69話
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私の研究が佳境に差し掛かった頃、思いも寄らなかった人物が訪ねてきた。
「──眼球移植に成功したようですね」
「さ、宰相様、こんな所にまで足を運んで下さり大変恐縮であります」
「あなたの研究の成果は私の耳にまで届いておりますよ」
「こ、光栄であります」
「──で、ものは相談なのですが、その研究を即刻、中止して頂きたい」
「……はい?」
私には宰相様の仰る意味が理解出来なかった。
「……いや、中止ではありませんね。研究は失敗した──。そういう事にしておきましょうか?」
「ですが、研究は順調に進んでおりまして……」
「これは忠告ではありません。警告です。このまま研究を続けるようであれば、あなたの身内に不孝があったとしても驚きはしませんよ」
私は宰相様の言葉に愕然とした。
移植技術は向上し、あとは強制解除の条件。神獣眼の研究へ移ろうとしていたところだった。
「話はそれだけです。あなたは素晴らしい学者です。手荒な真似はしたくはありません。賢明なご決断を切望致しますよ。では、これで──」
眼球移植は私の誇りだ。
──私は研究をやめなかった。
そして、ついに神器の強制解除に成功したのだった。
私は成功の喜びを真っ先に妻に伝えようと家路を急いだ。王宮の研究室を飛び出し駆け足で帰路に就く。逸る気持ちに身を任せ、家の玄関を開けた時だった。
明かりが閉ざされた部屋の中は、むせ返るような血生臭い匂いが充満していた。鼻腔に押し込まれた臭気を無意識に拒絶し、すぐさま家の中へ踏み込む。つい先程まで胸を打っていた鼓動は、境界線を隔てることなく恐怖への高鳴りへと移行していた。
冷静さを保とうと口呼吸だけで浅く息を吸い込んだ瞬間、床に伏せている妻の姿が視界に飛び込んできた。
私は悲鳴を堪えた。それと同時に自分を悔やんだ。家族への危険を顧みず自分の欲望に従った結末。自業自得だった。
がくりと膝が落ちる。
横たわる妻と視線が合う。いや、焦点の合わない水色の瞳に無理矢理、視線を合わせた。動かなくなった妻の瞳が何かを訴えていた。
そうだ。バロウは──!?
私は体を起こして周囲を見渡した。そして即座に寝室に駆け込む。
今年、産まれたばかりの息子はスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。バロウを抱き抱え、全身を密着させる。──これは警告だ。
バロウを殺さず生かしておいたのは、私を服従させるための人質に過ぎない。
息子を守らなければ──。自責の念に駆られた私はバロウを抱えたまま妻の横に再び崩れ落ちた。──強くならなければ。
私は震えた指先で妻の瞼をゆっくり閉じさせると、息子を抱いたまま研究室へと向かっていた。
私の研究室には国中から集められた眼球が保管されている。
なかでも神獣眼と名付けた特別な眼球は、潜在能力を問わず神器に呼応する。
殺伐とした世界を生き抜くためには、圧倒的な力が必要だった。
私は決意した。神獣眼を、──私と息子に移植した。
そして神器を解放した。
フェイルノート。
風属性の魔力を持つ名弓。
私がフェイルノートに触れると、弓は女性の姿へと変わった。
妻と相違のない容姿。
しかし、その瞳だけは妻とは違うエメラルドグリーンの色彩を放っていた。




