ep3 心という名のバグ
ソフィは学校へ向かうため、部屋を出た。道中、ほんの一瞬、彼女の足が止まり、周囲の流れから外れる。その目に留まったのは、一匹の小さな虫。見た目から無自覚に嫌悪感を感じるシルエット。AIによって徹底的に管理されたこの都市では、本来、この都市は最低限の生態系の維持をするため、そうした「無駄」な存在は排除されているはずだった。
しかし、その虫は、AIが配置したであろう一般的なセンサーのわずかな死角を縫うように、不規則な軌道でガサゴソと高速に動く。その動きは、AIの完璧な計算では予測し得ない、純粋なランダム性と生命の躍動に満ちていた。「これを、生かせばおもしろい、悪戯ができそうだ」思わず、ソフィの口元に笑みが浮かんだ。
学校に着くと、背後から明るい声がかけられた。
「ソフィ! ちょうど良かった。今、情報創造科のメンバーを募集してるんだけど、あなたの『機械創出』の能力なら、きっと素晴らしい成果を出せると思うのよ」
振り返ると、そこに立っていたのは、友人であるリナだった。彼女の瞳は、AIが提示する「未来」への揺るぎない信頼に満ち、その表情は常に明るく、迷いがなかった。リナは情報創造科の一般メンバーの一人だ。彼女の周りには、すでに数人の生徒が集まっており、その視線には、ソフィへの期待と、どこか品定めするような色が混じっているように見えた。
「情報創造科、ね……。ごめん、リナ。私には向いてない」
ソフィは短く答えた。
「え? どうして? あなたの能力なら、AIもあなたの『機械創出』の成長を高く評価してるし、情報創造科はあなたにとって最高の環境だよ」
リナの表情に、一瞬だけ驚きと困惑の色が浮かぶのを見て、ソフィはにやりと笑った。
「私はねー、、、なによりも、あなたの困惑した顔が好きだからよ」
そう言い放つと同時に、作っていたステルスマントをはおり、周囲の環境に溶け込んだ。
リナは目を丸くし、ソフィが目の前からふっと消えたことに驚きを隠せない。彼女の周りにいた生徒たちも、ざわめき始める。
「え、どこ行った?」
「まさか、本当に消えたの?」
ソフィの声が、まるで空間に溶け込むように聞こえてくる。
「情報創造科は、AIの効率的な計算で、予測可能なものを作るんでしょ?私には、もっと予測不可能なものに興味があるの。例えば、あの虫の動きみたいにね」
リナはすぐに気を取り直した。彼女はAIの示す「効率的な協力」の精神に則っているが、ソフィという友人の予測不可能な行動には慣れている。
「ソフィ、待って!予測不可能だからこそ、AIの力を借りて、それを制御するんだよ!それが情報創造科の目指すところなの!」
リナの声は、ソフィが消えたはずの場所に向かって投げかけられた。
ソフィは、ステルスマントの中で小さく笑った。彼女の「機械創出」の能力は、自由で奔放な発想から生まれるものだった。彼女にとって、AIの示す「完璧な未来」は、どこか息苦しく、退屈なものに感じられた。彼女が求めるのは、予測不能な面白さ、そして、AIの目を欺くような「悪戯」だった。
「制御するなんて、つまらないじゃない」
ソフィの声が、今度は少し離れた場所から聞こえてくる。彼女はすでに、校舎の陰に移動していた。
「予測できないからこそ、面白いんだよ。じゃあね、リナ。情報創造科、頑張って」
リナは、ソフィが完全に姿を消したことを悟り、ため息をついた。彼女の周りの生徒たちは、まだ困惑した表情を浮かべている。
「リナ、今のって…」「ソフィって、やっぱりすごいな…」「…まったく、変人だな」
リナは、ソフィが残した言葉を反芻していた。「予測できないからこそ、面白い」。AIが提示する完璧な世界で育ったリナにとって、それは理解しがたい概念だった。しかし、ソフィの言葉には、どこか抗えない魅力があるのも事実だった。
ソフィは、ステルスマントを脱ぎ、人気のない裏庭に現れた。彼女の脳裏には、先ほど見た虫の不規則な軌道が焼き付いている。その動きを模倣し、AIのセンサーを欺くような新しい「悪戯」のアイデアが、次々と湧き上がってきた。