ep5 奇妙な道草
創造科ラボでのゴキブリ騒動は、翌日になっても学校の話題の中心だった。リナの混乱は少し落ち着き、犯人におもいあたりがあった。ソフィの眉間のしわは、困惑と同時に、ほんの少しの面白がっているような感情を示している。
リナからは「あなたでしょ!」と問い詰められたが、AIの最適化をもってしても、生理的な嫌悪には抗えない。その事実が、ソフィにとっては何よりの収穫だった。
「嫌悪は人類共通みたいね」
ソフィは、屋上にある誰も使っていない旧型の観測ドームにいた。ここは彼女にとっての秘密基地だ。錆びついた天体望遠鏡の横に座り込み、自作のサングラスを調整しながら、空に浮かぶ監視ドローンをぼんやりと眺めていた。AIが完全に支配するこの世界で、自分の居場所を見つけることが、ここ最近の彼女の課題だった。
「そろそろ、科を決めないとね」
彼女は独り浮いている。中学校に入ると、ギフテッド能力に応じた専門科に属することが義務付けられている。科は原初科、情報創造科、生命植物科、天体空間科、鉱石エネルギー科、司法防衛科、伝承精神科、の計7つある。ソフィはこれまでその決定を避けてきた。完璧なAIが導き出す答えというものに、どうしようもない反発を感じるのだ。
彼女の能力「機械創出」は、客観的に見れば情報創造科に属するのが最も効率的で、AIの推奨もそれを示していた。しかし、ソフィは、AIの予測を裏切ることに喜びを感じる天の邪鬼だった。情報創造科で、リナと並んでAIの描く効率的な「創造」を追求する未来は、どうにも退屈に思えた。
「うーん、まずは偵察から、かな」
まず向かったのは原初科だった。
扉を開けると、そこは広々とした訓練室で、数人の生徒がAIの指示に従って、ひたすら反復練習を繰り返していた。精神集中、感覚拡張、身体能力の向上。AIによる能力診断モニターが並び、生徒たちの成長予測が数値で表示されている。
「効率性、ね……」
ソフィは思わず呟いた。ここで行われるのは、個性を磨くことではなく、AIが定めた「標準的な」ギフテッド能力の土台を築くこと。まるで、大量生産される部品のようだとソフィは感じた。AIの分析によって最適な成長線が示されるが、それは同時に、その線からの逸脱を許さないということでもあった。彼女のような「乱数」を生み出す存在は、ここでは異物として処理されるだろう。
「つまんない」
すぐにそう思った。ソフィの求めるものは、ここにはない。彼女は静かに扉を閉め、次の目的地へと向かった。
次に足を向けたのは、伝承精神科だ。
薄暗い資料室には、紙の束や古めかしい書物が所狭しと並べられていた。AIが解析できない、非論理的な情報や、過去の「神々」と呼ばれた存在の伝承、そして人々の精神的な苦痛を和らげる研究が行われている場所。
「ねえ、君はもしかして、ソフィさん?」
声をかけてきたのは、小柄な少年だった。彼は手に古い絵巻物を持っていた。
「僕はケン。君の噂は聞いているよ、『AIに従わない変人』って」」
ケンはケンは目を細めてにやりと笑った。
「それは、光栄なことだわ」
ソフィは誇らしげに言った。ケンは噂通りのソフィを見て、興味深そうにした。ケンは伝承精神科の説明をする。
「伝承精神科はね、AIのデータには残らない、人々の間で噂される『集合的無意識』や、精神的な波長を研究するんだ。例えば、直近でいうと『見えない変態事件』とかね」
「なにそれ、こわ」
ソフィはわざとらしい感想をこぼした。だが、同時に興味が湧いた。
「AIの論理を超えたもの……か」
ソフィは部屋を見渡した。埃っぽい空気と、インクの匂い。そこには、AIが支配する完璧な世界には存在しない、不確かな、しかし確かな「何か」が満ちているように感じた。もしかしたら、ここならAIの目を欺く「何か」のヒントが見つかるかもしれない。
ケンは、古びた書物の中から一枚の挿絵を指差した。
「これは、昔の人が作った『からくり』の絵だよ。AIが生まれるずっと前の、不完全だけど、どこか自由な発想から生まれたものなんだって」
挿絵には、歯車と紐でできた、奇妙な人形が描かれていた。AIの効率性とは真逆の、無駄が多く、予測不能な動きをしそうな「からくり」。ソフィの心に、何かが引っかかった。
伝承精神科を出て、ソフィは考える。原初科は論外だった。伝承精神科は、AIの目を欺く「乱数」のヒントを探す上で、もしかしたら面白いかもしれない。しかし、まだ他に見ておくべき科がある。