男女の友情は果たして成立するのか?実態を検証してみた件~佐知編
春の光に包まれた高校の入学式―
桜の花びらが舞う校庭を抜けて、新しい教室に足を踏み入れた。胸の鼓動を抑えきれなかった。
あの日のことを、私は今でもはっきり覚えている。
緊張と期待でざわめく教室の中、私の隣に座ったのは、柴犬みたいなくりくりの目をした少女だった。
目が合った瞬間、私は思った。
――(馬鹿っぽい……)
落ち着きがなく、きょろきょろと周りばかり気にしていて時折天然な発言。
一方で、彼女――千尋もまた、私を見て眉をひそめて「インテリ眼鏡……」と呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
互いに第一印象は最悪だった。
けれど同じクラスで過ごす日々の中で、少しずつ言葉を交わすようになる。
「ねぇ、ここどうやって解くの?」千尋が数学のノートを差し出す。
「……馬鹿ね。公式当てはめりゃ一発でしょ」
口ではそう言いながらも、佐知は丁寧に解法をノートに書き込んでやる。
放課後、千尋が天然ボケをかましたとき、佐知は思わず吹き出した。
「ちょっと! 何でそうなるの!」
突っ込む声は笑い混じりで、千尋もケラケラ笑う。
最初は反発し合うばかりだった二人が、気づけば並んで歩き、互いのことを当たり前に友達と呼ぶまでになっていた。
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高2の夏休みのある日の午後。
佐知は人目を気にしながらアニメショップの同人誌コーナーに立っていた。新刊に手を伸ばした瞬間、別の手とぶつかる。すみませんと声をかけて顔を上げると千尋の顔…
「……まさか」
「……あんたも?」
一瞬の沈黙の後、千尋が低く問う。
「BLは?」
佐知は口元をにやりとさせ、即答した。
「神!」
次の瞬間、二人は腹を抱えて笑い合った。
「佐知ちゃん毒舌キャラのくせに!」
「そっちだって! 馬鹿可愛いキャラで済ませてたくせに!」
―それからは秘密を共有する仲になった。
イベントに並び、夜通し語り合い、オタクの情熱を分かち合える唯一の相手。
その友情は一層強固なものになった。
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大学に進学して間もなく、千尋に恋人ができた。
「優しい人なんだ」と照れくさそうに笑っていたはずの千尋は、次第に笑顔を失っていった。
会えば怯えたように目を逸らし、袖の下に隠した痣がちらりと覗く。
胸騒ぎは、ある夜一本の電話で現実になった。
「……助けて」
掠れる声に、私は血の気が引いた。
すぐに親へ連絡し、警察へ通報し、千尋のアパートへ駆けつけた。
ドアを叩きながら叫ぶ。
「千尋! 返事しろ!」
中からは低く冷たい男の声。
怒りで視界が赤く染まる。
やがて扉が開いたとき、そこにいたのは痩せ細り、怯えた瞳の千尋だった。
私はその肩を抱き寄せ、強く言った。
「もう大丈夫。あんたは自由だから」
その言葉に、千尋は子どものように泣き崩れた。
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救い出した後も、千尋の涙は止まらなかった。
夜ごと、悪夢にうなされる声が電話越しに届く。
「佐知……怖い……」
「泣いていい。でも、一人で泣くな」
私は必ず応え、何度でも繰り返した。
だから強引に外へ連れ出した。
「買い物行くわよ。断っても無駄」
「映画面白いの沢山観るんだから」
「花火大会? 当然行くでしょ」
最初は作り笑いだった。
けれど、ある夜空に花火が咲いたとき、千尋はふと心から笑った……
その笑顔を見て、私はようやく肩の力を抜けた。
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社会人になってからのこと。
会社の飲み会の片隅で、千尋は一人の青年と出会った。
「君、映画好きなんだって?」
柔らかな眼差しに、千尋は頬を赤らめ、俯いた。
その姿を見て、私は直感した。
――この人なら、あの子を泣かせない。
青年の名は、大樹
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年月が経ち、千尋と大輝は結婚する日。
披露宴を終えた控室で、私は真剣に告げた。
「大樹あんたのことは信用してるし、信じられる。だけど千尋泣かせたら……殺す」
一瞬空気が凍る。
だが大樹は真っ直ぐに頷いた。
「……約束する。俺は佐知の事も友達だと思っているよ。だから友達の大切な人を泣かせたりしない」
千尋は涙をにじませ、幸せそうに笑った。
あの夜、暗闇で泣いていた少女が、今は光に包まれて未来を歩いている。
私は心の奥でそっと呟いた。
――もう、大丈夫だ。
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飛行機でなければ会えない距離に離れた二人。
40歳を過ぎても月に一度は必ず電話をする。
夜のリビング。
ソファに腰掛け、スマホを耳に当てて笑う千尋。
「ほんと信じられない展開でさ!」
「でしょ? だから言ったじゃん!」
遠く離れていても、声はすぐ隣に響く。
横で本を閉じた大樹がふっと呟く。
「……楽しそうだな」
千尋は微笑み、スマホを耳に押し当てたまま答える。
「うん。だって、佐知だから」
笑い声が夜に溶けていく。
かつての涙を塗り替えるように、力強く。
――きっと、お婆ちゃんになっても。
二人で話せば、心はあの16歳の頃に戻るのだろう。