61話
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甘くて切ない初恋。恋と呼べるかもどうかさえ不確かな、青春と称される時間よりも──ずっと前。
友達よりもまだ母が恋しい、そんな幼い私は、かけがえのない二人の友人を同時に失った。
堪えきれなくなった、ほんの小さなため息が、渦を巻いて大きくなり、うねりをあげて轟く竜巻となって塒を巻いていた。
──僕の父は宮廷学者だった。
あの事件が起きた日、僕は六歳だった。
僕は宮廷にある教育機関に通っている。
平民の出だった父は学者としての資質を見出され、王国に召し抱えられた。僕はその恩恵を多大なまでに受けていた。
「バロウ、お弁当忘れないで持っていくのよ」
背中にぶつけられた母の声に、慌てて弁当箱を掴み取り、家を飛び出した。
僕が通う学校は王族や貴族、上級国民のための教育機関で、僕のような人間が出入りできる場所ではない。平民の僕が、恵まれた環境で学ばせて貰えるのは学者である父のおかげだった。
平民出身の僕はクラスでも浮いていた。
弁当を持参して通学する生徒は僕しかいない。クラスメイトは宮廷の食堂で学食をとる。学食といっても高級食材を使用した、超高級料理だ。庶民の僕が口にすることのないメニューが平然と並ぶ。
僕は昼食の時間になると教室で一人、母の手作り弁当を広げていた。
「先生っ! 今日も交換お願いしますっ!」
僕のことを先生と呼ぶのは同い年でクラスメイトのダーナだった。僕の弁当が彼女のお気に入りだ。
ダーナはいつも学食の高級料理と弁当のおかずの交換をねだる。どうやら庶民の料理が物珍しいようだった。
「う〜〜んっ! やっぱり先生のお母様の玉子焼きは格別ですわっ!」
許可なく弁当箱から玉子焼きをつまみ取り、口に頬張ると恍惚とした表情をみせた。
「あっ!? それ、楽しみにしてたのにっ!」
ダーナを前に僕の言葉は無力だった。
「先生にはこれ! コドラ・ホビロ・バロット」
聞き慣れないメニューとの物々交換を強いられた。コドラ・ホビロ・バロットとは、孵化寸前の小竜の卵を茹でた王宮料理らしい。
僕がしぶしぶ卵の殻を剥いてみると、
「──ぎょえっ!? 気持ちわるっ!」
中から白い目をした小竜のヒナがおぞましい姿で現れた。
「こ、こんなの食べられないよっ!」
ダーナはドギマギする僕を見て、クスクスと笑っている。
「えーー、美味しいのにっ!」
そう言って、意地悪そうなジト目を向ける。
半熟で粘液にまみれた小竜のヒナ。
どう考えても人間が食べる物ではない。
唖然とする僕を尻目にダーナは二つ目の玉子焼きに手をつけた。
「あーーっ!!」
「エヘヘヘ」と笑って誤魔化すダーナ。
彼女の前に、──僕の人権はない。自由奔放な彼女をむげにできないのには理由があった。
ダーナはこの国の王女だった。
僕がこの学校で上手くやっていけたのはダーナのおかげだった。
絶対的な階級社会で彼女の地位は頂点に君臨する。
その彼女がなぜか僕の友人だった。
最初の頃は平民出身の僕を蔑すむ連中が沢山いた。貴族の中に一人だけ紛れる平民。
当然の報いだ。しかしことある毎に彼女のひと声がそれを制した。ダーナに逆らえる者はいない。彼女の腰巾着。それがクラスでの僕のポジションだ。
ダーナは王女といってもその地位を鼻にかけない。それどころか僕を先生と呼び崇めてくる。彼女に言わせれば、僕の腰巾着が自分らしい。いやいや、それはさすがに気が引ける。
僕が先生と呼ばれる理由は、単純に学力が優秀だからだった。父親の影響もあって僕は勉学が得意だった。
一方でダーナは勉強が苦手だった。というよりも彼女は興味のないことに無関心だ。覚える気がない。彼女が興味あるものと言えば……、
「やっぱり先生のお母様の玉子焼きは最高ですわっ!」
「あっ、最後の一個!?」
残りの一切れが無遠慮に彼女の口に放り込まれる。王女様の横行に成す術がない。
「はぁあ〜〜」
僕のため息にダーナはケラケラと笑っているだけだ。
「まあ、そんなに気を落とさないで! 貴殿にはこちらを差し上げますわっ!」
そう言って、目の前にパイ生地で包まれた料理が差し出された。
「とっても美味しい料理ですから、早く召し上がって下さいませ」
ジッと伺う僕。
「──早く」
「、、、──早く」
「──は、や、く、」
ダーナが机に頬杖をついて焦ったいとばかりに、僕を覗き込んでくる。
たしかに芳ばしい香りが漂っている。誘惑に負けた僕がかぶりつくと、サクッと良い音を立て、
「からっ!」
パイ生地の中から激辛の食材が溢れ出した。
「ひゃっ、ひゃひゃひゃひゃっ」
ダーナが飛び跳ねて喜んでいる。
「今、貴殿が召し上がった物は、ハバネ・ロンパイ。この国で一番辛い料理ですのよっ!」
げっ!? なんだよその料理。
僕は思わず吐き出して水を流し込んだ。
彼女が興味あるものは、僕の弁当と、貴族社会の常識に疎い、──僕のリアクションだった。




