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71話


          *****



 僕が──、私が宮廷学者である父を殺害したのは、六歳の時だった。

 ダーナと城壁の外へ出た翌日の事だったと記憶している。その日の父は珍しく早起きだった。



「バロウ、弁当忘れずに持って行くんだぞ!」

 普段は昼近くまで寝ている父が、私の通学を見送ってくれた。私は家族のことが好きだった。学者だった父は研究に没頭し、私のことなどお構いなしだったが、父のおかげで宮廷にある教育機関にも通えている。父を誇りに思い尊敬していた。母はいつも優しく、料理が上手だった。私は二人の間に産まれたことを感謝していた。

 



 しかしその気持ちを踏み躙る悲劇が起きた──。




 正午を告げる鐘が鳴り、午前の授業が終わると生徒たちは食堂へと向かう。

「先生、お弁当に手をつけないで待っててくださいねっ!」

 ダーナがそう言い残して、皆の後を追った。一人取り残された私は教室でダーナの帰りを待った。

「うんしょ、うんしょ」

 ダーナがトレイに山盛りとなった学食を運んでくる。

「先生、今日も交換をお願いしますわっ!」

 私は差し出された学食を疑い深く眺めてから口にした。

「うん、美味しい」

 親指を突き立ててダーナに向ける。ダーナは安心した様子で、

「では、遠慮なく先生の玉子焼きを──」

 そう言ってダーナは玉子焼きをモグモグと頬張った。

 二人だけの教室でいつも通りの昼食をとる。お互いに料理を交換して談笑しながら昼食の時間を過ごしていたその時だった。

 突然、ダーナが泡を吹いて倒れたのだ。

 怖くなった私は急いで講師を呼びに行った。戻ってきた頃には、ダーナはすでに息をしていなかった。すぐに搬送されたが手遅れだった。

 どうやら学食に毒物が混入していたらしい。

 当事者ということで色々と事情を聞かれたが、私は頭が真っ白になり、話すことさえままならない状況だった。

 帰宅すると父はひどく酔っ払っていた。

「おっ、バロウ帰ってきたのか? 学校はろうらったんだ?」

 ろれつの回らない口調で果実酒を煽っていた。泥酔した父の姿に怒りが込み上げ、父を無視して寝室に駆け込んだ。

 ぶつけることのできない怒りを噛み殺し布団の中で歯を食い縛る。一人になってようやく、り潰されるような感情に体が震えた。

 畜生、畜生。なぜダーナが死ななければならないんだ……。

 家族に八つ当たりしてもダーナが生き返るわけじゃない。毛布を握りしめて、ただひたすらに怒りと悲しみを堪えていた。


 泣き疲れた私は気がつくと夕食も食べずに眠ってしまっていた。そして目が覚める。居間からは灯りが漏れていた。何時くらいなのだろうか? まだ誰かが起きている? 

 喉に渇きを覚えた私は寝室の扉を開けた。

 居間には虚ろな目をした父がうな垂れるように酒を飲んでいた。母の姿はない。

「どうしたバロウ? しょんべんでもしたくなったか? ヒックッ」

 ご機嫌といった様子で果実酒のグラスを掲げている。いつもと違う父の雰囲気に妙な胸騒ぎがした。



 母は? 

 母はどこに行ったんだ?


 

「か、母さんは……?」

「母さんか……、ヒックッ。なんだ、まだ母さんが恋しい年頃か? 今夜は一人で酔いたい気分なんだよ父さんは……。ヒックッ」

 父は不整脈のように体を揺らす吃逆しゃっくりを飲み込みながら言った。

「こ、こんな時間に母さんがいないなんて変じゃないかっ!」

 自然と私の口調が強くなった。

「ふっ。……母さんか……。バロウ、母さんに会いたいか? だったら、……会わせてやるよ、本当の母さんに。ついて来い!」

 父はそう言って勢いよく立ち上がり果実酒を飲み干した。



 本当の母さん?



 父の言い回しに違和感を覚えるも、勢いに気圧された私は父のあとについて行った。

 父はおぼつかない足をひきづるように引っ張り、体を左右に揺らしながら家の外に出た。街は闇に覆われ静寂に包まれていた。



 曇天のせいか、夜空に浮かぶ複数の惑星は姿を見せず、父が持つ小さなカンテラの灯りだけが頼りだった。ゆらゆらと定まらない足取りも、目的に向かって歩んでいることだけは感じとれる。


 一体、父はどこに向かっているのだろうか?


 無言のまま私は父の背中を追いかけた。

 郊外を抜けて空気が冷たくなる。

 住宅が少なくなるにつれて闇の密度が濃くなっていくと、樹々のざわめきや鳥獣の遠吠えが鮮明に聞こえた。靴の下には湿った地面の感触がある。

 闇夜に潰された視界のせいで、視覚以外の感覚が研ぎ澄まされていた。

 鋭敏になった感覚がやがて、その場所がどこなのかを告げる。



 ──ここは墓地だ。

 王都の外れにある共同墓地だ。



 父はどうしてこんな所に私を連れてきたのだろうか?

「着いたぞ。ここだ」

 道中、一言も発しなかった父が突然、声をあげて立ち止まった。

 カンテラの灯りが照らし出したのは、母の名前が刻まれた石盤だった。



 母の墓石? 

 一体どうして?



