ep10 空白のヒーロー
「さて、どこから暴いてやろうかしら?」
ソフィの指が、動き始めた。彼女が最初に目指したのは、あの男、司法防衛科のトップに関する情報が格納されているであろう領域だった。個人の評価データだけでなく、彼の行動履歴、過去の功績、そして「不都合な真実」が隠されている可能性のあるファイルを特定する。
しかし、ソフィの高速な指の動きが次第に緩やかになっていく。眉間にしわが寄り、訝しげな表情を浮かべた。
「……おかしいわ」
彼女の目に映し出されたデータは、あまりにも希薄だった。ジーク。その名前と顔は全校生徒に知れ渡り、司法防衛科の象徴として祀り上げられているはずなのに、彼に関する個人的な情報は驚くほど少なかったのだ。
学園のデータベースには、ジークの輝かしい成績、模範的な行動記録、そして「防衛隊の未来を担う逸材」としてのAIによる高評価が羅列されているだけ。通常であれば、学園のトップに立つ生徒のデータには、家族構成や出身地、趣味、はたまた些細な失敗談まで、膨大な情報が蓄積されているはずだ。ましてや、能力の詳細な分析データまであるのが普通だ。
しかし、ジークに関するギフテッドの情報は、「不明」の一言。あるいは、極めて抽象的な記述があるのみだった。彼の輝かしい功績や圧倒的な実力が、どのギフテッドに由来するのか、データ上からは一切読み取れない。まるで、彼が特別な力を持つことが、意図的に隠されているかのように。
ソフィは思わず声を漏らした。これは単なる情報不足ではない。意図的な情報操作、あるいは、アクセス制限がかけられている可能性すらあった。ジークという男は、表向きの完璧なイメージとは裏腹に、得体の知れない闇を抱えているのかもしれない。
彼女はさらに深くシステムへと潜り込もうと試みた。しかし、ジークに関する特定のデータ領域に触れようとすると、まるで不可視の壁に阻まれるかのように、堅固なアクセス制限がかけられていることが判明した。それは、彼女のこれまでのハッキング経験の中でも、類を見ないほど強固なセキュリティだった。
「……これ以上は、まずい」
ソフィは冷や汗が背筋を伝うのを感じた。この先の壁を突破しようとすれば、確実に足跡が残ってしまう。そうなれば、学校中に張り巡らされたAI監視網がすぐに彼女の存在を察知し、警報が鳴り響くことだろう。それは、今回の作戦だけでなく、彼女の平穏な学園生活、そしてアキラやアメリアとの未来にも致命的な打撃を与える。
ソフィは、モニターに表示された簡素なデータを見つめながら、新たな疑問を抱いた。
ジークの隠されたギフテッドとは何か? そして、なぜこれほどまでに情報が秘匿されているのか?
未解明の謎を抱えつつも、彼女は冷静に撤退を決断した。得られた情報は少ないが、ジークがただの「エリート」ではないこと、そして彼に関する情報が隠蔽されているという事実だけでも、大きな収穫だった。
静かにシステムからログアウトし、サーバー室を後にする。来た時と同じように、彼女は幻のように廊下を抜け、警備ロボットの巡回を避けて、無事に司法防衛科の建物から姿を消した。
夜空の下、ソフィは深く息を吐いた。ジークの謎は深まるばかりだった。
翌日の朝、ソフィは重たいまぶたをこすりながら、アキラとアメリアに報告するため、指定された場所へ向かっていた。一睡もできなかった。昨夜、司法防衛科のサーバー室で見たジークのデータが、彼女の脳裏から離れなかったのだ。全校に名を知られたトップの情報があまりにも少なかったこと、特にギフテッドに関する情報が「不明」とされていたこと。それは、彼女のスキルをもってしても、これ以上深入りすれば足跡が残ってしまうほどの強固なセキュリティで隠蔽されていた。
待ち合わせ場所に着くと、すでにアキラとアメリアがいた。アキラはソフィの顔を見るなり、その疲労に気づいたようだ。
「徹夜か? 無理はするなって言っただろう」
ソフィは小さく首を振った。
「大丈夫。それより、聞いてもらえる? 昨夜の潜入で分かったことなんだけど、…ジークのことよ」
アメリアは不安げな表情でソフィを見つめた。彼女のギフテッドは、ソフィの胸中に渦巻く複雑な感情、驚きと困惑、そしてかすかな焦燥を感じ取っていた。
ソフィは昨夜の出来事を淡々と話し始めた。司法防衛科の厳重な警備を突破したこと、サーバー室に侵入したこと、そしてジークに関する情報があまりにも希薄だったこと。
「彼のプロフィールは、成績や行動履歴といった表面的なものばかりで、パーソナルな情報はほとんどない。そして何より、ギフテッドの欄が『不明』となっていたのよ」
アキラは腕を組み、考え込むように顎を撫でた。
「ギフテッドが不明だと? そんなことがあるのか? 司法防衛科のトップが、自身の能力を隠蔽しているとでも?」
「その可能性が高いわ。これ以上深掘りしようとすると、確実に痕跡が残るレベルのセキュリティがかけられていた。私のスキルでも、足跡を残さずに突破するのは不可能だった」
ソフィの言葉に、二人の顔に緊張が走った。ソフィが「不可能」と言うのは、よほどの事態だ。
アメリアが震える声で尋ねた。
「あの男は……一体、どんなギフテッドを持っているんでしょう? なぜ、それを隠す必要があるんですか?」
ソフィは首を振った。
「分からない。だけど、一つだけ確かなことがある。ジークは、私たちが思っていたような、ただの『エリート生徒』じゃない。彼には、私たちに知られてはならない秘密がある。そして、その秘密は、カースト制度の根幹に関わっているかもしれない」
アキラは重い沈黙を破った。
「ギフテッドの情報を隠す……ということは、その能力が、彼にとって、あるいは司法防衛科にとって、何らかの『不都合』なものである可能性がある。もしかしたら、そのギフテッド自体が、カースト制度を維持するための『秘密兵器』なのかもしれないな」
ジークの正体に関する新たな謎は、作戦の方向性を大きく変える可能性を秘めていた。単に彼の不正を暴くだけでは、この問題は解決しないかもしれない。彼が隠すギフテッドの正体を突き止め、それを逆手に取ることが、カースト制度を完全に打ち破る鍵となるかもしれないのだ。