁際まで追い詰められた澤は、下顎を捕まれ無理矢理にそれを注ぎ込まれた。


「や、やめっ、ぐっ、ぐぼっ?! ぐぼごごぼぼぼっっ??!!」


『なかなか面白い余興だった』


 注ぎ込まれる死の液体が致死量に到達しようかと言うその間際、突如響き渡る尊大な男の声!


 それと同時に、ステージ上の様子を映す画面に現れたのは、スフィンクスとそれを撫でる男の手。


「ま~たこのパターンか」


「貴様……貴様が――」


『そう、私こそが美食マフィアの首領。ドン・ソルレオーネだ』





第13話「はずされた梯子」・了





――次回



 自ら終焉の地と定めた惑星フェザーンに、五聖天ムラサキは帰ってきた

 妻シオと弟子シローに見守られて、今ムラサキは最期の時を迎えようとしていた

 だが、その安息は美食マフィアの襲撃によって打ち破られ、居合わせたシローらは……

 次回、世紀末美食伝説 最終話『夢、見つけたり 』

 美食のレシピも、あと一ページ


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