「会わせてやるよ。本当の母さんに」

 父は膝を突き、両手で地面を掘り出した。

「ちょっと、父さん何やってんだよ!」

 無言を貫いていた私は父の怪奇な行動に思わず声を荒げて父の肩を掴んだ。

 父は私の手を振り払い一心不乱に地面を掘り続けている。

「やめろよ父さん!」

 常軌を逸した父の姿に私は恐怖を覚え、衝動的に父を突き飛ばしていた。

 尻餅をついた父が薄気味悪い笑みを浮かべて、

「バロウだって母さんに会いたいだろ?」

「……さっきからなに言ってんだよ! お酒の飲み過ぎじゃないか! 今日の父さん はおかしい!」

 私は父の行動が理解出来ず、恐怖心を紛らわすように声を震わせて捲し立てた。


 父がのっそりと立ち上がり、私を凝視する。揺らめくカンテラの灯りが充血した目を浮かび上がらせる。濁った眼光が私を見おろしていた。

「……お前だって……、母さんに……、会いたいんだろ……、そうだよな……?、さっき言ったじゃないか……、母さんはどこだって……」

 小間切れになった言葉が父の口から溢れる。私は返す言葉が見つからず、しばらく目を伏せてから、

「母さんはどこにいるの?」

 と、視線を突き上げた。


「……、今から母さんに会わせてやるよ……」

 父がゆっくりとポケットに手を突っ込み、取り出した物をみて、私は驚愕した。

 ずっと一緒にいたから分かる。

 父の手に握られていたものは紛れもなく、ダーナのアミュレットだった。

 父は倒れ込むように膝を落とすと、再び地面を掻きむしり始めた。

 背中を丸めモグラのように躍起になっている父の背後に立ちすくむ。



 どうして父がダーナのアミュレットを持っている?



 破裂寸前に動揺する内心に相反して、身体は硬直して動かない。

 漠然とした予感だけが脳天直下の稲妻の如く全身を駆け抜けた。


 バク、バク、バク──。

 心拍音が鼓膜を打ち付ける。


 ま、まさか……。

「ずっと探していたんだよ。隣国に伝わる聖石というやつを。これで妻に会える。バロウにも会わせてやることができる……」

 独り言のように呟く父の言葉ですべてを理解した。

 ダーナを殺したのは父だ。

 そう思った瞬間、私は無意識に頭部ほどある石を両手で持ち上げていた。


 ガンッ!

 重力が父の後頭部にのしかかる。

 もう一度、両手を振り下ろした。

 もう一度。もう一度──。


 父はうつ伏せになったまま起き上がってはこなかった。暗闇が溶け出したかのような液体が地面を濡らしている。

 カンテラの筒形の中で燃え盛る炎を私は一点に見据えていた。

 自分がまるで魂の抜けた人形のように思える。取り残された暗黒の中で、もう一人の自分が俯瞰ふかんで監視しているような奇妙な錯覚に捉われた。


 背後からかけられた声で私は意識を取り戻した。

「大丈夫です。安心しなさい。私があなたをお守りします」

 暖かみのある優しい声だった。

 外套を被りカンテラをかざした老婆が近づいてくる。


「……母さんは……、母さんはどこにいるの……?」

 状況が飲み込めない私は突如として不安に襲われた。居ても立っても居られなくなった私は見ず知らずの老婆にすがりついた。



「それをお渡し下さい。ダーナ様の形見。私が責任を持ってお預かり致します。この事は私とあなただけの秘密にしておきましょう」

 その言葉に視線を落とすと、私の手にはダーナのアミュレットが握られていた。


「あなたの父親は大きな勘違いをしています。聖石は死者の肉体を蘇らせることができても魂までは蘇らせることができません。それが生み出すものは食屍鬼(グール)


 老婆は茫然と立ちすくむ私を外套の中にくるんだ。どこか懐かしい、心安らぐ香りが私を落ち着かせる。

 風の音やカンテラの小さな灯りさえも、すべてを遮断する外套の中で、私は意識を失っていた──。

 

 


「先生、先生っ!」

 聞き覚えのある声で私は目を覚ました。


 ダーナ? 

 よかった。生きていたのか?


 安堵した私の頬に自然と涙が伝う。

「先生っ! 最近、お酒の飲みすぎですよっ! ほんとにだらしないんだからっ! もうっ!」

 混沌とした暗闇から意識が解放されると、目の前にはフェイルが頬っぺたを膨らませていきどおっていた。



 ダーナと同じ容姿をした幼女。



 彼女と出会ったのは私が成人を迎えたばかりの頃だった。

 父の忘れ形見でもある神器、フェイルノートに触れると彼女が姿を現した。


「先生っ! また昔の夢を見てたんでしょ? 涙なんて流しちゃってカッコ悪いですわっ!」

 フェイルの言葉で我に返る。

 そうか。夢か。

 最近よく過去を思い出す。

 私が犯してしまったあやまち。

 つぐなうことのできない大罪。

 十数年経った今でも克明によみがえる。

「昔のことをいつまでもくよくよしたって仕方ないですわよっ!」

 フェイルの投げやりな物言いに気恥ずかしくなった私はそそくさと頬を拭った。

「さあ、目覚めのお茶が入りましたっ! 頭がスッキリ致しますわっ!」


「ありがとう。フェイル」

「エヘヘ。どういたしましてっ!」


 気を取り直した私はフェイルから差し出されたお茶を口に含んだ。

 

 ──ぶっ!

 ──からっ!


 思わずお茶を吹き出した。

 フェイルがケケケと手を叩いて喜んでいた。



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