47話
しばらく動けなかった。
俺たち家族は選ばれた人間。
世界を苦しめる魔王を討ち滅ぼすための唯一の刃。逆を言えば俺たち家族が動かなければ世界は魔王に支配されたままだ。途轍もない重圧がのしかかった。
聖剣エクスカリバーを扱えるのは蒼白眼を持つ成人男性と言う。条件を満たす可能性があるのは我が息子。
そんな大役がこの子に務まるのだろうか?
漠然とした不安に苛まれる。
すべてを理解した上で、俺は何もすることが出来ず、ただ月日が流れ、──そして、悲劇を迎えた。
ある日、妻と息子が殺されてしまったのだ。
たしかに蒼白眼の歴史は風化した。
しかし、ごく一部に真実の歴史を知り、それを恐れる者たちが存在する。彼らの陰謀によって妻と息子の命は奪われてしまった。
俺は迷いなく時空魔法を使い、人生をやり直す決断をした。
世界再編──。漆黒眼を得た俺にはそれが可能だった。時間を巻き戻し、妻と息子が殺される前に戻る。そして俺は白眼様の言葉を辿り、妻を時空転移させたのだ。『観測者』としての妻がいる別世界では、蒼白眼だけを失った息子が存在することになる。表面上、蒼白眼は消失する。その世界で息子が聖剣を抜いた時、──魔王を討ち滅ぼす力を得る。
あとは息子の時空魔法で『観測者』としての妻を元いた世界に戻せば、蒼白眼は復活し、聖剣エクスカリバーを扱うことが出来る。
──それが俺の漆黒眼が導き出した答えだった。
息子が白眼のままでエクスカリバーを引き抜けるかだって?
断言できる。
──なぜなら俺には、──視えたのだ。
俺も白眼でありながらこいつを解放した経緯がある。
──道理は同じだった。寧ろ王国を欺くためには白眼でありながら聖剣を引き抜く必要がある。
「なにをモゴモゴ言ってるんだい?」
──俺には、息子には知られたくない秘密があった。
白眼様の祭壇には「時の羅針盤」と呼ばれる宝物が祀られていた。中央に漆黒の水晶が埋め込まれた円盤。
俺が手を触れると、羅針盤はこいつの姿に変わる。
「あのさ、さっきから何をブツブツ呟いているんだよ」
初めてこいつに出会ったのは俺が成人を迎えた直後だった。
いつものように祭壇を掃除している最中、俺の手が羅針盤に触れると、弾けるような風圧が起きて、こいつが姿を現した。
「あんたが私を呼び覚ましたのか? せっかく気持ちよく眠っていたのに……」
俺がまだ白眼だった頃の話だ。
彼女は俺に触られると「くすぐったい」と言いながらも必ず姿を現した。そして、俺が白眼様から漆黒眼を譲り受けると、彼女の力を完全に使いこなせるようになった。
時の羅針盤の力。
未来を見通す力。俺は息子の未来を視た──。
その世界の俺たちは白眼様と出会った後、息子を養護施設に預けて身を隠した。歴史の真実を知る追手から逃れるためだ。そして『観測者』としての妻が息子を監視した。
蒼白眼を失った息子は聖剣エクスカリバーを引き抜く──。
漆黒眼を持つ白眼様が、なぜ我々の時代に姿を現したのか? 賢者の宝物──時の羅針盤。勇者を導いた賢者である白眼様にも視えていたのだ。無数に存在する並列世界のなかで、唯一、魔王を討伐することができる世界線を──。
「あのさ、私の声聞こえてる?」
パッツリと切り揃えられた前髪。長い髪は艶やかに腰まで伸び、切れ長の眼は、髪と同じ漆黒の光を湛えている。小柄で凹凸のないなだらかな胸板が少女を思わせるが、俺よりも歳上という設定らしい。
「……飼い主を無視するとはいい度胸だよね」
感情を伴わない冷淡な物言い。
黒橡のコートに包まれた全身黒尽くめの美女。
彼女の名は、──クロノ・トリガー。
俺の秘密の相棒だ。
「あっ、これはもう、……お仕置きだよね……。えいっ」
彼女は慣れた手つきで鞭をしならせて俺の背中に打ちつけた。
「あひっ!」
心地よい痛みが走り、思わず声が漏れる。
俺は彼女と出会ってから、潜在意識に眠っていた自分の嗜好に気づき、夜な夜な彼女と戯れていた。
そう、俺の身体にある無数の傷は彼女がつけたものだった。──俺はドMだ。
そして、クロノは──ドSだった。




