第7章 信用されないという痛み
「……また却下?」
共有ラウンジの隅、プロジェクト掲示板の前で、友坂拓矢は小さく息を吐いた。
彼が数日前に提案したイベントアイデアが、今日の更新で“保留”から“却下”に変わっていたのだ。
住人による“地域探訪スタンプラリー”──シンプルだが、地域のお店や施設と協力しながら回遊を促す、観光と交流を掛け合わせた案だった。
費用は抑えめ、手間も最低限。にもかかわらず、再び「評価されなかった」。
「どうせ、また“実現性に欠ける”とか言われたんだろ」
つぶやいた声には、自嘲が混じっていた。
彼は、いつだってバランスを考えて行動している。
でも、なぜか――信用されない。
それは、彼の“口調”や“表情”のせいかもしれない。
少し淡白で、時に斜に構えているように見える。
でもそれは、“考えてない”わけじゃない。ただ、“分かりにくい”だけなのだ。
その夜。共有キッチンでは戸野ほのかが、リネンエプロン姿で野菜スープを煮込んでいた。
窓の外には細かな雨。夜風の匂いがほのかの髪をかすかに揺らしていた。
「……あ、友坂くん」
食器棚の整理にやってきた拓矢に、ほのかが微笑む。
彼はほんの一瞬戸惑ってから、口を開いた。
「提案、またダメだったよ」
「……そっか。でも、また出してるんだね」
「まぁね。諦め悪いだけ」
言葉はぶっきらぼうだが、少しだけその目は沈んでいた。
ほのかは、火加減を弱めてから、そっと声をかけた。
「ねえ、もしよかったら……その案、私に見せてくれない?」
「……なんで?」
「私、気になるの。友坂くんが考えてること」
「興味本位?」
「ちがう。……信じたいから」
拓矢は驚いたように彼女を見た。
誰かが自分のことを「信じたい」と言ってくれるなんて、思ってもいなかった。
「……それ、責任重大だな」
「重くしてもいいなら、ちゃんと受け取るよ」
ほのかの言葉は、いつだって軽やかなのに、真っすぐだった。
だからこそ、拓矢の胸の奥に、まっすぐ届いた。
翌朝。
彼は自室で、昨日のアイデアを書き直していた。
表現が悪かったのか、伝え方が硬かったのか。見直せば見直すほど、どこかに余白がないことに気づかされる。
それでも――
「信じたい」と言われたあの一言だけが、彼を机に向かわせていた。
(伝わらなかったら、どうしよう)
怖さはある。でも、怖さの奥に、何かを賭けてみたい気持ちもある。
夕方。ほのかが共有テラスに座っているところへ、拓矢は一枚の紙を差し出した。
「……これ、見てくれる?」
「うん」
彼女は、時間をかけて丁寧に読む。
途中、笑ったり、眉をひそめたり、何度もページを戻したりする。
やがて、ほのかが言った。
「すごく、よく考えてあるね。……面白い」
「……そう思う?」
「うん。でも、これ“伝える順番”をちょっと変えると、もっと通るかも」
「……あー、なるほど」
拓矢は思わず笑った。
まるで、たった一人の“通訳”を得たような気持ちだった。
「これ、私も一緒に出していい?」
「……お前、それ、ズルくない?」
「ズルくても、誰かが“信じてるよ”って最初に言えたら、絶対変わるから」
提案は、二人の連名で再提出された。
そして――今回は初めて、企画ミーティングで前向きな評価を受けた。
その夜、廊下ですれ違った愛梨が、拓矢に声をかけた。
「今日のプレゼン、よかったよ。なんか、“言いたいこと”がちゃんと届いた感じだった」
「……お褒めに預かり、光栄です」
「信用されにくいって、自分で言ってたけど……たぶんそれって、受け取る側にも責任あると思う」
そう言って、愛梨は笑った。
「伝わらないって、あなたのせいだけじゃないよ」
その言葉が、どこか救いのように感じられた。
拓矢は、ただ「ありがとう」とだけ、ぽつりと呟いた。