ep7 ポケットと雷
ソフィは≪4D Pocket≫と名付けた杖を取り出した。手に持つ杖は、一見するとただの棒切れのように見えるかもしれない。しかし、布を解けば、それは古の魔法使いが持つ杖を彷彿とさせる姿を現す。杖の先端には、細い金属線が複雑に絡み合い、優雅な螺旋を描いている。その螺旋の中心には、まるで生きた光を閉じ込めたかのように、淡く青白いクリスタルが埋め込まれている。
このクリスタルこそが、小型次元ゲート生成器であり、静かに脈打つその輝きは、異空間への扉を開く可能性を秘めている。これは、ソフィが週末の雷の閃光からヒントを得た「異空間を収縮させる」技術の応用だった。無数の異空間から特定の場所を探し出すのは困難を極める。それならば、逆に無数の異空間を一つに収縮させればいいという発想だ。周囲の金属に柔らかな光を反射させながら、杖の中央付近には、先ほど杖を隠していた風合いの布がしっかりと巻き付けられ、持ち手となっている。布の端は風になびくように垂れ下がり、杖に静かな動きと神秘的な印象を与えている。
「unveil!」
そう唱えると、目の前の空間が捻じ曲がる。そして唱える
「Erz (エルツ)!」
そこから、大量の小さな鉄が屈強な男を襲う。「してやった」とソフィは内心でほくそ笑んだ。しかし相手は司法防衛科。所属する大半の生徒のギフテッドは身体能力系が多く、こんなのかすり傷程度にしかならない。言い争いをしていた動物植物科の少女の手を強く引き、ソフィは退却することにした。
男の怒鳴り声が背後から響く。彼の体からは、まるで熱を発しているかのように微かな湯気が立ち上っていた。鍛え抜かれた筋肉はさらに隆起し、血管が青筋を立てて浮き上がっている。
ソフィが引っ張った女の子は震える声で言った。
「あの人は、怒ると身体強化されるの!」
ソフィは振り返り、その男のただならぬ気迫に息を呑んだ。
確かに、先ほどの鉄片は男の肌をかすっただけで、ほとんどダメージを与えられていない。それどころか、男のギフテッドを刺激してしまったようだ。
ソフィは咄嗟に杖を構え直す。しかし、すでに男は数歩で距離を詰めてきていた。その手が、風を切り裂いて迫る。
「Schirm (シァーム) !」
ソフィは叫んだ。目の前に薄い青白い膜が瞬時に展開される。男の拳がその膜に激突し、鈍い音が響いた。膜は波紋のように揺れたが、かろうじて拳を受け止める。これは本来、超丈夫な傘として設計したものだ。めったなことでは壊れたりはしない。
「クっ!」
バカ力が、とソフィは心の中で悪態をつく。
「はっ、こんな薄っぺらい膜で俺の攻撃を防げると思うのか!」
男は嘲笑しながら、さらに力を込める。膜が軋み、ソフィの腕に衝撃が伝わった。このままでは持たない、破壊される。ソフィは思考を加速させる。この距離で、この状況で、どうすれば……。
その時、光の線が二本に分かれ、男の左右をかすめて後方の壁に吸い込まれた。男は一瞬、何が起こったのか理解できず、その隙を逃すまいと女の子の手を引き、訓練場の出口へと一目散に走り出した。
「な、なんだ今のギフテッドは! 待て!」
男の叫びが響くが、ソフィはもう振り返らなかった。訓練場の外へ飛び出すとそこにはアキラがおり、安全な場所へと案内してくれた。
「大丈夫!?」
ソフィは女の子の顔を覗き込む。
女の子は息を切らしながらも頷いた。
「危ないところだったな」
アキラが言う。彼の落ち着いた声は、張り詰めていたソフィの心を少しだけ緩ませた。
「あの電流、あなたのギフテッドね。おかげで助かったわ」
ソフィはアキラに礼を言った。あの男の動きが一瞬鈍ったように感じたのは、アキラのギフテッドが発動したからだろう。訓練場の壁に吸い込まれた光の線が電撃を走らせ、動きを阻害したのだ。
「ああ、まあね」
アキラはいつもの飄々とした調子で答えるが、その目には確かな警戒心が宿っていた。
「ありがとう、アキラ。でも、どうしてここに?」
ソフィが尋ねると、アキラは少し困ったように頭を掻いた。
「いや、たまたま通りかかったんだ。君たちが揉めてるのが見えてさ。それにしても、ずいぶん派手にやったみたいだな」
彼は訓練場の方を一瞥し、まだ怒鳴り声が聞こえてくる男の気配を感じ取っているようだった。
「ごめん……。でも、あの男が酷いこと言ったから……」
ソフィは唇を噛む。
「にしてもその杖、もしかして《4D pocket》か。仕組みを知りたいところだが、今はそれどころじゃなさそうだな」
今はそれどころではないという彼の言葉に納得した。男の足音と怒鳴り声が、再び近くに響き始めている。
「どこに逃げようか……」
ソフィは焦りを感じていた。
「とりあえず、屋上だ。あそこなら、しばらくは撒けるだろう。最悪、戦闘になっても先生たちに揉め事がばれにくい。」
三人は素早く校舎の階段を駆け上がっていく。息を切らしながら屋上への扉を開けると、ひんやりとした風が頬を撫でた。放課後なので生徒は見当たらなかった。
まだ男の怒声が聞こえてくるが、距離ができたことで幾分か和らいでいる。
「助かった……ありがとう」
女の子は改めてアキラに礼を述べた。
「いいってことよ。ところで君、名前は?」
アキラが優しい声で尋ねた。
「アメリア、です」
アメリアと名乗ったその少女は、小柄で控えめな外見だが、かえって守ってあげたくなるような庇護感を抱かせた。まだ少し震えていたが、アキラとソフィに守られたことで安心した様子だった。ソフィはアメリアの背中をそっと撫でた。
「さて、どうしたものかな」
アキラは腕を組んだ。