私は犬になりたい
犬、いぬ、イヌ。世界で一番尊いものは犬である。
これまで三匹の犬を飼ったが、どの子も世界一可愛かった。
膝枕してきたり、前足でチョイチョイしてきたり、帰宅するとこれでもかって位に全身で喜んで、キスの嵐。
飼い主に全幅の信頼を寄せて、嗚呼幸せだ、とばかりにだらけてる。それが犬という生き物である。
羨ましい。私も犬になりたい。
そんなふうに思っていた。
◇◇◇
「サクラ、サクラ。ちょっと立っていい?」
「……んー」
炬燵で在宅勤務をする旦那の言葉を、聞かなかった事にして腿に頬擦りする。
長方形の炬燵の短辺側に足を伸ばして座る旦那。私は長辺側に寝転んで、炬燵カバーに包まりながら、体を曲げて頭だけ旦那の足に乗せている。ここはとても丁度いい場所である。
「サクラ、ちょっとだけ。トイレ行きたい」
聞こえないフリを決め込む私の頭を、旦那は笑いながら慣れた手つきで撫でる。
幸せな溜息を吐ききったので、コロンと頭をどける。
手洗いに行く旦那を目で追いかけて、ちょっとソワソワしながら少しだけ待って、いつもの席に戻った彼の、いつもの場所にまた頭を乗せて。
すぐパソコンをいじりだしたのでペシペシと叩くと、当たり前のように頭を撫でられる。
私は嬉しくなって、またウトウト惰眠を貪るのだ。
◇◇◇
彼と出会ったのは、夜の川辺だった。
ジョギングコースとして整備されていて、街灯もベンチもたくさんあるところ。
その日の私はとても悲しくて、その日の彼もとても悲しくて、そんな二人がベンチでおしゃべりをした。
初対面だからこそだったのかもしれない。
素直な言葉がポロポロ落ちて、たくさんたくさん話をして、
『私、愛されてる飼い犬になりたかった』と私は零した。
そうして私は、彼の飼い犬になったのである。
◇◇◇
パタン、とパソコンを閉じる音がした。
「おしごと、おわり?」
「うん。よくマテができました」
そう言ってワシャワシャ撫でられるから、私は可笑しくなってしまった。
よいしょ!と起き上がった私は彼の膝に乗る。
クスクス笑いながら、向き合って座った私を、彼は緩く抱きしめて。
私は彼の首筋に鼻を埋めて匂いを嗅いだ。嗚呼、幸せだ。
「ミカン食べたい」
「はいはい」
炬燵の上のミカンを剥いてもらって、一房ずつ食べさせてもらって。
悪戯に私の口から彼の口に運んでみたりして。ちょっと鼻を舐めてみたりして。『クサくなるよぉ』って言われてまた笑い合った。
「サクラ、夕飯の買い物は?」
「うーん。あ!行く!トマト買わなきゃ。あとコンソメスープの素!」
「よし、じゃあ着替えてきな」
「はぁい」
私は家では常に寝間着なのだ。
カチャリ
「戸締りOK!財布持った!エコバッグ持った!」
「よし。じゃあお散歩行こうか」
彼の差し出す手を握る。
彼が笑ってくれるから、私は嬉しくなって繋いだ手をブンブンと振った。