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恋に踏み出す、その前に。──たった一歩が、こんなにも遠くて、愛しくて。  作者: 輝


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第10章 その選択に、自信はある?

  午前九時。星見坂レジデンスのラウンジに、いつになく緊張した空気が流れていた。

  白いホワイトボードには、イベントに向けたブース配置図とタイムスケジュールが貼られている。

  その前に立つ沢田翔大が、説明を終え、静かに一同を見渡した。

「以上が、オープンデー当日の全体進行案です。質問、異論がある人は……今言ってほしい」

  彼の視線はまっすぐだった。だが、その直後、伊織未奈が手を挙げた。

「はい、異論あります」

「……どうぞ」

「このタイムラインだと、“親子で楽しめるゾーン”の配置が裏手に回ってる。最初に来る子どもたち、絶対正面から入ってすぐの場所に目が行くのに、それってもったいなくない?」

  翔大は少しだけ視線を泳がせた。

「それは……誘導スタッフが案内すれば問題ない」

「でも、最初に“視界に入る場所”ってすごく大事だよ。人の流れを見て配置決めないと、ブースそのものが生きないと思う」

  未奈の指摘はもっともだった。

  翔大は、ロジックでは間違っていないはずの計画が、視覚的・感覚的にズレていたことに気づき始めていた。

「……なるほど。なら、どう変える?」

「正面のスペースを“子ども中心ゾーン”にして、奥に進むほど“体験型”とか“大人向け”に振っていく感じ。段階的に内容が変わってくるように」

「それ、今から再構成するには時間が……」

  言いかけた翔大の言葉を、谷川凌が静かに引き取った。

「資料更新は、俺がやる。配置変更にかかる影響も今夜までに分析する。未奈の提案には合理性がある」

  翔大はその言葉に、ぐっと唇を結んだ。

「……俺、間違ってたのかな」

「“間違い”じゃない。だが、“最適解”ではなかっただけだ」

  そう言い切る凌の声に、翔大は苦笑する。

「……君の“正解”って、いつも論理的で、悔しいぐらい冷静だな」

「だが、今回の改善提案を出したのは未奈だ」

  その瞬間、未奈の顔が少し赤くなった。

  翔大は彼女に向き直り、深く頭を下げた。

「ありがとう。……素直に、助かった」

「べ、別に。あたしが口出したの、勢いだったし」

  いつもは飄々としている未奈が、しどろもどろになる様子に、ラウンジの空気がやや和んだ。

 

  ミーティングが終わったあと、翔大は一人、テラスに出ていた。

  手すりに肘をつき、空を見上げていたところに、愛梨がやってきた。

「反省タイム?」

「……まぁ、そんなところ」

「でもさ、あの計画、すごくよくできてたよ。翔大くんが全部一人で組んだって、みんなわかってる」

「ありがとう。でも……“自信あること”が崩れたとき、一瞬で足元が崩れるの、やっぱり怖いね」

「うん、わかる。私も、自信ってなんだろって思うことある」

  二人は、しばらく黙って空を眺めていた。

  風が通り抜け、葉がさわさわと鳴った。

「……谷川くんのこと、どう思ってる?」

  不意に、翔大が聞いた。

「えっ」

「なんていうか……彼、君の言葉にはちゃんと反応する。ほかの人にはあんなに冷静なのに」

「それ、からかってる?」

「本気で言ってる。……正直、ちょっと羨ましいくらいだ」

  愛梨は目を伏せ、足元を見つめた。

  そして、小さく息を吐いた。

「まだ、“どう思ってるか”って、自分でもちゃんとわからない。でも、たぶん……近づきたいって思ってる」

「それなら、きっと届くよ。あいつ、不器用だけど、信じたものには誠実だから」

  翔大の声に、曇りはなかった。

  “自分では選ばれなかった”ことを、潔く受け入れる強さがあった。

 

  その夜、凌は一人、資料を編集していた。

  そこへ愛梨が、ミルクティーを二つ手にして現れた。

「今夜は、ありがとう」

「何の話だ」

「……いろいろ、かな」

  隣に座ってカップを置き、愛梨は笑った。

「翔大くん、自信を失いかけてた。でも、あなたの一言でちゃんと立ち直った」

「彼自身が、立ち直っただけだ」

「そういう言い方、あなたらしいけど……私、ちょっと好きかも」

  凌は、ペンを持つ手を一瞬止め、彼女を見た。

  だが、何も言わずに、視線を戻した。

  その“沈黙”が、今夜はなぜか心地よかった。


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